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日中関係の<悪化>は外交の失敗か?

hannichi13



日中関係が<悪化>しているらしい。昨日、平成17年4月23日には小泉首相と胡錦濤主席の日中首脳会談が、インドネシアはバンドンで開催されているアジア・アフリカ首脳会議に合わせ日中関係を改善すべくおこなわれた。これは日中間の対話促進の重要性を確認しただけという、正に、会談したことだけが会談の成果という首脳会談。まあ、正直、「反日」と「嫌中」の両国民の感情が戦後の互いの国のあり方に根ざしているものである限り短期間に双方が満足する日中関係の改善は難しいだろう。そう私は考えている。

異なる文化と異なる歴史を持ち、国家の正統性についても各々が独自のイデオロギーを基盤にしている主権国家の諸国民を想定する場合、「反日」や「嫌中」の感情をなくすこと自体がそもそも無理なことではないか。ドイツとポーランド、トルコとギリシアの関係を想起すればこの懐疑は悲観的にすぎるというわけではないと思う。

誰も不可能を強制されないし、また、不可能な事項を外交政策の目標にするべきでもない。外交関係が目指すべきは、よって、未来永劫とは言わないが少なくとも数世紀の間は解消されることはないだろう「反日」や「嫌中」の国民感情を制御して、秩序ある人・物・金・情報の交流を具現する枠組みを造りそれをメンテナンスすることに尽きるのではないか。

そう考えれば、「反日」や「嫌中」の雰囲気が両国を覆っている現状は必ずしも忌々しき事態ではない(むしろ、それが国際関係の正常な姿でさえある)。問題は、「反日」デモにより日本大使館や領事館が受けた被害に対して(それは、外交関係に関するウィーン条約第22条・領事関係に関するウィーン条約第40条に明らかに反する支那政府の義務違反である。)、いまだに謝罪せず賠償もしようとしない支那の<国際的な世間知らずの事態>である。

hannichi12


◆船橋洋一提言批判
つらつらこんなことを考えていた折、日中関係の打開へ向けた提言を朝日新聞で読んだ。二人の「一さん」の提言である。朝日新聞のコラムニスト船橋洋一さんと自民党衆議院議員の加藤紘一さんのコメント。いずれも東京本社版で、一昨日22日掲載の船橋洋一「日中関係を考える 井戸に毒を入れるな」(総合1面)と、昨日23日の加藤紘一「首脳は改善へ意思示せ」(私の視点・ウィークエンド)である。

これらは、大所高所から日中の政府をともにたしなめる風の大人の主張らしきもの。そんな風を装ってはいるけれど、要は、国際法と国際政治に関する彼等の無知をさらすものにすぎない。そう私には思われた。もっとはっきり言えば、船橋コラムは朝日新聞一流の厚顔無恥というか「あなた何様」もんの文章であり、加藤代議士の投書は、彼の政治家としてのセンスの無さを示している。流石は、「加藤の乱」で世間を騒がせた上に宰相の器には程遠い見事なまでの根性なしぶりを満天下にさらした御仁だけのことはある。而して、あんたたちはどこの国の新聞でどこの国の政治家なのかね、と聞きたくなる代物であった。

こうまで悪態をついたのなら、本来は両「一さん」の文章に対してワード・ツー・ワードでコメントするのが礼儀かもしれない。しかし、<致命傷>は1箇所でもあればとりあえず批判としては充分だろう。正直、公私多忙のおりそれ以上は付きあいきれんよ。さくさく行こう。最初の「一さん」。船橋洋一さんはこう語られる(以下、引用開始)。

「謝れ」「いやそちらこそ謝れ」
「責任を取って欲しい」「そちらが責任を取らないからこんなことになるのだ」
売り言葉に買い言葉である。こんな芸のない外交があるだろうか。すでに日中両国とも外交では敗者である。

世界中のメディアは、日中双方の器量と指導力に大きな疑問符をつけた。日本は、いつまでも過去を克服できない独りよがりで、懲りない国として描かれた。中国は、統治のためならデモでも反日も歴史も操作する無慈悲で、怖い国と見なされた。(中略)

両国の多くの先達が日中正常化のために井戸を掘った。そこに毒を入れてはならない。反日、反中民族主義という毒である。日中首脳は何よりも、その一点で合意してほしい。その上で、両首脳に戦略的決断を促したい。

正常化の次の段階として、和解に向けての基本的枠組みを作り、それぞれ、国民教育を行う。日本は、過去を克服するための国策を確立する。中国は、日本との歴史和解のために手をさしのべる。日本の責任は重い。歴史問題の克服は、国家百年の計と心得るべきだ。その覚悟がいる。(以上、引用終了)



船橋コラムのおかしさは最初の1行から炸裂している。「明確な国際法の義務違反を謝れ」ということと「歴史認識の違いを謝れ」ということは、どこをどうすれば喧嘩両成敗になるような事態として理解できるというのか。こんな大雑把な認識のことを世間では「味噌糞いっしょ」というのである。上で書いたことの復習だけれども、両当事者の意見が相違しているという事実と、秩序ある外交関係を維持することは別物である。そして、国際関係においては両国民の意見や歴史認識が完全に一致することが極めて困難(不可能)であるがゆえに、秩序ある外交関係を維持するための制度(外交関係に関するウィーン条約や領事関係に関するウィーン条約はその最たるものである)は、具体的な意見の相違にかかわらず厳しく守られなければならない。

つまり、歴史認識に関する意見の相違を理由にして、外交関係を維持するための制度への攻撃を受入国側の政府が傍観することは正当化されえない。これらを混同して、支那も悪いが日本も悪い式の喧嘩両成敗論は、一見、大人の議論のようで、実は、書生論である。それは、「この世には最終的に合意できない見解の相違が存在する。しかし、それらの見解の相違にもかかわらず(互いに不愉快さを抱きつつ)、平和的に共存するための知恵を出し合い自己規制するのが国際関係というものだ」という本当の大人の議論ではない。

簡単な話だ。支那が、支那共産党の近現代史認識と「台湾やチベットは支那の領土である」とかの(高句麗は支那の一地方政権だったとかの)大義名分を世界に認めさせたいのならなおさら、秩序ある外交関係のメンテナンスは他国が支那の主張に耳を傾けるための前提なのだ。つまり、「反日」デモによる外交関連施設の被害に対する日本政府の補償要求に対して、頬かむりするどころか<国を挙げて逆ギレ>している現在の支那の姿は、「相手の電話線を自分で切断しておいて、数年前の(法律的には解決済みの)事件についての恨みつらみの抗議に対して、誠意ある謝罪を電話でかけてこい」と要求する愚に等しい。

船橋コラムの書生論は民族主義の否定的評価にも顕われている。率直に言えば、民族主義を解消させることなど主権国家が消滅しない限り不可能である。なぜなら、近代以降の「民族」とは、歴史と文化と伝統を触媒にしながらも、国民国家の正統性イデオロギーとして成立したそれは極めて近代特有の観念だから。

而して、民族主義の問題は、よって、民族主義が<法と秩序の崩壊>に向けられることに尽きる。ならば、歴史認識に関する「和解」の意味する内容も完全な和解;日中が互いに相手の納得する歴史認識を持つことなどではありえない。

なぜならば、日中平和友好条約や共同宣言に盛り込まれた歴史認識;大東亜戦争の終結にいたる20年近くの間に、結果として重大な損害を多くの支那国民に日本が与えたこと(当時の支那は、国民党政権下の「中華民国」だったとしても♪)を<謝罪>する;支那国民が(だから、その「支那国民」というのは中華民国の国民なんだよ!)被ったその重大な損害に関しては、日本の当時の政治指導者が責任を取るべきだ、という歴史認識を日中が共有し続けたとしても、両国の国民が細部において異なる近現代史認識を持つことを誰も止められないだろうからである。まして、大東亜戦争前の日本の行為が国際法に豪も反するものではなかったという法的認識はこれらの条約や宣言とは独立に有効な認識なのだから。



◆加藤紘一提言批判
もう一人の「一さん」、加藤紘一さんは、「外務省の支那担当者として、政界の一員として日中関係を見守ってきた立場からすれば、今の状況は、戦後で最も危機的だ」、「この問題は、単に日中間だけの話ではないという危機感を持つべきだろう」との状況認識を披露された上で、ご自身の国際法の無知を(あるいは、「専門家」の権威を使って素人を騙す狡猾さをかな?)こう曝らしておられる。以下引用開始。


靖国参拝問題の本質は、神社にまつられている14人のA級戦犯をどう見るかということに尽きる。

ナチスにすべての国内的、国際的な戦争責任を帰したドイツと違って、日本は国内的に戦争責任についての論議ができず、極東軍事裁判の判断を、サンフランシスコ講和条約で受け入れた。そうである以上、私は靖国問題は、講和条約という国際的な約束を、日本が守り続けられるかどうかの問題だと思っている。A級戦犯がまつられている靖国神社に、たとえ私人としてでも首相が参拝すれば、日本に講和条約を守ろうという意思があるのかどうかが疑われる結果になるのは当然だ。

国のために犠牲になった人に慰霊の誠をささげたいというのは当たり前の感情だ。ただ、日本がそれを強調すれば中国側も先の大戦で何人が犠牲になったかなどと再び論じ始めることになる。これは決して建設的なことではない。(中略)いまこそ小泉首相と胡錦涛主席が、「関係悪化をここで食い止めるんだ」という明確な意思表示をすることが、極めて重要だ。(以上引用終了)



先の大戦で犠牲になった人々の実体を明らかにすれば困るのは支那の方であろう(日本の悪行を支那史の中できちんと位置づけるために、「南京大虐殺」や「三光作戦」などの他に、国共内戦や大躍進政策に文化大革命の犠牲者も明らかにしてもらいたいものだ。ついでに、朝鮮戦争やヴェトナム侵攻にチベット攻略の実像もね)。そして、別に「日本がそれを強調すれば支那側も・・・・再び論じ始めることになる。これは決して建設的なことではない」とは私は思わない。

加藤さんの投稿では何より、今時、「ナチスにすべての国内的、国際的な戦争責任を帰したドイツ」をポジティブに評価するその不勉強さに、正直、呆然とした(要は、ドイツは国家としての戦争責任は存在しないという無責任な態度を取り続けているのである)。けれども、これらについては多くの論証が積み重ねられており(流石の朝日新聞も「戦争責任の取り方はドイツに見習え」などという主張は最早行っていない。)、サンフランシスコ(講和)平和条約にしぼって以下コメントする。

サンフランシスコ平和条約は日本と連合国の法的な戦争状態を終結させた平和条約である。平和条約は戦争状態を終結させることを主要な目的とする条約であり、けして、戦勝国側の歴史的正当性なり敗戦国の行為の善悪を定めるものではない。つまり、平和条約としてのサンフランシスコ平和条約の使命の中核部分は条約が締結され批准されたと同時に終了したのである。そして、サンフランシスコ平和条約を日本は完全に遵守した。

元外交官の加藤さんに伺いたい。同条約第11条「戦争犯罪」のどこに、「靖国神社に<東京裁判の戦犯>を祀ってはならない」とか、「祀ったとしても時の内閣総理大臣が参拝してはならない」など書いてあるというのか! まして、日本がこの条約を遵守して連合国との間の戦争状態を終結させ、独立を回復した後に現行憲法に従いどのような歴史認識を編み上げ、また、国家の正当性に関するイデオロギーを形成するかは日本国民の自由であり、豪も、戦争状態終結を目的とした条約に拘束されるものではない。

要は、「極東軍事裁判の判断を(日本は)、サンフランシスコ平和条約で受け入れた。そうである以上、私は靖国問題は、講和条約という国際的な約束を、日本が守り続けられるかどうかの問題だと思っている」という加藤さんの認識は法律論としては完全に間違っている。敷衍する。これまた簡単な話だ。


(1)裁判所の構成と適用された裁判規範、そして、裁判手続きのデュープロセスの三面のすべてにおいて極東軍事裁判(東京裁判)は不適切な裁判である。

(2)東京裁判は事後法の禁止原則を犯す違法な裁判である。

(3)東京・ニュールンべルグの両裁判を通して、「平和に対する罪」「人道に対する罪」等々の新しい国際人権法上の犯罪類型が確立されたという国際制史上の意義があったとしても、上記(1)(2)の瑕疵は治癒せしめられるものではない。

(4)戦争状態の終結後も占領下の裁判の効果を将来にわたって有効とするサンフランシスコ平和条約第11条は慣習国際法に反し無効である。少なくとも日本が独立回復後そう主張して第11条の無効を宣言することを条文自体を根拠に(日本が条約に調印し批准したことを根拠に)非難することは誰にもできない。

(5)サンフランシスコ平和条約第11条は法概念論(≒実定法における法源論)から見ても無効である。同条約総体は現行憲法第98条第2項から法的効力を持つにせよ、第11条で「戦犯」の人権を制限し続けることは現行憲法上不可能であるからである。

(6)元来、「戦犯」なり「A級戦犯」なる法律用語は占領下においてさえ存在しない。まして、現行憲法下ではなおさらである。これは「言葉の遊戯」ではなく、存在しない法律概念を元にある特定の人間の人権を制限することは完全に違法である。

(7)更に、昭和28年(1953年)には、「戦争犯罪による受刑者の放免に関する決議」が国会で可決され、サンフランシスコ平和条約第11条に従い(上記(1)~(6)に述べたように法論理的には、従う必要はないのだけれど、我が日本はきちんと関係諸国に仁義を通した上で、)関係諸国の同意の下に総ての「戦犯」は全員釈放された。

(8)昭和29年(1954年)からは「戦傷病者戦没者遺族等援護法」によって、「戦犯」の遺族も他の戦没者遺族と同じく遺族年金・弔慰金が支給されるようになった(翌昭和30年には、東京裁判のための拘禁期間をも支給額算定対象期間とした恩給の支給も開始された)。


加藤さんは、「サンフランシスコ平和条約」で日本が何を受け入れたと言うのだろうか? もちろん、日本は「極東軍事裁判の判断を、サンフランシスコ平和条約で受け入れた」。それは間違いない。(1)~(3)の不条理にもかかわらず日本は同条約を締結することによって(片面的にせよ旧連合国との間の)戦争状態を終了させたのである。

しかし、そこで日本が受け入れたものは、海外領土の放棄や日本の社会制度の改革等々占領軍から課せられた命令を誠実に遵守遂行して、占領政策の是非や非道については独立後も法律的に争わないことを約束し、戦争を終結させることに尽きる。少なくとも、国際法的と外交史的にはそうである。ならば、独立後の「戦犯」なるものの処遇に関して(まして、政府から独立した宗教法人たる靖国神社に誰を祀り誰がいつ参拝しようが靖国神社と参拝者の勝手である)、サンフランシスコ平和条約や東京裁判を持ち出すことは何の意味もないのである。

もちろん、サンフランシスコ平和条約や東京裁判にここで述べた以外の内容を見出すのは論者の勝手である。しかし、そうしたいと思う論者はその法的と外交史における根拠を他者に示さない限り、彼等の主張は単なる願望か妄想、あるいは、国際法の素人を見下した詐術にすぎない。


いずれにせよ、船橋と加藤の両「一さん」の意見はある点では正しい一点を衝いている。それは、「歴史問題の克服は、国家百年の計と心得るべきだ。その覚悟がいる」という指摘であり、「いまこそ小泉首相と胡錦涛主席が、「関係悪化をここで食い止めるんだ」という明確な意思表示をすることが、極めて重要だ」という提言である。その通りだ。どこの国の新聞社の社員かどこの国の国会議員かわからない発言をするわりには良いこというじゃないか。そう、日本は、支那や韓国に対して謝る筋合いのないことを謝ってきたという戦後の誤った外交のやり方を改め歴史問題を克服すべきなのである。

正に、「歴史認識は国家100年の計」に関わる重要事項であり、自国の立場を明確に論理的に、かつ、コンシステントに相手に主張できないような国が、長期的に見た場合、他国との「関係悪化を食い止める」ことなど本質的にはできるはずはないのだろうから。

尚、本稿で提示した認識を踏まえ、どのようにすれば日中の友好関係を構築できると私が考えているか、そして、サンフランシスコ平和条約11条についての私の基本的な考えについては下記の拙稿を参照いただきたい。

中韓との友好関係構築の特効薬としての首相靖国参拝
 
・サンフランシスコ平和条約11条「the judgments」の意味
 



(2005年4月24日:yahoo版にアップロード)

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