再論☆愛国心教育などは愛されるに値する国になってから言いなさい?




「偏狭なるナショナリズム」なるものを批判する官房長官の不埒で不勉強な談話を耳にしてから、ネットサーフィンしていても、「ナショナリズム」「愛国心」に関するコメントが何気に目につきます。そんな中、あるBLOGで概略次のようなコメントに接しました。

与党側やマスコミの論調は「愛国心」の強要はいけないというものが多い。
誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するものである。
なぜなら「愛国心」をもつことは正しいことであるからである。
幼い子供のしつけには体罰を通して行うことが効果的(幼児はまだ動物と同じで善悪は体で教える)であると同様に、愛国心も正しいこととして強要すべきである。



◆愛国心の強制は当然か必然か?

私はこの主張に不満です。なぜならば、「誤解など恐れるまでもなく、「愛国心は強制」するもの」と私は考えているから。蓋し、「誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するもの」程度の理解でよいのなら、教育基本法の再改正等、民主党政権の文教政策における左翼反動の動向には監視をゆめゆめ怠るべきではないでしょうが、法規的には(教育公務員法改正等いくらか望まれることはあるとしても)、むしろ、現行の教育基本法と学習指導要領でほぼ十分であり、愛国心促進のための立法などは屋上屋を架す類のものであろうと思うからです。

蛇足になりますが、「誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するもの」という程度の理解でよいのなら、蓋し、むしろ、教育行政が解決すべき問題としては、日教組の跳梁跋扈や、その日教組教師も唖然とする無能力・不適格教師と、「学校=授業サービス付の託児所」と勘違いしている所謂「モンスターペアレント」や、これまた、そのモンスター達も首を傾げる無関心保護者の対応措置が焦眉の急ではないか。彼等、学校現場の機能障害要因に対してタイムリーでエフィシエントな措置を現場が取りやすくするための<武器=法規・予算・ALL文教行政のバックアップ体制>こそ肝心であろうかと思います。蓋し、日の丸・君が代問題などは納税に見合った適切な教育現場の実現という地味だけれど本質的な課題に比べれば寧ろマイナーなイシューにすぎない。閑話休題。

けれども、致命傷は1箇所でも致命傷たり得る。上に書いた日の丸・君が代問題に対する私の理解が満更間違いではないとしても、ならば、そんなマイナーイシューでさえ、石原都知事・小泉純一郎・安倍晋三という保守のBig Nameが、ラクビーに喩えれば、謂わば「モールとラックからの連続攻撃」を仕掛けなければ正常化できなかった現実こそ問題の深刻さの証左である。と、そう私は考えています。

ことほど左様に、この社会の<教育>が抱える重層的で深刻な問題状況を睨むとき、私は愛国心教育においてさえ、現下のこの社会の現状は、最早、「誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するもの」程度のゆるゆるの理解では駄目だ、と、駄目出しをせざるを得ないのです。

私は何が言いたいのか? 単なる言葉遊びか? 実際、この両者、

(甲)「誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するもの」
(乙)「誤解など恐れるまでもなく、「愛国心は強制」するもの」


の違いは何か。簡単です。それは、前者が、「「愛国心は大切だ」と国民の圧倒的多数が考えるような状況にしなければならない」という帰結につながるのに対して(けれども、どの世論調査を見ても安倍内閣が行った教育基本法の改正に60%~70%の「国民=有権者」が賛成していたことを想起するまでもなく、実は、そんなことはとっくに実現しています!)、後者は「愛国心は大切だという「国民=有権者」の認識に従い、愛国心を巡る教育改革は可及的速やかに実現されるべきだ」という主張につながる。

蓋し、自分の論拠を自ら否定するようですが、残念ながら「愛国心の価値を国民の圧倒的多数が認知している状態」という、明治初葉以来先人たちが蓄積してきた教育立国・日本の素晴らしい無形資産(intangible assets)は、民主党政権下で日々蒸発し目減りしている。ならば、(甲)(乙)の立場にかかわらず、日本国民は一刻も早い愛国心教育の改革の断行を政治に要求すべきなのと考えます。

以下、(乙)の主張を二つの点で補足します。それは、、(A)「愛国心が大切だなどは愛されに値する国なってから言いなさい」という類の主張への反論。他方、(B)現行憲法と愛国心の関連、すなわち、基本的人権と愛国心の強制が抵触する可能性の検討です。尚、愛国心とナショナリズムというものを大筋私がどう捉えているかについては下記拙稿を参照いただきたいと思います。

・再論☆国を愛することは恋愛ではなく人としての嗜みである
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59972670.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html


◆国家と愛国心

愛国心も、家族の情愛、郷土への愛着等々と同じく情念に属する感情をその基底に据えているでしょう。けれども、それら普通の情愛の心性とは異なり、愛国心はその(歴史的に特殊な)国民国家に属することだけを理由として、国民に忠誠と献身を求め、他方、アイデンティティーとプライドを供給するものです。

ところで、近代の「主権国家=国民国家」は人為的なものであり、ありていに言えば、人間の本性からは歪で不自然なもの。而して、国民を国家に社会的に統合するメンテナンスの作業は常に継続されなければならないのです。国民が社会の安寧秩序を享受し、他方、政治権力が国民の遵法を期待できるためには、間違っても他国に自国民が拉致されたまま30年以上も放置されることなどなく、また、排他的経済水域に眠る自国の天然ガス資源を他国に簒奪されるままにしてはならず、畢竟、国民の国家への帰属意識を国家権力は常に維持強化しなければならないのです。蓋し、このメンテナンスの不可欠性が、家族愛・地元愛・郷里愛と愛国心とのの最大の違いと言えるの、鴨。もっとも、家族愛さえそれを維持するためには家族間での相当な努力が必要なこともまた人生の真理ではあるでしょうけれども(笑)。

畢竟、愛国心とはそのメンテナンスを怠れば劣化するたぐいの社会的インフラである。誤解を恐れずに言えば(笑)、国家は、国民のために愛国心を国民に強制する義務がある。而して、この経緯は、当該の国家が国民に愛されるに値するサービス提供できているかどうかという、国家権力のパフォーマンスとは位相を異にする事態なのです。逆に言えば、愛国心の強要はある国家が<国民や市民から愛されるに値するパフォーマンス>を発揮しているかどうかの判定要因の一斑であり、属する組織に対する組織愛の強要は、民間企業や官公庁、NPOや任侠団体を含むあらゆる人為的な組織についても言える組織論的な法則(a law of organizational-behavior)である。と、そう私は考えています。

●愛国心は自然に発生するものではなく、
 まして、自然に維持されるものでもない
●国民から愛されるに値する国家になるためにも、
 国家権力は愛国心を国民に強制しなければならない
●愛国心の強制は国家の責務である



◆憲法と愛国心

このように愛国心を理解するとき、現行の日本国憲法を含む<憲法>の秩序と愛国心および愛国心の強制はなんら矛盾するものではなく、むしろ、愛国心は憲法秩序の枢要な一部であることもまた了解されるのではないでしょうか。実際、イエリネックの国家法人説に既に含意されており、法と国家の同一説の中でケルゼンが喝破したように、法秩序は国家の成立を前提にしているか、あるいは、憲法秩序と国家秩序は同一のものなのですから、この帰結は至極自然なものなの、鴨。

よって、左翼=リベラル派の論者がしばしば口にする議論、「愛国心の強制は戦前への回帰であり、日本を北朝鮮のような独裁国家にしようとするものだ」という類の議論は、ある意味正しくある意味間違いでしょう。すなわち、北朝鮮を含むすべての国は愛国心を強制しているのであるが、すべての国が「北朝鮮」というわけではないから。蓋し、北朝鮮の醜悪さの原因は愛国心に帰すものではなく、而して、愛国心においては、先の「偏狭なるナショナリズム」なるものを批判した官房長官談話に象徴される現下の日本社会の軽薄な傾向は、断乎、(愛国心と国家の関係に関して現在に続くグローバルスタンダードを踏まえていた)戦前の状態に可及的速やかに復旧されるべきなのです。

尚、注意すべきは、ここで言う「憲法秩序」とは、憲法典(=形式的な意味の憲法)だけではなく、「天壌無窮、皇孫統べる豊葦原瑞穂之国」という我が国の社会統合のイデオロギーを中核とする<憲法>(=実質的意味の憲法の体系)が具現している法秩序ということでしょうか。而して、国家権力の正統性と正当性の根拠を、所謂「国家契約説」的なロジックに求めるのか、あるいは、天賦人権論-個人の尊厳の価値の絶対性等々の自然権思想に求めるか否かに係わらず、国家秩序の事物の本性から、愛国心の価値と愛国心の強制の正当性は「歴史的-論理的」に演繹される。と、そう私は考えています。

繰り返しますが、端的にはアモルフで、かつ、ばらばらな諸個人を<日本国民>として社会的に統合し、そして、<国民国家日本=神州日本>に収斂する社会的統合を常にメンテナンスすることは憲法秩序が国家権力に要請するところと解すべきでしょう。而して、ハーバマスが唱えた所謂「憲法愛国主義」、すなわち、民主主義・基本的人権・平和・適正手続の価値による社会統合の正当化は、しかし、それらの高尚な諸価値が国家を超える普遍性を詐称している点で、逆に、日本の実存的な国家権力に対するこの憲法秩序からの要請に応える資格はなく、よって、「憲法愛国主義」は現実的のみならず論理的にも破綻しており、独り、伝統と文化の中で鍛えられ精錬され結晶した<政治的神話>、個別日本においては、<神州>のイデオロギーのみが<憲法>からのこの要請、「愛国心涵養=愛国心強制」の正当化の任を耐えうるのではないかと思います。

●<憲法>と愛国心は矛盾せず、
現行の日本国憲法と愛国心も矛盾しない
●否、愛国心は憲法秩序の枢要な一部であり、現行憲法の諸規定
(例えば、19条、20条、21条、26条)は「国家の愛国心強制の責務と権限」
と矛盾しないように解釈運用されなければならない



もちろん、国を愛さない自由も現行憲法19条および21条の保障するものです。しかし、北朝鮮や支那と同様、アメリカやロシアと同様、そして、英仏独伊や北欧諸国と同様、この国でも「国を愛することが正しいとされている」ということを国家は国民に周知徹底しなければならず、その施策と措置は毫も現行憲法と矛盾するものではない。畢竟、「誤解など恐れるまでもなく、愛国心は強制されなければならない」と。そう私は確信しています。





(2010年10月16日:yahoo版にアップロード)

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