「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(4)

napoleondazo


◆ナショナリズムと帝国-規範の動態

春秋の筆法ながら、<中世的帝国>の世界観の弔鐘がナショナリズムの産声であった。この理解が満更荒唐無稽でもないとするならば、蓋し、帝国を、「歴史的に特殊で文化的に多様な諸々の民族の生態学的社会構造と諸々の民族の<憲法>が共存可能な実定的な国際法秩序の枠組み」と捉えるとき、次のような光景もまた、現下の<皇帝なき帝国>におけるナショナリズムの興隆の一斑と看做すべきかもしれません。

(1)社会主義の崩壊と民族国家の叢生
ソ連邦の崩壊と旧ソ連・旧東欧エリアでの「国民国家=民族国家」の叢生と離合集散。蓋し、マルクス主義が一旦打ち滅ぼしたはずの民族や宗教がマルクス主義に逆襲する構図は、オリンポスの神々と巨人族の争いというギリシア神話の構図と似ている、鴨。

(2)中華主義帝国の崩壊と「中華主義」支那の誕生
帝国の正当化ロジックとしての中華主義は、清朝の滅亡(1912年)にともないその神通力を失いました。而して、現下の支那における「中華主義」は、(中華主義の世界観では世界の中心に位置するとされた)皇帝を、対内的には「皇帝→共産党」と、そして、対外的には「皇帝→支那」と読み換えた、正に、中華主義の脱構築、もっと有り体に言えば、中華主義をその理念の正反対の方向に、俗に言う言葉の悪い意味での「換骨奪胎」した漢民族ウルトラナショナリズムなの、鴨。

ことほど左様に、その<ナショナリズム>の内容に「皇帝→共産党&支那」という項目を組み込んだ現在の支那の「中華主義」は、単に文化人類学的や社会学的な観察からだけではなく、社会思想の論理分析からも他の諸国民や諸民族のナショナリズムに敬意を払うことが論理的に困難な社会思想なのだと思います。畢竟、「中華主義」は、言葉の正確な意味での「偏狭なるナショナリズム」に陥る<死に至る病>が組み込まれた社会思想なの、鴨。

(3)「文明の衝突」とイスラーム原理主義の跋扈
中華主義と並びイスラーム共同体の理念は帝国正当化のロジック。ならば、ハンティントンの所謂「文明の衝突」がレポートした、イスラーム世界を取り巻く現状は、イスラーム世界が、<皇帝なき帝国>の一領域でしかない自己の姿に直面せざるを得なくなったあまり愉快ではない事態と言えましょう。而して、<9・11>の如きイスラーム原理主義の暴走は、単に、イスラーム的のナショナリズムの暴走であるだけではなく、同時に(「帝国であることを否定された屈折」をバネとする)イスラーム的の帝国主義による、同じく<皇帝なき帝国>の一領域にすぎない他文明に対する「八つ当たり」として理解可能なの、鴨。

尚、「偏狭なナショナリズム」に陥る<死に至る病>が組み込まれた「中華主義」とは全然異なり、エートスとしてのイスラームは中庸を得た極めて完成度の高いナショナリズムの社会思想体系であると思います。   


蓋し、帝国とナショナリズムの勃興と盛衰を巡るこのような構図、すなわち、「帝国の解体→ナショナリズムの興隆」というパターンは、<中世的帝国>の崩壊が人類史上始めて国民国家と「国民=民族」とナショナリズムを成立させて以降繰り返されてきた<帝国とナショナリズムの愛憎物語>なのだと思います。

要は、ヘーゲルもマルクスも間違っており、「歴史は二度とは言わず何度でも繰り返す」ということ、鴨。而して、本稿の叙述の工夫は、「社会思想の規範体系としてのナショナリズムと帝国」という規範論的の認識を貫徹させつつ以下の3点を明確にしたこと、鴨。

①民族主義とナショナリズムの差異
②ナショナリズムと<憲法>の媒介としての<ナショナリズム>
③帝国の盛衰とナショナリズムの盛衰の一般的な対応関係   


畢竟、①ゲルナーのアイデアに倣い、ナショナリズムに素材・材料・部品を提供する心性や慣習としての民族主義と、国民国家の<憲法>の一斑でもあるナショナリズム自体を識別したこと。また、②ナショナリズムは、システムとしての<ナショナリズム>という謂わば「濾過装置」を通ることで<憲法>の内容の一斑となる。よって、ナショナリズムを巡る現象は規範の動態論として再構成されるべきとの主張。そして、③「マルクス主義の凋落に起因するイスラーム原理主義の再興」「オスマン帝国の衰退にともなうバルカン半島でのスラブナショナリズムの沸騰」等ではなく、要は、普通名詞の帝国と普通名詞のナショナリズムとの間の関係のパラメータとしてナショナリズムの「神通力=規範的拘束力」の変遷を考えたこと。これらが強いて言えば本稿の独自の視点なの、鴨。


GatesofConsts.jpg



◆ナショナリズムと帝国-規範の共存

ナショナリズムは<中世的帝国>の解体を梃子にして成立した。ナショナリズムには諸帝国の衰微に反比例して復活興隆する傾向がある。これらに加えて、ナショナリズムの歴史的な特殊性をよりよく理解するためには、今までの知見と一見相矛盾するような事態をも看過すべきではないと思います。

それは冷戦期の両義性。すなわち、冷戦の時代とは、「主権国家と帝国の二人主役制の時代」ではなかったか。要は、「冷戦構造は帝国であり、主権国家はその帝国と共存していた」のではないかということ。そして、この帝国と国家の共存関係こそ、我々の現前に広がっている<皇帝なき帝国>の風景なのではなかろうかということです。

呉越同舟。「帝国-ナショナリズム」両規範の共存。しかし、この事態は、(ウェストファリア条約(1648年)によって、主権国家が実定的な国際法秩序に組み込まれた瞬間から)実は、実定的な国際法の規範体系と主権国家が共存してきた経緯のコロラリーなのかもしれません。而して、<中世的帝国>の崩壊以降現在に至る帝国とナショナリズムの関係を私は次のように整理しています。

◎帝国-ナショナリズムの相互関係

(0)<中世的帝国>の世界観に基礎づけられた社会秩序の崩壊(16世紀~18世紀)
  →主権国家と国民の成立、<守護霊>たるナショナリズムの誕生
(Ⅰ)ナショナリズムの隆盛と主権国家の跋扈(17世紀~1945年)
  →中華主義帝国・イスラーム的帝国の崩壊と「主権国家=国民国家」への降下分裂
  →「西洋列強=帝国主義的資本主義諸国」の帝国への昇進忌避
(Ⅱ)冷戦構造の成立と帝国と「国民国家=民族国家」の共存(1945年~1989年)
  →社会主義帝国の崩壊と「主権国家=国民国家」への降下分裂
(Ⅲ)冷戦構造の崩壊と<皇帝なき帝国>の中でのナショナリズムの漂流(1990年~)


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自分がそれを生きている時代ということもあり、愛着も執着もあるでしょうから、誰しも、上記(Ⅲ)を、唯一の超大国アメリカが、謂わば「前任皇帝の残務処理担当の皇帝代行」または「次期皇帝就任含みでの見習い皇帝代行」であったかもしれない前期と、グローバル化の昂進の中でアメリカも「唯一の超大国」の看板を漸次引っ込め始めた、<大政奉還>以降の後期に、例えば、2008年の世界金融危機をメルクマールに更に細分化したいと感じる、鴨。それも一局。しかし、グローバル化の動向も生態学的社会構造の変化の動向も、他方、各「主権国家=国民国家=民族国家」の<憲法>も、トータルに見て、世界金融危機やイラク戦争の前後で本質的/定性的に変化したとは私には思われない。よって、(Ⅲ)を細分化せずともそう論理的な不備はないものと考えます。


Zonaros.jpg



◆ナショナリズムと帝国-規範の階層

ナショナリズムと帝国の共存。重要なことは、帝国は、例えば、冷戦構造も<皇帝なき帝国>も規範論理的には実定的な国際法体系の一斑に他ならないということと、ナショナリズムと実定的な国際法体系や帝国との間には階層構造が成立しているのではないかということです。要は、帝国とナショナリズムの間には授権関係があるのではないかということ。

ナショナリズムと帝国の共存。而して、国際法と国内法の関係については日本では誤解が蔓延している節がある。要は、「効力」の2文字の意味が錯綜している。つまり、授権関係と効力関係という異質な事柄がこの同じ言葉を用いて語られている。

要は、ある法律が法律としての(イ)効力を保持できるのは憲法からの(ロ)授権があるからです。他方、(例えば、旧憲法下の社会のように、違憲審査制度のない社会では)憲法に違反する法律も、取りあえず現実の運用に際して法としての(イ)効力を失うことはありません。よって、憲法が(ロ)授権関係では法律に優位にありながら、ある法律が規定している案件に関しては(イ)効力関係では法律に劣ることもあり得る。

ことほど左様に、(イ)ある法的紛争を処理するに際して、国内法と国際法が相矛盾するルールを定めている場合にどちらのルールが優先するのかという(狭義)の「効力関係」の問題と、(ロ)日本の国内法体系が法として有効なのは国際法体系からの授権によるものか、逆に、国際法体系が法としての効力を認められているのは諸国家の国内法体系からの授権によるものか、それとも、国内法体系と国際法体系は無関係な二つの法体系なのかという「授権関係」の問題。これら(イ)(ロ)は全く別の論点なのです。


具体例を一つ。例えば、オーストラリアが日本の捕鯨を禁止する国内法を定めたとしても、原則、それは日本に対して何の(イ)効力も持ち得ないのですが、それは、国際法がオーストラリアの国内法の(イ)効力を、原則、オーストラリア国内に限定して(ロ)授権しているからなのです。

ことほど左様に、こう見てくれば、後は復習にすぎない、鴨。そう、ナショナリズムの基盤たる主権国家の成立はウェストファリア条約体制に基づくもの。つまり、授権関係としての階層構造においては、ナショナリズムは実定的な国際法体系、就中、(実定的な国際法秩序の枠組みである)帝国の傘下にあると言える。逆に言えば、縁日の的屋さんの場所割と同様に、国際法体系が、「縄張りの割り振り」を取り仕切っているからこそ(老婆心ながら、ここを「「縄張り」を取り仕切っている」とすれば効力関係の話になります!)、ある国のナショナリズムはその国の国において規範的拘束力を謳歌できるのです。

ならば、少なくとも、実定的な国際法の授権ルールに反する、排外主義的や覇権主義的なナショナリズムは「偏狭なるナショナリズム」として批判されるべきでしょう。而して、尖閣諸島問題にしても、授権ルールそのものに関して明確な国際法違反を繰り返す支那の行動を鑑みれば、かつ、「中華主義」の本質的な「偏狭なるナショナリズム」性を踏まえるとき、日本の政府高官が彼我のナショナリズムを同一視した上で、「日本も中国も偏狭で極端なナショナリズムを刺激しないことを政府の担当者として心すべきだ」と述べたことは適切ではなかったと言うべきなのです。

而して、かくの如く、ナショナリズムを巡るルールが揺らいでいる現在、<皇帝なき帝国>という現前の風景が次のいずれかは興味ある所です。しかし、そのどちらであれ、日本のナショナリズムが<伝統>を糧として自己をこれからも恒常的に再構築していくこと。それを私は確信しています。

(甲)帝国システムそのものの衰微解体に向かう風景
(乙)冷戦構造と新たな<皇帝>の戴冠との間の空位期の風景   



<続く>




napoleontaikans.jpg





(2010年10月11日:yahoo版にアップロード)

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