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刺青慕情-<伝統>の伝播と盛衰を考えるための覚書




先日、台湾在住のブログ友がアップされた記事(↓)に目が留まりました。ある画像が紹介されていたから。刺青の画像。而して、それらは、例えば、現在の浅草の一流の彫師の作品に比べて遜色がないだけでなく、オリジナリティーを感じさせるもの。蓋し、これは「文化の伝播と盛衰」というテーマを考える絶好の素材ではないか。ブログ友の記事を読んでそう直感しました。

・面白「看板」・・@@!?
 http://blogs.yahoo.co.jp/tackeykan/33932498.html


KABUは、昔、神田と浅草のお祭に長らく参加していたこともあり、要は、KABUが事務局長を務めていた、あるお神輿の同好会には刺青を背負ったメンバーも稀ではなく、よって、刺青の目利きもそこそこできるのですが、蓋し、台湾のこの作品は見事。韓国の作品と同様、ジャパニーズ・スタイルでありながら、韓国とは異なりその作品はクリエーティブだと思います。

19世紀末以降現在に至るまで、韓国の刺青も台湾の刺青も日本の強い影響を受けている。このことはそのマニア筋には良く知られている定説でしょう。而して、一般的に、ドイツではゲストをおもてなしする際の最高のフルコースメニューが「フレンチ」であるのと同様、韓国では最高級の刺青は、日本人の高名な彫師を韓国に招いて制作させた作品とか。しかし、台湾は違う。台湾ではジャパニーズ・スタイルでありながらも強烈に<台湾>を感じさせるホットでクールな作品を地元の彫師が制作している。ブログ友の記事の画像を契機に調べてみるとどうもそう言わざるを得ない。では、なぜそんな現象が起こっているのか。卑弥呼の出てくるあのテクストがヒントになる、鴨。

所謂『魏志倭人伝』に曰く、

男子無大小皆黥面文身。・・・夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以為飾。・・・計其道里、當在會稽、東治之東。

男性は長幼の別無く、顔と身体に刺青を施している。・・・夏王朝の第六代皇帝少康の庶子が会稽に封じられ、蛟龍の被害を避けるため、短髪にして身体に刺青をした。今の倭の海人は水に潜って上手に魚や蛤を採取する。身体の刺青は大魚や水鳥を厭うからである。後に装飾的文様となった。・・・その道程からすれば、倭は会稽の東冶の東にあたる。    



儒教文明が社会の骨の髄まで喰い込んでいた朝鮮半島と(要は、刺青が所詮社会の日陰者の身体装飾法であり、あるいは、犯罪者に焼き付けられるstigmaであった朝鮮半島と)、上に引用した『魏志倭人伝』の有名な叙述を読み返すまでもなく、刺青が、ある意味、普通の存在であった日本および台湾とでは「刺青=自分達の文化」という思いが格段に違うのでしょう。「会稽の東冶の東」とは、正に、現在の台湾のある位置なのですから(そうか! 邪馬台国は台湾にあった?)。いずれにせよ、日本と台湾には刺青に対する数千年かけて形成された慕情があるのかもしれません。

無視できないことは、調べれば調べるほど、刺青の文化が台湾では盛隆に向かいつつあるのに、日本では衰微に向かいつつあるらしいこと。台湾の隆盛の真偽の詮索は置いておくとしても、日本の衰微は、実は、日本の任侠系団体では「シノギ=business」に差し障りがある部署にいるメンバーには総本家から直々に「刺青禁止」の通達が出されているという噂も耳にしますし、なにより、サウナやプールや繁華街のキャバレーの入口に掲げられている「刺青をした方の入場お断り」の看板の存在を、あるいは、(彼や彼女の犯罪行為が一度発覚するやいなや)その芸能人が刺青をしている事実に対しても批判が浴びせ掛けられるこの社会の現実を想起していただければ誰しも否定できないのではないでしょうか。


tatto3.jpg


酒井法子さんの肩を持つ義理は全くないのですけれど、はっきりしていることは、未成年者に刺青を施す行為等を除けば、この日本の社会では、刺青を背負うことはなんら犯罪ではないということ。刑法学のタームで言えば、生命に危険が及ぶことのない「自傷行為-同意傷害」は犯罪では全然ないということ。更に、憲法学のタームで補足すれば(それが取りあえず他者に迷惑を与えるものではない以上)、刺青は「基本的人権の核心部分―自己決定権」の行使でさえあるということ。普通の言葉で敷衍すれば、要は、ピアスと刺青はパラレルということです。

加えて、例えば、「刺青判官=遠山金四郎」「刺青大臣=小泉進次郎代議士の曽祖父」という特異な存在を挙げるまでもなく、任侠系や神農系の方々だけでなく、否、極々最近までは、鳶職の人々は彼等よりも遥かに刺青を愛していて、そして、普通に背負っていた。要は、上でも触れたように、日本社会と日本人にとって刺青は普通の存在であったのであり、東京でも大阪でも、福岡でも仙台でもそれは極普通の銭湯の風景だった。と、そう私は考えています。

では、刺青はなぜこの社会では衰退しつつあるか。犯罪でもなく、基本的人権の最も本質的な価値の一斑でさえあるのに、なぜに、街のあちらこちらに「刺青をした方の入場お断り」という看板が当然のように掲げられているのでしょうか。これこそ人権侵害の最たるものではないのか。どうするんだ、アムネスティー・インターナショナル・ジャパン!

・刺青を巡る法的認識

①刺青は「自傷行為-同意傷害」であり犯罪ではない
②刺青は「基本的人権の核心部分=自己決定権」の行使そのものである   


而して、例えば、(未成年者に刺青を施すケースや他者に刺青を強要するケース以外でも)刺青を施す行為や刺青を背負う行為を一般的に禁止する立法が成立したとして、その合憲性の是非が憲法訴訟で争そわれる局面では、(イ)憲法訴訟の審査基準においては、刺青を禁止する法規に「違憲性の推定」が課され、他方、(ロ)合憲性の判定基準においては、所謂「明白かつ現在の危険」が見出されない限り、そのような一般的な刺青禁止法は違憲と判定されるものと思われます。閑話休題。
   

tatto2.jpg


これまたよく知られているように、現在、刺青を禁止する法規は日本の社会には存在しない。けれど(繰り返しますが、その本人が熱望したとしても未成年者に刺青を施す行為は条例等で違法とされるケースがあり、加えて、嫌がる本人に無理やり刺青を背負わせる行為は立派な傷害罪です!)、入浴施設と飲食施設を問わず、「刺青をしている方の入場お断り」の如き看板が堂々と街のあちらこちらに掲げられる等、なぜこの社会では刺青文化の担い手を萎えさせ、社会の表舞台から刺青の伝統と慣習を排除するような動向が許されているのか。

もちろんこれは言うまでもないでしょう。それは、刺青が刺青に止まらないから、と。子供でもあるまいに、誰しもそれは分かる。

・刺青を巡る記号論的認識

①刺青のディノテーションは「身体装飾」である
②刺青のコノテーションは「強面のメッセージ」である 


要は、任侠系や神農系の方々の刺青は「身体装飾」であると同時に、「強迫・恐喝・強要のツール」でもある、と。この社会を構成する人々の間ではそういう間主観性を帯びる認識が成立しているということです。

畢竟、「鳩」という単語が、表面的には鳥類に属するあの迷惑な鳥を意味しながらも、同時に、その裏面では平和の象徴とかなんとかと理解されているように、あるいは、「鳩山由紀夫」という単語が、表面的には前の首相経験者のあの人物を指しているのと同時に、その裏面では(かつ、世界的には)「ルーピーな人物」を示唆している場合、前者を「鳩」や「鳩山由紀夫」のディノテーション、そして、後者をそれらのコノテーションと呼びます。

而して、例えば、ある高校の校則違反の金髪や鼻ピアスがしばしばそうであるように、「刺青」のディノテーションは、肌に定着した物理的な文様であり身体装飾であるけれど、「刺青」のコノテーションは、世間に向けて発信された反社会的で強面のメッセージということ。    

だからこそ、刺青自体を禁止することは憲法論的に不可能であるにせよ(否! 憲法論的に不可能であるがゆえに)刺青の慣習や伝統が継承しづらい環境をこの社会は意図的に作ってきたのだと思うのです。

蓋し、江戸時代の町火消しが、燃えている家屋を鎮火するのではなく、燃えている家屋の周囲の「可燃物=他の家屋」を取り壊し取り除くことで火災の延焼を防止したのと現下のこの社会が行なっている刺青の封じ込めの手法は一脈通じるものがあるように思われる。而して、刺青文化的には江戸の町火消し衆の後身である鳶職の方々を(非任侠系と非神農系としては)ほとんど最後の担い手として、台湾の隆盛と裏腹に日本の刺青の文化は衰退していくのでしょうか。残るのは、文字通り、ファッションとしての「Tattoo」だけになるのでしょうか。


tatto4.jpg


しかし、『魏志倭人伝』の記録のように、あるいは、沖縄やアイヌの刺青文化が、おそらく、そうであったように、そして、鳶職の人々のそれがはっきりそうであったように、恒常的に変化する「生態学的社会構造=自然を媒介にした人と人とが取り結ぶ社会関係の総体」とこちらも恒常的に変化しつつ一体性を保ってきたからこそ、刺青は日本の文化であり続け、この社会にフッサール流の意味での「生きられてある伝統」を形成してきた。畢竟、それが日本の「生きられてある世界」と地続きである限り、よって、日本人を包摂する生態学的社会構造とリンクしている限り(たとえ、そのスタイルがアメリカン風やヨーロピアン調に変化しようとも、あるいは、道具がアメリカ製の電動針に変わろうと)その刺青作品は日本の伝統を構成する要素に他ならない。

ならば、おそらく逆もまた真なり。すなわち、その作品がジャパニーズ・スタイルの継承者としてつとに有名な、浅草の当代一流のある彫師の手になるものとしても、顧客である彼や彼女の生態学的社会構造と無縁なファッションとしての「Tattoo」は、最早、日本の文化や伝統ではなくなるのではないかということ。蓋し、ジャパニーズ・スタイルの刺青の<本場>は、近々、台湾に移るの、鴨。そして、この動向は、刺青だけでなく多くの日本の<伝統>に近い将来起きる運命なの、鴨。台湾在住のブログ友の記事であの画像を見た瞬間、残念ながら私はそういう衝撃にも似た予感を覚えました。


尚、私が言う「生態学的社会構造」ということの意味に関しては次の2拙稿。

・グローバル化の時代の保守主義
 ☆使用価値の<窓>から覗く生態学的社会構造
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59463433.html

・日本語と韓国語の距離☆保守主義と生態学的社会構造の連関性
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59190400.html

そして、フッサール流の意味での、「生きられてある世界」「間主観性」とによって編み上げられている<伝統>と、その<伝統>が変化する経緯に関しては下記拙稿とその続編をご参照いただければ嬉しいです。

・風景が<伝統>に分節される構図-靖国神社は日本の<伝統>か? 
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59836133.html





(2010年9月10日:yahoo版にアップロード)

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