書評☆向坂逸郎『わが資本論』(下)

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大正五年【向坂が高校二年生の1916年】の九月十一日より同年の十二月二十六日の『大阪朝日新聞』には、河上肇の『貧乏物語』が連続して載せられた。私はこの貧乏物語という題に強くひかれた。(中略)河上さんは、当時まだマルクシストではなかった。広い意味で社会主義者でもなかった。いわば人道主義的改良主義者であった。しかし、私はまだ社会主義なるものもよく知らなかった。なんの批判らしい批判もなく、この論文に読みふけった。(中略)そのころは、帝国大学は法律万能であった。(中略)私は、先にものべた通り、法律学をやって官吏になるつもりであった。しかし、河上肇さんのこの論文を読んで、私はすぐ大学では経済学をやろうと決意した。(pp.46-47)

その頃【向坂が高校生の1915年-1918年】ドイツとは交戦中であって輸入がなかった。そこでアメリカから取りよせて『共産党宣言』と『空想的社会主義から科学的社会主義への発展』を読んだ。これを私は、繰返し繰返しよんだ。そして私の一生の道はこれらだと思った。(p.62)

むろんその前後に日本で出る社会主義者の雑誌論文、著書をあさり読んだ。堺利彦、山川均については、手に入るかぎり読んだ。【向坂が東京帝国大学の二年生から三年生、および、卒業直後東京帝国大学助手を務めていた1919年-1921年に出版された】山川均の『社会主義の立場から』(大正八年)、『社会主義者の社会観』(大正八年)は耽読した。社会主義者の立場からするデモクラシーの批判、歴史や日本の社会に対する社会主義者の批判、それをよく教えてくれた。堺利彦、山川均の『マルクス伝-附エンゲルス伝』(大正九年)、山川均の『レーニンとトロッキー』(大正十年)、この二つの書は、われわれ学生にマルクス・エンゲルス・レーニンを教えた。ロシア革命についての科学的な資料と理論とを、日本にはじめて供給したものは、この二人の『社会主義研究』『新社会』であった。(中略)河上肇には、当初多分に人道主義的なところがあって、マルクシズムの理解が非常に足りなかった。(中略)私は学生時代から今日まで、堺利彦や山川均の徒であって、河上肇につねに批判的であった。(pp.62-64)


堺利彦・山川均は後に労農派の指導者となり、向坂はその労農派の新進の論客として山川均や大内兵衛を支えることになります。注意すべきは、世に「大正デモクラシー」と言われる時代背景があったにせよ、「戦前の日本ではマルクス主義は国禁の教えであった」等の「暗黒の戦前」というイメージはおよそ実情とはかけ離れているということです。些か特異な明治43年の「幸徳秋水事件」(1910年)等を別にすれば、大正14年公布の治安維持法(1925年)、あるいは、明治期に制定されていた新聞紙法(1909年)や出版法(1893年)等々の取締り法規を適用され、「講座派 vs 労農派」の所謂「日本資本主義論争」が検閲の強化や双方の論客が検挙・投獄されたことで自然終結した昭和10年代初頭(1936年-1937年)までは、伏字付にせよマルクス主義の文献は販売講読ができていた。向坂自身が編集の中心を担った改造社版の『マルクス・エンゲルス全集』が1929年から1933年に亘って出版されたことがなによりのその証拠であろうと思います。

畢竟、帝国主義の時代の日本の帝国主義的対外政策を「悪」と断ずるなどは、歴史学の権限を越えたイデオロギー談議です。まして、東京裁判やサンフランシスコ平和条約、あるいは、村山談話や河野談話、すなわち、政治がある歴史認識を正しいとか間違いとかを決めることなどできるはずもない。実際、西欧諸国のどの1ヵ国もかってのその植民地支配を謝罪などしたことはなく、蓋し、日本の韓併合や満州国建国は当時の国際法にから見てもなんら問題はない。

このような国際法と確立した国際政治の慣習を基盤とする現実主義の歴史認識に加えて、具体的には、先年、田母神元空将が世に問うた懸賞論文にも引用されているべナム文書等々ソ連崩壊の前後に明らかになった東西両陣営の資料により、コミンテルン(1919年-1943年)の政治工作が戦前戦後の日本を始め自由主義諸国の脅威であったことは現在では自明なのです(アメリカではよってマッカーシーの再評価が確定しています)。而して、治安維持法は国際共産主義から我が国がその社会を守護するために必要な法律だったのであり、その運用に些か強権的な色彩があり、かつ、少なくない「誤爆」があったとしてもその立法の正当性は毫も揺るがない。そう私は考えています。

蓋し、向坂が多感なる高校生・大学生として生きていた時代のこの社会は、社会の経済的な矛盾を看過できない程の感受性を備えた多くの青年がマルクス主義を受容する程度には自由を備えた社会であった。而して、大東亜戦争直後にこの社会でマルクス主義の書籍や運動が一斉に咲き競ったについては戦前のこの一定程度の自由の存在とマルクス主義研究の蓄積がその基盤となったのであり、逆に言えば、終戦直後のマルクス主義の跳梁跋扈こそは戦前のこの社会がそれなりに自由で寛容な社会であったことの証左と言えると思います。いずれにせよ、若きマルクス主義経済学徒としての21歳の向坂はそのような時代に労農派の論客になる運命を課されつつ熊本から帝都に向けて飛翔した。その東京帝国大学の風景をこう向坂は書いています。

私の大学生時代の東大は、いわば学問の砂漠のような所であった。明治前半には、イギリスの古典学派の影響がつよく、ジェームズ・ミル、ベンタム、ジョン・スチュアート・ミル、アダム・スミス、リカードなどの著作が翻訳または紹介されていた。経済学発展の見地からみて、たのもしい限りであった。洋書屋、古本屋にこれらの人々の原書が、到る所に見出された。ドイツの経済的発展と共に、ドイツ経済学が日本に進入してきた。イギリスの「世界の工場」時代の自由貿易主義が、おくれて世界経済にのり出していたドイツの保護主義の興隆の影響を受けた。帝国主義の時代が近づいてくるとともに、日本の経済発展に適合した保護貿易主義のドイツ歴史学派の影響を受けるようになった。(中略)このようにして、私どもの時代の東大は、多かれ少なかれ、ドイツの歴史学派の影響下にあって、教授たちのほとんどすべてが、ドイツに留学した人々であった。したがって、理論はあまり得意ではなかった。(pp.65-66)

大学を出る時【1921年】、矢作栄蔵という教授が、助手になるか住友銀行に行くか、どちらかに決めよといわれたとき、即座に学校に残って助手になることを決めた。(p.61)

矢作栄蔵は農業経済学の専門家であった。(中略)彼は別に英語経済学も受けもっていた。この時間、(中略)たいていは宇野【弘蔵】と私と二人きりであった。ジョン・スチュアート・ミルの『経済原論』のアシュレー版を読むことになっていた。小さい室であったが、はいってくると、この原書を宇野と私の二人の学生に読ませた。先生はというと、すぐ居ねむりを始めた。くそまじめな、二人の学生は、ミルを代わる代わる読んだ。代わる代わる訳読して、なんともいう人はいないので、まる二時間大変よく進んで、一年の終わりには、ミルをずい分読んだ。(pp.73-74)




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◆向坂逸郎の狂気と豊潤
先に言及した日本共産党『社会主義協会 向坂派批判』は向坂と向坂率いる社会主義協会に対して「対外盲従」「社会民主主義の一派でありならが「科学的社会主義者(マルクス=レーニン主義者)の集団」を僭称」すると批判しています(同書 p.8ff)。後者に関してはそれが事実であったとしても(マルクスは『ゴータ綱領批判』(1875年)でプロレタリアートの革命的独裁の必然性を力説していますが)、日本共産党自体がその党の綱領で公式に「国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する」という社会民主主義政党とも見間違うばかりの柔軟姿勢を採用するに至った現在はたして批判の理由になるか否かは疑問です。しかし、前者の「対外盲従」は向坂に対する的確な批判であろうと思います。それほど向坂のソ連崇拝はほとんど狂気の域に達している。例えば、

学者は公害を近代技術の不完全なためという。近隣の川や町を汚染させる工場は、ただちにこの運営を禁止する国もある。ソ連である。近代技術が川や湖や町を汚染させないように化学的処理をなさないで、工場を経営することを許さない国が、ソ連である。社会主義ソ連は、国が広いから、また、技術がおくれているから、公害がないのではない。人間の生命が尊いことを立国の精神とするから、公害をもたらすおそれのある工場を禁止する法律をつくることが出来るのである。(pp.97-98)


1989年-1991年の社会主義の崩壊後に露呈したソ連・東欧の凄まじい環境破壊の現実を想起すれば上に引用した向坂の見解は戯言と言うほかない。而して、「人間の生命が尊いことを立国の精神とする」の文言に至ってはスターリン体制下で数千万人が粛清された事実を前にしては慄然とせざるを得ません。

向坂の教条主義的な旧社会主義諸国、就中、ソ連崇拝は何辺に由来するものなのか。私は福岡県民特有の(左右を問わず、単純に目立ちたい偉くなりたいという一種の)「権威志向」がその究極の原因と思わないではないのですが、一番の理由は「論語読みの論語知らず」の類の事態。あるいは、「ミイラ取りがミイラになった」のではないかと想像しています。

抜群のドイツ語力を駆使しながら繰返し繰り返し膨大なマルクス主義のテクストを読む姿勢、而して、マルクスの依拠した経済学パラダイム(=イギリス古典学派のテクスト)、更には、古典学派に対する批判として登場したドイツ歴史学派のテクストまで幅広く、かつ、眼光紙背に達する熱意でもって読み進めたその努力の蓄積が、逆に、(それは「資本主義経済自体の運動法則」を解明するものではなく、単に「資本主義経済における経済事象」の説明体系でしかないという古典学派の経済学に対する)「経済学批判」の書でもあった『資本論』をして向坂の内面に「批判を許さざる新たな経済学のパラダイム」として物象化せしめた(自分が作ったトーテムポールに自身の行動が左右せられる如き倒錯した意識に向坂を陥らせた)のではないか。そう思うのです。向坂の教条主義は本書でも随所で炸裂しています。

資本主義没落と社会主義必然の法則性について、私は『資本論』の【第1巻】第七篇第二十三章、二十四章【資本主義的蓄積の一般法則、いわゆる本源的蓄積】に求めなければならないと思い、また今日にいたるまで、その理論的確信は変わらない。(p.118)

レーニンが何故マルクシズムの正統なる嫡子であって、カウツキーが何故そうでないか。レーニンはマルクシズムの理論をロシアの社会に正しく適用したからである。(中略)問題は、歴史的法則の必然性は、つねに歴史の偶然を通じてあらわれるからである。(p.121-122)

マルクスの経済学は、『資本論』で基本的に完成されている。ここで私はマルクスの経済学といったが、「マルクスの」という言葉は不用なのである。「経済学は」という言葉で十分である、というよりそれがほんとうのことである。(p.173)



所謂「窮乏化革命論」や「恐慌→革命論」は、しかし、向坂の教条や願望にかかわらず実現しませんでした。これは歴史的事実です。また、それら革命論の「理論的根拠」として向坂が都度掲げる『資本論』1巻7篇23章-24章の論理も事実によって否定されています。すなわち、マルクスが想定したほどの資本の有機的構成比の高度化は生じなかった(★)。蓋し、金本位制の放棄と管理通貨制度を基盤とする人為的に「有効需要」を創出するケインズ的の財政-金融政策(そのケインズ政策の効果が炸裂した、先進工業国における第二次大戦後の高度経済成長による資本蓄積)、更には、西側先進国におけるシュンペーター的なイノベーションの連打爆裂がその主な原因と考えられます。而して、これらに加えて、現在の「不変資本」に占める「知的財産権」の比重の<高度化>を考えれば「窮乏化革命論」は「歴史的-論理的」にその誤謬が明らかになったと私は考えています。

更に、向坂もエピソードとして紹介している、ベーム・バヴェルク(日本では小泉信三)からの「労働価値説の循環論法性のアポリア」の提示、すなわち、「『資本論』の第一巻における価値論と第三巻における生産価格論との「矛盾」」(p.69)は、現在では、左翼のお馴染みの言説(「労働者は搾取されている!」)の根拠たる「剰余価値」なるもののそのまた理論的前提である「労働価値説」自体が単なるイデオロギー的仮説にすぎないことが明らかになっているのです。

ことほど左様に、向坂が唯一の経済学と考えた「マルクス経済学」は破綻した。而して、現在では「近代経済学」とかって呼ばれた経済学だけが「経済学」であり、よって、「近代」という言葉は不用になっています。

★註:資本の有機的構成比の高度化と窮乏化革命論
資本主義経済の運動の中で、各資本(≒企業)の有機的構成比が高度化するがゆえに利潤率は逓減する。要は、「可変資本」たる人件費と「不変資本」たる設備・原料等の非人件費は、企業間競争の中で(生産性を上げるべく)後者の比率が高まり、前者とは違い利潤の源泉たる「剰余価値」を原理的に生まない後者の比率の高まりは当然利潤率の逓減をもたらす。よって、この趨勢の中で労働力市場における需給は慢性的に供給過剰の状態に陥り、漸次、賃労働者はあるいは職を失いあるいは賃金を切り下げられる、他方、競争の中で資本(≒企業)も益々淘汰されていく。畢竟、この貧富の両極化にともないプロレタリアートとブルジョアジーの階級対立は早晩修復不可能な水準に達するほかない。これを向坂は『資本論』1巻7篇23章-24章から読み取っている。



マルクス経済学は破綻した。それは向坂の経済学であれ、向坂と東京帝国大学で同窓同級の宇野弘蔵の所謂「三段階論」も同様です。では、宇野派経済学と同様「向坂逸郎」も日本の社会科学史の「博物館」の展示物でしかないのでしょうか。私はそうは思いません。

畢竟、マルクス主義経済学は破綻したけれども、マルクス主義の社会思想・社会理論はいまだに我々保守改革派にとっても参考にすべき豊潤なアイデアの宝庫である。そう私は考えています。換言すれば、「宇野弘蔵」は過去の遺物であるが「向坂逸郎」は現役の社会思想のブランドである、と。

宇野と向坂のこの違いはなぜ生じたか。冗談抜きに私は、向坂が「すぐれた頭脳」と「才能にめぐまれていた」宇野や同郷の廣松渉(1933年-1994年)とは違い、「平凡の非凡」「努力すること人生の真善美である」を実現実行したからではないかと考えています。凡人であるがゆえに向坂はマルクス=エンゲルスのテクスト自体に<向坂のマルクス主義>を見出すしかなかったが、才気溢れる宇野や廣松はマルクス=エンゲルスのテクストを解釈する己の能力と技量を過信した。よって、宇野と廣松がマルクス主義のテクストの解説に止まったのに対して、向坂は結果的に独自の思想体系を構築することになったのではないか。要は、向坂には哲学があり宇野には哲学がなかった、と。おそらく宇野の「三段階論」を念頭に置いて向坂はこう述べています。

マルクスの理論は、学者、思想家によって、いろいろ解釈された。(中略)『資本論』が「近代化」された。(中略)日本特製の『資本論』も、一部の方面では流行した。はじめに『資本論』を単なる経済学の書と取り扱った。そのためには、マルクスが『経済学批判』の序文でいっている彼の研究の導きの糸、史的唯物論から『資本論』が切り離された。その当然の結論として段階論を発明した。世界を全体として統一ある理論体系とする代わりに、マルクスの『資本論』をちりぢりばらばらにした。『資本論』が、歴史的実践から切り離されて、学究用教科書にされてしまった。(p.204)


例えば、上で述べた「労働価値説の循環論法性のアポリア」や『資本論』が想定していなかった帝国主義段階以降の資本主義について、宇野は「資本主義の発達の段階は、十七、八世紀の重商主義にしても、十九世紀の自由主義の時代にしても、さらにまた十九世紀末以降の帝国主義段階にしても、直接に『資本論』のような原理論から理論的に展開されるものではなく、そういう原理をもって具体的な発展過程を分析して、その歴史的規定を与えるべき」(『資本論入門』講談社学術文庫・1977年,pp.263-264)と述べ、あらゆる資本主義社会に妥当する普遍的な理論体系を『資本論』から抽出してそれを「原理論」と称し、かつ、資本主義経済の運動法則の理解には資本主義の発展段階ごとにその特徴を記述する「段階論」、および、現実の経済現象を説明する「状況分析」からなる「三段階論」を用いる重層的なアプローチを提案します。

他方、向坂は上に引用した如く『資本論』を解釈者が恣意的に設定したカテゴリーで仕分けする<不敬行為>を断乎拒否する。而して、アポリア群に対する向坂の解答は「歴史的-論理的な『資本論』理解」の提案です。『マルクス経済学の方法』(社会主義協会出版局・1988年)の次の叙述を見るとき、私は向坂の社会思想はいまだに看過すべからざるものであることを疑いません。

『資本論』劈頭にいう商品は、経済学が資本主義社会の最も単純なる規定としてここから出発すべきものとされている。しかし、その分析は、価値法則にそのまま規定される単純な商品として、遂行されている。資本主義も、商品生産であるから、【思考の抽象化の度合である】「下向」が商品のところまでくるのは当然である。なぜ分析が、【より具体的で現実的な、生産の総コストに平均利潤率を加えた】生産価格でとどまらないで、価値法則の発見まで行くか? 生産価格だけでは資本主義的生産を規制する最も単純な出発点に達しないからである。生産価格の基礎にあって、これを規制している法則なしには、商品生産としての資本主義は理解されない。価値法則なしに剰余価値の法則はなく、したがってまた生産価格の法則もない。(中略)『資本論』冒頭の商品は、商品の最も単純なる性質を明らかにしているが、この単純な性質は、ただ抽象的思惟の産物ではない。われわれの抽象も、歴史の上に現実に存する条件にもとづく。(中略)歴史における唯物論は、われわれの抽象を歴史的抽象たらしめているのである。(pp.128-129)




(2009年4月4日:yahoo版にアップロード)

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