外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(Ⅰ)




ほぼ1年前の過去記事の転載です。外国人地方選挙権を巡る民主党の動きが加速しているやに見える現在、あえて、自家記事転載させていただきました。


◎問題の最高裁判決の「傍論」に関しての補足。
純粋な英米法の国とは違い、日本の場合、本論の判決理由が100で傍論はほぼ0という位置づけではありません。要は、「傍論」も判例として本論の判決理由とそう決定的な差はないということ。ただ、逆に言えば、英米法の国と違い、本論の判決理由でさえ(社会学的な相関関係や上訴理由としては別として)「一般的な法的拘束力」を帯びることはない。而して、件の判決の傍論は、このイシューの専門研究者、例えば、筑波大学の成田さんや、現在の憲法学の最高権威の長谷部恭男氏も「レイシオ・デシダンディ」とは考えられていません。要は、バグであり炎症を起こしている盲腸であり塵である。


◎外国人の選挙権は一般的には禁止されていないということの補足。
一般的に「外国人に地方の選挙権を付与」することは違憲ではありません。その条件は、国政と地方政治が(完全にとは言いませんが)十分に切り分けられていること。で、今の日本は(笑)。「4割自治」「3割自治」という言葉があるくらい、絶望的に切り分けられてはおらず、真っ赤な違憲です。

ということで、後は、憲法訴訟の技術論ですが、憲法判断基準、違憲審査基準の両方から、そして、訴訟の対象になる「成熟性」や「事件性」等々から見て、違憲訴訟の提起は容易であり、裁判所が「統治行為論」を持ち出さない限り勝てると思いますが、裁判所が「統治行為論」を持ち出す可能性も高く、それを封じるためにも、同法案に明らかに反対の世論が小さくはなかったという事実を当該裁判官の前に積み上げることであろう。と、そう私は考えています。


◎「選挙権=国民固有の権利」論の射程
本編記事にも反駁を加えたことですが、世の中には、憲法15条の「固有の権利」の5文字から、「①外国人に選挙権が権利として与えられないだけでなく、②外国人に選挙権を付与すること自体憲法で禁止されている」と説く方もまだおられるようです。

しかし、誰も(浦部法穂さん等の極めて特異な方を除けばほとんどの憲法研究者も)「選挙権が外国人の人権」であるなどとは主張していない。他方、15条から「選挙権が国民の固有の権利」であるからといって(よって、それを日本国民から奪うのは一発レッドカードで違憲です!)、選挙権を外国人に与えることが「禁止されている」とは言えないのです。

人権の性質を語る「固有の権利」の形容句はあくまでも日本人の人権の性質の話であり、外国人には権利はないが、さりとて、それを人権条項たる15条が禁止しているとは言えないから。蓋し、「禁止」が言えるのは、外国人の選挙権が国民主権を実質的に許容できないほど侵害する場合。で、ここでも繰り返しますが、現在の外国人選挙権付与は、実質的に許容できないほど侵害であろうと私は主張しています。

この理路は、ちなみに、財産権や表現の自由よりも、日本人だけの権利であるはずの社会権的基本権の一斑である、例えば、失業手当や生活保護が外国人にも(条約の話はおいておくとして)認められるが、それは彼等の権利ではないけれど、さりとて、それが禁止されているわけでもないこととパラレルだと思います。

違憲合憲の審査は、ある立法や制度が、(1)保障・要請されている(この場合では、外国人に選挙権を与える立法をしなければならない)、(2)中立(外国人の選挙権は憲法上はニュートラルであり、その可否は立法政策と世論が決めることだ)、(3)禁止されている、の三段階を取るのです。

畢竟、選挙権が外国人の人権でないことは(つまり、(1)ではないことは)自明のことですが、他方、「選挙権が国民の固有の権利」だからといって(3)に自動的になるわけでもない。それは、憲法訴訟における憲法判断基準、合憲性判定基準に鑑み、禁止のメリットとデメリットを比較考量して判断されること。と、これが現在の憲法学の思考パターンであり、憲法条項の「固有の権利」の5文字から自ずと結論が出るというものではありません。

蓋し、もし、国政と別の地方政治なるものが可能ならば、外国人の地方選挙権付与は上記(2)の領域にあり違憲ではない。と、そう考えるべきだと思います。再々になりますが、「選挙権は国民の固有の権利」という命題から演繹可能なのは「選挙権は外国人の権利ではない」という所までで、それが「禁止」されているとは人権条項たる15条からは導き出せません(禁止するのならば「政教分離」等々、別の条項で明示的に禁止)しているでしょう。そして、向うの民主党側も「選挙権が外国人の権利」などの暴論は(浦部さんを除けば、かな)誰も言っていないのですから。

以下、自家記事転載。



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民主党政権がその法案提出を言及しているからか、最近、外国人地方選挙権を俎上に載せた言説をよく目にします。而して、1995年に下された定住外国人地方選挙権最高裁判決の傍論「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものに、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」(最高裁第三小法廷判決:平成7年2月28日)を根拠に、外国人地方選挙権は現行憲法違反ではなく、それを認めるかどうかは立法政策の問題であり、要は、政治の問題だと考える立場が憲法研究者・司法と行政の関係者の中では多数ではないかと思います。

しかし、「日本は日本人だけのものじゃない」と言い放つ戦後民主主義を信奉するリベラル派からは、例えば「国民と同様に税金を払っている外国人に選挙権を与えるのは当然のことだ。否、地方に限定する根拠は乏しく、国政選挙の選挙権と地方に関しては被選挙権をも、特に永住権者には認めるべきだ」という声も聞こえてくる。他方、保守派の中には「地方に限るとはいえ、外国人に選挙権を与えることは「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」と規定する現行憲法15条から見て憲法違反だ」と批判する向きもある。

本稿は些か原理的な地平から外国人地方選挙権の問題を捉え返す試みです。蓋し、それは、憲法の概念、憲法という現象の事物の本性(Natur der Sache)、憲法の妥当性の根拠(なぜ我々は憲法とそれを枠組みとする憲法秩序に従っているのか/従わなければならないのかという問いに対する解答体系)といった、憲法基礎論と呼ばれる領域のイシューとしてこの外国人地方選挙権の問題を再構成する試み。

この原理的考察を通して、「国民主権」「国民」「国家」、あるいは、「基本的人権」「民主主義」「憲法」というこのイシューを思索する者が(無意識的にせよ)前提にしているBig Words を<脱構築→非自然化>すること、もって、外国人地方選挙権を巡る言説に対してハンス・ケルゼンが先鞭をつけたイデオロギー批判の操作を行なうことが本稿の骨格になります。

このような原理的考察の手続を踏まえるとき、外国人地方選挙権は現行憲法からはどのように見えてくるのか。就中、左右の社会主義者、すなわち、憲法9条教の信徒とも、他方、憲法無効論なる妄想を信奉する国粋馬鹿右翼とも異なる、そして、リベラリズムともリバタリアニズムとも異なる、「伝統の恒常的な再構築による社会の漸進と安定」を志向する我々保守改革派は現前の外国人地方選挙権付与法案に対してどのような態度と方針を選択すべきなのか、また、その態度・方針はいかなるロジックで貫かれ武装されるべきなのか。これらが原理的な考察を通して本稿が希求する実践的な獲得目標になります。


畢竟、結論を先取りして述べれば私の認識は次の5点に収斂します。

①外国人の地方選挙権は基本的人権ではなく、外国人の選挙権なるものは所謂「反射的利益」にすぎない。②外国人に地方の選挙権を与えること自体は現行憲法違反ではない。

けれども、③地方行政と国政が十分に分離できない状態で、更に、「特別永住者」なる外国人管理のカテゴリーを残したまま外国人に地方とはいえ選挙権を与えることは現行憲法から見て許されない。

また、④上記③の瑕疵を治癒せしめたとしても、選挙権が与えられる外国人の範囲は、(瑕疵が治癒せしめられる以上、必ずしも永住権者に限定する必然性はないかもしれないけれど)外国人個々が帰属する国(国籍国)と日本との歴史的・政治的な関係を鑑み政治的に判断されるべきである(すなわち、相互主義成立の有無、加えて、例えば、竹島等々の領土問題、あるいは、歴史教科書問題等々の日本国の国家としてのアイデンティティにダイレクトに触れる懸案を日本が当該国籍国との間で抱えていないかどうかを踏まえて、外国人選挙権付与の範囲は、原則、相互主義が成り立つ親日の国籍国国民に限定されるべきではないか)。

而して、⑤外国人地方選挙権は基本的人権ではないのだから、「参政権を不当に奪われた」とする、現行憲法15条および93条2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」を理由にした訴えは想定しづらい。けれども、今後、例えば、現行憲法14条「平等原則」を準用して、「トルコやベトナムの国民には地方選挙権が与えられているのに、韓国や支那の国民に与えられないのは平等に反する」という訴えが提起された場合には、(イ)憲法訴訟の審査基準としては、立法と行政運用に合憲性が推定される緩やかな審査が、そして、(ロ)憲法訴訟の具体的な合憲性判断基準としては、社会経済の円滑な運営や福祉国家実現のための積極的目的の社会経済規制の一斑として、明白性の原則(≒合理性の基準)が適用される。要は、その外国人地方選挙権制度の裁量的な運用は一見極めて不合理であることが明白でない限り違憲にはならず、また、立証責任も違憲を主張する側にある、と。

蓋し、上の①~⑤の主張は、外国人選挙権推進派や容認派には、謂わば『ヴェニスの商人』の、アリス姫じゃなかったステラ姫でもなかった、そうポーシャ姫の論法の如くに見える、鴨。よって、この結論的の主張を外国人地方選挙権に関する「ヴェニスの商人説」と本稿では呼ぶことにします。

●外国人地方選挙権に関するヴェニスの商人説
①外国人の地方選挙権は基本的人権ではない
②一般論として、外国人地方選挙権自体は違憲ではない
③地方行政と国政の未分離、特別永住者制度を残した現段階での
外国人への地方選挙権付与は違憲である
④上記③の瑕疵が治癒した段階における外国人への地方選挙権付与は、
個々の国籍国との間の諸関係を睨んだ政治判断を基盤とする行政の裁量である
⑤上記④の行政裁量とその根拠となる法規を巡る憲法訴訟に関しては、
法制度と行政裁量に合憲性が推定される緩やかな審査基準が、そして、
合憲性判断基準としては明白性の原則が適用されるべきであり、
立証責任も、原則、一審の原告側にある


以下、外国人地方選挙権自体が憲法違反と唱える百地章「外国人参政権は憲法違反だ」(Will, 2009年12月号所収:同誌pp.96-105)を導きの糸にして考察を進めます。尚、論の対象の性質(「事物の本性」!)から些かマニアックな記述が本稿では不可避。よって、それらは可能な限り註にまとめることにして、それらの註を割愛していただいても理路は通るようにしています。


■外国人参政権は憲法違反か?
百地章さんは保守側に立つ頼もしい憲法研究者であり、毫も、国粋馬鹿右翼ではない。ここで俎上に載せる「外国人参政権は憲法違反だ」の理路も具体的かつ適切な論拠にサポートされつつ展開されています。

実際、例えば、この論稿の中で百地さんは、外国人地方選挙権の賛否を問わず(平均的な憲法研究者を含む)大方の論者が現在「外国人地方選挙権は憲法違反ではなく立法政策の問題だ」と考えているについて大きな影響を与えたであろう平成7年2月28日の定住外国人地方選挙権最高裁判決(以下、「1995年判決」と呼びます)の傍論部分は、最高裁とすべての下級裁判所を拘束するような先例ではないと主張しておられるのですが、外国人選挙権問題を専門の研究領域とする憲法研究者の中ではこの判決傍論の先例性を否定する見解が寧ろ有力なのです(例えば、青柳幸一「外国人選挙権・被選挙権と公務就任権」(ジュリスト・2009年4月1日号), pp.60-66;日本国憲法研究第3回・外国人の選挙権・公務就任権[座談会]ibid., pp.67-85)。而して、百地「外国人参政権は憲法違反だ」が挙げる違憲理由は次の通りです。

●百地論稿が挙げる外国人地方選挙権違憲理由
(0)納税実績は外国人選挙権の理由にはならない(p.99)
(1)参政権は国民固有の権利(憲法15条;pp.99-100)
(2)地方公共団体の長やその議会の議員を選ぶ「住民」に関しても、現行憲法は、
「住民=国民」と想定している(憲法93条2項;1995年判決法廷意見;p.101)
(3)「国政」と「地方政治」は切り離せない(p.101ff.)
(4)外国人への参政権付与は決して「世界の流れ」ではない(p.101, p.103ff.)
(5)独仏ともEU加盟国国民に選挙権を付与するため憲法改正を行った(p.99ff.)
(6)容認説を肯定したと見られている1995年判決の該当箇所は「傍論:obiter dictum」であり、先例として他の裁判所の判断を拘束する「判決理由:ratio decidendi」ではない(p.102ff.)


これまた結論を先取りして言えば、私は(0)(4)(5)(6)に異論はなく、(3)は保留(容認派や賛成派に対しては「切り離せるものなら切り離してみろ」と、将棋で言えば「詰めろ」を宣言する立場)、そして、(1)(2)に関しては疑問を感じています。要は、「参政権」や「国民」というBig Wordsだけでは(1)(2)に関して一義的な帰結は導けないのではないか、と。しかし、いずれにせよ、百地論稿が十分に検討に値する憲法言説であることは間違いない。

例えば、(0)「納税実績は外国人選挙権の理由にはならない」ことは当然でしょう。納税とは行政サーヴィスの対価なのだから国籍を問わず日本の行政サーヴィスを享受している者が応分の負担をすることは当たり前なのですから。蓋し、「ディズニーランドの入場料を払ったからと言って、自分はディズニーランドの経営や運営に容喙する権利・権限がある」と考える人はそう多くないのではないでしょうか。而して、納税と選挙権をリンクさせる発想の荒唐無稽さはこの比喩からも明らかだと思います。

畢竟、外国人地方選挙権を違憲と看做す理由は個々に検討するとして、私は百地論稿を貫く政治的立場に共感を覚える。すなわち、外国人に地方レベルといえども選挙権など付与するべきではなく、まして、最も選挙権を与えるべきではない特別永住者の中核を占め、更に、反日の姿勢を貫く韓国籍永住者の団体(民団)からの「内政干渉」など断じて許してはならない(ibid.,pp.104-105)というその政治的主張に私は激しく同意します。

現在の憲法学の通説を代表する芦部信喜・長谷部恭男を始め、憲法研究者のコミュニティーでは、しかし、「外国人地方選挙権は憲法違反ではなく立法政策の問題だ」とする、外国人地方選挙権容認説(より正確に言えば、国政レベルは否定して地方レベルでは容認する部分的容認説)が圧倒的多数。而して、容認説は百地さんの言われるように「全く理由にならない理由」(ibid., p.100)を根拠にしたものとは私は必ずしも考えません。また、容認説は「国家意識が希薄」(p.96)であり「外国人参政権賛成論者に欠如しているのは、「国家論」である」(p.100)とも一概に言えないと思う。彼等「通説=容認説」にも国家論はあるの、鴨。それが「国家なき国家論」であるとしても。と、そう私は考えています。以下、敷衍します。



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◎1995年判決の迷宮
百地論稿が挙げる外国人地方選挙権の違憲理由の検討の前に一点確認しておきます。それはヴェニスの商人説の第1項「外国人の地方選挙権は基本的人権ではなく、外国人の選挙権なるものは所謂「反射的利益」にすぎない」ということ。

外国人登録の際の「指紋押捺の義務づけを人権侵害」として争った訴訟等々、通常、過半の「違憲審査-憲法訴訟」は「ある権利の行使を制約する行政権の運用とその運用を根拠づける法規が許されざる程度と態様の人権侵害を惹き起こしているかどうか」を巡り行なわれる。しかるに、ヴェニスの商人説の第1項からは、外国人の地方選挙権の付与の可否はそもそもこのタイプの「違憲審査-憲法訴訟」としては争えないのです。

而して、1995年判決がその本論の判決理由(ratio decidendi)では(Ⅰ)「国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることも併せて考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは・・・日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」と述べていながら、その傍論(obiter dictum)では(Ⅱ)「外国人のうちでも永住者等に、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されていない」と述べていることの理由。同じ判決のしかも同じ法廷意見の中に一見相矛盾する主張が判示されていることの理由は訴訟対象のカテゴリーの違いにあるのではないかと私は考えています。

すなわち、1995年判決は「基本的人権の侵害」の存否が争点となった訴訟。而して、判決の法廷意見は判決理由の中で(百地論稿が挙げる外国人地方選挙権違憲理由の(1)(2)そのものなのですけれども)、(1)「参政権は国民固有の権利」(憲法15条)であり、(2)「地方選挙権の権利主体も「住民=国民」と解される」(憲法93条2項)から、畢竟、「外国人地方選挙権∉基本的人権」であり、外国人地方選挙権が認められないとしても「基本的人権の侵害」は惹起していないと判示した。これに対して傍論は「外国人地方選挙権制度の合憲性」の余地について言及したものではないのか、と。

想像の翼を更に強く羽ばたかせ白黒はっきり言えば、蓋し、この傍論は「地方公共団体は我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものだけれども、今後の制度改革によって地方行政と国政の分離が実現すれば、その段階では外国人地方選挙権を憲法が禁止しているとは言えない」と述べているの、鴨。

私の想像の翼が導いた推定が満更荒唐無稽ではないとするとき、しかし、注意すべきは、今後の制度改革によって地方行政と国政の分離が実現」したとしても、外国人地方選挙権を認めるかどうかは現行憲法が採用する国民主権の原理、具体的には現行憲法15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」と93条2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」を鑑みるに、どこまでも立法政策の問題に留まること。よって、その「地方行政と国政の分離が実現」した段階においても「外国人の地方選挙権は基本的人権ではない」ことに毫も変化はなく、よって、繰り返しになりますが、その段階においても、外国人地方選挙権が付与されないことを憲法15条と93条2項を理由に基本的人権の侵害として司法に救済を求めることはできないということです。

本稿の骨格的考察の前哨として先回りして言い添えておけば、このような憲法訴訟の訴訟対象カテゴリーの差異に1995年判決の本論と傍論の矛盾を整合的に理解する「鍵=補助線」を見出すことは、「国民主権」「国民」というBig Words を<脱構築>して、もって、例えば、15条なり93条2項なりの憲法の諸条項が適用される社会的紛争の類型毎に(かつ、訴訟が提訴された時点毎の「国民の法意識=法的確信」の所在を踏まえて)「国民主権」「国民」という用語の最適の意味を抽出する、否、編み上げる法解釈のスタイルから正当化される。と、そう私は考えています。


<続く>






(2009年11月21日:yahoo版にアップロード)

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