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マスメディアと政治の適正な関係を実現するための覚書

asahishinbunky

麻生政権に対するマスメディアの陰湿な<印象操作攻撃>が続いています。曰く、「解散をずるずると先送りする麻生首相」、「「景気の麻生」足元乱れ 「給付金2兆円」所得制限迷走続く」、「第二次補正予算審議 総選挙遠のき準備不足露呈」(いずれも朝日新聞)等々。蓋し、その真偽を事実によっては誰も検証できない「文学的言辞」を弄した印象操作が日々の新聞やTV報道に溢れている。

マスメディアが「第4の権力」と言われて久しい。もっとも、「権力」を政治学の通説的見解に沿って「公の資格において他者の行動に影響を与えうる威力」、すなわち、「諸々の暴力装置によって担保され、かつ、正当性を帯びた統一的な権威」の意味に解するならば、「権力としてのマスメディア」とは一種の「隠喩」にすぎない。けれど、「第4の権力」とマスメディアが称されているについては、現在の福祉国家における大衆民主主義社会では新聞やTVが、少なくとも「権力」に近しいなにがしかの影響力を、かつ、なんらかの正当性をまといながら行使している実態があることは間違いないでしょう。

畢竟、反日マスメディアの十字砲火の中で安倍政権が文字通り瓦解した経緯を鑑みればマスメディアが時の政権を崩壊させるに足る影響力を帯びていることは自明である。そして、その影響力は時の政治権力によっても簡単には阻止できないものであり、一種の「正当性」によって政治権力による干渉や弾圧から守られている類のものである、と。蓋し、このマスメディアの準権力性(mass media; a quasi-official power)は否定できない事柄であろうと思います。

けれど、民主主義社会では「権力には義務が伴う」。また、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」。而して、マスメディアが準権力である反面、新聞社が単なる私企業であり(否、株主構成比率からは多くの大新聞はついこの間まで同族経営の家業でしかなかったのであり)、TV・ラジオは監督官庁から認可を受けた民間の事業会社にすぎません。畢竟、新聞やTVは、毫も、現行憲法から準権力なるものとしての「正当性」は付与されていない。少なくとも、国民個々の表現の自由の一斑であり、よって、当然のようにはマスメディアの活動に正当性を付与しない所謂「知る権利」からだけではマスメディアの準権力性もまた正当化されえない。そう私は考えています。


■「第4の権力」の強大な影響力と薄弱な正当性
2007年9月12日の午後2時、安倍晋三元首相の痛々しい退陣表明の場面を想起するとき、この社会におけるマスメディアの強大な影響力についは多言は要しないでしょう。それは、不適切ではあるが違法とは必ずしも言えない閣僚の政治資金管理と(この社会の寄生虫自治労-社会保険庁職員の自爆テロ的な情報リークに補強され、安倍政権とはほとんど無関係な)歴代内閣が放置してきた杜撰な年金処理を切り口とする、連日連夜のマスメディアのネガティブキャンペーンの結果であることは誰の目にも明らかだから。

もっとも、2007年7月29日の参議院選挙における自民党の地滑り的敗北の原因は、小泉構造改革が、構造改革の更なる推進と地方再生の同時実現を行うべきその第二段階に移行しつつあることを看過した安倍総理の現状認識の甘さにも帰されるべきではある。

蓋し、宰相の印綬を帯びてから<7・29>までちょうど10ヵ月、かつ、都市有権者を中心に小泉改革への支持がいまだ衰えていなかった状況下では5年有余に渡る前政権の路線変更に着手することなど現実的には不可能だった。ならばこそ、首班指名から参院選までの10ヵ月、安倍総理は(歴史に残る、教育基本法改正・憲法改正国民投票法制定・防衛庁の防衛省への昇格、そして、政策決定における事務次官会議の影響力の削減等々、平均的な内閣数個分の実績を上げる一方で)安倍内閣が次に着手する経済政策の要諦が「構造改革の更なる推進と地方再生の同時実現」である旨を周到に、かつ、繰り返し繰り返し有権者国民にアピールすべきだった。要は、2008年の現在、麻生太郎首相が行っていることを2年前に着手すべきだったのかもしれません。閑話休題。


蓋し、マスメディアの影響力の源泉は同時大量情報伝達の機能とその機能に憑依するなにがしかの正当性ではないか。同時にすべての日本国民に向けて(否、支那・韓国・北朝鮮という反日特定アジア諸国の人々や、元来、東アジアにはほとんど何の予備知識も関心も持ちあわせていない欧米の人々に対しても)情報伝達できる<能力>、そして、権力から独立した立場から収集分析されたと称する「正しい情報」をマスメディアは伝えているという<幻想>こそが「第4の権力」の源泉であろうと私は考えています。「国民の知る権利」と並んで、権力から中立公平な立場から客観的に「権力を監視するジャーナリズム」という<イメージ>がマスメディアの影響力の源泉ではなかろうか、と。しかし、このマスメディアのイメージは妥当なものでしょうか。あるいは、マスメディアへの規制は原理的に現行憲法に違反する暴挙なのでしょうか。


■「第4の権力」の正当性の根拠としての「権力の監視」
私は、基本、TVは見ませんし日本の新聞は読みません。もちろん、アメリカのNYTやWPSTも、フランスのル・モンドも「反共和党政権の世論操作」「アメリカ批判の世論操作」に血道を上げているという点では酷い代物です。しかし、欧米のこれら「アサヒ」と日本の朝日新聞の違いは、(所謂「従軍慰安婦」なるものの報道や歴史教科書の「侵略→進出」の書き変え報道、あるいは、「10月3日解散→10月26日総選挙」決定報道等々、朝日新聞のように嘘を記事にすることがほとんどないことは当然として)欧米では「マスメディアは政党の支持不支持を明確にしており、間違っても、「公平中立」を標榜しながらもある特定のイデオロギーを流布する」というような破廉恥なことはあまりしないということです。

蓋し、NYTやWPSTが大統領選挙でオバマ支持を明確にしたことでも明らかなように、ジャーナリズムの使命の一つは「権力の監視」ではあるが、「権力の監視」は必ずしも「反権力」ではない。すなわち、現政権とその政策を支持しつつ権力行使の不手際や行き過ぎをチェックすることもまた「権力の監視」であることを十分に欧米のジャーナリズムやメディアは弁えている。もっとも、南京・所謂「従軍慰安婦」なるもの・強制連行・靖国神社・捕鯨等々に関する彼等の粗雑で歪な記事を鑑みれば明らかなように、NYTにせよWPSTにせよTimesにせよ本質的に東アジア地域への関心は薄く、その記者も読者も東アジアの歴史と文化に疎いことを我々日本国民は認識しておくべきでしょうけれども。

畢竟、(1)社会生活の隅々にまで行政のサーヴィスが行き渡っている現在の福祉国家において、また、(2)極一握りの狂信的なカルト集団が首都の地下鉄で化学兵器を使用可能な、または、当時、世界唯一の超大国の経済活動の象徴であったWTBに民間旅客機による自爆テロをイスラーム世界でもそう広範な支持を集めているとはとても言えないテロリスト集団が敢行できるような、科学技術とロジスティクスがグローバル化している現在の世界において、その社会の機能に組み込まれたマスメディアは中立でありうるでしょうか。

すなわち、(1’)福祉国家における行政権の肥大化の趨勢の中で(蓋し、サッチャーリズム・レーガノミックス以降の「小さな政府」を求める新自由主義的の主張はこの行政権の肥大という全体的な趨勢の地の表層に描かれた微修正的の図にすぎない)、かつ、(2’)最早、(近代主権国家成立期に、キリスト教会・ギルド組織・地方領主等々が国家権力に粉砕解体され、人権を侵害可能な社会的実力が漸次独り国家権力に収斂して以降始めて)人権を抑圧侵害可能な社会的実力が国家権力だけではなく多様な社会集団に再度拡散している現在、政権や政策に中立・公平なマスメディアによる客観的報道なるものは可能でしょうか。マスメディアの報道自体が現在の社会では「中立」などではありえないのではないでしょうか。畢竟、ジャーナリズムの「権力を監視」機能を媒介にした「第4の権力」の正当化は現代の大衆民主主義社会では最早成立しえない。そう私は考えます。


■マスメディア規制と国営放送の必要性
現代社会では、最早、マスメディアは中立でも公平でもありえず、他方、マスメディアが「第4の権力」と称される影響力を保持している以上、マスメディアには適切な規制が施されなければならない。これは「権力は腐敗する」という経験則からは当然のことではないでしょうか。

マスメディアの規制に関しては、常々、政府による規制(第1と第2の権力へのマスメディアの従属)には「民主主義の前提条件とも言うべき国民の知る権利」が政治権力に操作され抑圧される危険が主張されています。而して、マスメディア規制に関しては「ジャーナリストとしてのモラル」を共有するマスメディア組織内のメンバーによる自己規制が妥当であるとも。

論外です。権力のチェックと抑制をその権力を行使するメンバーのモラルに期待するなどは、近代憲法の原理原則からは問題外の外とも言うべき戯言だと私は考えます。もちろん、権力の保持者にはより高いモラルが求められることは自明ではある。けれども、権力への懐疑に起因する権力の外部からの権力を抑制する制度の憲法秩序への繰り込みこそ近代的意味の憲法の真髄であり、旧憲法と現行憲法を貫く我が国の立憲主義的な憲法秩序の根幹だと思うからです。

畢竟、性善説と立憲主義は無縁である。組織内のメンバーのモラルに期待する自主規制による権力の監視では不十分であり規制法規が必須。「第4の権力」を分有するマスメディア間の相互監視が、それ自体が寡占的な許認可事業会社であるTV・ラジオはもとより、寡占的な共同通信・時事通信の情報配信機能を媒介とした地方紙および全国紙による寡占体制が確立しているマスメディアの市場は所謂「自然独占」とも言うべき状態であり、(ネットが大きな力を持ちつつある現在、その「自然独占」状態が未来永劫続くとは言えないものの)マスメディアが供給する商品、すなわち、情報の品質とコスト面における競争によって最適な資源の配分が実現することは期待できず、所謂「市場の失敗」は不可避と考えるからです。

マスメディア規制の立法が求められている。他方、マスメディアの情報伝達機能が国際的に広がっている現在、歴代の政権が組み立ててきた日本の主張、あるいは、時の政権の意向をバイアスなく世界に伝えるメディアの必要性も大きくなっているのではないか。畢竟、「公益放送」なる鵺的なNHKではなく端的な「国営放送」が必要ではないでしょうか。これに対して、そんな、「政府直属の放送局の報道を誰が信じるというのか」という否定的な意見もある。

しかし、(自然独占による寡占状態であるにせよ)マスメディアのマーケットには複数のプレーヤーが存在している以上、「国営放送」が報道する情報の品質は競争によって担保されるだろう。他方、支那の新華社や人民日報、旧ソ連のプラウダやイズベスチアと同様、その報道の真偽とは別に、国営放送の報道は各国政府の主張を理解する上では意味がある。ならば、(北朝鮮の拉致被害者に向けた国際放送の継続が資金難から危ぶまれているというニュースを耳にする昨今、なおさら)国営放送の設立は国益の維持確保のためにも真面目な検討事項だと思います。

畢竟、報道は適切に規制されるべきであり、日本政府の「国営放送」が構築されなければならないのではないか。ネットの影響力がマスメディアを激変させている現下の状況下で、取材活動の便宜や知的財産の適切な運用を中心としたブロガーの優遇と共に「第4の権力」の裸の暴力的な世論調査から日本の民主主義を守るにはこれらの施策が必要。而して、我々はその施策の具体化に向かうべきである。私はそう考えています。





(2008年11月09日:yahoo版にアップロード)

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