書評☆中川八洋「正統の憲法 バークの哲学」




本書、中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』(中央叢書・2001年12月)は、社会思想史上の保守主義の源流を主に英米の憲法思想に焦点を当てて紹介するものです。而して、本書は著者の理解する保守主義の憲法思想とフランス流の憲法思想の対比を通奏低音にして、米英の憲法、フランス憲法、日本の新旧の憲法を俎上に載せていきます。

本書のボリュームは序とあとがきを含めて290頁。また、一般向けということもあり、そして、細部の事象に関しては著者独自で特異な理解や解釈も少なくなく、アカデミックな著作として本書は専門研究者の真面目な批判検討に耐え得るようなものではありません。また、社会思想史上の保守主義の源流の紹介が醍醐である本書に、①グローバル化の昂進著しい、②大衆民主主義下の、③福祉国家という、工業化・情報化した先進国における(よって、「左翼-リベラル」の社会思想もかっての教条主義的なマルクス主義や能天気な所謂「ポスト構造主義」からは<脱皮>している現在、その「左翼-リベラル」の社会思想に拮抗し得る)現在の時点での保守主義の内容を期待するのはそもそも無理な注文。しかし、21世紀の現在に再構築されるべき保守主義がいかなるものかを考える上で、本書は<反面教師>あるいは<叩き台>としては参考になり得る一書だと思います。

蓋し、一般向けの小品ながら、(イ)社会思想における英米の保守主義の源流の紹介と、そして、(ロ)著者が理解する限りでのその「保守主義」と近世以降の様々な社会思想(例えば、ホッブ、ルソー、ヘーゲル、マルクス、功利主義、そして、カール・シュミットや新カント派に至るまで、広くそれらの「社会思想=憲法思想」)との位置関係を俯瞰している本書は、ご自分の社会思想史と憲法思想史の理解を読者が反芻する上で参考になる可能性があるということ。

「読んではいけない!」ではないが、「読み方注意!」の一書


畢竟、本書『正統の憲法 バークの哲学』は、専門研究書ではもちろんなく、それに従い学習を進めるべきテキストでもない。それは、謂わばテクスト自体に誤謬が組み込まれた「間違い探しクイズ形式」の<章末テスト集>である。蓋し、そのつもりで読むのならば本書はトータルでは有益な一書なの、鴨。読了してそう思いました。目次は以下の通り、

序 正統の憲法 異端の憲法 - 祖先の叡智を保守する精神
第1章 保守主義のアメリカ憲法 - デモクラシーへの不信、人民への警戒
第2章 イギリス憲法の母胎 - 封建遺制と中世思想
第3章 フランス憲法 負の遺産 - 血に渇く神々を祀る宗教革命の教理
第4章 「日本の知的遺産」明治憲法 - 自由と倫理が薫る英国型憲法
第5章 GHQ憲法のルーツ - スターリン憲法の汚染、ルソー主義の腐蝕
第6章 バーク保守主義の神髄 - 高貴なる自由、美しき道徳
あとがき 「改革」の魔霊に憑かれた日本   


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◆『正統の憲法 バークの哲学』が提供する有益な視点と知見

類書に比べた場合の、かつ、最大公約数的に見た場合の本書の特長は次の4点であろうと思います。

(Ⅰ)保守主義の源流とも言うべきバークの主張の紹介
(Ⅱ)アメリカ合衆国憲法の制定に至る社会思想史の紹介
(Ⅲ)基本的人権の普遍性を当然視しないことが<世界の通説>である状況の紹介
(Ⅳ)「国家主権=国民主権」のフランス流の正当化ロジックが<世界の通説>ではない事情の紹介    


前二者(Ⅰ)(Ⅱ)は、日本の社会思想に対する貢献という点から見て、大相撲で言えば、技能・敢闘・殊勲の三賞の選には漏れるとしても、間違いなく「努力賞」「アイデア賞」には値する。実際、「バーク哲学の研究者は、日本ではどういうわけか、戦後五十年間に、小松春雄氏と岸本広司氏のたった二人だけ」(p.289)と著者も慷慨しているように、社会思想史上の保守主義の源流がアイルランド出身の英国の政治家・思想家バーク(Edmund Burke:1729-1797)であるとはどんな政治思想史のテキストにも書かれている割には、そのバーク思想の全体像や本質的特徴を俎上に上げる著作・論稿はそう多くはない。

その点で、英国においてバークに流れ至る「保守主義」の前史、すなわち、ブラクトン(1216-1268)→コーク(1552-1634)→ブラックストーン(1723-1780)の社会思想と憲法思想、そして、そのバーク保守主義のアメリカ合衆国への波及過程、就中、アメリカ合衆国憲法を起草して、かつ、初代・二代のアメリカ合衆国大統領の治世をリードしたフェデラリスト(ワシントン・アダムス・ハミルトン等々)の社会思想と憲法思想を、バークの社会思想を結節点にして平明・明晰に紹介する本書は希少価値はある。また、バークとバーク前後の「保守主義」の思潮を「法の支配」「反デモクラシー」を中軸として結びつけている手際も妥当でありその出来栄えは鮮やか。而して、

「日本では米国憲法に関する虚偽と神話の方が定説である。たとえば、宮沢俊義が編纂した『世界憲法集』では、米国憲法は「人民主権を前提としている」と書かれている。だが、米国にはそもそも「人民主権」はおろか「国民主権」という政治概念も存在しない。存在しない「人民主権」が米国憲法の基軸である、という説は荒唐無稽であろう」(p.13)

「【フランス革命に加えてフランス】人権宣言についても有害なものとみなすフランス人の方がほとんどになった。フランス人権宣言を肯定的にとらえ、時には「憲法原理」として神聖視すらするのは、今では日本だけである」(p.114)

「日本だけは、フランス革命を、「民主主義の戦い」とか、マルクス主義の教条的な「ブルジョア革命」解釈でもって思考停止したふりをして、宗教戦争という本質に迫ることを阻んできた」(p.125, cf. p.100)    


これらなどは、些か修辞学的な強調は見られるもののそう満更間違いばかりではありません。
而して、例えば、

自然法論からの「天賦人権論」から見て人権は普遍的かつ不可譲であり、その普遍的な基本的人権を保障するという一点に国家権力の正当性の根拠は存在している。総体としての国民あるいは具体的な有権者の総体(ナシオンかピープルのいずれかに)に国家権力の政治的な意思を最終的に決める権威がある。いずれにせよ、フランス人権宣言16条「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」を見るまでもなく、基本的人権の保障と権力分立は憲法典の必須の要素である云々   


といった、基本的人権の普遍性や(そのような基本的人権を保障する限りの「必要悪」としての国家権力の理解を前提にした)「国家主権=国民主権」を正当化するロジックもまた普遍的である、少なくとも、<世界の通説>ではある、と。そのようにいまだに教えているであろう、圧倒的多数の大学学部・ロースクールレベルの日本の憲法理解のパラダイムから見れば、上に引用した本書の情報は「目から鱗」とは言わないけれど「目には目薬」の教育効果はあるの、鴨。喩えれば、それは英文法の所謂「5文型論」が(韓国も台湾も機能英文法論にシフトした現在)、最早、世界で日本だけで通用している「英文法理論」であるという経緯の紹介と似ている、鴨。

蓋し、本書を読んで、これら(Ⅲ)(Ⅳ)の基本的人権と「国家主権=国民主権」を巡って、「自分が<世界の通説>と思っていたものが、実は、<フランスローカル>、あるいは、フランス原産だけれども現在は日本にだけ存在する<ガラパゴス的>の憲法思想なのね」ということが理解できたとすれば、それだけでも本書の交換価値(1890円)は十分にもとが取れたと言えるのではないでしょうか。尚、本項に関しては下記拙稿を併せてご参照いただければ嬉しいです。

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65230144.html

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65231299.html

・戦後民主主義的国家論の打破☆国民国家と民族国家の
 二項対立的図式を嗤う(上)~(下)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-5.html

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◆『正統の憲法 バークの哲学』が孕む構造的な問題点
日本の社会思想に対する貢献から見て、本書は「努力賞」か「アイデア賞」に値する一書ではある。けれども、繰り返しますが、それは「読み方注意!」の一書でもある。要は、『正統の憲法 バークの哲学』というか一般的に著者の中川さんの書かれる書籍には、彼の憲法解釈学と法哲学と哲学の専門知識の不足、そして、哲学的な基礎的思考の部面での訓練不足によるものでしょうか、


(甲)幾つかの構造的な問題点が組み込まれている
(乙)著者独自の用語の理解・解釈が散見される    


正直に言えば、前者の(甲)の問題は読み手がそれを織り込んでいれば害は少ないけれども、寧ろ、後者の(乙)は、(例えば、HLAハートや日本の矢崎光圀先生を中心に「法実証主義」に多様で重層的な意味を認める法哲学の現下の地平を看過して、「人間が無制限に法律を定めることができる」などという現在最も厳格な法実証主義者もおそらく口にしないだろう著者独自の語義から「法実証主義→人定法主義」(p.215)の訳語変更を提案するが如きを見れば)、就中、本書を「社会思想史のテキスト」として使用する予定の読者にとっては笑いごとではない。まして、そんな学部生・大学院生を指導するこっちの身にとっては忌々しき事態。蓋し、畢竟、それは文字通り

読み方注意!


の事態と言わざるを得ません。

蓋し、(甲)本書が孕む構造的な問題点とは下記の2点。

(A)歴史的な生態学的社会構造の変化の看過
(B)哲学の認識論と存在論、存在論と価値論の混同   


前者は、例えば、現下の、①グローバル化の昂進著しい、②大衆民主主義下の、③福祉国家という、工業化・情報化した先進国を前提にすれば、18世紀のホウィッグ的なバークの保守主義なるものの内容も大幅な変容を甘受せざるを得ないだろうということ(尚、この点に関しては下記拙稿を是非ご参照ください)。

・「左翼」という言葉の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html


後者は(例えば、あのアガサ・クリスティーのポアロ氏の決まり文句「小さな灰色の脳細胞を働かす」というイメージを「唯物論」と捉えるとき)、あくまでも存在論レベルの思考パターン類型である「唯物論-唯心論」と、他方、認識論レベルの類型である「実在論-観念論」のレベルと範疇を越える<ダイナミックな論理違反>が本書には散見されている。価値相対主義批判(pp.215ff)などはその最たるものであろう。要は、「素人が法哲学と哲学を舐めんなよ」、ということなの、鴨。そう私は考えています。以下、敷衍します。


◎哲学の認識論と存在論、存在論と価値論の混同
本書では喝采でもってその事績が彩られている感を覚える、戦後の保守主義のプロミネントフィギュアー、レーガン元アメリカ大統領、チャーチルとサッチャーの両元英国首相は(1章3節, 6章1節)は、しかし、18世紀のバークの夜警国家の時代とは異なる時代の指導者です。すなわち、現下の米英両国とも、常備軍も拡充して、かつ、社会福祉予算の肥大の傾向は止まらず、そして、ケインズ的な財政金融政策も「標準装備」している。ならば、そこで最高指導者が「バーク保守主義者」を名乗ろうが「ベジタリアン宣言」しようが、トータルの国政指針を比較した場合、18世紀の「保守主義者」と「功利主義者」の違いの方が、18世紀のバークと20世紀のレーガン・サッチャーとの違いより遥かに小さいことは自明でしょう。

しかし、実は、この比較は「社会思想の内容」と「国民国家の政策内容」とを比較するものであまり意味はないのです。而して、社会思想の思想内容や規範内容などは現在の国民国家の政治の多様で広範な活動に比べれば、<重量比>においてはもちろん、<機能=影響力>の比に限定しても、その比率はマジンガーZやガンダムのそれら全体と<マジンガーZの操縦者>や<モビルスーツ装着者>ほどにもないでしょう。

ならば、本書全編を覆っている「保守主義」の衰退についての悲憤慷慨・切歯扼腕の感も、他方、所謂「ルソー主義」なるものやマルクス主義の影響力の大きさについての著者の激しい憤りや警戒感についても、双方ともにある意味ではマイナーな問題。もちろん、それが国家の社会統合のパフォーマンスを決定する主な要因の一つである以上、社会思想・憲法思想は政治過程においても重要ではある。けれども、社会の実定的な社会思想や憲法思想が変われば(例えば、日本で旧憲法が現行憲法に変わったから)この社会は急激に大きく変わったと考えるのは間違いと言うべきであろう。寧ろ、このような憲法典の過大評価は左翼的な設計主義に親しいものではないでしょうか。

而して、例えば、本書でも多くのページが割かれている「フランス革命」の理解に関しても、所謂「ルソー主義」なるものを信奉する狂気で邪なジャコバン派の大量殺戮の原因を単線的に彼等の社会思想体系に求めることはできない。そこには、国民国家成立の歴史的背景があるから。他方、ある社会思想体系と他の社会思想体系を(例えば、ホッブス・ルソー・ヘーゲル・マルクス間の関係を)「法の支配」「デモクラシーへの親和度」「国家や国家主権の概念と正当性根拠」等に絞って系統だてることにそう大した必然性もない。それらのイシューは思想体系のone of them の表層的帰結にすぎないから。よって、著者が「ルソー直系のマルクス」などの言辞を使おうがその<系統図>はそうエレガントなものではないと思います。蓋し、例えば、ディルタイ(1833-1911)の『世界観の研究』の如く、存在論・認識論・価値論という哲学体系全体の枠組みを単位に思想の分類や系統立ては行う他ない。と、そう私は考えています。


◎歴史的な生態学的社会構造の変化の看過
時代が遷り変われば社会思想も自ずと変化する。これは当然でしょう。而して、この経緯は、その社会思想が完全に自生的で慣習的なものであれ、逆に、純粋に人為的で設計主義的なものであれ異なることはありません。畢竟、社会思想を

ある歴史的に特殊な生態学的社会構造(自然を媒介として人と人とが取り結ぶ社会的諸関係の総体)を帯びる社会が(他のすべての社会との競争と協力の相互関係を取り結びながらも、自社会内部の社会統合と社会内の生産性向上をより安定的に継続し得るための)社会統合のイデオロギーの体系であり<政治的神話>の体系である  


と考える場合、マルクス主義風に「社会思想は時代の変化の関数」とまでは言えなくとも、「時代の変化と社会思想の変化との間には関係性(=因果関係/相関関係/相互関係)が認められる」ことは間違いないと思います。なぜならば、ある社会思想は、閉じた社会規範のシステムではなく、生態学的社会構造という外部の世界を持っているからです。晦渋なセンテンスが続きましたが、要点は次の通り、尚、このパラグラフの詳細は下記拙稿をご参照ください。

・社会思想は開いたシステムである
・社会思想と生態学的社会構造の間には関係性が観察できる
・社会思想は生態学的社会構造に影響を与えるone of themにすぎない, vice versa
・社会思想は時代の変化にともない変遷流転する
・社会思想の変化が時代の変化(≒ある社会の変化)に及ぼし得る度合は限定的である  


・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11145893374.html

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html




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◆『正統の憲法 バークの哲学』を読む上での注意点
著者独自の用語の理解・解釈が散見される弊害について、「法の支配」「法実証主義」「英国分析法学」「価値相対主義」に絞って説明したいと思います。あくまでもこれらは「ほんの一例」にすぎません。いずれにせよ、この点が本書を指して、「テクスト自体に誤謬が組み込まれた「間違い探しクイズ形式」の<章末テスト集>である」と記した所以です。


◎法の支配

「法の支配」の語義に関しては、「それは、法や憲法をどう見るか/どう見たいかという問題(out look upon law and constitution)にすぎず、それは、経験的な法規範の内容理解とは直接の関係はない」というのが現在の<世界の通説>なのです。蓋し、「自然法の存在には疑義があるとしても、自然法思想が存在したことは確実」なのと同様、法の支配に具体的かつ特定の内容は乏しいとしても、法の支配の観念が存在してきたことは否定できないということ。法の支配をこのように理解する立場からは、「理性的な人々の行動を規制するために法が備えるべき性質」(長谷部恭男)という意味に限定し、(就中、ハードケースにおいてそれを確定することが不可能な)「正しい内容を法に求める法原理」という過重な期待を放棄して使用するのが適当なのです。

尚、本書の通奏低音たる「法の支配」については先にURLを記した拙稿「憲法における「法の支配」の意味と意義」の他、現在の日本の憲法学の最高権威と言ってよい長谷部恭男さんの下記論稿を是非ご参照ください。長谷部恭男『比較不能な価値の迷路』(東京大学出版会・2000年)の3章「コモン・ローの二つの理解」および10章「法の支配が意味しないこと」。    


◎法実証主義

法実証主義の意味については、矢崎光圀先生の説明が日本の法学研究者コミュニティーの共通財産になっていると思います(「法実証主義の再検討」『法実証主義の再検討:法哲学年報-1962年』(1963年4月)所収;『法哲学』(筑摩書房・1975年;pp.312-322))。私なりにそれを整理すれば、法実証主義とは以下のような傾向性を帯びる法的思考のスタイルと言える。

①実定法主義(法とは人間の命令である)
②経験主義(経験的に認識できる規範だけが法である)
③ある法主義(法と道徳の峻別;法外の価値判断に対するイデオロギー批判)
④法についての確実性または蓋然性の信念

些か補足すれば、①に関しては、八木鉄男先生によれば、近代主権国家成立以降は「法とは主権者の命令」と解した方が実情に近いかもしれません。また、ハートによれば、④には「社会学や社会心理学、政治哲学的な法価値論からの法解釈学の独自性に対する信念」「法は閉じた意味空間であり、論理的演繹操作によって法規範の意味を発見しうるという信念」がコロラリーとして含まれると思います。

いずれにせよ、法実証主義という言葉もまた多義的であり、論者がどんな意味にこの言葉を使おうと一応は勝手ですが、少なくとも、法思想の歴史からは、「人間が無制限に法律を定めることができる」などという意義のみでの法実証主義理解は間違いと言うべきだと思います。   


◎英国分析法学

本書2章の他、著者・中川八洋さんは別著、例えば、『保守主義の哲学』(2004年)等々でも法の社会化を目指し立法と国会主権を果敢に推進したベンサムを保守主義の対極と理解しておられるようです。

けれども、世界的に見ても英国の分析法学研究の先駆者と言える八木鉄男先生が、例えば、『分析法学の潮流―法の概念を中心として』(1962年)、『分析法学の研究』(1977年)で提唱されたように、この認識は片手落ちと言うべきもの。なぜならば、法理論面でのベンサムの参謀格ジョン・オースティンの分析法学に結晶しているように、「法=主権者命令説」と呼ばれる「ベンサム-オースティン」の主張は、法が社会統制に容喙できる範囲を限定して、以って、広く実定道徳による社会統制を考えていたと解すべきだからです。蓋し、それが所詮、歴史的事実ではない「物語=イデオロギー」であることを踏まえるならば、所謂「法の支配」で言うところの「法」と「道徳」にはそう大きな違いはないと考えられるから。と、そう私は考えています。   


◎価値相対主義

価値相対主義者のケルゼンの「道徳を、相対主義にすることは、何が正しく何が間違いかの道徳上の選択を極めて厳しく個人に課すことである。これこそは各人が最もまじめな道徳的責任をとることではないか」という言葉を引用して著者はこう述べています。「これではケルゼンは【「相対主義は無道徳または不道徳ではないか」という批判には】全く反論していないことになる。なぜなら、複数の道徳体系のうち、どれを選択するかは、選択の問題であって「道徳的責任」の問題ではない。また、そもそも道徳体系に、「異なったいくつかのもの」があるはずがない」(p.216)、と。

もちろん、著者とケルゼンとでは「道徳体系」という言葉の意味が異なるのだろうけれども。蓋し、ある一つの社会に同時に複数個の道徳体系は成立し得る。成立可能だからこそ、世間でも世界でも、例えば、「良心的兵役拒否」「同性愛カップルの事実婚」、何より「義理と人情を秤にかける♪」「忠ならば孝ならず」等々のジレンマが社会的に類型化されるのですから。

而して、法規範を超える行動を行うことが社会的に期待されている場合に、(唯一の選択肢しかない場合には)その行動を取ることが「道徳的責任を取ること」であり、選択肢が複数個ある場合に、どれを選ぶかという「選択」自体が「責任を取る」行為であることは当然であろうと思います。率直に言って、著者は、「法哲学」どころか「刑法総論の責任論」さえも理解できていないの、鴨。唖然、鴨。と、そう私は考えてしまいました。 

尚、本書の著者に「入信」しておられる方から「「価値相対主義」と言いながら、価値絶対主義は絶対に間違っていると主張するのは論理矛盾だ」という、最初は、ジョークかと思えるコメントが別ブログにありました。簡単です。

価値相対主義:絶対的/普遍的/必ず比較優位になる価値は絶対に存在しない!
価値絶対主義:絶対的/普遍的/必ず比較優位になる価値が絶対に存在する!

という主張の対立なのです。而して、これは「絶対的価値の存在」を巡る存在論レベルの議論と、そのような価値の存否を人間の感性・悟性・理性が認識できるかという認識論レベルの議論が立体的に組み合わさったもの。でも、まじ、このコメントには(it dropped my jaw.でした)。
  
   


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(2010年10月6日:yahoo版にアップロード)

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