井上達夫教授の<憲法9条削除論>の鮮烈と無為徒食の憲法学者の有害無比な生態

mikasa
【the Mikasa】


久しぶりに憲法論説を読んで感銘を受けた。『論座』(2005年6月号)所収の論説。井上達夫「挑発的! 9条論 削除して自己欺瞞を乗り越えよ」(pp17-24)である。井上さんは現在の日本を代表する法哲学者の一人であり、流石と言うべきかこの井上さんの憲法9条削除論は、堅固にして鮮烈、定石を踏まえながらも斬新である。

喩えて言えばそれは、内角高め135キロ前後の直球と外角低めに決まるカーブだけでメジャーリーグの公式戦でノーヒットノーランを達成したような見事な論考。つまり、一般読者を想定してのことだろうか、150キロ超の剛速球も他の変化球も使わない(哲学古典の引用も法哲学の専門用語を多用することもない)地味な投球だが;その球の斬れと絶妙の配球によって(現実がよく観察されていることとよく考え抜かれた論理によって)、護憲―改憲を問わずこの社会に蔓延する甘ったれた有象無象の憲法9条論をシャットアウトする名人芸である。

憲法9条の改正については、私は井上さんとは異なる意見を持っている(もちろん、改正断行論である)。しかし、憲法改正に向けてこの国が動き出している今、多くの方にこの論説を読んでいただきたいと思った。以下、著作権法に触れないよう配慮しつつ、でできるだけ私のコメント(★の部分)は控えながら紹介する。

◆井上<憲法9条削除論>の視座
「改憲プロセスの発動に向けて、政界の動きが一進一退しつつも徐々に加速している。(中略)だが、事柄の政治的荷電量の高揚とは裏腹に、なぜ改憲か、なぜ護憲かについて問題の核心に迫った論議は、依然として低迷している。改憲派も護憲派も「型通りの話」を超えて、思考を深化発展させられないのは、両者ともに、知的廉直性の貫徹を阻む自己欺瞞に囚われているからだと私は考えている。(中略)憲法論議の立て直しは、両者の欺瞞を抉り出し、両者が隠蔽抑圧していた問題を直視することから始めなければならない」(17頁)。


◆改憲派の自己欺瞞(1)押し付け憲法論に見られる「おいしいところ取り」
「従来の改憲論の主要論拠は、現憲法が占領期に主権喪失状況の下で米国により日本に押し付けられたものであり、法的にも政治的にも正統性を欠くという主張である」(18頁)。しかし、「「押し付け憲法」を峻拒する経験論者も、「押し付け農地改革」の正統性を同様な峻厳さをもって否定してはいない」(18頁)。「「押し付け憲法」を拒否する改憲派が「押し付け農地改革」を受容するのは、自営農民を大規模に創出した農地改革が共産主義革命を醸成する「持たざる者の不満」をガス抜きしたばかりか、自民党長期政権を支える強固な支持基盤を創出し、その後の急速な経済発展と政治的安定との両立を可能にした点で、改憲派の政治的利害関心を基本的に満足させる帰結をもったからであろう」(18頁)。

「しかし、日本の国家的・国民的主体性回復を主な動機とし、それゆえにこそ9条改正による自衛戦力の保有・行使の合憲性の明確化を要請する改憲派にとって、「占領勢力に押し付けられた改革も結果的に実益があればそれでよし」とするのが本音であることを自認するのは、深刻な思想的同一性危機をもたらすはずである。改憲派がこのような同一性危機に悩んでいるように見えないのは、自らの思想的自家撞着に目を閉ざす自己欺瞞に陥っているからであろう」(19頁)。

★:押し付け憲法でも憲法は憲法
井上さんも本論説(18頁)の中で簡単に触れられているけれども、「現行憲法は「押し付け憲法」であり無効」という主張は(残念ながら)法論理的にはなりたたない。ただし、歴史学的にあるいは政治的な観点からは、「押し付け憲法」である現行憲法には法的な正統性において問題があることは間違いない。「押し付け憲法」であるにせよ現行憲法は憲法としての効力を持つ理由は下記の5点。

(a)現行憲法の成立過程では(改憲国会で)それなりに実質的な審議が行われた
(b)現行憲法制定後60年近くもの間、日本国民は憲法を改正しなかった
(c)現行憲法は大日本国帝国憲法の改正限界を超えるもの
 この改正限界論は、旧憲法を現行憲法の正統性の根拠と考えない論者に対しては
 「蛙の顔にショ●ベン」である
(d)現行憲法は旧憲法第75条の類推解釈からみて無効
 旧憲法第75条(摂政在任中の改憲禁止)を「非常時の改憲禁止」に一般化する解釈もまた旧憲法を
 現行憲法の正統性の根拠と考えない論者に対しては「蛙の顔にショ●ベン」である
(e) ハーグ陸戦条約・附属書違反
 同附属書違反「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」第43条(占領地の法律の尊重)は、占領期間中に
 適用される法規について述べている規定であり、現行憲法改正のケースとは適用される場面を
 異にしている



◆改憲派の自己欺瞞(2)対米従属を維持強化する9条改憲
「日本の国家独立と政治的主体性の確立のために軍事力保有の必要を説きながら、実際には、安保体制の対米従属構造を維持強化し、米国の軍事的世界戦略に日本が組み込まれることを推進しようとしていることは、改憲派の「主体性喪失」の実相を示」(19-20頁)している。


◆護憲派の自己欺瞞(1)本当は怖い「絶対平和主義」 それを貫徹する覚悟があんの?
「護憲派の主流は、現憲法9条が日本の非武装中立を要求し、自衛のための戦力保有権・交戦権も放棄していると解釈した上で、それを擁護する。この非武装中立論は冷戦時代には共産圏の善意への幼児的願望思考と嘲笑され、脱冷戦時代になると、「平和ボケ」「一国平和主義のエゴ」などと糾弾された」(20頁)。しかし、「それは不正な侵略者に対して、正義を棚上げにした忍従を我々に勧めるどころか、むしろ果敢な抵抗を要求する。(中略)非暴力的手段による抵抗を呼びかける。例えば、侵略者の銃弾に倒れながらも不服従を示すデモ行進、サボタージュ、ゼネストなどを続けることである。(中略)このような絶対平和主義は、「侵略などないはずだ」という幼児的願望思考や平和ボケとは無縁」(21頁)であり、それを選び取った人に対して峻厳な自己犠牲の倫理と祖国防衛の責任を課す思想なのである。

「本当に護憲派はこの絶対平和主義の峻厳な責務を引き受ける覚悟があるのか」(21頁)。「護憲派の本音の回答は、ノーだと私は考える。実際、護憲派を自任する人々の中には。「侵略されたら、逃げよう」と公言する者もいる」(21頁)。


◆護憲派の自己欺瞞(2)倫理と自衛隊とアメリカの核の傘にタダ乗り
「逃走論より、もっと、「地に足のついた」仕方で絶対平和主義の峻厳な倫理を回避する護憲派の本音回答がある。それは「裏口からの現状追認」とも呼ぶべきものである」(22頁)。それは、「9条が自衛隊と安保に違憲性の刻印を押し続けてきたからこそ、自衛隊の規模や安保体制下での日本の役割は現在の程度にとどめることができたのであり、9条の規範的意義は、それを裏切る政治的現実によって無効化されたのではなく、逆に現実政治による裏切りの余地を限定する桎梏として生かされてきたと主張する」(22頁)ものである。

「この巧妙な論理により、護憲派は彼ら自身を含む国民全体が絶対平和主義によって課される峻厳な責務を回避して、自衛隊・安保によって供給される防衛サービスという公共財を享受し続けることを事実上容認しながら、その規範認知は留保して、9条に対する自らの「原理主義的」解釈を温存することが可能となった」(22頁)。「自衛隊・安保の現実に依存しながら、「9条を守れ」と空疎なシュプレヒコールを繰り返す自慰的運動には欺瞞しか見出せない」(24頁)。

★:絶対平和主義=上流階級の平和主義?
熊> するってーと、ご隠居、毎日国のために頑張ってくださっている自衛隊員
   なんかも戦後民主主義を信奉する旦那衆から見たら、正義に反する仕事を
   生業として社会から「押し付けられたカーストにすぎない」っーことですかい。
隠> 熊さん。「カースト」なんか使いやがって、お前さんも最近随分学がついてきた
   じゃねーか。
熊> そりゃー、ご隠居、この海馬之玄関ブログ毎日読んでいりゃー、あっしだって
   それくらいの知恵はつきまっさね。
隠> まあ、おめーの言う通り、あの先進国の都会のワンルームマンションでTVゲーム
   感覚で「ぜったいへいわしゅぎ」なんぞと戯れていらっしゃるハイソな方々(笑)
   にとっちゃ、「自衛官は最下層のカースト」みてーなもんかもしれねーな。
熊> 自衛隊員のお陰で、毎日毎日、飯も食えて、そんでもって酒でもかっくらいながら
   浮世離れした平和主義遊びしてられるてーのに、その自衛隊員の仕事を
   軽蔑してるっーんだから、おいらみたいな無学なもんでも笑っちゃいますで。



◆9条論を削除して自己欺瞞を乗り越えよ そして、9条の思想を甦生させよ!
「憲法問題に関する私見を(中略)簡潔に呈示」(23頁)する。
第一に、「安全保障戦略は予測不可能な形で変動する世界情勢に即応しなければならず、改正の困難な硬性憲法によって通常の民主的政治過程のアジェンダから外してしまうのは不適切である」(23頁)。「時々の情勢の変動に左右される政策選択を憲法に取り込んでしまうと、憲法自体が時々の政治力学の変動に翻弄され、立憲主義は形骸化されてしまうのである。(中略)9条と乖離した現実が改憲派のみならず護憲派によってもなし崩し的に受容されてきた戦後の政治状況・思想状況が、どれほど憲法の規範性を「嘘くさい念仏」として茶番化し、日本における立憲主義の確立と発展を阻んできたか、護憲派にこそ特に、胸に手を当てて考えてもらいたい。9条は固守するのでも改正するのでもなく、端的に削除すべきである」(23頁)。

第二に、「憲法からの9条の削除を求めることは、9条の思想内実とそれを追求する政治実践の削除を求めることと同じではない。(中略)逆説的だが、9条信仰を捨てて現実と立ち向かうことなしに、9条の思想は生かされない。(中略)米国の核の傘に守られながら、「非核三原則」を唱えることの欺瞞性に気づかないほど安保体制下の対米依存を「自然」視している根深い「甘えの構造」から、我々は脱却する必要がある」(24頁)。

と、この井上さんの鮮烈な憲法改正論への考究を鑑みて私はどうしても日本の憲法研究者の世界を想起せざるをえなかった。一言で言えば、「日本の憲法学者は、鎖国下で家禄を保障されたサラリーマン武士」ということだ。以下、この認識を敷衍する。それは井上論考に比べれば「感慨」にすぎないけれども。

***** *****


◆無為徒食な憲法学者
日本の憲法学者は、鎖国下で家禄を保障されたサラリーマン武士である。彼等は日本でしか通用しない憲法理解を積み重ねている。そう、無為徒食の輩。私は彼等の憲法理解が日本を危うくしていると思うし、現下の状況を鑑みるに、最早、彼等は「無為徒食」だけではなく「百害あって一利なし」そう「有害無比」の存在になりつつあると思っている。

多くの優秀な憲法研究者が日々精進されていることを、かつて、そのコミュニティーの末端にいて知っている私にとって、こう書くことは慙愧の極みである。けれど、悪貨は良貨を駆逐する。「平和・人権・民主主義・個人の尊重・国連中心主義」に象徴される戦後民主主義の既得権益を守ることでは利害を共通にする内閣法制局等の官僚勢力と多数派の憲法学者の連合軍を前にしては、優秀な憲法研究者は孤立を余儀なくされてきた。

例えば、自衛権だけなく集団的自衛権をも現行憲法は認めているし、当然、それを日本は行使できるという欧米でも通用する真っ当な憲法理解を日本の憲法・国際法の研究者の多数は無視している。自衛権をめぐる議論が法概念論の裾野から積み上げられたならば、おそらく、現行憲法の解釈論としても集団的自衛権は認められる。少なくとも、それを認めないという主張に比べ根拠が特に弱いということはない(★)。それゆえか、戦後民主主義を信奉する憲法学者は法理論のゼロベースからの議論を回避して、書かれた憲法条項の字句のみを議論する。それで肯定派が納得しない場合には? その場合に彼等が持ち出す集団的自衛権否認の論拠を煎じ詰めれば、内閣法制局の見解と政府の憲法解釈なのである! 正に、無為徒食。

★註:集団的自衛権肯定論
書かれた憲法である「憲法典」と国家権力の行為規範であり最高の授権規範である憲法とは同じではない。憲法が国家権力に正当性を与え国民を統合する(むしろ、「国民」を創出する)法体系の基軸を定めるものであるならば、憲法が国家の主権を危うくする事態に対して(それは、領土や統治権の簒奪侵食だけでなく、北朝鮮による拉致などの自国民への攻撃を含む)自衛権を持つことは論理的に憲法の内容に含まれる。

ならば、書かれた憲法の条項も(例えば、第9条も)この自衛権と矛盾しない範囲で解釈されなければならない。確かに、集団的自衛権が国際法上どの国にも認められるからと言って、現行憲法がそれを認めていたとは言えない。しかし、日本が国連憲章を受け入れ国連に加盟した段階で、また、日米安全保障条約を締結批准した段階で我が憲法の自衛権のメニューの中に集団的自衛権が存在することは確かであり、それを行使するかどうかは時の政権の政治判断に委ねられている。尚、集団的自衛権と憲法の関係については、佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書・2001年5月)を参照いただきたい。小著だけれども必要にして十分な情報が得られる優れものの1冊です。



◆憲法改正限界論の蜃気楼・・・瓢箪から駒を日常にした憲法学者の惰性
基本的人権・国民主権・平和主義という現行憲法の3理念は憲法第96条による憲法改正の手続きをもってしても変更できない(憲法改正には限界が存在する)。これが現在の通説である。その根拠は、これら3理念は現行憲法の「根本規範」であり、「根本規範」を変更することは革命であって改正とは言えないから、というもの。

しかし、憲法改正限界論は、法学のウィーン学派(ハンス・ケルゼン)の全くの曲解に基づくものである。なぜならば、ケルゼン等の考えた根本規範には具体的な価値や規範内容は一切含まれていないからである(これはケルゼンの”Allgemine Staatslehre”や”Reine Rechtslehre”の初版本でも明らかであるが、ケルゼンがアメリカに亡命した後に上梓したドイツ語改訂版と英語版には明確に書かれている)。

憲法改正限界論を最初に打ち出した宮沢俊義先生や後期の清宮四郎先生は、おそらく、この経緯を承知の上で言わば確信犯的に憲法改正限界論を主張されたと私は思っている。私の師匠筋の田畑忍先生や八木哲男先生に聞いた話では、今から30年くらい前までは日本の憲法研究者のサークルには「自分達は嘘をついている」という後ろめたさと同時に「嘘をついてでも平和・人権・民主主義を日本社会に根づかせることは憲法学者の使命である」という覚悟があったと想像する。そう、豊臣家滅亡を導いた方広寺鐘銘の「国家安康 君臣豊楽」に難癖をつけた林羅山の慙愧に満ちた覚悟のように。

それから幾星霜。現在も憲法学者は、欧米の法概念論や法学方法論をフォローする場合と現行憲法を解釈する場合には全く異なる理論のパラダイムを使い続けている。しかし、彼等にはなんらの慙愧も覚悟も感じられない。正に、惰性である。否、この輩は、世界水準では噴飯ものの自分達の憲法解釈が日本社会で尊重されることをあたかも既得権の如く考えている(例えば、少し古いけれど週刊金曜日473号所収「ファシズム的心性の危険な萌芽」で、東京大学の高橋哲哉さんは戦後民主主義を前提にしない最近の政治家の発言を評して「こうした、戦後民主主義や平和主義の基本的な約束が無視されていく流れ」と書いている。この感覚である)。


◆平和主義の幻想・・・心理的視覚障害状態の憲法学者の姑息
『論座』(2004年2月号・朝日新聞社)掲載の川端清隆「世界との共生こそが日本の生きる道」は示唆に富むものだった。川端さんは当時、国連本部政治局政務官であり、川端論稿の主眼は、安全保障における国連の役割をポジティブに捉え、PKOを含む国連の活動に日本はもっと積極的に参加すべきだというもの。

国連への私の評価は川端さんのそれとは違い極めて低い(下記URLの拙稿参照)。しかし、川端さんの主張は、日本やドイツ、フランスにまだ生息しているらしい国連幻想と比べればまだ議論する余地のあるものだと思った。

国連幻想とは、例えば次のようなものだ。「イラク復興は、国連に委任されたとき初めて真の国際的な使命となる。日本が平和のために尽くそうというのなら、国連のもとでこそ国際的な信頼を得て前進できると思う」(クラウス・シェーラー、ドイツテレビ(ARD)東京支局長。平成16年1月23日・朝日新聞「私の視点」欄に寄せられた投稿)。あるいは、「コソボやアフガニスタンのように、国づくりの主体をイラク人と国連に移し、新たな統治を立ち上げる。それを米国が助ける。ブッシュ政権にそうした転換を望みたい」(平成16年1月21日・朝日新聞社説)という国際情勢認識と主張である。

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241

国連の活動かどうかが、ある国の国際活動が「真の国際的な使命」に寄与するかどうかのメルクマールになるというARD東京支局長の認識にはビックリ仰天だけれども。コソボやアフガニスタンの国づくりの主体がそれぞれの国民と国連であるという認識には開いた口が塞がらなかった。コソボやアフガニスタン攻撃に国連やEUがいかに抵抗したか、そして、現実には米国主導のNATO軍がかの地に新たなる秩序を、曲がりなりにも回復させたことを朝日新聞の社説子は忘れているらしいのだから。この社説子は、あるいは、本当に健忘症というか心理的視覚障害(生理的には何の障害もないのに、「見たくないものは本当に見えなくなる」という症状)を抱えておられるのかもしれない。閑話休題。

川端さんの論稿。「世界との共生こそが日本の生きる道」で私が注目したのは以下の箇所である。即ち、「日本では今日に至っても、非戦主義と国連の平和主義という似て非なる概念を混同する傾向が見られるが、曖昧な平和観の典型といえよう。非戦主義とはもともと英語でいう pacifism のことであるが、「平和のためといえども一切の武力行使は許されない」という考えを指す。この考えは、一定の条件下で軍事力の行使を認める国連憲章下の平和主義とは、基本的に性質を異にする。(中略)しかし日本ではいまだに、朝日新聞を含めた大手のメディアでさえ、pacifismを「平和主義」と訳し、国連の平和主義との混同を招く原因となっている。混同の結果、平和を達成する「手段」を論ぜずに平和を語るという矛盾に、何の不自然さも感じない日本人が今日でも多く見られる」(前掲論稿・40-41頁)。

この認識に私は共感する。その通り! そうなのだ、クエーカー教徒ばりのpacifismと、その中に国連軍や地域的取極めという武力行使の制度を組込んだ国連憲章下の国連の平和主義は、正に、「似て非なるもの」なのだ。あるいは、後者の武力行使のメカニズムが地球全体を覆う規模であることを想定するならば、平和思想の歴史において、非戦主義と国連の平和主義は対極にさえある。それが日本では、「朝日新聞を含めた大手のメディアでさえ」解っていない。もちろん、国際法や国際関係論にうとい憲法学者もまた。

重要なことは、(上の註でも触れたように)日本はそのような平和主義を掲げる国連に何の留保もつけず加盟したということである。日本は国家の自衛権という実定憲法の書かれざる内容からも、あるいは、憲法第98条第2項(条約と国際慣行の遵守)からも、非戦主義とは無縁の国家なのである。

ならば、どのような武力行使の手段と仕組みが現行憲法の平和主義と整合的であり、また、時々の国際情勢を睨んだ場合、どのような集団的自衛の構想が現行憲法の平和主義からみて政策的に優れているかを(あるいは、現行憲法で何ができないから改憲すべきなのかを)論じることが、生産的で、かつ、正義に適う憲法論議を導くだろう。そして、護憲を掲げながらも憲法の枢要をなす安全保障について、国連憲章や日本が締結批准した諸条約から日々提供される実定憲法の内容に一瞥もくれず、「見たくないものは見えない」、「見えないものは存在しない」とばかりに優雅に憲法典の字句と戯れている憲法学者は、冗談抜きにいわば心理的視覚障害状態にあると私は考える。


◆無防備地区の妄想・・・事なかれ主義の憲法学者の怠慢
その国民に国民としてのアイデンティティーを提供し涵養することは国家の権限であり義務である。自国民が他国から拉致されないようにし、万が一、拉致された場合にはその責任の追求と報復とを国際法的に許されるあらゆる手段を使い敢行することは国家の崇高な責務である。それは国家権力の存在理由でさえある。ならば、国家の意義と権限をめぐるこれらの論点の究明に消極的な憲法学者などは無為徒食の輩であるだけでなくその責務を果たさないという意味で「獅子身中の虫」と言うべきかもしれない。

例えば、『週刊金曜日』(473号)紙上であの落合恵子さんが、朝日新聞のある投書に、「(ジュネーブ条約追加第1議定書の中の「紛争当事国の無防備地区攻撃禁止」を)自治体が条例で宣言すれば国際法上は有効と思う」と書かれていたことを肯定的に紹介していた。そして、この条例化を推奨する憲法学者も存在する(下記URLの拙稿参照)。このような無茶苦茶な憲法・国際法の理解が恥ずかしげもなく全国紙に掲載されることも驚きであるが、その背景にはこのような謬論を批判しない多数の無為徒食の憲法学者の怠慢が横たわっている。

・無防備地区の妄想と詐術
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-20.html

 
護憲派であれその社会的使命を自覚する憲法学者なら、無防備地区を条例で宣言することが国際法的にも憲法的にも無意味なこと、(気持ちはわかるが)長期的には謬説は決して憲法を擁護することにはならないことをイノセントな無防備地区条例推進派の人々に助言すべきではないか。そうしない彼等は最早有害な憲法学者と言うべきである。


(2005年5月5日-5月14日:yahoo版にアップロード)

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