「冷静な外交」とは無能な政府の無為無策のことか?

鬼子ちゃん

北朝鮮による韓国攻撃が行なわれる現状の中。我が国では、例えば、尖閣諸島問題を巡って、菅直人首相が「日中の双方が冷静に行動することが必要」(2010年9月26日)と述べた由。また、日本のマスメディアには「偏狭なるナショナリズム」を排して「冷静な対応」を南北朝鮮、そして、日本と支那の両国政府に求める論調が散見されるようです。しかし、生身の人間ではない、自然人ではない国家や政府が採用する外交施策が「冷静」であるとか「感情的」であるとかは果たしてどのような事態なのでしょうか。また、そのような「冷静なる外交」なるものが一体、領土や歴史認識という国家主権のハードコアに関して成立し得るのか、成立するとして、そのような外交スタイルの採用が妥当なのか。これらのことを英米流の分析哲学の手法を援用しながら考えてみたいと思います(尚、「偏狭なるナショナリズム」なるものに関しては下記拙稿をご参照いただきたいと思います)。

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html

こう大上段に構えたものの、実は、「冷静な外交」という言葉の意味を明確にした例は、少なくとも、菅首相の談話はもちろんのこと朝日新聞や毎日新聞という反日メディアを検索しても見つけることができませんでした。要は、この「冷静な外交」はその語義が不分明なまま流布されている可能性が高いということ。

而して、この事態は、あるいは、「偏狭なナショナリズム」「過剰な愛国心」という言葉を巡る事態とパラレルなの、鴨。ということで、本稿では私なりの「語の論理分析」を提示して、冒頭に自ら掲げた疑問に答える橋頭堡を築くことで満足するしかない、鴨。つまり、本稿は、喩えるならば、家飼い猫の「真赭ちゃんと蘇芳ちゃん」(仮称)が出窓の内側から外界の雀さんを狙うが如きものなの、鴨。このことは、予め皆様にご了解いただきたいと思います。


真赭ちゃん蘇芳ちゃん2



自然人ではない国家や政府の外交施策について「冷静な-感情的な」という形容句がつく場合、その形容句が修辞的なものではないとするならば、それは、「外交」を要素とする集合の内部に、「冷静なる外交」や「感情的な外交」と呼ばれるに相応しい要素が形成する集合が包含されていることと同値でしょう。この経緯は、日本の中学校の数学でも習う「集合論」からも、それこそ、中学生が理解可能な事柄です。ただ、この「冷静な外交」が「外交」の(真)部分集合でなければ、「冷静な外交」なる言辞は、単なる修辞学的なこけおどしに過ぎないという経緯は重要。以下、敷衍します。

「赤い薔薇」という言葉に含まれる「赤い」という形容句がこの世に存在する/存在した/存在しうるすべての「薔薇」の中から、あるタイプの薔薇を選び出し切り取っているように(ここで「赤い」と「薔薇」の定義に踏み込む議論は割愛します。)、「冷静な外交」という言葉は、世の森羅万象に散見される多様な外交の中から特殊なあるタイプのものを選び出し切り取るのでしょうか。それとも、「冷静な外交」という言葉は、例えば、「我が偉大なる巨人軍」、あるいは、「偉大なる領袖」「我等が親愛なる指導者」とかの修辞的形容句に飾られた語句とパラレルな<無意味>なものなのでしょうか。


すなわち、「赤い薔薇」の「赤い」の如き(対象を切り取る)限定的な用法とは、おそらく、異質な形容句の用法をこれら「我が偉大なる」「偉大なる」「我等が親愛なる」の形容句に認める場合、(繰り返しになりますが、多くの「プロ野球球団」「領袖」「指導者」が各々構成する集合の中から読売ジャイアンツ、金日成主席や金正日書記を切り取る機能をこれらの形容句が果たしているのではなく)、つまり、J.A.オースティンの言う意味での「言語行為」の一斑として、「そうなれあれかし!」という話者の意志や願望や計画の吐露、あるいは、「その実現を妨害するようなら対抗措置を覚悟せよ!」という威嚇の表明等々のどれかであろうと考える場合、「冷静な外交」という形容句の用法は果たして前者か後者か、事態の記述に奉仕する限定的用法かそれとも事態の実現を目指す言語行為を飾る非限定的用法なのか。    

これが問題の所在ではないか。そう私は考えるのです。

◎ 「冷静な外交」という言葉が<無意味>ではない条件

・「冷静な」という形容句が限定的用法に用いられていること
・「冷静な外交」という言葉が現象を記述するものでもあり、自己の欲求や願望や威嚇を示唆する言語行為には尽きていないこと


真赭ちゃん蘇芳ちゃん1



上述の如くに「冷静な外交」という言葉を巡る構図と問題の所在を整理する場合、私は、この言葉が<無意味>でないためには、すなわち、それが「偉大なる領袖」「我等が親愛なる指導者」の如き自己満足的で近所迷惑な五月蝿い呟きに止まらない条件を下記の2個と考えます。蓋し、

(α)トータルで日本の国益に利すること
(β)実定国際法および確立した国際政治の慣習的ルールやそれら諸法規や諸ルールを基底で支える価値体系(国際法を巡る実定道徳)に反しないこと

なぜならば、自然人ではない日本国や民主党政権の行為に対して「冷静-感情的」という形容句が付加され得る論理的局面とは、国家や政府を巡る森羅万象的現象の中でそれらが法人格を認められる際の<行為>に限られるだろうからです。文芸評論でもない限り、「擬人法」が<意味>を帯びるのはその行為主体に<人格性>が認められる場合に限られるだろうということ。而して、国家や政府を巡る諸現象について、「冷静-感情的」の性質の有無と程度を決定するものは「法的評価=法的価値判断」と「実定道徳的評価=道徳的判断」以外には存在しない。と、そう言い切っても満更我田引水的言説ではないと思います。


真赭ちゃん蘇芳ちゃん3


ここで些か脱線になりますが「左翼」および「ナショナリズム」という言葉の内容を整理しておきます。畢竟、現在、尖閣問題に関して、民主党政権のことを「反日左翼政権」と呼ぶ言説を保守系のブログでしばしば見かけるから。もちろん、この民主党認識は海馬之玄関ブログの公式見解(笑)とそう異なるものではないのですが、しかし、ことはそう簡単でもない。

第一に、「左翼」について言わせていただければ、実際、産業・福祉、財政・金融の各政策に関して「左翼的=契約自由の原則の修正・所有権の制限・過失責任主義の修正を基盤とした経済社会への国家の計画的な容喙を認める傾向」を保持しない政権政党などは、2010年のこの世界に存在しない。逆に、今時、「労働価値説」「唯物史観」<法則>と考えている政権政党も世界の先進国・中進国にはまず存在しない。ならば、この「左翼」の切り口からは(再々になりますが、「左翼政党」に含まれる形容句たる「左翼」という言葉を限定的用法と捉える限り、よって、「左翼政党」という言葉は現象を記述するものと理解する限り)「民主党が左翼ならば日本の自民党も欧米のすべての政権政党も左翼であるか、民主党は左翼ではない」と言わざるを得ないと思います(而して、民主党政権の際立った「左翼性=反日性」は社会主義からだけではなくリベラリズムから規定されるべきでしょう)。   

畢竟、日本の所謂「安保闘争」とは、60年安保も70年安保も、要は、「左翼の袢纏を着てした反米ナショナリズム運動」であった。ただし、60年安保の際には、「労働者の祖国=ソ連」の社会主義の権威だけで運動の結集軸が賄えたのに対して、70年安保の際にはそれでは足りず、(全共闘運動の中枢たるML派に顕著な如く)毛沢東というか文化大革命というか、「アジア的共産主義」の権威をも使わざるを得なかった。けれど、そこに前提されていた「反権力」「反米帝国主義」の構想力は、所詮、マルクス主義からの国家の相対化と唯物史観、フランス流の立憲主義からの「国家=必要悪」イメージと近代国際法の主権国家平等の原則に依拠した「畳の上の水練」レベルに止まっており現実の経済社会との接点は乏しかったの、出羽。

第二に、現下の、①グローバル化の昂進著しい、②大衆民主主義下の、③行政権が肥大する福祉国家の、④国民国家において、()それが政権政党であろうとする限りは、()ナショナリズムは当然の前提であり、まして、()「外に対してはその国益の極大化、内においては社会統合イデオロギーのメンテナンス」は<必須科目>ということ。要は、この点でも自民党と民主党には(否、それが本気で政権を狙うのなら共産党でさえ)普天間問題の帰趨を反芻すれば自明な如く、紆余曲折は経るとしても、おそらくそう政策の枠組に広狭の差はない。   

ならば、ここで個別現下の日本における「ナショナリズム」の政策的な帰結を、すなわち、<反・反日的施策>の内容を、(イ)反日をその国是とする特定アジアに利する行為をしない、(ロ)日本の社会統合の軸をメンテナンスすることを怠らないという2点に集約する場合、民主党政権の「反日濃度=反ナショナリズム」は、日本共産党に比べても寧ろ高濃度とは言えるけれども、それは自民党の濃度と比べて程度の問題であるというのも厳然たる事実ではないかと思います。


注意すべきは「特定アジアを利する施策」が自動的に<反日的施策>になるわけではないということ。すなわち、ゲーム理論における、所謂「交互プレーの連続ゲーム」では(要は、ジャンケンのように、各プレーヤーが同時に戦略を選択するのではなく、囲碁将棋のように交互に各プレーヤーが戦略を選択し、かつ、Jリーグのリーグ戦や麻雀で「毎日半荘2回を競い年2回清算」するような長丁場の戦いの場合)、例えば、為替の協調介入の如き、特定アジアに有利でかつ日本にとって損のない手や局面、またはその逆の手や局面は幾らでもあり得ることです。

(a)ならば、反日勢力を利するからそれは当然に日本にとって良くない施策とも言えない。世界は日本と特定アジアだけでなりたっているわけではなく、日本と特定アジアを中心に世界が廻っているのでもないから。また、すべてのゲームが1回限りの「ゼロサムゲーム」というわけではないからです。

(b)しかし、領土、そして、国家統合のためのイデオロギーの一斑たる歴史認識や天皇制は、土台、交渉イシューではない。実際、民主党政権下の日本の以外の世界の国々は「交渉可能なイシューと不可能なイシューの境界はどこか」「交渉可能なイシューに関して相手の譲れる一線はどこか」を瀬踏みしながら交渉している。と、そう私は確信しています。   


而して、「冷静な外交」とは何か。帰結はシンプル。

すなわち、

(甲)ゲーム理論的に見た場合、「交互プレーの連続ゲーム」という外交が属するゲームの事物の本性から見て、(乙)日本政府の施策が、トータルで国益に利する場合、かつ、(丙)日本政府の施策が、「実定国際法および確立した国際政治の慣習的ルールやそれらを基底で支える価値体系に反しない場合」、その外交の施策は「冷静」である。


と、そう言えるのではないでしょうか。ならば、「戦争や武力の行使は何があっても避けるべきだ」、「経済制裁や支那人の入国制限は望ましくない」「彼や彼女に工作員の疑いがあろうとも、その支那人の活動を制約することは許されない」等々の、「感情的な言説」でもって、日本が本来取るべき「冷静な外交」を妨げることは、国益に反する反日的の言説に他ならない。而して、そのような、マスメディアの感情的な論調を隠れ蓑にして、本来粛々と進めるべき「冷静な外交」を民主党政権が怠るとすれば、それは、無能な政府の無為無策と断ずべきであろう。と、そう私は考えています。



fightingcats





(2010年10月6日:yahoo版にアップロード)

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