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野蛮な死刑廃止論と人倫に適った死刑肯定論

goemonishikawa

所謂「裁判員制度」の実施が目前に迫っていること、而して、所謂「秋葉原事件」等の日本の<格差社会化>に伴う(社会的アノミー状況下で将来に希望を失った「ワーキングプアー層」によるとされる)不条理な犯罪の生起もあってか、死刑制度の存廃を巡る議論をよく目にするようになりました。被害者遺族団体等による「死刑に相当する罪についての(公訴)時効撤廃」の要請や、国連人権委員会の日本に対する死刑廃止勧告(2008年10月30日)等も現下の「死刑の存廃」を巡る議論の周辺をなすものと言えるでしょう。

私の立場は「死刑肯定」。畢竟、死刑廃止は、他人の生命を奪った人間から道義的責任を果たす権利を奪う野蛮な法制度であり、個人の人格の尊厳に価値を置く文明国においてそれは許されない。刑罰は「犯罪を抑止」のための社会統制技術である反面、その本質は社会的道義的非難であり犯罪に対する応報と考えるからです。而して、たとえ現下の日本社会が、論者によっては「100年に一度の経済危機」と言われるものに直面しつつあり、また、産業調整と社会の構造改革に起因する社会的アノミー状況(=社会秩序を維持してきた伝統的な道徳的規範が正当性とリアリティーを喪失することに起因する社会の無秩序状態、および、そのような無秩序な社会に放り出されている<自分>という自己意識)に陥りつつあるとしても、死刑は廃止されるべきではない。そう私は考えています。

敷衍すれば、昨年2008年9月15日のリーマンブラザーズの破綻に端を発する世界金融危機、他方、その危機にかかわらず一層の昂進が必定のグローバル化の潮流の中で日本がその国際競争力を維持強化するためには、①新自由主義的な構造改革の徹底、②その構造改革に正当性を与える「使用者側の不当労働行為の厳罰化と独占禁止および不正競争防止の徹底」、「セーフティーネットと敗者復活を可能にする諸制度の整備」を粛々と実行することが不可避であり、而して、これらの課題が具現されるまでの間は(特に、労働力の産業間・地域間移動のタイムラグと情報の非対称性とに起因する「労働力のミスマッチ状態」が解消するまでの緊急避難的な社会保障施策が整うまでの間は)ある種の社会的アノミー状況の惹起蔓延はこれまた不可避なのかもしれません。残念ながらそう予想します。けれども、不条理な犯罪の生起増加が想定されることと、そのような犯罪の刑事的と道義的責任の軽減、まして、死刑制度の存廃は全く位相を異にしているのではないでしょうか。


死刑廃止論の主張は一様ではない。例えば、死刑存置に対して呈される次のような疑義をしばしば見聞きします。すなわち、

(1)死刑の犯罪抑止効果は乏しい
犯罪の予防の観点からは、むしろ、仮出獄を認めない絶対的終身刑の導入を

(2)死刑は「残虐な刑罰」を禁止している現行憲法36条違反である

(3)死刑は歴史的に廃止の方向にある
例えば、EU加盟には「死刑廃止国」が条件になっており日本もこの国際的な潮流に従うべきだ。さもなくば、日本は国際的な非難を受け続けるだけでなく、死刑廃止国から「犯罪者引渡し条約」の締結を拒まれる等の実害を甘受しなければならない

(4)冤罪事案の場合に死刑は取り返しのつかない間違いを国家が犯すことになる

(5)国家に人の生命を奪う権利はない
殺人が許されぬ犯罪であるならば国家による殺人たる死刑もまた許されない。すなわち、殺人犯に死刑を求める根拠自体から死刑は否定される

(6)死刑はそれを行なう側にも酷な制度である
死刑を命じる法務大臣(刑事訴訟法475条1項)や死刑を執行する刑務官、更には、死刑判決を下す裁判官(加えて2009年7月以降は裁判員)の心理的負担を考えれば死刑は廃止すべきだ

(7)死刑は生ぬるい
一生刑務所で反省しつつ刑務所内労働をさせ、死亡後はその臓器等々すべて換金して所内労働の対価とともに被害者遺族・犯罪被害者救済基金に支払う仕組みにすべきだ。この仕組みを前提に死刑の代わりに自殺か絶対的終身刑を選ぶことにすればどうか

(8)国民世論は必ずしも死刑を支持しているとは言えない
世論調査によれば確かに日本国民の多くは死刑を肯定しているが(2005年2月19日発表の内閣府「基本的法制度に関する世論調査」では死刑容認派は81%を越えている)、多くの国民が十分な情報と思慮の下に死刑を支持しているとは思えない



順不同に「死刑廃止論」を並べてみましたが、(1)「死刑の比較的低い犯罪抑止効果」は欧米各国の統計データに拠る限り刑事学の常識と言えるもので無根拠な主張ではありません(ただ、回帰分析の結果からも、また、例えば、2007年の飲酒運転の厳罰化によって飲酒事故が激減したこと、他方、飲酒事故の悪質化が進んだことを鑑みるに、一概に、死刑の犯罪抑止効果が個別日本社会で諸外国のように低いとも論断はできないというのが正直な所です)。また、(2)「死刑の違憲性」に関しては合憲判決が確定していること(最大判昭和23年3月12日)、現行憲法31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」は「生命を奪う=死刑」を前提としていることから考えて、(2)の主張は法律的には所謂「憲法無効論」並みの荒唐無稽な主張と言うべきでしょう。


而して、その犯罪抑止効果が必ずしも自明でなく、また、(3)「死刑は歴史的に廃止の方向にある」にもかかわらず、何故に多くの国で死刑は存置されているのでしょうか(2008年現在、法律上・事実上の死刑廃止国は合計135に対して存置国は62。下記URL参照)。蓋し、「死刑がなぜ存在するのか」は、それは「そこに山があるから」、すなわち、「死刑をもって応じ報いるべきとされる事態(死刑が相当と当該社会で一般的に考えられる事件と被告人)が存在するからだ」、と。そう私は考えています。

・死刑廃止国と存置国
 http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html

国家が公的な刑罰権を独占し私人間の自力救済や復讐、決闘を漸次禁止してきた近代法確立の経緯の中で日本を含む死刑存置国では(些か同語反復になりますが)「死刑をもって応じ報いるのが相当とされる犯罪類型に対して死刑」が刑罰のメニューの中に記載されたまま現在に至っている。もっとも、国家による刑罰権の独占と「死刑」の存置は一応別の問題であることは世界の135ヵ国では死刑を(法律上か実質上かを問わず)廃止していることからも明らかでしょう。畢竟、死刑存廃の是非は当該の社会の法意識をパラメータとする関数に他ならない。すなわち、死刑の存廃はその国の文化的コードの問題であり、よって、(3)「死刑は歴史的に廃止の方向にある」とか国際的非難などは日本が死刑を廃止することの理由にはならない。蓋し、「死刑は歴史的に廃止の方向にある」などを死刑廃止の論拠たりうると考える論者は(「捕鯨廃止論者」とパラレルな欧米流の価値観を普遍的と看做す)文化帝国主義の傲岸不遜な論者にすぎないのです。

繰り返しますが、国家が刑罰権を独占して、かつ、(石川五右衛門の辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」の如く)死刑が相当と一般的にその社会で考えられる犯罪がその社会に存在する限り、(5)「国家に人の生命を奪う権利がない」どころか死刑の実行は国家の使命でさえある。

ならば、(6)「死刑がそれを行なう側にも酷な制度である」としても死刑は実行されねばならず、その精神的葛藤に耐えられない者、あるいは、信仰上の理由から死刑を支持できないと考える者は、現行憲法秩序においては法務大臣・刑務官・裁判官・裁判員等々の職を辞退すべきなのです。また、(7)「死刑は生ぬるい」(市中引き回しの上の獄門・親兄弟親族の連座制の復活等々)が妥当であるかどうかは立法政策の問題であり、少なくとも、その主張によって現下の死刑制度を廃止する論拠にはならないと言うべきでしょう。而して、(8)「国民世論は必ずしも死刑を支持しているとは言えない」という主張に至っては文字通り「引かれ者の小唄」か、百歩譲っても「イソップ物語の酸っぱい葡萄」の類の死刑廃止の為にする議論である。それは、死刑存置を支持する国民を見下す傲慢であり(3)「死刑は歴史的に廃止の方向にある」とのたまう文化帝国主義と通底する主張に他ならない。そう私は考えます。


畢竟、死刑廃止論の重鎮にして元最高裁判事・団藤重光先生の年来の主張にもある通り、死刑廃止論の中で唯一真面目な検討に値するのは(4)「冤罪の可能性」であろうと思います。けれども、極論すれば、冤罪の可能性と死刑の是非には本質的な関係はないのです。神の高みの「絶対的の正しさ」など土台人が行う裁判に求めるべきではなく、(冤罪の可能性を恒常的に含む)個々の死刑判決を当該の社会構成メンバーが容認し支持している限り裁判に絶対を求める死刑廃止論は法概念論から見て筋違いだからです。蓋し、1970年代以降、歴史学が明らかにした如く、所謂「中世の魔女裁判」は(その被害者数もプロテスタント諸協会が喧伝してきた数値の数%に止まるのみならず)宗教改革とルネッサンスに伴う社会のアノミー状況に対する対応として民衆から支持を受けた(否、民衆側から始められた)現象であり、その悲惨の裏面でそれは欧州社会の秩序を保つものでもあったのですから。

その生命でしか償えない(とその被告人をもメンバーとする当該の社会で一般的に意識されている)罪を犯した被告人に対して死刑を認めないということは「人間の尊厳」という最高級の人権侵害である。と、これが死刑を巡る私の基本的立場であり、所謂「応報刑思想」からの死刑肯定論の核心であろうと思います。而して、法の究極の効力根拠が国民の法意識、就中、国民の法的確信である以上、応報刑思想を援用することなしに国家の刑罰権を刑罰の特別予防機能や一般予防機能(教育刑論や一罰百戒的な効果)に還元し尽すことは不可能であり、ならば、応報刑思想による死刑肯定論が失効するのは「その生命でしか償えない罪」という概念のリアリティーが国民の法意識の変容の中で喪失するか、あるいは、仇討ちを公的に認める社会に日本が移行するかのいずれの場合に限られると思います。

畢竟、死刑廃止論は人倫を顧みない野蛮か文化帝国主義の主張であり、他方、死刑肯定論は人間の尊厳を貴ぶ文明と道義を踏まえた論理である。そう私は確信しています。 尚、応報刑思想の詳細についてはとりあえず下記の拙稿をご一読いただければ嬉しいと思います。

・山口県光市の母子殺人事件に死刑判決を☆
 戦後民主主義の非人間的な刑罰観を排して応報刑思想を復活せよ
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-144.html

・松本被告精神鑑定☆朝日新聞の司法への過剰な期待を嗤う
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-143.html

・<動物裁判>としての宮崎勤死刑判決精神鑑定批判
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-142.html

・「精神障害者も社会に入れて」ですと? 考え違いもはなはだしい!
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-300.html

・犯罪と刑罰を歪める戦後民主主義の磁場と心性
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E48.htm




(2009年1月12日:yahoo版にアップロード)

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