政治と社会を考えるための用語集 ――「民主主義」

lincoln2
【President Lincoln with Major General John McClernand】

◆民主主義:democracy
「民主主義」という言葉の意味は曖昧である。しかし、民主主義が大切なもので正しいものであることを否定する人はそう多くないように見える。畢竟、これは変な話ではないだろうか。各人が各自の「民主主義」のイメージをそれぞれに抱きながらも、それが国家や憲法や政治に正当性を付与すると考える点では轍を一にしているということなのだから。

ことほど左様に、民主主義は20世紀後半以降の世界において他の政治的価値の追随を許さない絶対的な価値を持っにいたった。かって、政治が目指すべき価値(政治が保障すべき価値)として、民族性や宗教的と文化的な伝統、自由や平等が持っていた地位を民主主義は簒奪した。すなわち、第2次世界大戦を「民主主義 vs 全体主義」の戦いと位置づけた連合国側のプロパガンダと連合国の勝利によって「民主主義」は政治思想における最有力な政治的価値となった。

蓋し、民主主義は間違いなく政治的価値の世界の現在のチャンピオンである。実際、現在ではどんな独裁国家も自己の権力を民主主義で正当化せざるをえなくなってきている。例えば、彼の朝鮮半島付け根の国も(私は自国民の1~2割を餓死せしめるような政治体制を近代的な意味での「国家」とは呼べないと考えているけれども、)自国のことを「・・民主主義人民共和国」と称しているくらいなのだから。

けれども、民主主義が政治思想の世界で天下を取って早や60年。今では信じられないことだろうが、20世紀の前半までの世界の思想界では(どう控えめに言っても、20世紀の前半三分の一までは)、「民主主義」は危険な思想と考えられていた。これは、ドイツや日本などの後進資本主義国の保守派だけの認識ではない。私が尊敬してやまないビスマルクや大久保利通の認識に止まらず、英米や西欧の自由主義者の多くが民主主義を、国家を分裂させ人権を蹂躙しかねない危険思想と考えていた。何故か?


現在、基本的人権や国民主権と民主主義とを(漠然とではあるにせよ)ほとんど同じ意味に受け取っておられる方も少なくないと思う。しかし、本来、民主主義は多数が少数を支配する政治を正当化する論理であり、その根底には「自分が参画していない政治的決定には俺は従わない」よって「自分がその政治的決定に参画した以上、その内容への個人的な賛否好悪にかかわらず決定に俺は従うことにする」という主張が横たわっている。要は、民主主義とは元来比較的小規模の集団においてのみ作用する理念であり制度だった。なぜならば、ある政治的な決定にその社会のすべてのメンバーが<参画>できるなどということは、比較的小規模の集団でしか望みうべくもないからである。

而して、民主主義の原型が「少数派に対する多数派の支配を正当化する論理」という経緯は、古代ギリシアで華開いた古代デモクラシー、スイスで数百年にわたって営まれてきた直接民主主義の実際、あるいは、アメリカ合衆国が誕生した際のリパブリカンとデモクラ―トとの論争(連邦優位派と州優位派の論争。ただし、これは有名な話だけれど、当時のリパブリカンとデモクラ―トは現在の米国の共和党と民主党の政治的主張とは逆転している)を確認すれば容易に確認できることだ。前二者においては、正に、比較的小規模の集団の中においてこそ民主主義が実定的な政治価値(その社会のメンバーを実際に拘束する権威と権能を持つ政治的価値)として機能した経緯を、また、最後者においては、逆に、「アメリカ合衆国」なる政治社会が比較的小規模の集団では最早ありえない現実を前にして、「アメリカ合衆国」なるものの成立に民主主義の危機を感じた人々の存在を容易に確認できるということである。


民主主義は、本来、小規模集団において「少数派に対する多数派の支配を正当化する論理」であった。ならば、民主主義と「多数決」はどう違うのか。就中、現在の主権国家という到底「小規模集団」とは呼べない社会において民主主義と多数決の原則はどう違うのか。民主主義と多数決の差異。この小学生でも感じる素朴な疑問、しかし、答えるのは政治学/政治哲学&法哲学専攻の大学院生にとっても実はそう容易ではない質問に答える鍵は、これまた「自分が参画していない政治的決定には俺は従わない」という民主主義の根底だと思う。

すなわち、「自分がその政治的決定に参画した以上、その内容への個人的な賛否好悪にかかわらず決定に俺は従うことにする」とその社会の構成メンバーの大部分が言えるような状況にある限りにおいて、つまり、その社会のメンバーの中に政治思想や政治理念、外交や内政の基本的な指針に関して大まかな一致が見られる状況でおいてのみ、多数決の原則と民主主義はほとんど同義の言葉と言ってよい。政治的発言権が、実質、高貴な家門出身者に限定されている古き懐かしい貴族主義が最早「思想の博物館」にでも行かなければ見ることが難しくなっている、普通選挙と婦人参政権が実現した現在の大衆民主主義の社会ではそう言えるだろう。

而して、究極的に利害が対立する社会(相互のイデオロギーが修復不可能なような人間集団が並存している社会)では、多数決の原則は単なる議事進行のルールにすぎず、他方、そのような社会では民主主義はそもそも成立しない政治理念であり政治制度である。

畢竟、その社会を構成するメンバー個々が信奉する政治的価値も近しく、利害の対立も決定的ではない比較的小規模集団から、多様な政治的価値を信奉する人々が並存する比較的大規模な近代主権国家にその活躍の場を移した民主主義の論理的帰結は、「自分がその政治的決定に参画した以上、その内容への個人的な賛否好悪にかかわらず決定に俺は従うことにする」と言える仲間だけで<社会>を作る動向の助長であり、蓋し、国家の分裂である。英国からの悲願の独立を果たした際のインドとパキスタンの分離独立やマレーシアからのシンガポールの分離独立、あるいは、アメリカの南北戦争の経緯などはこの傾向の最たるものと言えるだろう。

民主主義がイデオロギーの対立を仲介することなど論理的にできはしない。民主主義なるものは、宗教やイデオロギーなどの相互に共約不可能な領域での紛争処理に関してはなんらの効力も持ち得ないからである。それはただ、宗教やイデオロギー対立が沈静化した状況でのみ政治に正当性を供給しうる。

このことから導かれる重要な帰結は、基本的人権の尊重と民主主義は対立するということだ。何故ならば、多数が決めたことを制限する契機は民主主義にはもともと備わっていないから。畢竟、人権の守護神は多数の決定によっても奪われることのない人権の価値を謳う立憲主義、あるいは、自然法思想なのであり、民主主義の論理自体は天賦人権なるものを歯牙にもかけるものではないことは、宗教戦争やロベスピエールの陰惨、スターリンやヒトラーの非道、毛沢東や金日成の蛮行を想起すれば誰しも思い半ばにすぎると思う。蓋し、民主主義が今世紀前半まで「国家を分裂させ人権を蹂躙しかねない危険思想」と考えられていたのはこれらの理由による。


民主主義はほっておけば国家を分裂させ人権を蹂躙しかねない危険思想である。民主主義と基本的人権の原理は対立する。多数の決定によっても奪えない人権というアイデアは民主主義には本来含まれていないし、立憲主義によってこそ天賦人権は確保され保障される。また、民主主義と国民主権の原理は対立する。国民主権は近代において民族国家(主権国家)の成立と同時に憲法秩序の中に懐妊された理念であり、それは、利害もイデオロギーも本質的に対立することのない(対立や紛争があったとしても修復可能な)ホモジーニアスな小規模手段を前提とする民主主義とは相容れないものだからである(国民主権に関する二つの理解、いわゆるナーシオン主権とピープル主権の認識の差異は、しかし、民主主義と国民主権の対立をなんら仲介しない)。

結論を書く。民主主義のような危険思想が「なぜ、20世紀後半以降、他の政治的価値の追随を許さない絶対的な価値を持っにいたった」のか。これについてコメントする。卑しい土着の思想であった民主主義が太閤秀吉のごとく位人臣を極めることができたのは、20世紀前半においてそれが「代表民主制」すなわち「議会主義」と結合したからである、と。そして、普通選挙の一般化によって自己責任の原則を旨とする財産と教養と政治的使命感のある少数の市民ではなく、欲望の塊として行動する大衆こそが政治秩序の正当性の基盤と考えられる社会状況が民主主義と議会主義との野合を促した、と。

例えば、普通の少女が「モーニング娘」に加入を許されてメジャーになった如き、第二次世界大戦を通して連合国側のプロパガンダにおいてポジティブに取り上げられたという幸運を除けば、民主主義のシンデレラストーリーの要諦を議会主義との野合に求めることは許されると思う。畢竟、20世紀後半以降、現在における民主主義は議会制度の正当化論理であると同時に、議会制度が権力支配の実効性を保っている状況下でのみ実定的な効力を発揮する政治価値にすぎないのである。

ことここに至り、議会主義と合体した民主主義は国民主権や多数決原則とほとんど同じ意味にまで変容した。つまり、現在の大衆社会における民主主義は、具体的な個々の人間や具体的な社会集団から離れ、国民や民族や地球市民という(ある意味、空虚な)イデオロギーというか政治的神話の世界に昇華(浮遊)した内容の貧しい理念にすぎない。すなわち、民主主義が国民主権を掲げる議会主義における多数決原則の別名となったのと同時に、民主主義は危険思想でもなくなった。而して、このいわば「去勢された民主主義」は危険思想ではなくなると同時に、その意味内容は極めて貧しいものとなった。現在において「民主主義」という言葉の意味が曖昧なのも当然なのである。

******

lincolngett
【Lincoln Invited to Gettysburg to Consecrate a Civil War Cemetery】

尚、民主主義に関する私の基本的考えについては下記拙稿をご参照ください(本稿は下記拙稿の要約です。但し、現在、この海馬之玄関FC2版に収録すべく改訂作業中です)。また、小集団内部ではなく近代国家内部における権力支配の正当化原理としての「民主主義」について、そのプロトタイプを提供したリンカーン大統領のゲティスバーグ演説の原文もここに収録しておきます。

・民主主義とはなんじゃらほい
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-390.html
 


The Gettysburg Address
Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

Delivered at Gettysburg
on November 19, 1863



(2005年3月27日:yahoo版にアップロード)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに
参加しています。結構、真面目に取り組んでいます。よろしければ、
下記リンク先【FC2ランキング】及び【人気blogランキングへ】
にクリックを二つお願いいたします。

fc2rankbanner
(↑)【FC2ランキング】

img35475
(↑)【人気blogランキングへ】
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


スポンサーサイト

テーマ : 国家論・憲法総論
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

百人一首 de 海馬之玄関
問い合わせ先
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
使用状況de電気予報
人間が好きになる名言集

presented by 地球の名言

人生が輝き出す名言集


presented by 地球の名言
夢を叶えるための名言集


presented by 地球の名言
仕事が楽しくなる名言集

presented by 地球の名言

全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

ブログ内検索
検索 de 記事リスト
最新の記事
最近の記事
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2ブログランキング
fc2rankbanner
miniTube