戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速




日韓併合条約締結から100年。この社会では、しかし、「日韓併合条約はその当初から無効だった」などという妄想を喧伝する論者も少なくないようです。而して、「日韓併合条約の無効性が認識できない者は、無知か狭量か、いずれにせよ、歴史を見る眼か、または、道徳心か、あるいは、その両方が曇っているのだ」、と。それくらい言い出しかねない勢いで、彼等は国際法的に全く成り立たない独善的な議論をして毫も恥じ入る気配もないように見える。本稿では彼等のこの心性の構図を俎上に載せたいと思います。

日韓併合条約の法的性質に関して、例えば、和田春樹や高橋哲哉、または、戸塚悦朗や中塚明等の論者の<研究>など国際法的にはなんの価値もない。すなわち、日韓併合条約無効論が成立しないのは証拠の不足ではなく法的論拠の不在が主な理由ということ。つまり、

彼等がいかに日韓併合条約締結の事情や背景を精緻に調べて、1910年当時、その自由意思が全く認められない程、韓国が日本に抑圧されていたという事実を言挙げしようとも、「どのような事態が存在すれば、日韓併合条約は当初から無効だったと言えるのか」「そもそも条約が当初から無効であるということはどういうことなのか」という議論の根幹が不分明なままであれば、彼等の努力や主張は「笊で水を汲む」シューシュポスの神話的で無意味な行為でしかないのです。   

この点に関しては、実際、韓国側が招集したとされる国際会議でも、無効論の主張は欧米の国際法研究者からことごとく退けられており、また、現在の民主党政権でさえも「日韓併合条約は有効に成立した」と認めていることを鑑みれば、無効論の根拠の薄っぺらさといかがわしさは自明であろうと思います。閑話休題。

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◆世界標準としてのナショナリズム

グローバル化の昂進と轍を一にして、日本社会では新しいタイプの<ナショナリズム>が蔓延しつつある。と、戦後民主主義を信奉するリベラル派の論者はそう危惧しているのでしょうか。5年近く前の論稿ですが、逆に言えば、それだけ彼等の危惧を簡明直截に吐露していたとも言えるテクストがある。『世界』(2006年2月号 pp.104-111)掲載の中西新太郎「開花する「Jナショナリズム」 『嫌韓流』というテクストが映し出すもの」。同稿を導きの糸にしてリベラル派の心性を観察してみたいと思います。尚、現在では、すべての国のすべての政権は<ナショナリズム>をその基軸に据えざるを得ないことに関してはとりあえず下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・自民党<非勝利>の構図-保守主義とナショナリズムの交錯と乖離(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59722931.html

同稿は、何の根拠も示すことなく、『嫌韓流』を「あからさまな排外主義的言説」と断定し、それを歓迎した世間の動向を「ナショナルな言動がこれほど急に浸透するようになった」と看做している。正に、「あなた何様」ものの論稿。以下、引用します。


インターネットの世界から生まれたといえるコミック、山野車輪『嫌韓流』(晋遊舎)がベストセラーになったことに、「なぜ?」と疑問を抱く向きは多かろう。ただし、・・・なぜ青年層があからさまな排外主義的言説を支持するのか、なぜナショナルな言動がこれほど急に浸透するようになったのか・・・、等々、疑問の焦点は必ずしも定かではない。

そしておそらく、これらの漠とした疑問の底には、今日の青年層にたいする、その心情や振る舞いの「わからなさ」に対する不安と不満が潜んでいる。・・・つまり、戦後日本のナショナリズム感情とは異質で、それゆえに既存の批判が通用しないナショナリズムが広がっているのではないか、という危惧である。

『嫌韓流』・・・には、しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」などの既存の右派言論と異なる目新しい内容があるわけではない。したがって、・・・『嫌韓流』現象に固有の問題はそれでは浮かび上がって来ない。また、『嫌韓流』の読者ももっぱら若年層に限定してとらえることにも留保が必要であろう。マンガという表現形式が通用する読者層は四〇代まで及んでおり、少なくとも三〇代ホワイトカラーはすべて読者層に想定しうる。・・・

筆者の結論を予示的に述べておく。『嫌韓流』流行現象における「テクスト様式-解読様式」の全過程は表象のコロニアルな暴力を亢進させ、新たな性格を帯びた攻撃的ナショナリズムの出発を予兆している。このナショナリズムは、軍事大国化を遂げようとする現代日本の歴史的段階に見合うものであるとともに、後述するいくつかの位相を持った文化的自閉性の帰結でもある。(以上、引用終了)   


ポスト=モダンの衣装を纏った左翼流の文体には些か閉口させられましたが、その理路は曖昧ではない。
すなわち、


①『嫌韓流』流行現象の底には、グローバル化の進行の中で、かっての植民地支配国と被植民地国という歴史的に特殊で個性的な日韓の関係をも世界の他の国との関係の中のone of them と見る視点がある

②このような「クールな視点」からは、被害者である韓国の人々が感情的に日本の責任を言いつのる姿勢はそれだけで説得力の薄いものと感じられ、『嫌韓流』にビルトインされている「理性的日本」対「感情的韓国」という対比の構図は、言説の内容以前の段階で日本側の主張に説得力を付与する様式である

③この「ジャパン・クール」という姿勢は、かっての植民地支配に対して怒りを感じないではおられない、よって、クールにもシニカルにもなれない韓国の人々を見下す表象のコロニアルな暴力にほかならない

④『嫌韓流』流行現象の基底には、復古的なナショナリズムとはとりあえず異質な、グローバル化の時代の新たなナショナリズムの萌芽が看守できる。それは、中韓朝という特定アジアの国々と日本との歴史的に特殊な関係にあまり関心を示さない、「文化的自閉性の帰結たる」「軍事大国化を遂げようとする現代日本の歴史的段階に見合う攻撃的ナショナリズム」である、と。   


蓋し、③と④後段の「文化的自閉性の帰結」や「軍事大国化を遂げようとする現代日本の歴史的段階に見合う攻撃的ナショナリズム」なるものを除けば、私は同稿の認識はおおよそ妥当だと思います。

畢竟、韓国併合は国際法上なんら違法でも不当でもなく、また、特定アジア諸国を含む世界のすべての国との戦争処理も日本は(ナチスに責任を押し付けて戦後処理を糊塗したドイツとは違い)完全に終えている。ならば、現在、まして、戦後生まれの日本人が特定アジア諸国に対して謝罪すべきことなど皆無であり、更なる賠償の必要など毛頭ない。而して、かくの如く、特定アジア諸国を含む他国と確立した国際法と国際慣習に従い日本が付き合おうとするのは当然のことでしょう。   

要は、同稿が「ジャパン・クール」と呼んで批判している国際関係のパラダイムは、むしろ、世界のデファクトスタンダードなのです。ならば、「文化的自閉性」なる言辞は、むしろ、中華鍋じゃなかった中華主義を振り回す特定アジア諸国にこそ相応しいのではないでしょうか。

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◆戦後責任論の衰退とナショナリズムの再興

戦後責任論を切り口に、更に、リベラリズムの独善性を観察します。

高橋哲哉さんは、『戦後責任論』(講談社・1999年12月/講談社学術文庫・2005年4月)および『歴史/修正主義』(岩波書店・2001年1月)等の著書で精力的に(専ら日本の)戦争/戦後責任論を展開されている。而して、そのロジックは、例えば、家永三郎『戦争責任』(岩波書店・1985年7月/岩波現代文庫・2002年1月)等の、戦後第一世代の戦後責任論と比べればエレガント(尚、高橋戦後責任論に関しては下記拙稿をご参照いただければありがたいです)。    

・書評☆高橋哲哉『歴史/修正主義』
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59883244.html

これら新旧の戦後責任論は概略こう要約できるでしょう。

◎家永説:
「なぜ自分の生まれる前の、自分としては関知せず責任を負うよしもないこと思う行為に対して、恥ずかしさを覚え、それにふさわしい応対をしなければならないのか。それは、世代を異にしていても、同じ日本人としての連続性の上に生きている以上、自分に先行する世代の同胞の行為から生じた責任が自動的に相続されるからである」(前掲岩波現代文庫、p.338)、と。 
   

しかし、同書のどこにも「責任が自動的に相続される」根拠は示されてはいないのです。
蓋し、同書の理路は、「日本人は戦争責任がある」→「戦後生まれの日本人も日本である」→よって、「戦後生まれの日本人にも戦後責任がある」というもの。而して、この主張の是非は、初項の「日本人は戦争責任がある」の妥当性に帰着せざるを得ず、それは結局、「日本人」「戦争責任」の定義問題に収斂する。

ならば、小倉紀蔵さんの言葉を借りれば、その主張の根拠は「良識ある日本人なら戦後責任があると感じるのがあたり前である」という家永さんの信念にすぎないということになりましょう。尚、小倉さんの日韓関係認識には、例えば、「今後、韓国と敢えて疎遠になる」という日本の選択肢が意図的に除外されている等々の問題も見受けられますが、本稿の論点を考える上でも参考になります。ご興味のある方は下記拙稿をご一読ください。

・小倉紀蔵『歴史認識を乗り越える』の秀逸と失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/20460048.html



◎高橋説:
高橋さんのロジックは二重構造。すなわち、(A)戦争の悲惨を知ったことに発する(戦争被害者の声に応答する)倫理的な責任と、(B)法的に連続している日本国の一員としての法的な責任の結合が高橋戦後責任論の実体ということ。    


しかし、

(A)は高橋さんの美意識にのみその根拠があり、そのような美意識を共有しない論者に対しては家永責任論と同様、なんの説得力もない。

より滑稽なのが(B)。それは、「日本国民の法的規定性」を戦後責任の根拠と考えるのですが、そのような「法的に連続している日本国の一員としての法的な責任」なるものは、結局、日本の戦争処理が法的に完全に終了している以上無内容だからです。而して(B)に関して高橋さんは、「戦後生まれの日本人も責任を負っている。それが嫌なら、日本国のパスポートを返せ/日本国からの行政サーヴィスを受けようと思うな」と述べておられますが、これなどは振り込め詐欺の類の言説ではないかと思います。   
 

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蓋し、「Jナショナリズム」批判は、これら戦後責任論が共感を獲得できていたであろう、戦後民主主義を信奉する論者にとっての<古きよき時代>には一応の妥当性を帯びていたのかもしれません。しかし、歴史的に特殊な「固有名詞」の二国間関係を均一な「普通名詞」の二国間関係に移行させるグローバル化の昂進にともない、戦後責任論自体がその説得力を喪失してしまった現在、その崩壊した戦後責任論を基盤とした<ナショナリズム>批判には(例えば、『嫌韓流』を支持する読者にとっては)何の説得力もないのではないでしょうか。

而して、グローバル化の進行は誰も止めようがない以上、特定アジア諸国も、早晩、グローバル化とより親和性の高い国際関係の作法、すなわち、確立した国際法と国際慣習に従う行動様式と心性に、つまり、「ジャパン・クール」と類似の行動様式と心性に、漸次、移行せざるをえなくなるの、鴨。

ならば、再興しつつある、そのような世界標準の<ナショナリズム>に「Jナショナリズム」というレッテルを貼ることは、喩えれば、もうそこで買い物をすることは金輪際ない店から、「あなたは出入り禁止です」と言われたに等しい、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」類似の事態であろうと思います。




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(2010年9月20日:yahoo版にアップロード)

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