戦後民主主義的国家論の打破☆国民国家と民族国家の二項対立的図式を嗤う(上)

ganbaru



数日前の朝日新聞に国家論を巡る記事が掲載されていた。憲法研究者・樋口陽一さんと、政治思想史研究者・山室信一さんの対談、「国家とは何か 教育基本法・憲法改正論議の前に」(平成18年6月6日)である。私はこの対談記事を読んで現実の政治状況や社会状況との凄まじい落差を感じた。

蓋し、ここには大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の、その精髄ともいうべき欺瞞と誤謬がてんこ盛りだ。しかし、逆に言えば、それは戦後民主主義の主張がかなり怪しい社会思想的の基盤の上に建てられていることの証左ではないか。この記事の根幹と思われる部分を引用しもってコメントする所以である。以下引用開始。

-「国家」が今しきりに語られる背景には何があるのでしょう。
山室:グローバリゼーションでの国境の意味が薄れ、主権国家のゆらぎが語られる。地球市民や世界共和国という言い方も出てきた。それに対し、格差の出現によって亀裂を生じている国民を凝集していくためにも、血縁的なもの(血)や自然的なもの(土)のまとまりとして国家をとらえようとする民族国家への回帰が強まっている。今起きているのは、国民国家と民族国家という二つの国家観のせめぎ合いだろう。

樋口:そのせめぎ合いが一番重要な論点だ。人々が約束を取り結んで国家をつくるというフィクションで説明されるのが国民国家で、人々の意思で意識的に維持しないといけない。これに対し、単数の民族や血のつながりで国をまとめようとするのが民族国家。自分たちがその一員だと安心できるため、つい引きずられがちになる。少数者が排除され、血で血を洗う民族紛争を引き起こすことにもつながる。あいまいに「国」という言葉が使われるが、いずれの国家を意味するのか、立ち戻って考えるべきだ。

-どういう国家像を考えるべきですか。
山室:すべての国民の共有物であるパブリック=公共社会としての国家をつくるというのが国民国家論であり、一人ひとりが責任を負って公共社会をつくっていくことになる。そのためには過去の栄光と悔悟を共有するという歴史認識の問題も避けられない。また、未来に向けて築くべき社会像を共有目的として掲げ、それを実現するためのプログラムが必要だ。(後略)

-戦後の政治学や憲法学には「国家論がなかった」という批判もあるようです。
樋口:それは、民族国家としての国家論を語ってこなかったということだろう。国民国家としての国家とは何か、国家と国民の基本的人権の関係はどうかということは散々議論してきた。法学は民族を語らないということが近代国家の取り扱いだったということが批判に対する答えになる。

山室:確かに政治学では政治過程論などの実証分析に重点が移った。ただ、そこには国家があって憲法をつくったのではなく、憲法によって生まれた国家の内実は日々の政治がつくっていくとの前提があった。それがおかしいと思う人がいるかもしれないが、そのフィクションから出発するのが近代憲法であり、それが公共社会をつくる論理でもある。

樋口:近代というのはそういうフィクションのうえに構築されたもので、自然な考え方ではない。正直、つきあうのに、しんどいものもある。しんどいから民族国家に身を委ねるのか、あるいは近代国家の枠を超えようとポストモダンに流れるのか、それともここで踏ん張るかが、問われている。

山室:2004年の登録外国人は約197万人で、県別人口21位の岡山県の人口より多い。また、海外在留日本人数は96万人を超え、永住者は30万人を超える。今後さらに国際交流が進んで多民族社会となる日本において、私はそこに住む人たちが国境を超えて公共社会をつくるという新たな国民国家論を期待したい。日本国憲法の下で国民すべてが主権者だとするプロジェクトを続けて、60年近くたつ。これも確かな伝統であり、いま愛国心が求められるのなら、あえて、「憲法愛国心こそ」(★KABU註)と言いたい。(以上、引用終了)


★註:憲法愛国主義(≒憲法パトリオティズム)
1980年代当時の西ドイツ、哲学者ハーバーマスが提唱したアイデア。即ち、運命共同体としての国家や伝統などではなく、憲法の規範的な価値に国民のアイデンティティーを求めるべきとの主張。


この対談を読んで私が感じた違和は次の3点。
�国民国家は近代憲法の取りうる唯一の国家観か? 
�憲法は国家に論理的に先行するか? 
�グローバリゼーションは<国家>を死滅させるのか?
漸次言及する。


◆国民国家は近代憲法の取りうる唯一の国家観か?
「人々が約束を取り結んで国家をつくるというフィクションで説明されるのが国民国家」「近代というのはそういうフィクションのうえに構築されたもの」という樋口さんの主張はフランスに起源を持つある特殊な国家観の説明としては間違いではない。それは、生身の人間とは本来的に縁もゆかりもない国家が、個々の国民から見て(ホッブス流に言えば)<可死の神>とも見紛う強制力と影響力をもって立ち現れる経緯を説明する、かなり成功した政治的神話の一つだろうから。

なぜ国家なる抽象的存在が、国民から税金を召し上げ、犯罪被害者から復讐の権利を奪い、貨幣を独占的に鋳造発行して流通させ、多くの国では壮丁を兵舎に攫っていくことが許されているのか? あるいは、自分が好ましとは思わないある科学的な学説、ある特定の歴史観や特定の外国語をその子女に強制的に教育せしめ、他方、自分達が帰依する信仰を公教育を通してその地域社会に伝播することをなぜに国家が禁ずることができるのか? これらの問いに答える、国家の保持する権力と権威を合理的に説明するロジックの一つが樋口さんが援用するフランス流の国民国家論に他ならない。而して、その主張は大体次のようなものと考えられる。

・近代において人々は社会的桎梏となっていた教会・ギルド・地方領主等々の(国家と個人の間の)中間団体を国家の実力によって粉砕しようとした。けれども、
・中間団体が粉砕された後、国家が個人の人権に対する脅威となることは必至である。そこで、中間団体を粉砕する実力と正当性を国家に付与しつつ、また、国防と社会の秩序を維持する機能を担わせながらも、他方、国家の恣意的な権力行使から人権を守るロジックと制度が希求された。しかるに、

・宗教的と伝統的の権威による国家の正当性の根拠づけは困難
・世俗的な憲法を整序づける価値は人間存在がアプリオリに帯びる価値以外になく、国家に個々人たる人間を支配する権威と権力を付与できるのもまた人間存在の価値とその意思をおいては存在しない

・よって、国家による国民支配の正当性を認める以上、その論理的前提として個々人たる人間から国家への支配の授権があったと想定する他ない
・この授権行為は歴史的なものではなくあくまでもそれは論理的な一種のフィクションにとどまる。けれども、この授権行為を想定しない限り国家の正当性は根拠づけられず、また逆に、国家が国民の自発的な服属を欲するのであれば(=恒常的な暴力と監視による秩序の具現という高コストな秩序維持サーヴィスを国民が望まない限り)この擬制は国家とその秩序を正当化する唯一の方途である

・このようなフィクションを受容する人々の範囲がその国家秩序(=憲法秩序)の妥当する範囲であり、畢竟、それはその国家の<国民の範囲>となる
・論理的には、近代国家は人類史上始めて「国民」を創出したのであり、近代の(個人の尊厳に価値を置き個人の基本的人権を守ることをその存在理由とする)国民国家の樹立とは、(近代の国民国家の行為に箍をはめる制限規範たる)近代的意味の憲法と国民の創出と同義である。尚、この意味での国家も国民もフィクションであることは言うまでもない、と。

この国民国家の説明と国家の正当化は、しかし、近代以降の国家を説明し正当化する唯一の道ではない(この国民国家の説明がフランス等の特殊歴史的な事実に担保されたものにすぎず、また、その国家(=憲法秩序)を正当化するロジックも普遍的とは言えないことについては下記拙稿の参照)。ここで、「憲法」をフランス流の「国民国家の秩序体系」ではなく、最高独立の統治権が取り仕切る(諸外国に対して閉じた)社会秩序の体系と広く解する場合、このフランス製の国家論(=憲法観)は我が神州にそのまま適用されるものではない。理由は以下4点。

(1)法人類学的観察からの反証
中間団体の存続と効能、あるいは、民族の文化と歴史、ならびに地域コミュニティの伝統を憲法的にも好ましいととらえる理解が(英国・ドイツを始めとして)むしろ人類社会の大多数であること

(2)法制度史的観察からの反証
フランスや(母国からの分離独立を正当化し、他方、独立当時の諸州の権益と権限を連邦政府から守るために結果的にフランスと同型のフィクションを採用した)アメリカ合衆国においても、国民国家の成立の当初から(=国民国家の観念を基盤とする近代的意味の憲法の制定当初から)、実は、抽象的で均一なアトム的な人間観に親しい国民国家観とは異質なフランスの伝統や歴史や文化が、信教の自由とキリスト教の教義に化体した英国の伝統と文化が実質的意味の憲法規範としてあるいは形式的意味の憲法の具体的内容として作用してきたこと

(3)初期マルクスの告発
マルクスが、例えば、『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』『ドイツ・イデオロギー』で展開したように、均一なアトム化した個人間に作用する公平な社会規範の秩序としての国民国家(=近代的意味の憲法秩序)は、しかし、その規範命題の抽象性と公平性によっても(否! むしろその抽象性と公平性を梃子にして)階級支配と抑圧のシステムとなること;即ち、国民国家観は階級支配を促進せしめ国家自体の正当性を掘り崩すこと

(4)オルターナティブの存在
生身の人間と疎遠な、抽象的存在たる国家の権力行使の正当化は「普遍的」なる個人の尊厳によらずとも、民族の伝統や歴史からも十分に根拠づけられること;(3)のマルクスによる近代憲法批判を考慮すれば、むしろ、フランス製の国家観-憲法観よりも民族の伝統や歴史から国家(=憲法秩序)を正当化する方が優れていること


・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/8368315.html

・人権を守る運動は左翼の縄張りか? 保守主義からの人権論構築の試み
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/2199613.html

・政治と社会を考えるための用語集(2) 憲法
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/858520.html

・愛国心教育などは愛されるに値する国になってから言いなさい?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/34879785.html

・立憲主義と憲法の関係☆憲法は国家を縛る「箍」である?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/33625866.html


最後の(4)に関しては、民族の伝統や歴史から国家を正当化するフィクションも非合理な契機によって階級支配を隠蔽する点では国民国家論と大差ないという批判が寄せられるかもしれない。その通りだ。私もそう思う。


(2006年6月10日:yahoo版にアップロード)



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