保守派とパル判事の<同床異夢>を揶揄するニューヨーク・タイムズ記事

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安倍晋三首相が支那包囲網の構築に向けた戦略外交の一貫としてインドネシア、インド、マレーシアの三ヵ国を訪問したことを受けて、8月31日、日本でのパル判事の権威を揶揄する大西哲光(Norimitsu Onishi)記者の署名記事がNYTに掲載された。”Decades After War Trials, Japan Still Honors a Dissenting Judge” 「東京裁判終結から数十年経過してもなお、反対意見を述べた裁判官をいまだに称賛する日本」である。而して、その内容は朝日新聞が2週間前の8月18日に掲載した社説「パル判事―心配な安倍首相の言動」と相補うもののように思われた。

蓋し、朝日新聞社説がパル判決書を国際法の厳格な適用から導かれた法律論であり、パル判事自身は日本の政治的と道義的な戦争責任を否定していないと主張するものであるのに対して、大西記事はそれをパル判事の特殊な政治思想、すなわち、反帝国主義-民族自決主義に還元しようとするもの(この朝日新聞社説に関しては下記拙稿を参照ください)。

宰相の<天竺外遊→パル判事の親族との面談>が照射した「東京裁判のさもしい実像」に苛立つ朝日新聞
 
朝日新聞と大西記者は共に支那の与力として日本を貶める主張を垂れ流すことでつとに有名である。しかし、そうであればこそこの朝日社説と大西記事の違いはある意味興味深い。

蓋し、前者がパル判事をして「帝国主義による植民地支配一般を非難した公正高潔な人士」と捉えているのに対して、後者はパル判事を、同じベンガル人でありインド独立の英雄にして宗主国イギリスへの対抗カードとして日本の活用を考えたチャンドラ・ボースに親しい「インド独立を期して西洋列強の植民地支配を批判した人物」と看做しているようだ。而して、この両者の違いが那辺に起因するかには更なる考察が必要だろうが、大西記事が正にレポートしているように、少なくないその購読者がパル判事にポジティブなイメージを抱いている朝日新聞とそうではないNew York Timesとの違いが原因の一つかもしれない。閑話休題。


朝日新聞の社説とNYTの記事は同工異曲である。蓋し、この両者は、
(1)日本の歴史的な戦争責任は確定している
(2)パル判決書は日本の政治的な戦争責任を否定するものではない
(3)安倍首相を始めとする日本の保守勢力は破廉恥にもパル判事を引き合いに出すことで日本の政治的な戦争責任を否定しようとしている


と主張する点では轍を一にしている。而して、(2)の指摘はおそらく正しいけれど、(1)にはなんら普遍的根拠は存在せず、よって、(3)は下種の勘繰りというものだ。この経緯を確認すべく大西記事を翻訳紹介する。尚、NYTの著作権を鑑み紹介は全体の約三分の二に止めた。

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【Tokyo just after WW?】



An Indian judge, remembered by fewer and fewer of his own countrymen 40 years after his death, is still big in Japan.

In recent weeks alone, NHK, the public broadcaster, devoted 55 minutes of prime time to his life, and a scholar came out with a 309-page book exploring his thinking and its impact on Japan. Capping it all, Prime Minister Shinzo Abe, during a visit to India last week, paid tribute to him in a speech to the Indian Parliament in New Delhi and then traveled to Calcutta to meet the judge’s 81-year-old son.


死後40年、その祖国でも彼を知る人は益々少なくなりつつあるというのに、日本ではあるインド人裁判官がいまだに大きな存在感を保っている。

ここ数週間に限っても、公共放送のNHKはゴールデンアワーに55分間を割いて彼の生涯を紹介し、また、彼の思考とその日本に対する影響を詳しく調査したある研究者は309ページもの書籍を上梓した。それに止めを刺したのが安倍晋三首相のインド訪問である。安倍首相はインドを訪問していた先週、インドの国会で行った演説の中でその裁判官を称賛した上、81歳になる彼の息子と面会するためにカルカッタ(訳注:正式には「コルカタ」Kolkata)に向かったのである(★)。

★資料:安倍首相のインド国会での演説
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/indiajapan.html



A monument to the judge ― erected two years ago at the Yasukuni Shrine, the memorial to Japan’s war dead and a rallying point for Japanese nationalists ― provides a clue to his identity: Radhabinod Pal, the only one out of 11 Allied justices who handed down a not guilty verdict for Japan’s top wartime leaders at the post-World War II International Military Tribunal for the Far East, or the Tokyo trials.

"Justice Pal is highly respected even today by many Japanese for the noble spirit of courage he exhibited during the International Military Tribunal for the Far East,” Mr. Abe told the Indian Parliament.

Indeed, many of postwar Japan’s nationalist leaders and thinkers have long upheld Judge Pal as a hero, seizing on ― and often distorting ― his dissenting opinion at the Tokyo trials to argue that Japan did not wage a war of aggression in Asia but one of self-defense and liberation. As nationalist politicians like Mr. Abe have gained power in recent years, and as like-minded academics and journalists have pushed forward a revisionist view of Japan’s wartime history, Judge Pal has stepped back into the spotlight, where he remains a touchstone of the culture wars surrounding the Tokyo trials.

Mr. Abe, who has cast doubt on the validity of the Tokyo trials in the past, avoided elaborating on his views in the Indian Parliament or during his 20-minute meeting with Judge Pal’s son, Prasanta. But the meeting’s subtext was not lost on some Japanese newspapers, which warned that it would hardly help repair Japan’s poor image among its neighbors. 

日本の戦没者記念施設にして日本の民族主義者が集う場でもある靖国神社に2年前に建てられたその裁判官の記念碑。それは彼の人となりを知る手がかりとなる。すなわち、ラダビノード・パール、第2次世界大戦後行われた極東国際軍事裁判、所謂東京裁判において連合国11人の裁判官の中で唯一、戦時下の日本の指導者に対して無罪の判断を下した判事(★)。

「極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパル判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めているのです」とインド国会で安倍首相は述べた。

確かに、日本の多くの民族主義指導者や思想家は長らくパル判事を英雄として持ち上げてきた。彼等は、日本はアジアにおいて侵略戦争を行ったのではなく、日本が行ったのは自衛の戦争であり(アジアの)解放であったという主張をサポートするための錦の御旗として東京裁判におけるパル判事の反対意見に飛びつき時にはそれを曲解することさえ行ってきた。安倍首相の如き民族主義の政治家連中がここ数年権力を手にしたことにともない、また、同じく民族主義的な学者やジャーナリストが戦争中の日本に関する修正主義的な歴史観を押し出してきたことにともない、パル判事も再び脚光を浴びるようになってきた。すなわち、パル判事は現在に至るまで東京裁判を巡る文化戦争(訳注:「東京裁判をどう理解するか」に関する世界観の争い)の試金石であり続けている。

安倍首相といえば東京裁判の効力について疑義を呈したこともあるのだが、インドの国会でも、また、パル判事のご子息プロサント氏との20分間の面談の中でも東京裁判に関する見解の詳述は避けた。しかし、パル判事の子息と面会したこと自体が示唆する意味を報じた日本の新聞社もある。而して、それら新聞各紙はパル判事の親族に日本の首相が面会することは日本の近隣諸国に現存する日本に対する否定的なイメージをけして改善することはないだろう、そう警告した。

★註:「無罪の判断を下した唯一の判事」
オランダのレーリンク判事もパル判事とは異なる観点から少数意見を書いており、(このレーリンク判事の少数意見をどう解釈するかに左右される事柄ではあるにせよ)パル判事が「無罪の判断を下した唯一の判事」というわけではありません。レーリンク判事は、パル判事と同行した広島の視察を終えて100%考えを変え、本国からの多数意見に従えとの指令に抗して小数意見を書きました。

ただかれは、「私たちは、戦争を禁止するべきという大きな歴史の潮流の中にいるのであって、「裁判によって敗者を裁くことだけが戦後の国際法を前進させる唯一の方法である」という信念から、パル判事の指摘する事後法で戦争指導者を裁くことの違法性を意識しながらも、敢えて(大枠、所謂「A級戦犯」を無罪とはしない)意見を出したと私は考えています。

畢竟、東京裁判、あるいは、ニュールンベルク裁判における判事コミュニティー内部の葛藤は文学の主題としても歴史の題材としても興味深いものです。また、その後の国際法に与えた法理論的な影響もまた地味ですが大変重要である。このことは東京裁判に露ほどの正当性も認めない私も強く意識していることです。而して、その中でもとりわけレーリンク判事の心の揺れはパル判事と比べても数段、研究する者に何かを考えさせる陰影を孕んでいる。ただ、東京裁判自体の法的と政治的な性格の理解に関しては、正直、それらは捨象してもよい事柄だろう。私はそう考えています。


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【Tokyo attacked on March 10, 1945】


After the war, conventional war crimes by the Japanese, categorized as Class B and Class C, were handled in local trials throughout Asia. Twenty-five top leaders were charged with Class A crimes ― of waging aggressive wars and committing crimes against peace and humanity, categories created by the Allies after the war ― and tried in Tokyo by justices from 11 countries.

It was not clear why the British and American authorities selected Judge Pal, who had served in Calcutta’s high court and strongly sympathized with the anticolonial struggle in India. As an Asian nationalist, he saw things very differently from the other judges.

In colonizing parts of Asia, Japan had merely aped the Western powers, he said. He rejected the charges of crimes against peace and humanity as ex post facto laws, and wrote in a long dissent that they were a “sham employment of legal process for the satisfaction of a thirst for revenge.” While he fully acknowledged Japan’s war atrocities ― including the Nanjing massacre ― he said they were covered in the Class B and Class C trials.・・・

Judge Pal also described the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki by the United States as the worst atrocities of the war, comparable with Nazi crimes.


第2次世界大戦後、日本が犯した伝統的な戦争犯罪、それはB級とC級に分類整理されたのだが、そのような従来の国際法においても犯罪とされる事案はアジア各地に遍く設置された法廷で処理された。他方、25人の最高指導者は戦後連合国によって創られた犯罪類型たるA級の戦争犯罪、すなわち、侵略戦争を遂行した罪と平和と人道に対する罪を問われ東京で11カ国から選出された裁判官によって裁かれた。

英米の当局がなぜパル判事を、カルカッタ高等裁判所の判事にしてインド反植民地闘争に極めて強い親近感を抱いていたような人物を東京裁判の判事に選んだのかはよくわかっていない。アジアの民族主義者として、パル判事は他の東京裁判の同僚判事達とはかなり違う目で物事を見ていたのである。

アジアを植民地にする側として、日本は単に西洋列強の真似をしたにすぎない、とパル判事は述べている。彼は、事後法に基づくとの理由で平和と人道に対する罪を科すことを拒否した上で、そのような事後法を適用することは「復讐の強烈な欲求を満たすためにする訴訟手続きの形式的な援用」であるとする長文の反対意見書を書いたのである。他方、彼は日本による残虐行為、南京大虐殺(★)を含む残虐行為をきちんと認定しながらも、そのような事例はB級とC級の戦争犯罪を取り扱う裁判で審査されるべきだとした(★)。(中略)

更に、パル判事は、米国によって廣島と長崎に投下された原爆についても、それはナチの戦争犯罪にも匹敵する戦時下最悪の残虐行為の一つであると記している。

★註:the Nanjing massacre
「南京大虐殺」は事実か、あるいは、中華民国政府や中華人民共和国政府のプロパガンダに基づく「幻」なのか。これは、(イ)「南京大虐殺」なるものの定義、(ロ)歴史社会学的な事実関係の復元によって確定するしかない事柄でしょう。しかし、支那が客観的または間主観的資料をなんら提示しない現在の段階では、

30万人規模の民間人が、南京陥落後の約3ヵ月の間に、南京市内で、日本軍の指揮系統による/日本軍兵士の指揮系統によらない組織的な命令違反によって陵辱殺害されたという事実はなんら証明されていないのです。よって、本来は ”the Nanjing massacre”を「南京大虐殺」と訳すのは間違いなのですが、訳は原文に従っています。

★註:A級・B級・C級の違い?
訴えられるに値するとされた法規違反の内容から見た場合、(所謂「東京裁判」を含む)極東国際軍事法廷における戦犯の訴因は3個あり、それが、「(a項:b項:c項)=(平和に対する罪:通例の戦争犯罪:人道に対する罪)」なのです。これは東京裁判に先立つニュールンベルグ裁判で使用されたもの。

而して、日本において所謂「ABC級戦犯」と言われる場合のそれらの概念は、横浜での軍事法廷の開始直前にGHQがが流した報道に始めて含まれたものであり、それは、(A級:B級:C級)=(戦争指導者:虐殺指示者:虐殺実行者)というカテゴリー区分でした。すなわち、「訴因」の根拠条項による戦犯のカテゴリー区分と「ABC級戦犯」の概念は全くの別物なのです。

要は、ABCの戦犯のカテゴリー区分とABC戦争犯罪というカテゴリーは法的にはなんも関係がない。畢竟、NYTの大西東京支局長は「戦犯」のことはなーんもわからずにこの記事を書かれたということだと思われます。


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The American occupation of Japan ended in 1952, after Tokyo signed the San Francisco Peace Treaty and accepted the Tokyo trials’ verdict. But the end of the occupation also lifted a ban on the publication of Judge Pal’s 1,235-page dissent, which Japanese nationalists brandished and began using as the basis of their argument that the Tokyo trials were a sham.・・・

Casting subtleties aside, postwar politicians invited Judge Pal to Japan several times and showered him with honors. One of his strongest backers was Nobusuke Kishi, a prime minister in the late 1950s who had been a Class A war criminal suspect but was never charged. Kishi is Mr. Abe’s grandfather and political role model.・・・

日本政府がサンフランシスコ平和条約に署名し、かつ、東京裁判の評決を受け入れた後の1952年、米国の日本占領は終った。しかし、占領の終結は同時にパル判事の1,235ページにも及ぶ反対意見書の出版解禁でもあったのだ。而して、日本の民族主義者はこのこの反対意見書を機会あるごとに濫用し、かつ、東京裁判は茶番にすぎぬという彼等の主張をサポートするためにこの反対意見書を使い始めたのである。(中略)

微妙かつ些細な事柄は省略しよう。戦後の政治家達はパル判事を日本に幾度も招待し数多の勲章を授与した。彼の最も強力な後援者は、1950年代後半に首相を務めた岸伸介だった。彼はかってのA級戦犯の容疑者であったものの罪に問われることはなかったのである。而して、この岸伸介こそ安倍首相の祖父にして安倍首相が理想とする政治家なのだ。(中略)

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In many ways, Judge Pal seemed to share the mixed feelings that many Indian anticolonialists had of Japan. As an Asian nation competing with the Western powers, Japan inspired admiration, but also consternation for its colonization of Asia, said Sugata Bose, a historian of South Asia at Harvard.

Mr. Bose said his great-uncle Subhash Chandra Bose, the Indian independence movement leader, criticized Japan’s invasion of China but allied himself with Japan against the British.

"It is a complex view from South and Southeast Asia,” Mr. Bose said. “There is some degree of gratitude for the help that the Japanese provided, to the extent that such help was provided. At the same time, there was also grave suspicion of Japan.”

Still, Subhash Chandra Bose and the Indian National Army, a popular armed force formed by Indian anticolonialists, accepted assistance from Japan.

“Judge Pal, as an Indian, would have known all about this,” Mr. Bose said. “And it may have indirectly influenced his views.”


いろいろな意味でパル判事は多くの反植民地主義のインド人が抱く日本に対する複雑な感情を分有しているように思われる。西洋列強と闘っているアジアの国の一つとして、日本は称賛の対象であったけれども、他方、日本によるアジアの植民地支配は驚愕すべき事態でもあった。そう、ハーバード大学の南アジア史研究者、スガタ・ボース氏は語る。

ボース氏は、インド独立運動の指導者である彼の大叔父スバス・チャンドラ・ボースは日本による支那侵入を批判していたものの英国に対抗すべく日本との連携を選んだと述べた。

「南アジア-東南アジアにとってそれは(日本との連携の是非は)今に至るまで単純に白黒を決し得ない事柄なのです」「そのような援助が与えられたことは事実なのだからその限りにおいて、日本が与えてくれた援助に対する感謝の気持ちもある。反面、同時に、日本に対する半端ではない猜疑の意識もあったのですよ」とボース氏は述べた。

いずれにせよ、スバス・チャンドラ・ボースとインドの反植民地主義者が作った全国区の軍隊であるインド国民軍は日本からの援助を受け入れた。

「一人のインド人としてパル判事はこのことをすべて知っていたことでしょう」「そして、このことが間接的にせよ彼の反対意見に影響を与えたのかもしれないですね」、そうボース氏はそう述べた。


(2007年9月4日:yahoo版にアップロード)

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異常!

東京裁判が正しい事の様に未だに考えている「法律」の専門化がある事に驚きますが、この様に日本を悪としか見えない人間がマスコミ界で大きな顔をしてアメリカの新聞記事にする、国益・国家が何たるかも判らない政治家・外務官僚が「東京裁判正当!」思考で異論も唱えない。
東京裁判自体が「二百数十年」しかない歴史の国がインデアン相手・ギャング相手の「手」を対戦国に求めた「史上最低」の行為、ニュウルンベルグ裁判、これはドイツのユダヤ人虐殺ですが戦争犯罪で無く「人種差別・人種抹殺犯の殺人行為」ですから戦争犯罪の分野では有りません。
日本の戦争犯罪?出てくるのは現地での戦闘行為の事?最終的には「平和に対する罪」「部下監督不行届」、ありもしない戦争国際法規を新作・偽造した上で軍人を絞首刑と云う、アメリカ軍の恥の上塗りをするような「殺人」で済まして仕舞ったものでしょう。
一般人と兵士を区分した日本軍と無差別爆撃で民間人を50万人以上を殺したアメリカ軍のどちらが戦争犯罪者かと問われて「日本」と答える人は「異常」だと思います。
ユダヤ人虐殺に次ぐ「大虐殺」では無いでしょうか?
これを表に出したくないアメリカに擦り寄る国と人達、講和条約の約束を守り沈黙を続ける日本どちらが「近代国家」なのか「人道的」なのか、普通に考えれば判るのですが、知能指数の高い人?程、理解しずらいのでしょう。
それより「共同謀議」自体が「日露戦争」以降の対日戦争の準備をして来たアメリカにお返しすべき言葉では無いかと考えています。

法と裁判への過剰な期待

古田さん>

コメントかなり強い共感をもって読ませていただきました。ただ、一言居士のKABUは少し違ったアングルからも「東京裁判」という名の「東京で行われた茶番」を考えています。つまり、

1)東京裁判の法的な正当性は皆無に等しい
2)東京裁判は(サンフランシスコ平和条約11条がなかったとしても)、しかし、一定の法的効力を帯びている

3)正当性のかなりいかがわしい法的ルールでも、一度、それが国民の法的確信を獲得して法ルールとして機能する場合、事実の持つ規範力によって、言わば「レトロウィルス的」に実定法体系の中で確固たる地位を占める例は、いくらでもある。例えば、アメリカ憲法の違憲立法審査権、あるいは、アメリカ憲法と我が現行憲法の「宗教団体(が運営する教育や医療法人)への助成金制度」などはそうとしか言えない。

これらを鑑みるとき、法や裁判などは所詮そのようなものだとの認識を、多くの法律家は持っているはずなのですが、その法律家を名乗る人も含めて、東京裁判は「日本の戦前の歴史的評価を定めたものであり、日本政府はサンフランシスコ条約11条により、その認識に拘束される」等々というおよそ法律論とは言えない妄想を語る向きもいまだになきにしもあらず。

私はこの傾向に、ある意味、北一輝などの柔軟な戦前の国家(社会)主義に比べても遥かに、権威主義的=国家主義的な臭いを感じるのです。そう、歴史認識さえも法や裁判で決める事ができるという認識を、です。これ、うさん臭くないですか。で、どんど晴れ♪
プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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