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首相の靖国参拝最高裁判決を「肩すかし」と詰る朝日新聞を嗤う

yasukunitemple3


今日、平成18年(2006年)6月25日の朝日新聞社説「靖国参拝 肩すかしの最高裁判決」は意味不明な社説だった。この判決に関しては昨日もコメントしたので(下記URL参照)ここでは朝日新聞の主張の荒唐無稽さに焦点を絞ることにする。まず、記事の引用。

・首相の靖国神社参拝に関する最高裁判決(平成18年6月23日)
 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060623112512.pdf

正義と論理の勝利☆首相の靖国神社参拝に最高裁判決下る
 


靖国神社に小泉首相が参拝したことは、憲法が定める政教分離の原則に違反するのかどうか。この問いに、最高裁は合憲か違憲かを判断しないまま原告の請求を退けた。

身内を靖国神社にまつられた日本と韓国の遺族らが、「01年の首相の参拝によって精神的な苦痛を受けた」として、損害賠償を求めていた。憲法違反の首相の参拝は身内をどのようにまつるかを決める遺族の権利を侵す、というのだ。

最高裁が示したのは、他人が特定の神社に参拝することで不快の念を抱いたとしても、ただちに損害賠償の対象にはならない。そんな理屈である。首相の靖国参拝に対する司法判断を求めて提訴した原告には、肩すかしの判決となった。 (中略)

憲法は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。首相の行動が、過去の歴史を踏まえて導き出されたこの規定に反していないかどうかを厳格に判断する。それが裁判所の頂点に立つ最高裁の使命ではなかったか。

でなければ、首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう。(中略)

最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について「宗教的活動にあたる」として、違憲判決を出した。政府と自治体、参拝と玉串料という違いはあるが、政教分離原則を厳格に考えれば、靖国参拝についても違憲判断が出てもおかしくない。

いずれにせよ、最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない。首相には、それを忘れないでもらいたい。(以上、引用終了)



以下、逐次コメントする。

「憲法違反の首相の参拝は身内をどのようにまつるかを決める遺族の権利を侵す」
遺族が仏式やキリスト教のマナーに従って身内を祀ることを政府が禁止したとでも言うのか? あるいは、靖国神社に批判的な遺族に対して参拝や献金が強制されたとでも? 蓋し、遺族が「身内をどのようにまつるかを決める」ことと首相の参拝の間には何の関係もない。

「他人が特定の神社に参拝することで不快の念を抱いたとしても、ただちに損害賠償の対象にはならない」
常識だろう。大体、首相の靖国神社参拝を支持している私は、反対派が裁判を起こすこと自体に不快の念を抱いてしまう。けれども、ここは「思想及び良心の自由と表現の自由」ならびに「裁判を受ける権利」が何人にも認められている日本だからして「不快の念を抱いたのはお前達の提訴のせいだ。損害を賠償しろ」と訴えようとは思わない。ならば、そのような常識はずれの提訴に対して大人の判断を下した最高裁の判決を「肩すかしの判決」と詰るのは逆怨みというものだろう。


「「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている」
その通りだ。では、正月の初詣は宗教活動か? スポーツ選手と自治体の役員が大会前に神社で戦勝祈願をすることは宗教教育なのか? そして、国務大臣や地方自治体の首長が神式やキリスト教形式の結婚式に参加することは宗教活動? 

実際、内閣総理大臣を始め多くの国務大臣が正月には伊勢神宮に参拝しているし、習志野の自衛隊第一空挺団は正月には武人の守護神・鎌倉鶴岡八幡宮にヘリコプター編隊で参拝している。更に、東京は深川の富岡八幡宮の例大祭(=水かけ祭り)では東京都消防局の職員によって放水車や消火栓から神輿の担ぎ手に勢いよく放水されている。

政教分離原則の意味について詳しくは下記拙稿を参照いただきたいけれど、要は、日本が継受したドイツと英米流の政教分離原則とは「教会組織が世俗の権力に容喙することの禁止」、つまり、国家と教会の分離を意味するのであって、豪も、社会学的観察から「宗教的」と看做される行為一切を国や地方自治体に禁ずるものではない。而して、政教分離の問題は「一切の宗教的行為の禁止」ではなく「許される宗教的行為と許されない行為の確定」に収束するとのこの理解は最高裁が踏襲する「政教分離に関する目的-効果基準」とも整合的である。

首相の靖国神社参拝の「違憲判決」について考える(上)(下) 

斉藤小百合「二つの靖国参拝違憲訴訟」
 
「首相の行動が、この規定に反していないかどうかを厳格に判断する。それが裁判所の頂点に立つ最高裁の使命ではなかったか。でなければ、首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう」
これは「需要は供給を創出するはずだ」という噴飯ものの議論である。首相の参拝は政教分離に反すると極一部の国民が考えたからといって、その受け皿を司法が用意しなければならないとなぜ言えるのか。

司法はあくまでも憲法を含む法規や判例や法的に意味のある慣習を具体的事件に当てはめることで具体的な紛争処理を行う公的サーヴィスである。ならば、当事者がどれだけ腹立たしいと思ったとしても(統治行為や外交関係、教育の崩壊や性風俗の紊乱、国際競争の中での業界ごとの崩壊や地方経済の衰微等々)司法が解決すべきでもなく、実際、解決しようもない紛争のカテゴリーはこの世に幾らでも存在する。もちろん、反日的の政治主張や護憲真理教という信仰を宣伝する舞台として裁判を使うのは原告の勝手であるけれど、裁判所には彼等に便宜をはかる義務も義理もない。


「最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について「宗教的活動にあたる」として、違憲判決を出した。政教分離原則を厳格に考えれば、靖国参拝についても違憲判断が出てもおかしくない」
公費支出自体が目的である玉串料の支払い(なぜならば、玉串料は何かの物品やサーヴィスを購うものではないから)、と公的か私的かは別にして内閣総理大臣の地位にある小泉首相の靖国神社参拝に不可避的に付随する諸費用(首相の人件費を始め警護要員の人件費-ガソリン代-車輌等の減価償却費・・・)を同列に論じることは「政教分離に関する目的-効果基準」を看過しない限り憲法論的には無茶苦茶である。

要は、玉串料は現行憲法20条1項および3項、ならびに89条に少なくとも形式的には違反する(後は、その違反の程度が国民の法的確信から見て「憲法の逸脱」と言えるかどうかが問題となる)。これに対して、首相の靖国神社参拝は「国から特権を受けていることに等しい」とか「国家の宗教的活動に通じる」、あるいは、「公金の支出と同じではないか」等々の補助線をかなり強引に引かない限り形式的にも憲法違反と言える代物ではない。


「最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない。首相には、それを忘れないでもらいたい」
最後はお願いですか(笑)。でもね。事件性もない行為(=法的には紛争でさえない行為)の合憲性のお墨付き判断を誰も最高裁にしてもらう必要はない。もし、それが必要というのならその主張は三権分立の本性を忘れた現政権批判派の政治イデオロギーにすぎない。ある具体的な事件の解決に伴ってのみ違憲立法審査権を行使できる現行憲法の付随的違憲審査制においては、選挙で選ばれたわけでもないテクノクラートたる裁判所たる裁判官にできることは憲法をも含む諸法規の適用による紛争解決だけなのだから。

もちろん、日本でも同じ付随的審査制を取るアメリカでも裁判所が(拘束力のある判例とはならない)傍論で憲法判断を示すことは(特に、最終審たる最高裁判所では)許されており実例も稀ではない。けれども、それを行うかどうかは裁判所の裁量に任せられている。ならば(明確に違憲の状態が継続し、かつ、それが全体としての法秩序を歪めているというのならばいざしらず)、元来、司法が口を挟むべきでない政治的価値判断や個人の信条にかかわる本案件において憲法判断を禁欲した点で、蓋し、23日の判決は司法の分をわきまえた立派な判決と評すべきである。

而して、裁判所が憲法判断を回避した行為の合憲性は未定とは素人漫才のような議論だ。「最高裁が判断しなかった→次にそれと同種の行為の合憲性が争われた場合、最高裁がどう判断するか不明」。同語反復ではあるがこれは正しい。しかし、この主張は次の2点で妥当ではない。

(甲)合憲性の推定
裁判所が憲法判断を下すまでは法規や行政の行為は合憲と推定される。これは、三権分立および国民主権のコロラリーでさえある;ある特定の人々の権利を制限する事態を除けば、主権者たる国民の選良達が制定した法規や適法な手続きに従い形成した政府の行為は合憲と推定されるべきだ。そうでなければ、日本のほとんどの法律の合憲性は不明ということになり;すべての行政サーヴィスや立法サーヴィスは司法の(三審制により原則最高裁判所の)判断が下されるまで合憲性が確定せず停滞に瀕することになろう。

この社説は(傍論にせよ合憲判断を下すことに積極的な最高裁判所が合憲判断をしなかったのは、首相の靖国神社参拝の違憲性が濃厚だからだという)、日本の最高裁判決の傾向に関する樋口陽一さんの「合憲積極主義-違憲消極主義」の理解を踏まえて書かれたのかもしれない。けれども、その認識が正しいにせよそれは法的には何の意味もない推論である。蓋し、一昨日の最高裁判決によって小泉首相の靖国神社参拝はそれが公的行為であるとしても合憲性の推定が確認されたのだから。

(乙)首相の靖国神社参拝に対する憲法判断は実質不可能になった
再度記すが、「司法が解決できない紛争はこの世に幾らでも存在」する。そして、付随的審査制度を採る我が国では、本判決を踏まえる限り、今後、精神的苦痛をこうむったという理由で首相の靖国神社参拝を司法の場で争うことも極めて困難になった。

すなわち、当該の最高裁判決は首相の靖国参拝を認めたわけではないけれど、今後、首相は憲法論議を気にすることなく靖国神社に参拝できる;そして、参拝の是非の決定は司法のprocedureではなく独り政治のprocessに委ねられることになろう。首相の靖国神社参拝は司法の判断から<聖域化>されたのである。畢竟、それは大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義が撒き散らしてきた憲法と司法の万能観の蒙昧を破る見事な判決だった。私はそう考える。


(2006年6月25日:yahoo版にアップロード)


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