憲法無効論の頑冥不霊と無用の用

sajyonorokaku


日本国憲法は無効だと唱える人達が存在しているらしい。サンフランシスコ平和条約が締結され日本がその独立と主権を回復した60年前のことではなく、平成の御世、21世紀の今の話です。もちろん、「法概念論-法学方法論」というアカデミックな観点からは憲法無効論など到底成り立つものではなく、実際、憲法・法哲学・国際法というこのイシュー「日本国憲法成立の法的な説明」に関わる専門研究者で憲法無効論を支持する論者は皆無であり、正直な所、誰も相手にしていない。しかし、「日本が国家主権を喪失していた占領下、かつ、占領軍による立法を制限したハーグ条約に反して制定された日本国憲法は無効である」「日本国憲法は憲法としては無効であるが、大日本帝国憲法に定める講和大権に基づく講和条約として、講和大権が許容する範囲内で有効である」等々と唱える論者が存在していることは事実なのです。

本稿はこれら憲法無効論の中で特にその論者が「新無効論」と自称している主張を俎上に載せるものです。すなわち、渡部昇一・南出喜久治『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社・2007年4月)、南出喜久治『占領憲法の正體』(国書刊行会・2009年3月)で展開されている主張に「法概念論-法学方法論」の視座から検討を試みること。これが本稿の獲得目標になります。

井上茂先生が喝破されたように、「自然法が存在するかどうかと自然法思想が存在したことは別の問題」であるのと同様「日本国憲法が無効であるかどうかと憲法無効論が存在することは別の問題」なのでしょう。ならば、いかにそれが法学的には荒唐無稽であるにせよ、憲法無効論の頑冥不霊を俎上に載せることで、憲法無効論なる妄想を生み出した現下のこの社会における、憲法を巡る(すなわち、形式的意味の憲法たる「憲法典」と実質的意味の憲法たる「憲法慣習および憲法の事物の本性」によって編み上げられた規範体系を巡る)国民の法意識の位相をよりリアルに理解することができる、鴨。そう私は考えるのです。尚、このイシューに関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。

・憲法無効論は不毛ではないが無効である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57820628.html

・憲法と常識(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58258370.html

・護憲派による自殺点☆愛敬浩二『改憲問題』(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/34986878.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57964889.html

・法哲学の入門書紹介 でも、少し古いよ(笑)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/136992.html


■憲法無効論の荒唐無稽
憲法無効論が成り立たない理由はシンプル。無効理由として憲法無効論が掲げる諸々の事項が事実であるとしても、それらはいずれも日本国憲法を<憲法>として無効であるとする法的な根拠にはならないこと。要は、日本国憲法の成立過程で、実際に大日本帝国憲法の改正条項や当時の国際法に違反する数多の事態が惹起したとしても、それらの「違反の事実」は「無効の理由」ではないということです。敷衍します(尚、以下、原則、日本国憲法を「現行憲法」、大日本帝国憲法を「旧憲法」と表記します)。

著者自らが「新無効論としては初めての体系的概説書」(p.4;但し、旧字表記は新字表記に改めました)とする『占領憲法の正體』には、改正限界超越による無効、占領軍による立法を制約した「陸戦ノ法規慣例ニ関スルハーグ条約」違反、旧憲法75条「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」違反、ポツダム宣言における憲法改正義務の不存在、旧憲法73条1項に定める憲法改正発議大権の侵害、GHQプレスコードによる検閲等「政治的意志形成の瑕疵」、憲法改正案を審議した第90回帝国議会におけるGHQの赤裸々な圧力によって審議手続に重大な瑕疵がある等々、日本国憲法の無効理由として13項目が列挙されています(ibid., 第2章, pp.46-89)。而して、この中の11番目、日本国憲法の「憲法としての妥当性と実効性の不存在」に関しては、法の妥当性と実効性、すなわち、「法の効力」という言葉の意味は(南出氏が参照している尾高朝雄先生が使用されている意味とは異なっており)妥当ではないと思いますが、他の12項目に関しては、おおよそその指摘する事実は認めてよいと思います(「法の効力根拠」に関しては下記拙稿の註をご参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(八)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58952796.html

畢竟、憲法無効論の難点は、(例えば、平成7年(1995年)に公開された衆議院憲法改正委員会小委員会の議事録を紐解けば、第90回帝国議会の憲法改正案審議に対してはGHQからあからさまな圧力が加えられたことは明らかである等)それら12項目の無効理由に言及されている事実が存在したとしても、それらの事実から日本国憲法が無効であることは演繹されないことです。

要は、(例えば、刑法199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」、また、民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」等々、あらゆる法規範がそのような形態を取るかその形態の一要素として機能している、「これこれの行為が行われた場合には/これこれの事態が惹起した場合には→これこれの法的な帰結の実現を国家が強制(支援)する」という法規範の存在形態に従い)「これこれの事態が惹起した場合には、その法規は憲法としては無効である」という、憲法を無効にするようなある法規範を前提にするとき、憲法無効論は、前段の「これこれの事態が惹起した」ことの論証には一部成功しているかもしれないが、後段の「その法規は憲法としては無効である」と言うための根拠を欠いているということです。

一般の用語法に従い、この前段を「法的要件」、後段を「法的効果」と呼ぶならば、憲法無効論は法的効果を欠いた法的要件によってのみ構成されている。よって、現行の日本国憲法の成立時の怪しげな事情を暴露して、その正統性・正当性のいかがわしさを指摘するという政治的・ジャーナリスティックな主張としてならいざ知らず、日本国憲法の無効を主張する法理論としては、憲法無効論は「砂上の楼閣」の類にすぎない。と、そう言えると思います。

確かに、憲法の下位法に関しては(例えば、現行国憲法56条が定める衆参両議院の定足数規定や59条1項「法律案は、この憲法に特別の定めのある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる」の規定に違反する立法行為等々)憲法に違反する法規は無効と言える。しかし、ある憲法改正の手続が前の憲法典の改正条項なり国際法なりに違反していたからといって、そこで新しく成立した憲法典が<憲法>として無効であるとは言えない。なぜならば、<憲法>とは国家の最高法規であり、当該の新しい憲法典が最高法規として機能している限り、国内法的には(まして国際法的には!)その憲法典を<憲法>として無効であると認定する規範は実定法の世界には存在しないから。すなわち、<憲法>の下位法たる諸法規の無効と「事実の世界と規範の世界を跨ぐ憲法」の無効とは「法概念論-法学方法論」からは全く別の位相にある問題なのです。



■憲法無効論の頑冥不霊
憲法無効論が挙げる諸々の無効理由なるものは次の4点に収斂するのだと思います。

(甲)現在でも旧憲法が現行の憲法である
(乙)日本国憲法は<憲法>としては無効であるが、旧憲法の講和大権(13条)に基づく条約としては有効である
(丙)現在の日本社会で日々繰り広げられている、天皇・安全保障・国会・内閣・司法・財政・地方自治・憲法改正、そして、国民の権利及び義務を巡る諸々の現実政治を律している<憲法>の枠組みには、旧憲法を中核にしながらも、旧憲法が容認する<条約としての日本国憲法>とその<条約としての日本国憲法>を基盤にして60年余りに亘って形成されてきた憲法慣習が含まれる
(丁)日本国憲法は<憲法>としてはその成立時から現在に至るまで無効なのだから、その改正条項(96条)などによらずとも、その<憲法>としての無効を国会等で公式に決議すれば、直ちに旧憲法の条項に直接基づいた政治が行なえるようになる、但し、条約としての日本国憲法下で形成蓄積されてきた法規や判例、行政実務は旧憲法を直接根拠とした新たな立法措置が行なわれるまでは今まで通りの効力を有する、と


蓋し、(甲)(乙)(丙)が成り立たないことは、前項の説明に加えて、旧憲法が法的効力を全く持っていないという社会学的観察からも自明でしょう。実際、法の妥当性に関しては「旧憲法が現在でも実定憲法であるべきだ」というのではなく「旧憲法が現在でも実定憲法である」と考えているのは、特に根拠はありませんが(笑)日本国民の0.01%には到底届かないかでしょうし、法の実効性については、立法・司法・行政の日々の運用実務において旧憲法が適用される例は皆無なのですから。

ならば、今でも旧憲法が<憲法>としての効力を持つ「実定憲法=現行憲法」であり、旧憲法の字句と異なる、国会とか裁判所の構成や運用は、条約としての日本国憲法とその条約としての日本国憲法の基盤の上で形成蓄積された憲法慣習にすぎないと主張したいのなら、その論者は、(憲法典条項の字句と抵触する「憲法慣習」の成立根拠を含む「憲法慣習」の概念規定と「憲法慣習」の有権的な認識者が誰であるかを説明すべきです。それができないのなら、そのような主張は憲法無効論の論者の頭の中のお花畑で見られた白昼夢でしかない。

蓋し、そのような「法概念論-法学方法論」の根拠を欠く議論が許されるのならば、「聖徳太子の十七条憲法が平成の御世においても現行憲法であり、十七条憲法の字句と異なる国会とか裁判所の構成や運用は憲法慣習にすぎない」とか「日本国憲法はマッカー元帥が日本国民に与えて下さったのだから、アメリカ合衆国憲法が日本の現行憲法なのであり、アメリカ合衆国憲法の条項と異なる国会とか裁判所の構成や運用は憲法慣習にすぎない」等々、誰もが任意の規範を<憲法>と見立てることが可能になると思います。

而して、(甲)(乙)(丙)が破綻している以上(丁)の議論もまた「砂上の楼閣」に他ならない。畢竟、憲法無効論の論者は、現在の日本社会において何が<憲法>としての効力を持つ規範であるかは、国民の法意識や国民の法的確信とは無関係に、旧憲法の改正条項や国際法の規範内容から、客観的一義的に演繹可能な如く主張しているけれど、その根拠はとなると結局彼等の「解釈」にすぎない。けれども、「現在でもなぜ旧憲法が<憲法>なのか」を旧憲法のテクストを越えたメタレベルで論証しなければ、すなわち、「法概念論-法学方法論」の地平で根拠づけない限り、旧憲法の法的効力を否定する論者にとってその解釈は単なる憲法無効論の論者の思いつきにすぎないのです。以下、敷衍します。

南出喜久治氏は、例えば、旧憲法の改正関連条項(73条及び75条)や講和大権条項(13条)、あるいは、旧憲法以前に制定された諸法規の旧憲法下における有効性を規定した条項(76条)、更には、無効な法規範が異なる法形式の規範としては有効になる(すなわち、無効な憲法改正手続によって「憲法典」として成立した日本国憲法が「講和条約」としては有効となる「無効規範の他形式への転換」があったとする)民法の「無効行為の転換」の理論等々をその「解釈」の根拠として挙げています(ibid., 第2章・第3章)。

・旧憲法75条
旧憲法75条の「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」の趣旨を南出氏は(『憲法義解』を援用しつつ)「摂政を置く期間を国家の「変局時」と認識してゐることにある」(ibid., p.58ff)とした上で、ならば「敗戦時は未曾有の国の変局時」であるから、なおさらその期間に憲法改正を行なうことは許されないとする。こう理解された旧憲法75条は(それがかなり異様な拡大解釈であることは置いておくとしても)旧憲法の憲法改正手続きに携わる人々に対する警鐘や訓示としてはあるいは意味を持つかもしれないが、実際に行なわれた改正手続を無効とする根拠では全くない。

実際、「敗戦時は未曾有の国の変局時だから旧憲法第75条の類推解釈により日本国憲法は無効」などという解釈が可能なら、「敗戦時は未曾有の国の変局時であり、旧憲法は国の最高法規ではなくなった。よって、日本国憲法への改正は新憲法の制定である」と考えることも可能でしょう。なぜならば、「日本国憲法への改正は新憲法の制定ではなくこれは旧憲法の改正であった、けれども、その改正行為は無効であり、旧憲法が今でも現行の憲法である」との主張の前提は「日本国憲法への改正=旧憲法の改正行為」という事実認識であり、この認識と「日本国憲法への改正=新憲法の制定」という事実認識に論理的な優劣の差はないからです。

・旧憲法76条
旧憲法と同じ憲法圏に属する、例えば、1831年のベルギー憲法138条「憲法施行の日から、憲法に違反するすべての法律、勅令、命令、規則およびその他の行為は、廃止される」を見れば明らかなように、そして、『憲法義解』を見ても、旧憲法76条「法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」は、単なる「経過規定」であり、旧憲法制定前の諸法規が旧憲法施行によっても一定の法的効力を持つことを定めたものです。すなわち、これまた<憲法>としては無効とされる日本国憲法を講和条約として有効とする根拠にはなりようがないものです。

・無効行為の転換
民法理論と判例実務で言う「無効行為の転換」とは、ある法律行為が、例えば、「地上権設定契約としてなした法律行為が地上権設定行為としては無効であるが賃貸借契約としては有効である」と裁判所たる裁判官が解釈した場合に初めて「転換」がなされるものです。この「無効行為の転換」の理論が、なぜに、<憲法>としては無効とされる日本国憲法を講和条約として有効とする説明の根拠になるのか私には全く理解不可能です。

畢竟、ある理論や条項をアナロジーとして使うのは論者の勝手だけれど、その「憲法解釈」に法的な効力を憑依させるためには、実定法上の根拠か、専門家コミュニティー内部で確立した法的慣習(その枢要な要素が「法概念論-法学方法論」の世界水準の蓄積です)による根拠づけが不可欠と考えます。而して、憲法無効論をサポートする「法概念論-法学方法論」は、「敗戦利得者」なるもので構成されているらしい日本の憲法・法哲学・国際法の研究者コミュニティーはもちろん、私が知る限り、世界の憲法・法哲学・国際法の研究者コミュニティーにおいても寡聞にして知りません。


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■憲法無効論が照射する憲法改正の憲法基礎論的意味
憲法無効論の致命傷は、国民の法意識や国民の法的確信などとは無関係に旧憲法が客観的に今でも現行憲法であるとするその認識です。蓋し、日本国民のほとんど100%が旧憲法を現行憲法とは思っていない現在、そんな旧憲法に「なんで我々は従わなければならないのか」という国民の問いにどう答えるのか、すなわち、<憲法>の効力根拠の説明が不可避になる。畢竟、旧憲法が現行の憲法の唯一の存在根拠である(旧憲法の手続規定に違反する法規はその名称が「憲法」であろうが<憲法>ではない)と主張したいのなら、そのような「国民の法意識と無関係に法的効力を持ちうる憲法」なるものの根拠、しかも、専門の研究者を納得させ得る根拠を提示すべきでしょう。

いずれにせよ、上述した尾高先生の言われる「法の効力」という言葉の曲解を見ても、また、例えば、「法実証主義」という言葉の理解を見ても、私は南出氏が「法概念論-法学方法論」のイロハさえ分かっているかどうか疑問です(この点に関しては、下記拙稿の註「法実証主義」を参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(九・完)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58953869.html

而して、この疑念は、宮澤俊義先生の議論、所謂「八月革命説」に関する南出氏の認識を見れば一層深まらざるを得ない。南出氏曰く、「八月革命説って言うけれど、主権がそもそもないのにどうして革命が起こるのか」(『日本国憲法無効宣言』p.58ff)、と。

蓋し、宮澤先生も、芦部信喜さん等のその後の通説も「憲法上からいへば、ひとつの革命だといはなくてはならぬ」(宮澤「日本国憲法誕生の法理」『憲法の原理』)、つまり、「法理論的には革命が起こったと考えなければ、旧憲法の改正条項を使いながらも、旧憲法と根本規範を異にする「新憲法-日本国憲法」が成立して現行の憲法として効力を持っている現実を説明できない」(要は、日本国憲法は旧憲法から正当化されえないし、逆に言えば、日本国憲法はそれが現行の憲法であることに関して旧憲法からの正当化など求めてはいない)と言っていることを南出氏は理解できていないらしい。而して、「GHQの完全軍事占領による支配秩序の下で、その秩序を破壊して行なわれる「革命」なるものがありえないことは、法理論においても歴史的事実においても当然です」(ibid., p.31)に至っては唖然とする他ありません。

畢竟、①現行の日本国憲法を成立させた手続が旧憲法や国際法に違反していない、あるいは、②現行憲法と旧憲法では憲法の基本原理に変更はない、更には、③現行の日本国憲法の成立過程においてGHQの強迫等は実質的になかったと言ってよいなどとは護憲派も改憲派も現在誰も考えていない。ならば、憲法無効論の主張は全く独り相撲と言うべきなのです。要は、護憲派も改憲派もその大部分は、第90回帝国議会の段階では、(単なる旧憲法の個々の条項ではなく、全法体系における旧憲法の<憲法>としての効力を鑑みるに)旧憲法は最早<憲法>としての効力を失っていたと考えているのです。

蓋し、日本の憲法学において将来の通説を代表すると見られる長谷部恭男さんが「現時点における日本国憲法の正当性と、その出生の正統性とは全く別の問題である」(『憲法学のフロンティア』1999年, p.105)と簡潔に記されている通り、憲法無効論と「八月革命説」や「日本国憲法成立の法的な説明」に関するその後の通説との違いは、後者が、現実に最高法規たる<憲法>として機能している日本国憲法の社会学的な現存と、他方、その成立の怪しげな事情を「法概念論-法学方法論」から整合的に説明しようとするものであるのに対して、前者は「影も形もない旧憲法」が実定憲法として現存すると強弁していることでしょう。

よって、通説に属する論者が、「最高法規としての日本国憲法の現存と日本国憲法のいかがわしい出自の間のジレンマ」を、例えば、民法の「追認」や「時効」等の観念を援用してなんとか平仄を合わせようとしているのを見て、憲法無効論の論者が、「通説が民法の観念を援用しているのだから、我々が「無効行為の転換」や「強迫による意思表示」等々の民法の観念を援用しても良いはずだ」と考えているとすればそれは間違いなのです。その径庭は甚だ大きいと言わなければならない。なぜならば、前者の援用は、現実の事態を説明するための方便であるのに対して、後者のする援用は自身の頭の中のお花畑に「空中に楼閣」を描くためのアイテムなのですから。

蓋し、<旧憲法の改正>としての日本国憲法の成立は、旧憲法の改正条項を新憲法制定のセレモニーの式次第、すなわち、儀式のアクセサリーに使った<新憲法の制定>だった。左右、保守とリベラルを問わずほぼ100%の憲法・法哲学・国際法の研究者はそう考えていると想像しますが、ならば、憲法無効論の論者が、所謂「護憲派」も所謂「改憲派」も、日本国憲法を現行の憲法と考える点では<護憲派>であると規定するのはある意味正しいでしょう。ただし、呼称の適否は置いておくとしても、<護憲派>と憲法無効論の論者の差は、世界水準の「法概念論-法学方法論」を踏まえた議論かそうではない妄想かの違いに収斂するのでしょうけれども(笑)。而して、実際の所、憲法無効論など左翼やリベラル派は金輪際相手にしないでしょうから、結局、憲法無効論なるものが獲得を目指す「支持者」のマーケットは保守派に限られる。ならば、憲法無効論の論者がその主張を支持しない保守派を「似非保守派」と規定して敵視しているかに見えるのも「マーケティング」の観点からは極自然な流れではないでしょうか(爆)。

ことほど左様に、占領下に作られた正統性が皆無で正当性も怪しい現行の日本国憲法を国民多数が忌避するのならば、現行憲法の改正条項などおかまいなしに新しく憲法を作ることは政治的に全然かまわない。而して、そこで制定された憲法は、前の日本国憲法からは正当化されないけれど国民の支持を得た立派な<憲法>なのであり、その新しい憲法典に基づき下位の法律が合法性を帯びることになる(尚、この点に関しては下記拙稿の註「事実と価値の交錯する特異点としての憲法」をご参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(七)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58949648.html

けれど、現行の日本国憲法を国民多数が嫌って新しい憲法を作ったからといって、旧憲法がゾンビのように生き返る(憲法無効論によれば、旧憲法が今でも現行憲法なのでしょうから、「控室から檜舞台に再登場する」でしょうか)ことはない。蓋し、国民の多数が旧憲法を復活させようと思うのであればそうなるのでしょうが、法論理的にはそれは「旧憲法の復活」ではなく「旧憲法と同一内容の新々憲法の制定」なのですから。畢竟、日本国憲法の有効無効と旧憲法の有効無効は論理必然的にリンクしているわけではないのです。

結論的に言えば、私は「憲法無効論は無効ではあるが不毛ではない」と考えています。それは、憲法無効論が、現行憲法の出自のいかがわしさを露にする利用価値があると考えるから(まして、専門研究者の誰からも相手にされない現状を見れば、憲法無効論の荒唐無稽な主張が世間の顰蹙を買って、改憲を目指す我々保守改革派にとっても何らかのイメージダウン的の弊害をもたらす蓋然性は少ないでしょうから)。ならば、憲法無効論は基本的には「放置プレー」するのがクレバーな対処ではいないか。憲法無効論には無用の用があるの、鴨。と、そう私は考えています。






(2009年12月10日:yahoo版にアップロード)

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