「核なき世界」なるものを巡る日本と世界の同床異夢

nagasakiatomicbomb

今年、2010年8月6日、廣島の「平和祈念式典」に始めて米英仏の政府代表が出席しました。これに対して、これら核保有国の代表が式典に参列したことは、核兵器廃絶を訴えてきた<廣島の声>が世界に浸透してきたことの証左だと評価する意見がある一方、駐日米国大使には是非とも原爆投下に対する謝罪を口にして欲しかったという声もあるとか。蓋し、馬鹿げたことです。畢竟、アメリカの考える「核なき世界」なるものと<廣島の声>なるものは全くの別物である。本稿ではこのことを「戦争体験」という言葉を<補助線>にして考えてみたいと思います。

確かに、2009年4月5日のプラハ、アメリカのオバマ大統領は「核なき世界」の実現を世界に向かって呼びかけました。重要なことは、


(イ)オバマ政権が今年4月6日に発表した『核体制見直しのための報告書(NPR):Nuclear Posture Review』でも「核不拡散条約(NPT)の加盟国であり、かつ、NPT加盟国に課されている核不拡散の義務を承諾している国以外に対する(それが核保有国であろうとなかろうと)核兵器の先制使用」をアメリカは躊躇しないと明言していること。

(ロ)今年の2月1日に発表された「2011年度予算教書:会計年度=2010年10月~2011年9月」では、核兵器の削減と同時に、核兵器と核兵器運用設備の近代化、すなわち、核兵器使用の利便性の向上が謳われていること。つまり、核兵器削減は核兵器の近代化の裏面に他ならないこと。

(ハ)米国民の6割は「廣島・長崎への原爆投下は正しい判断だった」と考えていること。例えば、2009年8月4日にアメリカのキニピアック大学(Quinnipiac University)が発表した世論調査では61%、今年8月8日~9日に米世論調査会社ラスムセンが実施した調査では、59%の米国民が「原爆投下は良い決断だった」と考えているのです。蓋し、オバマ大統領といえども、「原爆投下によって日本の降服が早まり、連合国軍人のみならずより多くの日本人の命が救われた」とする米国社会マジョリティーの認識の枠内でしか「核なき世界」なるものへの道を構想することはできないのです。   


つまり、オバマ大統領の目指す「核なき世界」とは、核不拡散条約体制の原点への回帰に過ぎず、(潜在的核保有国であるイスラエルを含め)パキスタン・インド、そして、イラン・北朝鮮の核武装化によって空洞化しているNPT体制の再構築を大きく超えるものではないのです。

而して、そのオバマ大統領の<夢>さえ、米国民のマジョリティーからは全く相手にされていない。このことは、例えば、1995年、(廣島に原爆を投下した)エノラ・ゲイの機体の部分展示に併せて企画されたスミソニアン博物館の原爆展が世論の猛反発を受け中止に追い込まれ当時の館長が辞任に追い込まれたことを想起すれば誰しも思い半ばに過ぎるのではないでしょうか。実際、「廣島・長崎への原爆投下は間違いだった」と考える、よって、米国社会では誰からも相手にされていないある極左の論者は「オバマ政権とブッシュ前政権の軍事・外交政策の間には本質的な違いは存在していない」(Peter Kuznic アメリカン大学核問題研究所所長:『週刊金曜日』2010年8月6日号 p.27)と断言しています。


国際司法裁判所(ICJ)は1996年、「核兵器の使用は国際法違反」という勧告的意見を出しました。確かに(これが法的拘束力のない国際司法裁判所の「呟き」であることは置いておくとしても)、「文民=非戦闘員」と「軍人=戦闘員」の区別なく行なわれる無差別爆撃が国際法的に取りあえずは(違法性を阻却する事由が存在しないならば)違法であることは、「交戦者の定義と権利義務」を定めたハーグ陸戦条約、および、「戦時における文民の保護」を定めたジュネーブ諸条約第四条約、そして、現在は失効していますが空爆禁止宣言や結局未発効に終わった空戦に関する規則案を紐解くまでもなく自明でしょう。ならば、そもそも「民間人の大量殺傷」をその兵器の機能の本性とする(兵器の使用によってその結果が不可避的に惹起する)核兵器の使用も取りあえずは違法と言える。

けれども、例えば、空戦に関する規則案では、その22条で「非戦闘員等に対する爆撃の禁止」が謳われているものの、同じく24条では「敵兵力が強大であり、敵民間人を危険にさらしてもやむを得ない合理的な理由があれば、無差別爆撃も許される」と定められている等々、現代の総力戦においては、戦争勝利と自国により有利な戦後処理のためにそれが必要であると合理的に認められる限り、民間人に対する無差別爆撃、そして、核兵器の使用も国際法的に合法になる。重要なことはその必要性や合理性の有無を判断するのは、原則、戦争当事国、もっと率直に言えば戦争の勝者ということ。蓋し、将来行なわれるアメリカの核兵器使用の是非に国際司法裁判所が容喙することなどできるはずもないのです。

畢竟、世界における、少なくとも、アメリカにおける「核なき世界」とは、NPT体制の再構築以上でも以下でもない。ならば、それは「核兵器=not 必要悪 but 絶対悪」というアプリオリな思い込みの上に立つ<廣島の声=一切の核兵器の即時廃絶>とは似て非なるもの、否、全くの別物である。蓋し、「核なき世界」に関して日本と世界とは同床異夢の関係にある。よって、(被爆者への哀悼と憐憫の情を示すことはあるとしても)廣島・長崎に対する原爆投下を駐日米国大使が謝罪するなどは期待する方が間違っているのです。



◆「核なき世界」を巡る同床異夢と「戦争体験」

同床異夢はなぜ惹起したのか。別の視点から言えば、「核兵器=絶対悪」という妄想、あるいは、「被爆者を追悼する廣島と長崎の式典に出席する者は<廣島の声>に共感し、一切の核兵器の即時廃絶に同意しているはずだ」という傲岸不遜な思い込みはなぜかくも広範にこの国で流布するようになったのか。蓋し、それらの現象は、「戦争体験」というこれまた極めて空疎な言辞がこの社会で流布している現象と通底している。私はそう考えています。

いずれにせよ、私は「戦争体験」という言辞に些か違和を覚える。すなわち、

(甲)「戦争体験」は空疎な言辞

「戦争体験」なるものは「空襲体験」「疎開体験」「徴兵体験」「部隊内での虐め体験」「戦闘体験」「占領地での軍政体験」「戦友の埋葬体験」「飢えとマラリア体験」「捕虜体験」「引き上げ体験」等々の個別の体験やそれらの束にすぎず、例えば、「勤労体験」や「体験学習」という言葉で示唆される「チームの一員としてする労働」や「実地訓練を通して学習されるべきsomething」を「戦争体験」の「戦争」は持っていない。要は、「戦争体験」は指示対象を欠く無意味な言葉なのではないでしょうか。

(乙)「戦争体験」を巡る言語行為は不健康
「戦争体験」を巡ってそこで語られ聞かれる<体験>は、悲惨・残酷、不条理・非合理、不正義で人倫に悖る諸々の体験に限定される節がある。就中、「戦前の日本=絶対悪」「戦争は二度としてはならない」という主張と親和性のある<ネガティブな体験>が喜ばれるの、鴨。

(丙)「戦争体験」を巡る言語行為を操る論者の態度は独善的
現在のこの社会には「戦争体験」なるものに誰しも関心を持つべきだという雰囲気が漂っているように思います。誰もが(「戦前の日本=絶対悪」「戦争は二度としてはならない」という世界観と親和性の高い、悲惨で残酷で人倫に悖る)「戦争体験」なるものに関心を持ち、平和を願い、二度と日本が戦争をすることがないように国民各自が国家権力を監視していかねばならない、と。    

上記(甲)の「戦争体験」という言葉の空虚さについては説明の必要はないでしょう。而して、「戦争体験」自体は世界的に見ればそう特殊な体験ではないこと、そして、(丙)「戦争体験」なるものを語る論者の独善性については下記拙稿をご一読いただきたいと思います。以下(乙)の敷衍。蓋し、現在のこの社会で人口に膾炙している、就中、マスメディアの報道の中で俎上に載せられる「戦争体験」なるものは不健康で片手落ちのものではないか。

・退屈な戦争体験
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11142107293.html


「戦争体験」を巡る言語行為は不健康。蓋し、

①占領地で素晴らしい軍政を敷き現地の人々に喜ばれたとか、②高額の手当てでお金持ちになった所謂「従軍慰安婦」の方に借金してしまい立場が弱くなったけれど、それからも彼女のサービスのクオリティーが落ちることはなく「売春婦とはいえ流石プロの仕事振りは立派なものだ」と感銘を受けたとか、あるいは、③日本の敗色が濃厚になる中、大隊規模ではあるけれど乾坤一擲の作戦が図に当たり勝利を収め、後々、捕虜収容所でも「貴官があのときの指揮官ですか。敵ながらあれは見事な作戦でした」と米軍の将兵からも尊敬を受けたとか、④都会育ちの子が新潟の山村に疎開し、生まれて始めて農作業を体験して楽しかった等々  


「戦前の日本=誇りうる母国」という主張に通底する、愉快・合理的・人倫にかなった<ポジティブな体験>は「戦争体験」から排除されているように感じるのです。

大東亜戦争に日本が敗れた以上、もちろん、「戦争体験」なるものには悲惨で人倫に悖る事柄も沢山あるでしょう。また、ある論者が「戦前の日本=絶対悪」「戦争は二度としてはならない」と思うのは論者の勝手でもある。けれども、彼等の世界観や彼等が好ましいと感じる<ネガティブな体験>だけが「戦争体験」ではないことも明らか。ならば、もし、彼等が「戦争体験」という言葉で「戦前の日本=誇りうる母国」「国を守るためにそれが必要ならば戦争を日本は躊躇すべきではない」という世界観と親しい<ポジティブな体験>を排除できると考えているとすれば、その論者の態度は独善的であり、その言語行為は不健康なものであろうと思います。而して、「戦争体験」を巡るそのような独善的態度は<廣島の声>と共鳴しているのではないでしょうか。

蓋し、<廣島の声>とは、「戦争は二度と起こしてはならない」という論者の思い込みを赤の他人も無条件に受け入れるべきだとする傲岸不遜な態度の発露であろうと思います。而して、それは、(領土や国民の生存権を巡る紛争という)あるタイプの国際紛争に関しては現在でも最も効率の良い、否、唯一の紛争解決手段である戦争のポジティブな側面を看過する不健康で空疎な言語行為を身に纏った主張にすぎない。1945年8月9日、満州では怒涛の如きソ連軍が日本の民間人に襲い掛かった日、有明海を隔てて長崎原爆のキノコ雲を見た母を持つ私は、また、廣島の平和記念資料館を訪れる度に「唯一の被爆国たる日本は世界で最も核武装する権利が、少なくとも、道義的権利がある」と確信する私はそう考えます。

尚、戦争のポジティブな側面と日本の核武装に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・妄想平和主義の基底☆戦争は人為か自然か?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c187dd58fb5747c0f767685c241e0f2b
 
・「佐藤首相は米国に対支那核攻撃の準備を要請」
 ☆核兵器の物神性から自己を解放して日本は可及的速やかに核武装に着手せよ
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ea1566cafe61a2a162194a06568ee847

・「二重被爆が示すむごさ-広島と長崎」☆逆立ちした反核運動を教唆する朝日新聞社説
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-18.html

 





(2010年8月15日:yahoo版にアップロード)

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