松尾光太郎 de 海馬之玄関 FC2版 | 破綻する峻別論☆集団的自衛権と個別的自衛権
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松尾光太郎 de 海馬之玄関 FC2版憲法・国家論
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yokosuka


安倍晋三首相は11日の参院予算委員会で、集団的自衛権の行使について「個別的自衛権と集団的自衛権の間にあるものについて、(個別事例の)研究を行った結果、(それらの中には)わが国が禁止する集団的自衛権の行使ではないという解釈を政府として出すということも十分あり得る」と述べ、集団的自衛権を巡る政府の憲法解釈を変更する可能性につき言及された。

北朝鮮の「核実験実施の発表」を契機にして米国の軍事攻撃が取り沙汰されている現在、我が国が取りうる武力行使の範囲を論定する上で首相のこの発言は「恰好の補助線」を提供していると思う。畢竟、北朝鮮有事の際に現行憲法の範囲内で日本は何ができるのか? 米軍と共同で北朝鮮を攻撃することは現行憲法上可能なのか?

私の見解は以下の通り、
1)集団的自衛権と個別的自衛権を法的に区別することは不可能 (自衛権を規定する国連憲章51条も両者の法的区別を行うものではない)

2)日本は集団的自衛権も個別的自衛権も国際法的にだけでなく憲法的にも保有している

3)けれども、権利を保有していることとそれを行使することとは別問題であり、現行憲法はプリコミットメントとして「日本および日本国民への直接の脅威ではない場合の海外での武力行使」を禁止している

4)ただ、この禁止の根拠は集団的自衛権とは無関係である

5)シーレンや朝鮮半島における脅威に対して武力を行使することは現行憲法が毫も禁止していることではなく、それは正当な自衛権の行使である

6)国際法からは、(イ)急迫性、(ロ)対抗手段の相当性が満たされる限り、正当防衛的な武力行使のみならず先制攻撃や報復も正当な自衛権の行使である(これはブッシュ政権が敢行した予防的先制攻撃とは似て非なるパターンである)

7)自衛権発動の前提たる「脅威の存在」を認定するのは脅威を受けている側であり、その認定のためには一般通常人が「脅威の存在」を合理的に推測できることで足りる。すなわち、自衛権を発動するに際して本当に脅威が存在することは必要ではない;実は脅威が存在しなかったにもかかわらず結果的に過剰な先制攻撃を敢行する行為は「違法」ではなく「不適切」な自衛権の行使であり、その責任は法的責任ではなく政治的かつ道徳的な責任となる

8)今次、(イ)それが日本ならびに米国に対する急迫かつ重大な脅威であると米国と日本政府が認識し、(ロ)日米両国がそれを除去するにために相当なる範囲と判断した手段でもって、北朝鮮の「核実験実施の発表」に対して米国が軍事攻撃を行う場合、個別的自衛権の共同行使もしくは集団的自衛権の行使として米軍とともに(米軍と緊密なタッグを組んで)北朝鮮に日本が先制攻撃を含む武力行使を行うことは、国際法上も憲法上もなんら問題はない



この見解を導いた私の基本的立場は下記およびそこにリンクを張っている拙稿を参照いただければ嬉しい。以下、主に憲法論を中心に「集団的自衛権と個別的自衛権の峻別論」の妥当性につき検討する 。

護憲派による自殺点☆愛敬浩二『改憲問題』(1)〜(8)
 
憲法改正の秋 長谷部恭男の護憲最終防御ラインを突破せよ!
 
敵基地先制攻撃と専守防衛論  

北朝鮮ミサイル☆冷静な制裁論と感情的な融和論
 
北朝鮮基地先制攻撃の法理と政策☆プロ市民の朝日新聞投書を導きの糸として  

国連憲章における安全保障制度の整理 



◆集団的自衛権と個別的自衛権を法的に区別することは不可能
自衛権は「国家の固有の権利」としばしば語られる。 これに対して、「固有の権利の享受主体は生身の人間(=自然人)に限られるのであって、自衛権が国家にアプリオリに認められるという主張は戦前の国家主義の残滓だ」と反論する<法学の素人にすぎない憲法研究者>も時々見かける。

蓋し、この場合の「固有の権利」とは「法的な国家の概念だけから演繹されうる国家の権能」という意味である。すなわち、「固有の権利」はnatural law (自然法)やnatural rights(自然権)としての「天賦の権利」ではなく、nature of state (国家の本性)から導かれる「国家の権能」と理解すべきなのだ。

畢竟、(近代主権)国家が「幻想としての国民」と「フィクションとしての国境」および「想像の共同体の公的な正当性たる主権」の複合体(compound of three illusions)と考えるとき、それは(ユング的な人類の共同的記憶の世界だけではなく)法的世界の観念表象でもある。

而して、法的な定義からは「国家」とは対内的には最高の、対外的には他から独立し他と対等なる法的効力を有する法体系にほかならない。ならば、他国が自国の存続を物理的に消滅させようとするか、あるいは、自国の法体系の効力を侵害する場合に、国家が対内−対外的にその法的効力を守ることができるのでなければ、それは国家の定義に反する。蓋し、「自衛権は国家の固有の権利」とはこの経緯を表している。


自衛権を国家の固有の権利と捉えるとき、それは実定法秩序の一部になる;すなわち、それは現行憲法等の憲法典の姿をした「形式的意味の憲法」の内容であるか/もしそうでないとすれば、文字に書かれない場合(unwritten law の場合)も多々ある「実質的意味の憲法」の内容となる。すなわち、自衛権は憲法と国際法という実定法が認める国家の権能である。

ところで、自衛権の意味内容は国家の定義から直接演繹されたものであるに対して、「個別的」と「集団的」の自衛権の区別はその行使の仕方や行使の特徴的なパターンに着目した分類にすぎない。

もちろん、対象をなんらかの基準で区分けして、その区別に(=「法的要件」と言う。)それぞれ別個の法的な効果を割り当てることは法技術の面からはなんら特異なことではない。

スピード違反の「何キロオーバーと減点される点数の関係」などはその適例であろうし、世界中の異性を「同母の兄弟姉妹」と「それ以外」に分けて後者とのみ婚姻を認める制度の存在などは人類が有史以前からこの法技術を自家薬籠中のものとしていたことの証左でさえあろう。

何がいいたいのか? シンプルである。「個別的自衛権」と「集団的自衛権」とを区別することは論者の自由であるが、自衛権が発動される緊急の場面では国家は採用可能なあらゆる手段を<固有の権利たる自衛権>の名の下に行使できるのだから(両者の区別は現実的に難しいというだけでなく)、論理的にその区別は溶解するということだ。



◆現行憲法のプリコミットメントの内容
集団的自衛権と個別的自衛権は区別できず、日本は両者を併せた自衛権を国際法的にも憲法的にも保有している。しかし、「権利を保有していることと、それを行使することとは別問題」である。

権利者は権利の行使の選択肢の幾つかをあらかじめ放棄することができる(尚、私法上の権利ならば、権利の保持者が当該の権利を完全に放棄したり譲渡したりすることも可能であるが、「固有の権利」である自衛権を国家は「国家が国家である以上」捨てることはできない)。そして、国家が権利行使の幾つかの選択肢を自発的に除去することが「プリコミットメント」と呼ばれる法技術である。

プリコミットメントとは「事前の自発的な行為制限の宣言」であるが、現行憲法は(国家が自衛権を放棄できないことと併せて鑑みるに)、プリコミットメントとして「日本および日本国民への直接の脅威ではない場合には海外での武力行使を行わない」と定めていると解するべきであろう。ちなみに、憲法9条のこの理解は、私の独自の解釈ではなく護憲派の重鎮・宮澤喜一元首相がつとに表明せられていることでもある。

蓋し、現行憲法は、それが日本国の生存と日本国民の生命・財産に対する直接の脅威であるのならば朝鮮半島での武力行使を毫も制限してはいない。現行憲法が禁止しているのは、

(甲)日本国の生存と日本国民の生命・財産に対する直接の脅威ではない、単なる日本の権益侵害の危険性に対応するための海外派兵

(乙)日本に対する直接の危機ではないが、同盟国に対する直接の危機に対応するための海外派兵の二つの類型にすぎない。けれども、この二つのプリコミットメントでさえ憲法史の観点からは極めて異形なものである。



憲法が許容する自衛権行使の範囲を(集団的自衛権の禁止とは関係なく)このように考えるとき、政府(=内閣法制局)が採用してきた集団的自衛権の解釈はどう評価されるか。簡単である。

それは、
(a)集団的自衛権と個別的自衛権を「国家の行為の根拠たる権利」としても区別する謬論

(b)憲法9条のプリコミットメントの内容も踏まえず(根拠もなく)集団的自衛権の行使は禁止されているとする謬論でもあり

(c)その荒唐無稽さは、「米国が(自衛隊と連携することなく)単独で日本国外の敵をたたき、日本の自衛隊は侵略してきた敵に(米軍と連携することなく)単独で対応する」という内閣法制局の自衛権行使のイメージに端的にあらわれている。

すなわち、核兵器を保有する(あるいは、「保有した」と称する)特定アジアの国々が弾道ミサイルで日本を狙っているという現下の状況では、「固有の自衛権」という国家行為の根拠を巡る本筋の議論からは「誤謬」と認定されざるをえない主張である

畢竟、憲法9条解釈のパーツたる「自衛権の便宜的な分類と憲法が禁止している自衛権行使のパターンを対応させる理解」が、「固有の権利たる自衛権」の目的自体に抵触するのならその「自衛権分類」は法解釈の操作としては間違いと言われるべきなのである。


上述の観点から私は冒頭に紹介した安倍首相の答弁を高く評価する。蓋し、それが間違いにせよ、内閣法制局の解釈が数十年通用してきた以上、政治的にはそれを一気に変更するのには抵抗も大きい。ならば、内閣法制局の理屈を逆手に取って、

現行憲法が認めていない「集団的自衛権の行使」とされてきたケースの中には、実は、現行憲法が認めている「個別的自衛権の行使」と解釈されるパターンもあるのではないか、それをこの内閣では研究していきますとの主張。

これが安倍首相の答弁の核心であろうし;具体的には「日本に対する直接の脅威に対して、日本も米軍と協力して海外で武力行使を行うこと」がその内容になるのだろうが、この<逆手戦術>は大変クレバーなものだと思う。畢竟、内閣法制局の峻別論の荒唐無稽さを多くの国民に知らしめるのと同時に、内閣法制局の理路を逆手に取って政府解釈に実質的な変更を加えることは(憲法改正に向けた予備的作業としては)相補的でさえある。私はそう考える。


(2006年10月12日:yahoo版にアップロード)



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2007.09.09(20:33)|憲法・国家論コメント(1)トラックバック(0)TOP↑
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