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中国残留婦人訴訟☆東京地裁で当然の判決

futouhanketsu00




東京地裁が妥当な判決を下した。
東京地裁 GOOD JOB!である。



以下、共同通信の記事参照。

中国残留婦人訴訟 帰国支援の怠慢認める
終戦を11-16歳で迎え、日本に永住帰国した中国残留婦人の鈴木則子さん(77)=東京都出身=ら3人が、「早期帰国措置を取らなかった」などとして国に総額6000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は15日、請求を棄却した。原告側は東京高裁に控訴する方針。(共同通信:平成18年2月15日18時20分)


再度記す。何度四でも妥当な判決だと思う。実際、大東亜戦争後に限っても、講和条約における片面講和 Vs 全面講和の対立、日米安全保障条約の締結の是非、文革期の中国の評価やカンボジアのクメールルージュ(ポルポト派)の評価、あるいは、国鉄分割民営化や日教組の支持の是非等々でも遍く顕著なごとく、わが国の政治と歴史には「朝日新聞の主張の反対を行っていれば間違いない」という厳然たる歴史・社会法則が存在している。而して、その朝日新聞が、2月17日づけのその社説『中国残留婦人 せめて老後の安心を』でこの東京地裁判決を批判しているのを見れば当判決の妥当性はまず間違いだろう。

原告側を宥めるような/原告側へのリップサーヴィスのような、しかし、法的な意味は全くない同判決傍論部分からの無意味な引用を除き、朝日新聞『中国残留婦人 せめて老後の安心を』はこう述べている。傑作である。以下、引用開始。

「お国のためにと働いた私たちが、なぜ国に捨てられねばならなかったのでしょう」 戦前から戦中にかけて国策で中国東北部(旧満州)に移住し、敗戦後に取り残された残留婦人は、東京地裁の法廷でそう訴えた。しかし、彼女ら3人が求めた国家賠償は認められなかった。(中略)

判決は(中略)国の政治的責務を認め、「きわめて消極的な帰国支援策しか行わず、帰国後の支援も不十分だ」と述べた。一方で、判決は「原告らには公営住宅が提供され、不十分ながらも生活保護の支給や年金の特例措置がなされている」と述べ、「国家賠償法で違法とするには、いま一歩足りない」と結論づけた。

国の政策決定では、経済や財政を見渡し総合的な判断が必要となる。だから、行政や立法の裁量権は広めに認めるべきだ。そんな考え方が裁判官には強い。

しかし、少数であっても特別の被害を受けた人たちを救済するのは、まさに司法の出番だ。(中略)残留婦人であれ、残留孤児であれ、老後を少しでも安心して暮らせるようにする。それは彼らを置き去りにした国家のせめてもの償いだ。(以上、引用終了)


sovietrush2



ポイントは2点。蓋し、司法にすべての紛争の解決を期待するのは司法や憲法に対する過大なクレーム(=要求)だということ。そして、今ひとつは、国家権力は敗戦にともない国民が味わった塗炭の苦しみを完全にカバーし補償する責務など負いようがないということである。

朝日新聞が言う通り、確かに、立法や予算措置による社会の紛争の一般的な解決を目指す立法権や行政権の機能とは異なり、司法の役割は「少数であっても特別の被害を受けた人たちを救済する」という個別的な紛争の処理であることは間違いない。朝日新聞にもたまには正しいことが書いてある。しかし、その個別的な紛争処理も法律が定めた裁判所たる裁判官の権限の範囲内で達成されるべきものである。選挙の洗礼を経たものでもないテクノクラートたる裁判官に国家や個人の権利義務を左右される義理も筋もないだろうから。

ならば、本件において裁判所が原告側の訴えを淡々と退けた姿勢こそ、民主主義にも適う立派な裁判所の態度というべきであろう。それに対して、朝日新聞の主張は裁判所に法に反する行動を取ることを教唆する反社会的なものでさえある。

蓋し、本件訴訟は、司法に期待すべきでもない案件を、それを承知で司法に持っていったのであり、原告側敗訴は当然なのである。私は原告側に対しては、司法ではなく政治のレヴェルでの解決を目指すべきだったのではないか;そして実際、政治運動の手段の一つとして司法の場でのアピールを選択したのなら、敗訴は甘んじて受け入れなさいよと言いたい。

逆に言えば、本件訴訟は裁判運営にかかる社会的コストを自己の政治運動のアピールのために使う社会インフラへのタダ乗り(Free Rider)の行いなのかもしれない。そして、裁判制度という公共財へのタダ乗りにせよ、また、自分達は苦労したから補償を得る権利があるなどと考えるにせよ、それらは国に対する甘え以外の何ものでもないことは確かだろう。

国家の責任についてはどうか。畢竟、政治家は国政に関して法的には結果責任を負わない。結果責任を問われるのは政治責任/道義責任であろうが、もともと「確実に国民を幸福にする/間違っても敗戦に伴なう塗炭の苦しみを国民に味あわせない」などを履行する義務も責務も指導者にはない。そして、国にも。なぜならば、歴史の激動が人智や一国の力量を超えるものである以上、不可能事を誰も約束もできないし不可能の不履行を責められる筋合いもないからである。

ならば、当時の政治指導者や現在に至る国の責任を追及する心性は、国は国民を幸せにする責務があるという、国への甘えではないだろうか。そして、この国への甘えは、国家の責務と機能が社会福祉のほとんどの領域を覆うべきとする社会主義的な国家観、または、帝国主義国家(=資本主義国家)は悪であり、ならば、その悪いことをしている国家から補償を分捕るのは善であるという国家独占資本主義的な国家観、あるいは、これら社会主義的な国家観と国独資的国家観の両方によってのみ基礎づけられた(きわめて根拠の怪しい)ものである。私はそう考えている。


(2006年2月18日:yahoo版にアップロード)

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