地方再生と日本再生を郷里で思う(下)

omutadaijyamachi


◆地方再生の鍵:教育と情報
現在、インターネットによって、一般に流通する情報にアクセスするコストと労力において地方都市も東京もニュヨークもそれほどの差はない。問題は、その情報を処理し理解するスキルをいかに獲得するかの方である。すなわち、一般に流通する情報ではなく、人間が直接に媒介することによってしか入手されない類の情報の偏在である。このスキルの獲得とこの種の情報の偏在において地方と東京では決定的な差異がある。

正直、大学院修士課程修了レヴェルの基礎的な専門知識があり、英語ができる(理想的には、英語以外のヨーロッパ語ももう1つできる)のであれば、少なくとも、社会科学や人文科学の領域では、情報の入手において東京に住んでいることの有利さはほとんどないと言ってよいだろう。そう、東京だって学問の本場の欧米から見れば「田舎」である。だから、そのような情報処理のスキルを既に身につけている者にとって、東京や京都と大牟田とにそう本質的な違いはない。けれど、この専門の基礎学力を地方だけで身につけることはやはりよほどの天才でない限り不可能に近い。地方再生の前提の一つは、よって、月並みではあるけれど「教育の充実」である。

加えて、情報を理解できるようになるだけでなく最先端のテーマについて語り合う仲間が存在しないという不利が地方にはある。畢竟、インフォメーションテクノロジーにおける革命は、一般的な情報に関しては地球上の総ての地点を均一にしたけれど、(メディアを情報伝達媒体と規定するならば)ネットでは入手できない情報に関する東京というメディアとそれ以外の地方都市というメディアとの間には際立った非対称性が存在している。ネットでは入手できないそのような情報は、生身の人間同士の相互討論というか全人格的な付き合いのプロセスの中でしか入手も流通もできないものと私は考えている。

而して、情報処理の基本的なスキルを身につけられる環境を整備することに加えて、地方再生の成否のもう一つ鍵は、この「ネットでは身につかない情報」をいかに地方都市が提供できるかどうかであろう。すなわち、道州制の推進を期すと同時に、教育の充実、および、全人格的なアナログ情報の提供をいかに豊かにしていくかが地方再生戦略の具体的な課題ではないだろうか。


◆心の旅@大牟田:思い出の旅
地方再生の方途と困難とに思い巡らせる帰省の日々。そんな帰省の一日。朝から自転車で宅急便を出しに行った。そのついでに自転車で大牟田の街をぶらついた。宅急便の集配所は私が卒業した小学校と目と鼻の先、また、通っていた幼稚園(★KABU註:この幼稚園は園児数の減少のため2006年3月に閉園した)もほとんど小学校に隣接しているから思い出辿りのツーリングだ。でも、実家から自転車で10分かからない。小学生の頃は遠く感じたのにね。

宅急便を出し幼稚園と小学校の校舎を眺めたら、自ずと自転車は通っていた中学校に向かう。20年以上前に取り壊された炭鉱会社の社宅跡地の横を過ぎ小川を15分程遡るとそこに私と寛子ちゃんの母校、大牟田市立甘木中学校がある。校庭は夏だった。人っ子一人いない校庭で、サッカーばかりしていた中学時代を懐古した。甘木中学は大牟田市の郊外の小さな山塊のはずれに建っている。眼下にはJR鹿児島本線と西鉄大牟田線を電車が気持ちよさげに往ったり来たり。大牟田駅に向かうJRの車列が小さくなっていく彼方にこれまた寛子ちゃんと私の母校福岡県立三池高校の体育館の赤い屋根が小さく見える。行くしかない。

JRの線路に沿って大牟田の市街方面へ15分。もう一つの母校に着く。校舎では夏休みの補修授業の真っ最中。2次関数の解と係数の関係とか、2重関係代名詞の訳し方とかやっているから1年生か。やっぱ、努力している若者の姿は好ましい。最近、東大・京大は言うまでもなく、九州大学の合格者数でさえ往時に比べ落ち込んでいるらしいから少し心配だったけれど、なんだ、ちゃんと頑張ってるじゃないか♪ 卒業式で君が代歌うだけでも大騒ぎする都立高校の、この正に同じ時間(徹夜で遊んだ帰りに)、渋谷や池袋で徒然なくたむろしている都立高校の生徒達とはえらい違いだよ。


◆心の旅@大牟田:書物の旅
夏期補習を頑張っている後輩を心の中で激励して母校を離れる。折角ここまできたら「帰省記念行事」をしようと思ったのだ。要は、郷里で帰省記念の書物を買うこと。大体、これ毎回実行している。

大牟田の衰退に合わせて書店の数も減った。また、書店の品揃えも淋しくなった。街一番の書店でも、正直、週刊誌・月刊誌、新書・文庫、若干の学習参考書以外ではほとんどマンガとエロ本とPC関連書籍しか置いていない。残念ながらね。

昔、私が大学に進学するために郷里を離れるころまでは、その店は理工学書や法律書を中心に福岡市や大阪・京都の大きな本屋と比べても(もちろん、理工・法学の中でも限られた分野ではあるのだけれど)、大学院修士課程程度の専門基本書の品揃えは遜色なかった。要は、三池炭鉱の閉山というか三井系企業の大牟田離れに従い、そのような専門書を必要とする層の人間が(オフィスの自分の書棚の飾りにせよ、必要とする人間が)この20年余りでこの街からいなくなったということだろう。

ところが、今回は事情が違った。数千台の駐車場スペースを持つアメリカの郊外型大ショッピングモールがなんと市街のど真ん中にできたのだ。できたのは3年くらい前らしいが今日はじめて行った。「ゆめタウン」という。もちろん、大型の書店も組み込まれている。また、私も寛子ちゃんも大好きなここいちばんの「CoCo壱番館カレーハウス」も「長崎ちゃんぽんのリンガーハット」も同じモール内にある。嬉しい♪ 

で、ゆめタウンの中の書店で帰省記念を物色する。ただ、仕方がないことだが専門書は限られていた。数冊求め、元大牟田で一番大きな老舗書肆にも行った(★KABU註:創業明治24年のこの書店は2006年の5月に閉店した)。大牟田を代表する古書肆にもね。これら2書肆では大牟田でしかなかなか入手できない書籍を探す。要は、大牟田や三池炭鉱、三井三池闘争関連の書籍やそれこそ大牟田の文化をかってリードしていた人々(?)が古書店に残した書物のこと。向坂逸郎先生の著作やマルクス主義からの言語政策とか面白い英書も数年前にこの古書肆で求めたことがある。結局、今回の帰省の記念品は以下の5冊。

大城美知信・新藤東洋男『わたしたちのまち三池・大牟田の歴史』(古雅書店・1983年6月6)、中川雅子『見知らぬわが町 1995年真夏の廃坑』(葦書房・1996年5月)、鶴見俊輔編集『戦後日本思想大系 4 平和の思想』(筑摩書房・1968年10月)。これらは、大牟田でなければなかなか入手できないものだろう。

鶴見さん編集のものは、「核廃絶こそ正しくもあり実現可能でもある安全保障戦略」という、大東亜戦争後の観念的平和論や核兵器絶対否定論という妄想が最も活き活きとしていた頃の論説をまとめたもの。これは貴重だ。流石に、3冊100円のワゴンでは売ってなく800円した。他の2冊は大牟田関連図書。『三池・大牟田の歴史』を出版している古雅書店こそ大牟田を代用する古書肆であり『平和の思想』を購入した所。古雅書店は大牟田唯一のデパート、松屋の隣に店を構えられている。今こそ「シャッターと通り」に埋没しているけれど、考えたらそこ大牟田全盛時代のばりばりの市街1等地だよ(★KABU註:大牟田出身者の誇り、松屋デパートも2004年の7月に完全に倒産し廃業した)。

中川さんの著作は、三池炭鉱が多くの囚人労働者を使っていた、ということは彼等囚人の血と涙の上に東洋一の石炭炭鉱の盛名を三池炭鉱が獲得したことを素朴な視点から辿った作品だ。うん、著者は1978年生まれだもんな。私が大牟田を出た年に大牟田というかこの世に生を受けられたのか。まあ、主義主張はともかく好感を持ったね。

『絶対評価の実践情報 2003年9月号』(明治図書・2003年8月)。仕事の参考資料。絶対評価論は、「ポートフォリオ」による継続的評価との組み合わせでもって教育界では一種、現在の「裸の王様」になりつつある。誰かが、絶対評価の幻想をキチント指摘しないといけないよな。その誰かを近々応援できるようになれればいいな。そう思って購入。

そして、服部武四郎・中城健雄『劇画教祖物語』(天理教道友社・1991年1月)。これは、私が日本の宗教者の中で今最も注目している<中山みき>の伝記マンガ。実は、今年の正月に老舗書肆の奥の棚でふとみかけて以来気になっていた。今日、棚の前に行ったら「こら遅いぞ。待ってたぞ」と本がニッコリ笑った気がしたのでしっかり購入。

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◆心の旅@大牟田:旅の終わりと始まり
書店めぐりを終えて実家に戻る。途中、大牟田の街角の景色をデジカメで撮影したので家に着いたのは、丁度、正午だった。3時間半のツーリング。良い自転車での散歩だったと思うけれど、ツーリングを終えた今、考えていることがある。それは、知識というか情報の入手経路と交換価値の変化;すなわち、情報や知識の入手が容易になり入手コストが低下したことが及ぼす私たちが住んでいる社会への影響についてである。

例えば、幼い『おしん』が教室の外から授業を聞くことを許された当時の小学校が持っていた(あるいは体現していた、)知識と世間の知識の落差、私が小学校に通っていた頃の落差、そして、現在の落差の変化を考えたのである。私が高校生の頃、その品揃えの豊富さを誇っていた大牟田の老舗書肆にあった専門書が含んでいた情報の量と質は田舎の高校生を圧倒し魅惑するのに充分だった。しかし、私が大学1年生の時に生まれた『見知らぬわが町 1995年真夏の廃坑』の著者が大学生になった6~7年前頃はどうだっただろう。

これは私の推測だけれど、おそらく、6~7年前の大牟田の高校生が東京や大阪で一番大きな書店に連れて行かれ、自分が専攻したいと思っている分野の専門書に接したとしても、彼女/彼がそれらの専門書に圧倒されることも魅惑されることもなかったと思う。

なぜ私はそう推測するのか。もちろん、それはこの20~25年の間に大牟田の高校生の学力(や日本の高校生の学力)が向上したからではない(笑)。また、25年前の第1級の専門書は学部や大学院修士課程修了程度の学生にとっては現在でも充分真剣に読むに値するに違いない。

何を言いたいのか。それは、25年から20年前に存在した専門書の情報水準とTVや新聞やネットを通して、あるいは、マンガや映画や喫茶店での会話の中で一般に見聞きできる情報の差が確実に狭まってきているのではないかということである。もちろん、これは表面的で形式的なことではあろう。でもね、昔から今に至るまで、本当に勉強する高校生も大学生も大学院生も全体の中では常に圧倒的に少数派だったのだ。なら、形式的にせよこの差異の縮小は一般の高校生の知識や情報に対する意識を確実に変容させたに違いないと私は考えるのである。このポイントは新百合ヶ丘に戻りしっかり考えてみたいと思っている。


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■郷里で考える地方再生と医師の育成


一昨日帰省した。福岡県大牟田市。この一言居士のKABUでさえ、郷里は懐かしいし郷里に帰ると素直になる。そんな気がする。街の空気を直接吸いたくていつも帰省の折には自転車で散歩(?)することにしているけれど、早速、高校の同級生を見かけた。東京で図書館の司書をされているI女史。職場では多分、<鬼のお局様>として院政を敷いておられるだろう彼女もごく普通の娘さんに変身して父君と歩いておられた。今年も残すところ今日を入れてあと2日、今夜は公私多忙&多難だった平成17年を酒王窓の梅と肥後焼酎六調子でもちびちび飲みながら反芻することにしようかな。

と、ブログ(Weblog)が日本語では「ウェブ日記」と訳されているからと言って、まさかこの「海馬の玄関BLOG」がとりとめもない「帰省素描」で終わるはずはない。実際、そんないい身分でもない。

私の帰省の第一の目的は80歳を超えた両親の介護である。実父のこととはいえ病歴・病状に関する情報は最高度にコンフィデンシャルなものであり、まして、ネットに上げるべきものではないだろうが;彼は8年前から人工透析が欠かせない身障者であり、同歳の母は有難いことにまだ健康とはいえ足腰と聴力の衰えが目立つ。日頃は老人の二人暮し。実母の介護疲れとなにより介護のストレスを年に何度かの帰省の折にケアできることは、しかし、幸せというべきだろう。

実父の病院通いに付き添ったり、(日頃は重たくてそうそう買えない)物品を母と一緒に郊外の量販店やショッピングモールに買出しに行ったりする中で、日頃は文句たらたらの日本の医療制度や年金制度に対して感謝する気持ちが自然と湧いてくる。介護保険制度についても同様であり;その介護保険の予算と介護マーケットを狙ったビジネス活動にすぎないとはいえ、介護疲れの母を日常的に支えていただいているコムスンの担当者の方には、遠方に住んでいて日頃は何もできない身としては感謝するしかない。

がゆえに、地元選出の某古賀代議士から届いていた「平成十八年度予算編成は、国家予算削減の厳しい中、国家の基本理念を左記の様に貫くことができ、大変うれしく思います。一、恩給年額 据え置き」という愚にもつかない年末の挨拶状を見たときには怒りを通り越して笑ってしまった。おいおい、(地元では皆知ってることだが、確かに違法ではないにしても)出店の口利きの見返りに高速道路の食堂・土産物店からピンはね紛いのことやってるサモシイお前さんが、そして、首相の靖国参拝に日本遺族会会長として反対して遺族会の中で総スカンを喰らったお前さんが、「国家の基本理念」なんぞの言葉を使うんじゃねぇ、それに毎度毎度、父の名前の漢字間違えるんじゃねぇ、と。そう感じた。

実は、一昨日の帰省の日の夕刻、救急車を呼んだ。父が血糖値低下により意識不明になったからだ。救急車が行動しやすいように狭い道路から各自の車を移動させてくださったご近所の方のチームプレー、大牟田消防署の緊急隊員の方の迅速適性な処置、そして、搬送された市民病院の久留米大学医学部出身の若い担当医と薬剤師の方のケアは感動ものだった。それは、機能美と人情味の結晶。結果、病院搬入から3時間足らずで帰宅できたのだけれど、父の治療中都度つどこの担当医からは、病状や原因、今後の生活のアドヴァイスを適切にインフォームしていただき、付き添いの我々家族は処置が終わるまでの時間を安心して過ごすことができた。要は、夕食を遅らして、飛行機が遅れて予定より帰着が1時間半以上遅くなった私を待っていたための血糖値低下ということだ。終わってみれば笑い話ではあるが、浄土真宗の箴言ではないけれど「親思う心にまさる親心」である。

某古賀代議士が年末の挨拶書の中で書かれたように、確かに、「国家の基本理念」は予算であり法律である。すなわち、予算化され法律化されない限り「国家の基本理念」などは存在しない。それは正しいと思う。ならば、自国の国防を他国任せにしないための防衛予算と有事法制、我が神州の一員であることを/神州の文化と伝統を継承する一員としてのプライドとアイデンティティーを子供達に持たせるための(そのような意識を持つ日本人が多数を占め取り仕切る社会で「日本市民」として生きていることを外国人とその子女に周知徹底させるための)教育予算と教育基本法改正、なにより、日本が平和を愛する独立国として(中韓朝の特定アジア諸国を除く)諸外国と協調する覚悟を内外に示すための憲法改正は「国家の基本理念」の顕現に他ならない。

記事の本論に入る。介護・年金・恩給・老人の医療保険の諸制度も、当然、「国家の基本理念」の顕現である。それは、大東亜戦争後の日本を再建した父祖の世代の生活のケアは社会全体で行うというシンプルな主張である。ニートなどの「いい身分」の社会の寄生虫とは異なり、現在の日本の政治と経済を確立した世代は、誰に遠慮することなくそのケアを社会に要求できるはずだ。と、世代を超えて多くの日本人は感じていると思う。そして、ぎりぎり団塊の世代をケアする財政的な余裕もまだこの社会は持っている。

問題はそれよりも若い世代への社会的ケアである。(私と寛子ちゃんの世代を含む50歳未満の)彼等への社会的ケアが財政的に厳しいことは(素人の私などが書くまでもなく)必至だろうが、それよりも、彼等への社会的ケアをどのような「国家の基本理念」から正当化し、またその「国家の基本理念」をどのように予算や法律の中で具現していくのか。その際、地方と東京との間の公平をどう保つのか。ある意味、これが小泉改革が本当に国民に問うている内容だと私は考える。

論議の戦線を縮小する。地方の衰退が続く中で、地方に住む高齢者の医療水準をいかに確保するか。それは、どのような「国家の基本理念」によって基礎づけられ、予算と法律によってどのようにインカーネートされるべきか。これは厚生経済学や社会政策論が総力で挑んでもクリアな解答をうることが難しい大問題であり、もちろん、この記事などで気の利いたコメントすることなどできない。

この大問題につき私の専門である<教育>に絞って一つだけ言及しておきたい。医学部入試において公平を保つことは社会の不公平を増大することであり、医学部入試においては(入試における)不公平を認めても社会の公平を維持するべきかという、やや浮世離れしたポイントについてである。

私のように広い意味の教育産業で勤めている者にとって3浪~4浪の医学部志望者は(大学全入時代の今でも)珍しくない。彼等は国公立の医学部志望者であり、大体、(トップクラスの学科を除けば)旧帝大の理工系であれば合格はほぼ間違いなく、その他地方の国公立大学の理工系の合格は確実という学力を持っているものの<医学部の壁>に長年弾き飛ばされている受験生である。

他方、私立の医科大学の中には地方の国公立大学の理工系の合格はほぼ間違いなという学力の受験生ならば(学費を支払える家庭の経済力を前提にした上でではあるけれど)確実に合格できる所も少なくい。だから、例えば、私が住んでいる神奈川県川崎市のフットサルの仲間内でも某聖マリアンヌ医科大学出身の医師は他の医師や大手メーカーの技術系研究者から「微積が解らないでも入学できる医科大学だよな。医師免許持ってる芸能人を養成する所だっけ」と揶揄される現状もある。これらはもちろん本気の嘲笑ではないが、しかし、がゆえにこそ(定着したイメージを論理で払拭することは困難だから)反論が難しいあまり美しくない揶揄である。閑話休題。

医師の養成を巡るこんな事柄はこの社会の常識だろう。ならば、センター試験(1月21日・22日)まで3週間余りとなった今、そんな社会の不条理や世間の嘲笑を自覚しつつも頑張っている(総ての)医学部志望の受験生の気合をそぐようなことをなぜわざわざ私は書くのか? それは、地方の私立医科大学の合格が金で買える(純粋な学力競争と比べれば金で買える、あるいは、家庭の経済力による不公平が存在する)という現実は、しかし、衰退する地方都市や過疎化がすすむ郡部における医療体制の維持、就中、老人医療サーヴィスの水準の維持というよりマクロ的な観点からはこの社会の公平を保っているものかもしれないと思うからである。

蓋し、医学部入試における一定程度の不公平を認めても社会全体の公平を維持すべきという主張も満更荒唐無稽ではないのではないか。現在の衰退した地方都市を眺める目には、また、「国家予算削減の厳しい中」医療サーヴィスに振り向けられる財政予算も減額されている(要は、医師自体がそうそう儲かる職業ではなくなりつつある)現在の「国家の基本理念」の顕現をみるにつけそう思う。

ならば、代々の家業を継ぐべく医師を目指し、而して、地方に根付いた医療サーヴィスに半生を捧げようといういう私立医科大学志望の若者の人生選択に対しては、「金で合格通知を買った」というような<妬み混じりの嘲笑&揶揄>ではなく<羨望&感謝を含んだ賞賛>が与えられてもしかるべきなのかもしれない。しかし、「国家予算削減の厳しい中」というよりも、人・物・金・情報・社会的ステータスの総てが東京一極集中する現状を鑑みるとき、家業として医師を目指す有意の若者に衰退と過疎化の著しい地方の医療制度の骨格部分を任せる現在の医師育成のシステムも自ずと限界に行き当たることは確実であろう。

では、社会の福祉と公平を維持するという「国家の基本理念」はどのような予算と法律によって具現されるべきなのか? 先述したようにこの問いはヘビーでありこの記事で出来合いの解答を提示する能力は私にはない。よって、本稿は問題提起というか問題の確認にすぎない(羊頭狗肉ではないにせよ竜頭蛇尾♪)。

とにもかくにも、職場の同僚の理解も得ての正月帰省。職場の同僚に感謝。御土産をいっぱい持たせてくれて気持ちよく送り出してくれた寛子ちゃんに有難う。そして、消防署の緊急隊員の方に感謝。久留米大学医学部出身の若いI医師に感謝。大牟田市民病院の薬剤師の方に感謝。日頃、父母が本当にお世話になっているコムスンの担当者の皆さんに感謝。某古賀誠代議士にNO!

このようなことをつらつらと考えている帰省である。尚、郷里大牟田の現状と地方再生に関しての私の基本的考えについては下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。

B29とバブルと地方の再生 

OMUTA, my Hometown
 


(2006年8月20日-2005年12月30日:yahoo版にアップロード)


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