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<改訂版>漫画の話 お気に入りの作家を軸にマンガの可能性を考える(下)




◆パワーの舞台裏
諸星大二郎は名手である。例えば、『西遊妖猿伝』『諸怪志異』という大作はもとより、『碁娘伝』『マッドメン』『暗黒神話』等々。どれも素晴らしい。どの作品を取ってもストーリー展開と人物設定に対する諸星さんのこだわり(舞台裏での工夫と行き届いた配慮)が感じられる。修行と取材がシッカリしている作品は読んでいて清々しい。ポスト構造主義が日本で流行した時期以降の(1980年代半ばから1995年のオーム真理教地下鉄サリン事件に至る時期以降でもある)、宗教やエスニック、エロスやバイオレンスを扱うマンガの底の薄さに辟易している向きにはお薦めである。

宗教は摩訶不思議なものでは多分ない。それは人間の日常と現存在に非常に近しいものだと私は思う。だからこそ宗教は人類史の最初からあったし今もその存在感を保っているのだろう。ならば、読者の異文化趣味を満たすためや日常性をぶち壊す契機としてだけ宗教やエロスやバイオレンスを導入しても作品は空虚である。

簡単な話だ。エロ本ばかり連続して10冊読めますか? 私なら2冊も嫌だね。AVばかり3本続けて見られますか? 私は贔屓の女優さんのものでも飛ばし飛ばしで1本見るのがやっとだよ(★)。何故か? それらの切り口は非日常的で新鮮であっても(そうでない駄作中の駄作も少なくない!)、作品世界で遊ぶために必要な肝心な何かが欠けているから。それが作者の修行と取材であり、あるいは異文化理解の前提条件とか個人と組織の軋みを解決する条件とかのしち面倒くさいことを読者に気にさせない作品構成の技と配慮である。つまり、舞台裏の苦労を読者に悟らせない作品の完成度である。

★AVとは何か? AVを通して日本の今を考える
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/235068.html

どんな聖人君子も性欲を持ち、どんな朝日新聞的な平和主義者も自分自身が暴力でやられそうな場面では暴力には暴力で対抗するだろう。だから、エロスやバイオレンスは、日常性の背後に隠れている人間性や人生の現実をえぐり出す有効な切り口ではある。それは間違いない。しかし、作品のパワーの度合いは、日常-非日常を通じて具体的な行動の指針を読者に与えるパフォーマンスにかかっているのではないか。よって、人間性や人生についての整合的な全体像を再構築できているかどうかが名作と駄作を分かつ。私はそう考えている。そして、この再構築には際物趣味や異文化趣味だけでは不足なのだ。それらは斬るかもしれないが刈り取りはしないだろうから。

際物趣味や異文化趣味だけの作品は言葉の素直な意味で「児戯」、子供の遊びに等しい。例えば、インド哲学やチベット密教の論理を(それらを理解したりそれらと格闘したりすることもなく、)作品の舞台装置として導入しても、それは一番上手く行った場合でも、自分の世界観や日本社会の日常の風景を相対化する役割しか果さない。それは単なるお話。右から左に消費されて終わる消費財的な情報にすぎない。蓋し、異文化趣味や際物趣味を<見事な作品世界>に昇華するものこそ作者の力量であり配慮である。諸星大二郎や西岸良平、森雅之、岡崎二郎、川原泉はその点で素晴らしい。


moroboshidai.jpg



◆パワーの構図
諸星大二郎さんの作品の特徴。それは、小林よしのりさんの作品と対比すればよくわかる。例えば、『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』。労作である。ここにも豊富な「修行と取材」があり「技と配慮」が行き届いている。蓋し、諸星大二郎・森雅之・岡崎二郎さん達が、<見事な作品世界>をマンガで表現しているとするならば、小林さんの作品は<マンガという言語>で情報と思想を伝達する上質な作品と評すべきか。作風(=スタイル)が違うのだ。そして、スタイルが違えば作品が持つパワーのあり方も異なってくるだろう。

小林作品のスタイルは、そう、『美味しいんぼ』の雁屋哲さんと同じではある。あるいは、『マンガ 日本の歴史』『マンガ 日本経済入門』の作者としての石ノ森章太郎さんと同じである。小林さんを雁屋さんと比べるのは両者に迷惑な話だろうし、戦後最高のマンガ家の一人で多様なスタイルを駆使する石ノ森さんと小林さんをスタイルの面で対比するのはあまり意味がない。しかし、とにかく私は『戦争論2』183頁の台詞には感心させられた。我が意を得たりの感を持った。ここまでマンガは主張を伝え切れるツールなのか、と感動した。それを引用しておく。

戦後 社会党 朝日新聞 
テレビを含むサヨクマスコミがやってきたことで
歴史的評価に耐えるものは何一つなかったことは明らかである  
 
日本の左翼は現実に社会主義国家をつくる覚悟もなく
日本の体制の中に甘えて無責任な夢想を吐き散らしてきた

彼等は日本の体制の中で安定した生活をむさぼりながら
日本の安全を脅かす言動だけを一貫して取り続けた

そして今でも
彼らは「正義」の旗を振り
国への帰属心を薄めるよう主張し
19世紀的な「国家主権論」は時代遅れだ
21世紀は国民国家の枠がなくなっていくと唱えている

彼らは日本だけに
国民国家なんか終わりだとそそのかすのだが
そのことを中国やロシアや アメリカに向かって説くことはない
日本人にだけ「国を守る」意識を捨ててしまえと説くのだ



◆パワーの確認
諸星さんや岡崎さんの見事なマンガに比べて、マンガのような考え方しかできない人々が現在の日本には存在する。否、跳梁跋扈している。平等妄想と民主主義幻想に自己の思考をからめ取られた、戦後民主主義を信奉する彼等は自己中心的で独善的であるだけでなく、極めて観念的である。逆に言えば、観念的だからこそ自己中心的で独善的に振舞えるのだろう。

例えば、朝日新聞の読者の中には、「戦争や報復は憎しみの連鎖しかもたらさない」と説き、「戦争や武力行使は一般市民の犠牲をもたらすから絶対に許されない」と考えておられる方がまだ投書欄を見る限り少なくないようだ。確かに戦争は万能や完全な国際紛争解決の手段ではないが、さりとて、戦争が国際紛争を解決する効果的で公共的な手段であることも否定できない事実だろう(だからこそ、国連憲章もあるタイプの戦争を正当な国際紛争解決の手段として規定している)。

ならば、憎しみの連鎖を断ち、一人の市民の犠牲も出さないことを現実の国際紛争解決のシステムに要求するというのは、論者が勝手に設定した条件にすぎない。それは、極めて観念的な条件設定であり、現実の国際政治とはとりあえず何の関係もない主観的なチェックポイントである。おそらく、SFマンガでもこんな非現実的な設定を採用しはしない。実際、諸星大二郎『栞と紙魚子』シリーズはその設定の奇抜さや奇妙さを突き抜けて人間と社会に関するリアルなイメージを与えていると思うけれど、戦後民主主義者の語る安全保障政策はどこまでも空虚である。正に、「マンガのような考え方しかできない人々」と私が評した所以である。彼等には川原泉『ブレーメン』や諸星さんの諸作品を読んで反省してもらいたいものだ。



◆パワーの源泉としての作品の世界観
諸星大二郎と森雅之。森さんは諸星さんと違い短編専門の作家である。では、両者の短編集;諸星大二郎『自選短編集Ⅰ 汝、神になれ鬼になれ』『自選短編集Ⅱ 彼方より』と森雅之『夜と薔薇』『水の夢』『惑星物語』『散歩しながらうたう唄』『追伸』;の違いは何か。蓋し、諸星さんが、あたかも人間のDNAに書き込まれているかのごとき<人類史の記憶や痕跡>をストーリーの基盤に据えてドラマを描き出すのに対して、森さんは同じ普遍性でも、人がその生涯で巡りあうだろう小さな小さな、しかし、確実に存在する感動を繰り返し描き出そうとする。その違いだと私は考えている。

換言すれば、森雅之さんが日常の風景を題材にしながら神から預かった言葉を伝える預言者であるとするならば、諸星大二郎はSFの世界や異空間を描き切ることで太古の地球から現在のホモサピエンスとしての自分/この豊葦原瑞穂国の末裔たる自分に流れ込む<運命>を提示する予言者ではないか。けれども、森さんも諸星さんも共に人間性に普遍的なものに確実に触れている。だから、森雅之の短編はいつも清々しい。だから、諸星大二郎の作品はいつも懐かしい。そして、両者の作品はいつも温かい。

マンガは総合芸術である。世の国語指導者の中には「挿絵入りの書物は想像力がその挿絵に捕われるから抽象的な思考を持続していく能力養成には好ましくない。え、マンガ? マンガなんか論外です」、とおっしゃる方が今でもおられる。また、日本人ビジネスマンがマンガを電車の車中等の公共の場所で恥ずかしげもなく読んでいるのを「子供っぽい奴ら」と軽蔑しているアメリカやヨーロッパのビジネスマンも少なくない。まあ、国語の先生や外国人のエリートさんの言われることもわからんではないけどね。でも、マンガは<芸術>ですよ。それでも地球は廻っている、んです。

挿絵が想像力の翼をしぼませ畳んでしまうことは事実だろう。また、大の大人が電車の中で夢中で読んでしまう名作が毎週毎週発刊されているとも思わない。だけど私は言いたい。世の国語の先生方。今時の子供はマンガさえ読まんですよ。もっぱら、携帯メールです。豪の者になると友人と交換した(ゆえに、自分の知り合いが一人も写っていないことも少なくない)プリクラを貼った手帳をパラパラ眺めることを<読書>とほざいています。ならば、想像力の翼が畳まれるとしても、思考を持続する訓練としては、寧ろ、マンガを推奨してもよいくらいではないでしょうか。そして、想像力の翼を使える大人が自分の好みでマンガを堪能することは彼女/彼の自由です。そのような大人の鑑賞に堪えうる名作を日本は沢山持っています、と。


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◆パワーの源泉としての作者の世界観
岡崎二郎の作品は素敵だ。『アフター0』『大平面の小さな罪』『国立博物館物語』『時の添乗員』どの作品も秀逸。私の岡崎さんへの唯一の不満は作品が少ないことである。

岡崎さんの作品は本格的なSFである。自然科学の知識レヴェルの高さは恐らく日本のマンガ家の中でトップクラスではないだろうか。『コブラ』の寺沢武一や『Dr.スランプ』の鳥山さんのSF(?)は、現在の科学水準からイメージできる風景を舞台に選んだScientific Taleではあるが現在の科学理論から導き出される人類史や宇宙論を背景にしたドラマではない。科学的な知識において同時代の他のマンガ家から頭一つ抜けているという点では岡崎二郎は手塚治虫以来の存在だと思う。

しかし、岡崎さんの本当の特性はその生死観である。私はそう思う。それは仏教的な輪廻転生的な生死観であり、西岸良平さんと通底する点かもしれない(もちろん、岡崎さんと西岸さんの作品の印象はだいぶん違うけれども)。「岡崎」というペンネームからか、私は岡崎さんが「智慧第一の法然坊」と言われた京都は岡崎に縁のある法然上人に似ていると思っている。法然上人は岡崎さんのような方だったんじゃないかな。勝手にそう想像している。で、対する、西岸良平さんは一遍上人かね。

煎じ詰めれば作品は人である。それにしても、岡崎二郎さんにせよ森雅之さんにせよ、私が好きな作家の作品はマイナーだ。ほとんどの作品が絶版/品切れだよ。大人の鑑賞に堪えうる名作を日本の出版界はもっと大事にしてほしい。そうでなければマンガのパワーは可能性で終わるよ。と、そう私は考えています。






(2010年3月22日:yahoo版にアップロード)

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