残留孤児訴訟を見る朝日新聞の倒錯した社会認識と狡猾で姑息なプロパガンダ

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今日、平成17年7月7日の朝日新聞社説「残留孤児敗訴 もう置き去りにするな」を検討する。一言で言えば、それは司法に期待すべきでない紛争の解決は政治(≒この場合、立法とそれを執行する行政)によるしかないことを認めた点で評価できるものの、その提言する政治解決の内容は倒錯したものである。

「不当判決!」、「法は正義の実現のためにある。この判決はその司法の使命を放棄するものだ」などと叫ぶ学部学生やよくて(訴訟法や法哲学だけでなく民法も不勉強な)憲法専攻の大学院生や嘱託講師レヴェルの戯言にくらべれば、今日の七夕社説は優れている。しかし、朝日新聞の社説子が「そもそも、なぜ孤児が生まれたのか。孤児たちは、日本の国策に基づいて旧満州へ送り出された移民の子である。敗戦直前に旧満州がソ連軍の侵攻を受け、その混乱の中で、置き去りにされた」ということを根拠に「こんな法律論だけでは片づけられない現実がある。孤児たちに残された時間は多くない。また置き去りにしてはならない」と語るとき、そこには極めて恣意的な政治的主張が密輸されているのではないか。以下、七夕社説の引用。

60年前の敗戦前後の混乱の中で、旧満州(中国東北部)では、日本人の子どもたちが肉親と死別したり離別したりして現地に取り残され、中国人に育てられた。中国残留孤児と呼ばれる人たちだ。80年代になって、ようやく国による訪日調査が始まり、日本に帰ってきた。そうした人たちが国に賠償を求めた集団訴訟で、大阪地裁は請求を棄却した。各地の集団訴訟で、初の判決である。

裁判で、孤児たちは国の責任を求める理由として、二つの義務を挙げた。敗戦のあと日本人を速やかに帰国させる義務と、帰国後に日本語の教育や就職のあっせんで自立を支援する義務である。どちらの義務も国は十分に果たしていない。それが孤児たちの主張だった。

判決は、国には速やかに帰国をはかる義務があったと認めつつも、それなりに努力したと判断した。自立を支援する義務については、国会や政府の裁量に委ねられるべきで、国に義務があるとはいえないと退けた。しかし、こんな法律論だけでは片づけられない現実がある。これまで国費で永住帰国した中国残留孤児は約2500人いる。このうち、2千人余りの人たちが、東京、名古屋、福岡など全国15カ所の集団訴訟で原告になっている。8割もの人が裁判に訴えざるをえないのは、それだけ生活が苦しいということだ。

生活保護を受けている孤児は6割以上に達する。(中略)日本語を十分に話せない人も多い。(中略)言葉ができないと、限られた仕事にしかつけない。60歳をすぎた孤児の多くは老後に不安を抱いている。働けなくなったら生活保護を受ければいい。そう言わんばかりの国の姿勢が、孤児の気持ちを深く傷つけている。(中略)

帰国の旅費の支給などを定めた現在の支援法を改正する。特別法で新たな給付金制度をつくる。年金を大幅にふやす。どんな方法が適切なのか。政府や国会はただちに議論を始め、新たな支援策を急いでもらいたい。(中略)

そもそも、なぜ孤児が生まれたのか。孤児たちは、日本の国策に基づいて旧満州へ送り出された移民の子である。敗戦直前に旧満州がソ連軍の侵攻を受け、その混乱の中で、置き去りにされた。孤児たちに残された時間は多くない。また置き去りにしてはならない。


まず、事実の確認。中国残留孤児は「80年代になって、ようやく国による訪日調査が始まり、日本に帰ってきた」と社説子は述べている。「そうか、その時点で大東亜戦争の終結から35年も経っていたのか。日本政府は40年近くも残留孤児を放置していたんだね。ひどいね。むごいね」と感じる読者もそう多くはないだろうが皆無でもないだろう。しかし、これは文学的表現か調査不足、さもなくば、あざとい政治的宣伝にすぎない。日中国交正常化がなったのは昭和47年(1972年)であり、それを受けて包括的で具体的な日中間の交流の枠組みが確立したのは昭和53年(1978年)の日中平和友好条約の調印以降のことなのだから。要は、当該裁判所が認定した通り、日本国政府は「速やかに帰国をはかる」べく「それなりに努力した」のである。

「孤児たちは、日本の国策に基づいて旧満州へ送り出された移民の子である。敗戦直前に旧満州がソ連軍の侵攻を受け、その混乱の中で、置き去りにされた」と社説は述べる。ならば、昭和45年8月9日(長崎原爆投下の日!)、日ソ中立条約を反古にして満州に怒涛の進撃を開始したソヴィエト・ロシア(その法的継承国たる現在のロシア共和国)にこそ残留孤児の補償の(道義的な)責任はありはしないか? 彼等の進行が戦略的に満州在住の民間人をも標的にするという(ベルリン「解放」でも発揮された彼等の得意技ではあるが、)我が皇軍がけして行ったことのない(当時も今も)戦時国際法違反の所業であればそれはなおさらである。

朝日新聞の社説がここで、しかし、ソヴィエト・ロシア(あるいはロシア共和国)の責任を問わないのは法律論としては正しい。昭和31年(1956年)の日ソ共同宣言第6条によって、日本とロシアは一切の請求権を相互に放棄しているのだから。尚、もし同共同宣言で請求権が放棄されなかったとしても、日本国民たる個々の残留孤児が直接個人の資格でロシアに対して補償を請求することはできず、彼等ができるのは日本政府に対する(あるいは日本政府を通しての)補償請求に限られることは、国際法の確立したルールであり、日本でも所謂「戦後補償訴訟」なる(法律的には)茶番劇を通して数次にわたって確認されている事柄である。

ならば、朝日新聞に問いたい。ソヴィエト・ロシア(よってロシア)の道義的責任について一顧だにしない者が、何故に、その前の「日本の国策に基づいて旧満州へ送り出された移民の子」という事実を根拠に国の道義的責任を問い、特別法による「新たな給付金制度」の制定を求めるのか、と。国家の政策もフランチャイズ契約と同じで、その政策や契約に賛同し参画した者の成功や幸福を保証するものではない。国内的と国際的に最高で独立した統治権と主権を持つ国家といえども歴史と運命の前には単なる荒波に漂う小舟にすぎないのであり、誰も自分が約束していないこと、まして、能力の本性において自己の能力を超えた事項について責任を問われることはないだろうから。

畢竟、結果的にせよ拙い国策の責任を国家やその指導者に問う政治的責任の追求と拙い国策によって無念な思いを噛み締めるに至った者が国家やその指導者に問える政治的責任は全く位相を異にする。よって、「孤児たちは、日本の国策に基づいて旧満州へ送り出された移民の子である」ことは「特別法で新たな給付金制度をつくる」ことの根拠にはなり得ないのである。

更に、厳しく言えば、残留孤児の人々は自分の意志で満州の地に置き去りにされたのではないが彼等は自分の意志で帰国を選んだのである。帰国を決断されたについてはプル要因もプッシュ要因も多様ではあったろうが、1980年当時、残留孤児の方々は判断能力のある若くとも35歳の成人であった。ならば、帰国を決断するについて日本政府が約束した処遇と違うことがあればまだしも、そこでは、言葉の正確な意味での<自己責任>が問われることは当然ではないか。蓋し、限られた国家資源(予算)配分の指針として、朝日新聞が嫌悪感を顕にする「生活保護」とは別に、他の同じ日本国民と区別して特別に中国残留孤児を救済する特別法による「新たな給付金制度」を根拠づける何ものをも私はこの七夕社説から読み取ることはできないのである。

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冒頭に述べたことを敷衍しつつ読後感を書く。朝日新聞の七夕社説は、司法への過度な期待を戒める点は評価されるべきである。しかし、それは自分が勝手に作り上げた国家への過度な期待に絡め取られている。国家も個人もその能力は有限であり、逆に有限なる人間がその生活と幸福の度合いを少しでもより良くするために作った<法とイデオロギーの共同体>が国家にすぎない。ならば、司法と立法と行政を問わず法が実現を期すべき正義の内容は、国民の中に存在する多様な利害や価値を可能な限り公平に調整するものでなければならないと私は考える。

ならばこの点で、老後の支えと頼りにしていた息子が経済能力の乏しい未成年の餓鬼に通り魔殺人された老夫婦のケース、いきなりのFTA(二国間自由貿易協定)締結による貿易自由化のために地場産業が壊滅し50歳後半で生活の拠点を都会に移さざるを得なくなった方々のケース、あるいは、利息制限法や固定資産税制、あるいは、年金制度の不備等々の自己の責任に必ずしも帰されない事由で老後の不安を抱えた多くの日本人と日本人たる残留孤児を区別して後者に特別な配慮を与える立法政策の根拠は乏しいのではないか。蓋し、上で検討した言わば「消去法」によっても、今日の七夕社説における朝日新聞の論拠は、我田引水的な日本の戦争責任論を立法論に密輸したものにすぎないだろう。

「カエサルのものはカエサルに返せ」。「裁判で解決できない紛争処理は政治的解決に返すべき」なのである。そして、政治過程における紛争処理が、再度、立法の形式を取る場面に至ったならば、そこではもう一度「カエサルのものはカエサルへ」の言葉を我々は反芻しなければならない。それは、法の持つ相互性と一般性という強烈な機能を鑑みて、異なる価値と利害に溢れた社会にその立法がよりノイズ少なく受け入れられるための公平性の観点である。この公平性の観点からは今日の社説の提言は噴飯ものの戯言と言うべきであろう。

国家は<法とイデオロギーの共同体>にすぎない。けれど、それは日本人に自己の日本人としてのアイデンティティーとプライドを保障することを通して、この社会に治安と秩序を具現する貴重な文化的と制度的のインフラである。国家の実体は我々の共同の意識の中にしか存在しない。それはよって壊れやすい(fragile)公共的な法制度&文化イデオロギー的なインフラであり、我々はそれを常にメンテナンスしなければならない。戦後民主主義の残滓たる朝日新聞や「プロ市民」という職業的な反日勢力を抱える日本ではこのメンテナンスの必要性はかなり高いと言えるかもしれない。

そして、再々になるが、立法における公平性の欠如こそ法体系としての国家のイデオロギー的正当性を最も容易く棄損する方途の一つであることは間違いないであろう。よって、今日の七夕社説は残留孤児の皆さんへの人道的な提言の装いを取りながらも、実は、残留孤児の皆さんをも含む日本人全体への政治的な攻撃である。それは、法的にはありもしない日本の戦争責任/戦後責任をあたかも立法者が真っ先に考慮すべき法的価値と偽るものである。白を黒と言う詭弁に他ならない。それは戦後民主主義からする政治的プロパガンダの一つであり、衣の下の鎧が見え見えということ。私にはそう思われた。


(2005年7月7日:yahoo版にアップロード)

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