<アーカイブ>古田武彦『「邪馬台国」はなかった』

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『「邪馬台国」はなかった』と言えば、戦後日本古代史の一つの奇蹟と言ってよいかもしれません。市井の一高校教師の著書が半世紀近く(安全に言っても間違いなく四半世紀以上)日本古代史を巡るアマチュアの議論に強い影響を及ぼしてきたのですから。

けれども、今回、『古田武彦・古代史コレクション』シリーズ発刊にあたって、その広告惹句に「なぜ四十年間も、古田理論は学界から無視されてきたのか」とあるように、それが最初に上梓された1970年代前半から、プロの古代史研究者はほぼ一貫して本書を相手にしてきませんでした。蓋し、それは当然のことではないか。そう私は考えています。何故か。それについては、以下、本書を俎上に載せた書評の自家記事転記と自家解題をご一読いただければ嬉しいです。



◆『「邪馬台国」はなかった』
 古田武彦(朝日新聞社・1971年11月/角川文庫・1977年10月)
 後に、朝日文庫に収録(1993年1月)そして、
 ミネルヴァ書房より『古田武彦・古代史コレクション』の一冊として刊行(2010年1月)

古田武彦氏は1971年に『「邪馬台国」はなかった』を朝日新聞から出版されました。一世を風靡した書物です。古田さん曰く、所謂「邪馬台国」が記述されている『三国志』には実はただの一箇所も「邪馬臺国」などとは書かれていない。すべて「邪馬壹国」である。現存する最古の『三国志』版である紹熙本の総ての文字を調べたが、臺を壹と書き間違ったような箇所はなかった。よって、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違いであろう、などはテクスト批判のルールを外れた見解である。それは、「やまたいこく」が「やまと=大和」と音が似ていることと相まって、現在に至る天皇家が3世紀前半にはすでに日本列島の過半を支配する勢力であったと主張する論者に好都合だから踏襲されてきたに過ぎないものである、と。

要は、古田さんに言わせれば、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違いであろという主張は、『三国志』の原典原文を無視するものであり、それは、「文献学的には確かにおかしいが。とにかく日本は古代より万世一系の天皇家がしろしめされていたはずだからして、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違ということでまあいいんじゃないかい」てな感じの議論にすぎない。而して、「邪馬壹国」を「邪馬臺国」の書き間違えと考える論者は、<証拠より論>を貴ぶような学者の風上にもおけない者たちではないか。彼等は、先学の安易な態度をこれまた惰性のマドロミの中で踏襲してきた者たちであると言えば言い過ぎであろうか、と古田さんは憤慨されたのです。

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しかし、学者の風上にも置けないのは古田武彦氏の方でしょう。これに関しては、井上光貞先生を始め幾人もの大家がコメントされ、また、古田武彦研究家(?)の安本美典さんは古田武彦氏の誤謬誘導の手口を完膚無きまでに解明し批判しておられます。「邪馬臺国」はなかった(あったのは「邪馬壹国」である。)という古田説への批判は次の通り。

3世紀に発行された『三国志』の原典など20-21世紀の現在この世に存在していない。現存するのはすべてその写本か写本の写本である(『三国志』の場合、版本ですけれど)。確かに、現存する『三国志』の最古の写本にも「邪馬臺国」という文字列はなく、そこに見られるのはすべて「邪馬壹国」の方である。この文献学的な事実を再確認された古田さんの(歴史愛好家に対する)教育的貢献は小さくないのかもしれない。

しかし、現存する『三国志』の最古の版は12世紀の南宋期のものであるに対して、原典原本の『三国志』が世に出てから現存する最古の版が出版されるまでの(3世紀から12世紀の)900年近くの期間に出回っていたであろう『三国志』(恐らく、複数の系統のものがあったと推定されますが、)を見て書かれたと推測される様々な書物にはすべて「邪馬壹国」ではなく「邪馬臺国」と記されている(例えば、『後漢書』425年前後成立、『隋書』636年、『通典』801年前後成立、『翰苑』大宰府天満宮所蔵版9世紀の写本と推定、『太平御覧』10世紀末に成立)。

テクストクリティークによる校訂作業(原典復元作業)とは、このような様々な異本や逸文から原典を復元していく作業に他ならないのであって、そして、テクストクリティークの常識からは3世紀末に最初に原典原本が編まれた当時の『三国志』には「邪馬臺国」と書かれていたと考えるのが自然である。これが古田説に対する現在の歴史学研究者の標準的な批判であり、古田説の土台を完全に崩壊させた指摘です。そして最早、歴史研究社のコミュニティーで「邪馬台国はなかったという」古田説を支持する論者は存在しないと思います。


要は、古田武彦氏はテクストクリティークという作業がインターテクストの広がりを持つということ、つまり、テクストクリティークの営みは単一のテキスト内部だけでなく様々なテクスト間の整合性と諸原典の復元の作業にまで及ぶということ。これら文献批判の最も基本的なことさえ古田氏は理解できていなかったということだと思います。よって、古田説は<アマチュアの知的遊戯の帰結>に過ぎなかった。

古田さんは『「邪馬台国」はなかった』に始まる古代史研究(?)以前にも、これまたアマチュアの親鸞研究家として幾つかの親鸞研究書を出版されています(例えば、『親鸞』清水書院)。これら親鸞研究は、顕微鏡による筆跡や紙質の比較検討を行う等の1970年前後の時期としては斬新な手法を導入したものとして、これまた少なからず話題になったものです。ある領域の専門家の手法を表面的に使うことはどうも古田さんの癖なのかもしれない。でもね、素人の生兵法は怪我のもとですよ。実際、古田さんは文献批判に統計学的分析を導入する「数理文献学の手法」を真似して、『「邪馬台国」はなかった』では大怪我をされたのですから。

畢竟、読み物としては、『「邪馬台国」はなかった』は面白い。確かに面白いです。けれども、それは歴史研究書ではない。断じてない。そう私は思っています。
    

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■自家記事解題
本書に対する批判は本編記事の通りですが、要は、①土台、神ならぬ身の人間が、原典原本がすべて喪失している状況下で、100%正しい原典復元などできるはずはないこと。而して、②他方逆に、では、どのような原典復元のための解釈も等価であり尊重されるべきかと言えば、断じてそうではない(要は、「誰も本当のことはわからない」という前提で、「では、どういう手続をとればより正しく原典復元ができるか」ということが「原典復元作業-原典復元解釈」のαでありωであるということ)。

畢竟、③専門家コミュニティー内部で容認される文献学的手法を運用した、かつ、数理統計学的な知見からも是認される通説と、文献学的手法を無視して、かつ、数理統計学的な知見からは毫も正当化され得ない古田氏の「邪馬台国はなかった」の主張は等価などではなく。④「古田理論が学界から四十年間も無視されてきた」のも、蓋し、当然のことである。と、そう私は考えています。

まして、「標本」と「母集団」の定義も無視した<全数調査>なるものが、統計学的には、憲法無効論なみの無駄で無意味な作業であることはいうまでもないことでしょう。すなわち、現存する『三国志』の全文を調査しても、(問題の、研究者が「邪馬臺国→邪馬壹国」の書き誤りと考えている箇所を除き)「臺→壹:台→壱」という書き間違いと思われるケースは一例もなく、よって、「邪馬臺国→邪馬壹国」という原文改定は決め手を書いている、と。この統計学的推論の場合、一体、『三国志』の全文は「母集団」なのでしょうか、それとも、「標本」なのでしょうか(笑)

蓋し、「原典現本の『三国志』が書写される過程で「臺→壹:台→壱」の書き誤りが起こったとは統計的に考えにくい」と古田氏は主張したいのでしょうから(999個の赤玉と1個の白玉が入っている皮袋から玉を取り出しては、元の皮袋に取り出した玉を戻して、それが赤であるか白であるかの回数を数える実験と同様)、古田氏の議論にとって現在存在する『三国志』内の「臺」「壹」の文字は「標本=赤玉や白玉:標本=サンプル」でしかないのです。ならば、ここで想定されている「母集団=皮袋:母集団=かって存在した『三国志』を含む『三国志』と同時代のテクストの総体」から見て、古田氏の全数調査などは、統計学的にほぼ何の意味もない作業である。と、そう言えると思います。

而して、この「標本」と「母集団」の定義も無視した<全数調査>なるもの滑稽さこそ、古田武彦研究家の安本美典さんが『「邪馬壱国」はなかった』(新人物往来社・1980年1月)以来、古田氏に投げかけている批判であり疑問なのですが、古田氏も古田ファンも、彼等の統計学風の推論が統計学からはサポートされないことをいまだに理解できていない。と、そんな節さえ感じます。ならば、これは、「現行憲法は無効だ」と唱えながら、法概念論と法学方法論の基礎的知見を欠如している憲法無効論に匹敵する噴飯ものの奇観なの、鴨。と、そう私は考えています。


・憲法無効論は不毛ではないが無効である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57820628.html

・憲法無効論の頑冥不霊と無用の用(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58998947.html








(2010年3月21日:yahoo版にアップロード)

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三國志に原典が無いのと同様に後世の史書に原典が無く写本しか無いのは条件が同じです。後世の史書にも写し間違いのケースはついて回るものなんで簡単に壹が臺の間違いと言うのは適切ではないと思います。後漢書の注釈を書いた唐の李賢(章懐太子)はこの違いについて、訛りであるという見解を残しています。それから、一言言わせていただきますが、学会が出している見解=正解とは限りません。よらば大樹という諺がありますが、学問でも同じですが、多数決が正解だとは限りませんよ。中世にキリスト教会から異端視されていたコペルニクスやガリレオが打ち出し続いた地動説が世界の定説になったのは何故でしょうか。既存の概念を打ち破った結果がこれですよ。
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