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「改憲をめざす内閣」は憲法違反か?

anpo


安倍首相は在任中に改憲の道筋をつけると語っているが、そもそも、現行憲法99条は「憲法尊重擁護義務」を公務員、就中、閣僚や国会議員に課しており、「改憲をめざす内閣」というのは憲法99条違反である。

内閣や政府与党が憲法改正を推進するのは99条違反。このような主張が新聞の投書欄や護憲派のブログに溢れています。例えば、朝日新聞の声欄には鳥取市の医師の方から次のような投書があり、更に、フェリス女学院大学の常岡せつ子さんが通説たる「憲法改正の限界論」の立場からそれに対するコメントを投稿されていた。以下、引用。

●安倍氏の姿勢違憲でないか  
医師 上田 武郎(鳥取市 50歳)

憲法の改正は周知の通り96条に「国会が、これを発議し」とあります。憲法の改正をめざすには政党として国会に多くの議席を得るのが近道で、「改憲をめざす政党」をつくるのは憲法で認められた権利だと思います。安倍氏が党総裁として改憲を主張するのは何ら問題がありません。

一方、99条には国務大臣の憲法を尊重し擁護する義務が記されています。そして内閣はあくまで行政機関です。首相以下内閣の責務は憲法を順守しつつ行政に当たることです。だとすると、政党の場合と異なり、「改憲をめざす内閣」と言うのはおかしいのではないでしょうか。「内閣が改憲を主導してはいけない」と直接的には書いてありませんが、96条と99条を併せ読むと、法の精神に背くのではないかとおもいます。

発議を国会に限定しているのは、三権分立の原則から当然ですが、それだけではなく行政の力を使って世論を誘導するのを禁じる意味合いなどはないでしょうか。安倍氏が政党総裁としてではなく、首相として改憲を進めようとすることに違憲の疑いがないのか、専門家のご意見を伺いたいと考えます。(平成19年5月15日)


●9条2項削除 改正の枠逸脱 
大学教授 常岡 せつ子(横浜市泉区 53歳)

「安倍首相の姿勢 違憲ではないか」(15日)は、憲法尊重擁護義務を負う内閣総理大臣が、改憲を主張するのは違憲ではないかという問いでした。憲法学者の一人としてお答えします。

憲法99条で憲法尊重擁護義務を負うのは、内閣の構成員のみならず国会議員も含まれます。憲法は、為政者が恣意的な政治を行う事で国民の人権を侵害しないよう国民が為政者に科した手枷足枷です。内閣に改憲の発案権があるかという問題では、学説が分かれています。仮に内閣に発案権が認められなくても、安倍首相は国会議員の資格で発案できます。

為政者に改憲の発案権があるとしても、改憲の限界、つまりどの様な「改正」も認められるかという問題が残ります。96条は、あくまでも改正手続きを定めたもので、憲法の基本原理を変える変更は、現憲法の否定であり、もはや「改憲」とは呼べないというのが学会の通説となっています。

9条2項を削り「自衛軍保持」を記す自民党案は、通説に従えば「改正」案とは呼べません。新憲法制定、またはクーデターともいうべきものです。96条の手続きで行うのは国民を欺くものです。民意表明手段としては不備と思われる制度を定めた国民投票法が成立したいま、憲法「改正」の動向を、一層監視する必要が生じたと言えるでしょう。(平成19年5月18日)


参考憲法条項:
96条1項:この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
99条:天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。


投稿者の上田さんは「九条の会・医療者の会」の活動家であり、また、『英文対訳ー日本国憲法を読む』(柏書房)の共著者である常岡さんは「九条の会」賛同者として有名な方。つまり、15日-18日の朝日新聞声欄の巻頭をにぎわせたこれら二本の投稿は、共産党系の「9条の会」の身内によるバトンリレーでした。

さて、常岡さんの投稿からも「改憲をめざす内閣」というものが現行憲法99条に違反しないことは明らかでしょう。つまり、「そもそも、「改憲をめざす内閣」というものは憲法99条違反」という主張こそ憲法論的にはトンデモな議論なのです。その点を窘めたのは憲法研究者としての常岡さんの職業倫理というか改憲側に身内の共産党支持者が論破されるのを事前に防ぐ組織防衛の所業というところでしょうか。ところで、常岡さんは、注意深く「改憲をめざす内閣」の問題を99条から96条にシフトさせている。

蓋し、一般的に憲法改正の発案を内閣が行うことは99条違反ではないとしても、憲法改正の限界を逸脱する「改正」(=それは、常岡さんに言わせれば「新憲法制定」や「クーデター」なのでしょうが、)を内閣や国会議員がめざすことは99条に謳われる「憲法尊重擁護義務」違反ではないのか。常岡さんはこの論点を素通りして、「為政者に改憲の発案権があるとしても、改憲の限界、つまりどの様な「改正」も認められるかという問題が残ります」と述べている。微妙ですか(笑)。すなわち、

(a)内閣による憲法改正の発案は99条違反か?
(b)内閣による憲法改正の限界を越える改憲の発案は99条違反か?
(c)憲法改正の限界を越える改憲は96条違反か?


鳥取の九条の会の仲間のバトンを受けた常岡さんは、議院内閣制をとる我が国では(a)について「内閣による憲法改正の発案は違憲ではない」とした上で(b)をスルーし、直ちに(c)「憲法改正の限界を越える改憲の発案や発議は違憲」と述べておられる。それは例えば、護憲派のプロ市民にとっては、「憲法改正の限界を越える改憲は違憲だ!」とだけ叫べるのか、それとも、それに加えて「憲法改正の限界を越える改正をめざす内閣は違憲だ!」とも叫べるのかを分かつポイントをスルーするものだ。そう思うのです。では、なぜ常岡さんは(b)をショートカットされたのか。

友達でも同門でもあるまいに彼女の真意はわかりません。単にそれは投稿規定の文字数が理由だったのかもしれない。けれども、この点に私が着目したのは、(b)を違憲とする憲法研究者は樋口陽一さんや辻村みよ子さんら極めて少数であり、憲法尊重擁護義務規定に関する比較法的や現行憲法の立法過程の考究からは、「内閣による憲法改正の限界を越える改憲の発案は違憲」などという、「道義的義務や精神的な訓示」を越える規範意味を99条に見出すことには否定的なのが通説、少なくとも多数説だからです。

つまり、意地悪く想像すれば、(a)について「No.」と言い護憲派をディスカレッジした常岡さんは、更に、(b)でも「No.」と言うのは忍びないと感じ、護憲派の耳に心地よい(c)の「Yes.」に直行されたのではないか。そう私は想像したのです。あくまでも想像ですけどね(笑)。


96条を根拠にするのか、96条だけでなく「法体系の段階説」や「憲法制定権力」等々を含む憲法の本性から演繹するのかの違いは別にして、常岡さんが述べられている通り「憲法改正の限界を越える改憲は違憲」と考えるのが通説であり少なくとも圧倒的な多数説です。

けれども、その改正が「憲法改正の限界を越える改憲」であるのかどうかを誰がどんな手続きで判断するのか(有権的に解釈するのか)、あるいは、それを「憲法改正の限界を越える改憲」と誰かが(我が国ではおそらく裁判所になるのでしょうが)公的に判断できたとして、国民投票を経たことで民主主的-国民主権的な正当性を帯びるであろう改正憲法(≒新憲法やクーデター体制)の法的効力をその違憲判断が奪うことが可能なのか。

これらの地点まで考察の射程を延長するとき、憲法研究者の少なくとも過半はそのような改正憲法(≒新憲法)の法的効力を否定することは政治的にだけでなく法的にも困難であると認めると思います。つまり、99条は憲法改正の限界を越えた改正憲法(≒新憲法)を無効にすることはできない、と。蓋し、

(a’)内閣による憲法改正の発案は99条違反ではなく
(b’)内閣による憲法改正の限界を越える改憲の発案も99条違反ではなく
(c’)憲法改正の限界を越える改憲は96条違反かもしれないが、その改憲手続きの瑕疵によっても、改正憲法(≒新憲法)が必ずしも政治的にだけでなく法的にも無効になるわけではない。


なぜ、「改憲手続きの瑕疵によっても、改正憲法(≒新憲法)が政治的にだけでなく法的にも必ずしも無効になるわけではない」と言えるのか。単純ではあるが、誰も無視できない理由は、(下記にURLを記した)別稿でも述べたように、「憲法改正や立法の合憲違憲を事前に、個別的事件の紛争処理とは無関係に抽象的に判断できる憲法裁判所を持たず、具体的な訴訟の提訴を待って、その訴訟案件の解決に必要な範囲で憲法判断を行う付随的違憲審査制度を採用する現行憲法の下では、当該の裁判所の判断に権威と権限を与える憲法はその時点ではすでに改正後の憲法だからです」が、この点少し敷衍します。

ある改憲が憲法の改正なのか新憲法の制定なのかは、改正後の憲法が改正前の憲法からどれほど正当性を継承できるかどうかに収束する。ならば、改正後の憲法(≒新憲法)が国民投票を経たことで民主主的-国民主権的な正当性を獲得するであろうこと、而して、<憲法>が書かれた憲法(the written constitution)たる形式的意味の憲法(=憲法典)と憲法的慣習に端的な国民の法的確信の体系たる書かれざる憲法(the unwritten constitution)の重層的な構造物である以上、改正前の憲法を根拠とした改正の限界など<憲法>の連続性と正当性の決定に関してはマイナーなチェックポイントにすぎないのです。

憲法制定権力が制定する「憲法」と改憲権者が改正できる「憲法律」を峻別するカール・シュミットの憲法制定権力論においても、憲法制定権力たる国民が国民投票で示す憲法の変更は憲法改正の限界に拘束などされない。

また、シュミットの憲法制定権力論が喝破した如く、憲法制定権力(≒民主主義の社会においては現実の社会学的な国民総体)は憲法改正の限界に拘束されることはないが、他方、憲法制定権力も民族の歴史や文化伝統の連続性の枠組みを逸脱することはできない。畢竟、現行憲法に内在する憲法改正の限界などに正当性の根拠を求めずとも、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国の伝統とイデオロギーを基盤としている限り、改正後の憲法も日本国の憲法としての連続性と正当性を重層的な法的構造物たる<憲法>から直接に継受することが可能だからです。

改憲手続きの瑕疵によっても、改正憲法(≒新憲法)は必ずしも政治的にだけでなく法的にも無効になるわけではない。法の概念論から見るとき99条の内容と限界はこう理解できると私は考えています。尚、現行憲法99条の規範意味と憲法改正限界論の限界については下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。

(2007年5月20日:yahoo版にアップロード)

・憲法改正のトンデモ反対論Q&A
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/47063088.html





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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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