引退相撲迫る-朝青龍こそ<伝統>の正当な継承者である




今年の早春2010年2月4日に引退した、歴代3位の25回の優勝を誇る第68代横綱・朝青龍の引退相撲がいよいよ明日に迫りました。物心ついてからの記憶に残るすべての力士の中でも、北の湖と並んで私の最も贔屓の力士だった朝青龍の引退相撲。この現実を前にしては些か寂寥の感を禁じ得ません。

贔屓かどうかという個人的感慨は、天高く馬肥ゆる秋空にかざしたビールグラスとともにグット飲み干すことにして、しかし、朝青龍を巡っては、言葉の正確な意味での「英米流の保守主義」を奉ずる者として、私は、ある種、忸怩たる思いを否定できません。すなわち、「朝青龍の引退」という現実は、日本のこの社会が<伝統>を再構築し続けていく<文化の生命力>を漸次喪失させつつあることの証なのではないか、と。蓋し、

朝青龍こそ<伝統継承>というものの体現者


だったのであり、その朝青龍に、本人も不本意な形で、「引退勧告=厄介払い」したことは、日本の相撲界のみならずこの社会の劣化の兆表。すなわち、異質な存在を受け止める余力を相撲界と日本社会が枯渇させているだけではなく、そもそも、「文化の恒常的な再構築の営み」に他ならない<伝統>を継承するこの社会の機能自体が制度疲労に陥っていることの証左ではないか。そう私は危惧するということです。

ならば、この9月27日に30歳になったばかりの青年横綱、モンゴル国籍のドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ氏を日本は厄介払いしたのではなく、寧ろ、横綱朝青龍に日本の相撲界と日本の社会は愛想を尽かされ見捨てられたの、鴨。



<伝統>の基盤は由来の古さ正しさではない!
<伝統>の基盤は「尊重に値する慣習」という社会的共了解である!   


畢竟、「歌舞伎」や「茶の湯」、「伊勢神宮」や「出雲大社」が<伝統>であるのと同様、「天皇制」も「靖国神社」も、否、「カレーライス」も「女子校生のセーラー服姿」も、「甲子園の高校野球」も「鯨の竜田揚げ」も<伝統>でありましょう。すなわち、物事や制度はその縁が古いことによって<伝統>になるのではない。蓋し、ある物事や制度が、「尊重されるべき慣習」としてある社会を構成するメンバーに確信されるとき、要は、「尊重されるべき慣習」であるとの間主観的な了解がその社会で形成されて初めてある物事や制度は<伝統>としての価値を帯び、かつ、<伝統>としての規範的拘束力をその社会の構成メンバーに対して持ちうるのだと思います。

而して、<伝統>とは(20世紀半ば、分析哲学が完膚なきまでにそれらを粉砕した如く)、ヘーゲルやマルクス、水戸学や平田神道の独善的で教条主義的な社会思想が前提としていたようなある特定の内容を孕みながら普遍的に成立する「実体概念」などではあり得ないのです。要は、それはアプリオリに存立する実体ではない。よって、<伝統>に憑依する「間主観性」もまた、フッサール流に言えば、「<私>が了解する限りの、<我々>が抱く間主観性でしかない」のです。すなわち、<伝統>とは、「生きられてある生活世界」の中の存在であり、同時に、それは「尊重されるべき慣習」でもある物事や制度によって編み上げられている<物語>に他ならない。尚、<伝統>を巡るこの現象学的な経緯、および、<伝統>と「保守主義」との関連については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59836133.html

・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59891781.html

・グローバル化の時代の保守主義
 ☆使用価値の<窓>から覗く生態学的社会構造
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59596608.html


ことほど左様に、<伝統>とは、万物が流転する変転極まりない「生活世界」の中で、恒常的に再構築されて始めて<伝統>としての神通力、すなわち、「慣習として尊重されるべき慣習」という社会の共通了解を獲得堅持できる(繰り返しになりますが、「そのような共通了解を<我々>が抱いているという、<私>の不可疑的な確信を獲得しうる」ということ)。

ならば、「薪と釜でご飯を炊く家庭なんぞは、今時、無形文化財的の存在であろう。他方、電器炊飯器などはせいぜい高度成長期の半ばに普及した(2670年の長い日本の歴史から見れば、極々最近登場した)新参者にすぎず、よって、ご飯は日本の<伝統>ではない」などの主張は笑止千万。

あるいは、「女系天皇制の導入は「皇統」を断絶させるもの」などの主張も、それ自体(論者の考える「皇統」からはあるいはそうなのかもしれませんが、その「皇統」の意味内容が<伝統>のパーツとして間主観的に成立している保証がない以上)そう自明な主張ではないのです。    

尚、「保守主義」と<憲法>の交錯に関しては下記拙稿をご参照ください。

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59879748.html

・女系天皇は憲法違反か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59879735.html

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59402294.html







このように<伝統>を捉えるとき、朝青龍こそ日本相撲界の<伝統>の再構築のメインエンジンだったの、出羽。それは、かの東郷平八郎元帥が旧海軍に導入したという伝説も残る、カレーライスや肉じゃがが、現在では、日本の津々浦々、各家庭定番の<我が家の味>になった経緯と、要は、日本の家庭の団欒と近隣の紐帯を再強化することにカレーと肉じゃがが与して力あった経緯とパラレルではないか、と。そう私は考えるのです。

2010年の秋場所、42名の全幕内力士中、日本人力士が23名しかいない現状を鑑みるに、また、(30年くらい前までは、プロ・アマの実力差が甚だしい競技の筆頭に将棋とともに必ず挙げられていた相撲において)プロと学生&社会人の実力差が漸次接近している現状を鑑みるに、比較的小兵の力士が、上手投げ、寄りきり、つり出しといった正攻法のスタイルで頂点を極めた朝青龍は、間違いなく、保守されるべき相撲の<伝統>の線で相撲界にインパクトを与え続けていた存在であり、すなわち、<伝統の再構築者=伝統の継承者>であった。と、この認識は満更贔屓の引き倒し的な朝青龍評価ではないのではないでしょうか。

ならば、世に物議を醸した朝青龍、否、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ氏の数々の<不適切な言動>は、それらを見て見ぬ振りをするのではなく、大相撲の<伝統>を、而して、ひいては日本の社会の<伝統>を再構築するための好個の機会と捉え、衆智を集め、新しい時代の<伝統>と整合的な<ルール>を形成する契機にすべきだったの、鴨。

今年、アンディ・マレーが準決勝で敗退したことで、更に74年間、英国選手が決勝戦に進めていないことになったウインブルドンの男子シングルスにおいても、外国人選手も英国王族・貴族にフォーマルな儀礼を尽す<ルール&マナー>は確固として微動だにしていない。畢竟、ウインブルドンの運営システムにこそ大相撲は学ぶべきであり、<朝青龍>という現象はその学習の千載一遇の好機ではなかったのでしょうか。

而して、何を変えるべきで、何を守るべきなのか。そして、何が変わるのは時代の流れとして甘受すべきで、他方、何が変わることは阻止または抑制可能なのかということを学習する好機を日本の相撲界とこの社会は永久に逃したの、鴨。

要は、朝青龍の<不適切な言動>という木を見はしたが、<伝統再構築>の機会という森を見る機会に対しては、相撲界も日本社会も三猿を決め込んで「厄介払い=安直な道」を選択しただけなの、鴨   

見ざる



敷衍します。ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ氏を生んだモンゴル族と文化的にも歴史的にも近しい「女真族=満州族」が建国した清王朝。その清王朝最盛期の1728年に惹起したのが曾静事件(異民族の王朝の正当性と正統性に疑義を呈して、朱子学系読書人曾静が叛乱を扇動した事件)。而して、時の雍正帝は、この教条主義者・曾静を単に処刑する道は選ばず、対等な立場で、徹底的な論戦を挑み、論破し、転向させた。雍正帝諭して曰く、<中華>と漢民族は位相を異にする概念である、と。その問答を記した『大義覚迷録』に曰く、


中華と謂い夷狄(東夷・西戎・南蛮・北狄)と謂う。この両者の別は漢族たると非漢族たるの区別に非ず。一度、天命を授かり民心を得た者は、漢族・非漢族の民族出自の別を越えて中華の君主たらざるべけんや、君臣の忠誠を受くるの資格ある者にあらざるべけんや、と。    


問答から180年後、孫文の中国革命同盟会が1907年に東京で採択したその綱領には「駆除韃虜、恢復中華、建立民国、平均地権」 (満州族の排除、漢民族支配の回復、共和国の創設、土地権利の平均化)の「四綱」が謳われており、確かにそれは『大義覚迷録』のイデオロギーと矛盾する。しかし、例えば、同綱領起草の7年前、1900年に勃発した所謂「義和団事件」のスローガンが「扶清滅洋」「興清滅洋」であったことを想起すれば、畢竟、<中華主義>と<漢民族という存在規定性>は無縁とまでは言わないけれどもおよそ位相を異にするものとは言えるのです。而して、この経緯は、1853年のペリー来航の時点では「尊皇攘夷」が全六十余州共通の支配的イデオロギーであったものが、幕末の激動の中、「政治的-政局的」なモメンタムの赴くまま、「尊皇攘夷」→「佐幕開国」→「尊王開国」→「尊王倒幕」→「復古的天皇制イデオロギーを借用した近代国民国家形成」に支配的なスローガンが目まぐるしく移行した我が国の明治維新を巡る社会思想的な情景ともそうかけ離れているわけではないのではないでしょうか。閑話休題。

畢竟、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ氏が、

日本国民ではないとしても、一度、「日下開山」たるべしとの天命を授かり、民心を得た以上、その国籍にかかわらず、朝青龍は日本相撲界の<伝統の継承者>、よって、<伝統の再構築者>たるべき人物であったのであり、かつ、彼の力量は十分にその歴史的使命に堪え得るものだったの、出羽。   

もしそう言えるのならば、朝青龍の引退相撲のポスターに記された言葉、「自業自得」とは日本の相撲界と日本社会についてこそ言えることであろう。と、そう私は考えています。



б(≧◇≦)ノ ・・・朝青龍、ご苦労さまでしたぁー!
б(≧◇≦)ノ ・・・朝青龍、いつか日本相撲協会の理事長として戻ってきてくれ!
б(≧◇≦)ノ ・・・ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジさん、いい日旅立ち、を!








(2010年10月2日:yahoo版にアップロード)

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