完全攻略夫婦別姓論要綱-マルクス主義フェミニズムの構造と射程

sengyoshufu


本エントリーは、随分前、そう、2002年4月から7月にかけて海馬之玄関本家サイトにアップロードした記事の導入部分の再録です。実際は、一昨年、2008年の6月に若干、加筆推敲を加えた上で、本ブログに搭載した記事の転記。

原典は小泉政権下で「夫婦別姓法案」が政治課題として俎上に上った際に考えたものですが、夫婦別姓法案の成立が再度現実味を帯びてきた現下の状況を踏まえ、(理論史の検討部分を割愛した上で)再録することにしました。同法案に反対する保守改革派の同志の皆さんに何かの参考になれば嬉しいと思います。尚、理論史に関しては末尾の【出典・参考記事】をご参照ください。



◆はじめに

夫婦別姓を巡って様々な議論が展開されています。私は、夫婦別姓に関しては原則反対。ただし、「通称」として婚姻前の姓や離婚前の姓を名乗る行政法的や商法的な余地を認める法制度の改革は必要かもしれない。しかし、(選択制にせよ)夫婦別姓を容認するような民法や戸籍法の制度改革は妥当ではないと考えています。而して、本稿は私の「夫婦別姓」を巡る主張の基盤となる「家族」と「フェミニズム」に対する理解を整理したものです。畢竟、本稿は、夫婦別姓の「制度」ではなくどちらかと言えば夫婦別姓の「論議」に焦点を当てたものであることは最初に明記しておきます。

本稿は2部構成。すなわち、夫婦別姓論の根拠を概観する第1部(赤本)、♂&♀の性差理解から夫婦別姓論を検討する第2部(青本)の構成です。もって、「フェミニズムに反対する立場は国家主義的で古い考え方である」「フェミニズムの正しさは議論の必要もないくらい自明なことだ」などとノタマウ、そう、ファシスト的でさえある現在のフェミニズムの行動様式や思考様式を相対化して、もってフェミニストという名のファシズムを攻略するためのベースキャンプを設営できればと念じています。尚、以下の「註」は些かマニアックな補足説明。興味のない方、御用とお急ぎの方は飛ばしていただいて結構です。


◆赤本:夫婦別姓論の基底 <夫婦別姓論の根拠を覗いて見てみれば>
■夫婦別姓論の根拠を覗いてみる

夫婦別姓を推進する論議の背景には以下のような「夫婦」や「家族」や「性差分業」に関する考え方が横たわってはいないだろうか。すなわち、

(1)「家族」や「夫婦」は幻想に過ぎない
<夫婦>なるものは、法的な制度=擬制に過ぎず、実体として(現実に)存在するのは、<男>と<女>という個々の人間(個人)に過ぎない。かつ、夫婦同姓の現状は、結局、「家族」という法的な擬制を維持するためのイデオロギーの反映に過ぎず、本来は実体のない<夫婦>なるものや<家族>というものを、何かありがたいもの、個人とは別個に独自の価値を持つものと誤解させるものである。畢竟、個々の人間を離れて存在する「家族」や「夫婦」なるものは存在しえず、「家族」や「夫婦」なるものの本質はそれを構成するとされる個々人の物理的と精神的な関連性の総和に過ぎない。

(2)幻想再生産の背景
では、何故に、「家族」や「夫婦」の本質を誤解させるような擬制が堂々とまかり通っているのか? それは、(a)儒教的な意識構造(封建的な意識構造)と(b)資本主義的な支配構造、ならびに(c)男が女を支配することが当然と考える男(=ロゴス=ファロス=男根)を世界観の中心に据える所謂ヨーロッパ中心主義の世界観の重層的な存在である。<男>による<女>に対する性差に基づく抑圧/支配構造を維持するために、そのような封建的と資本主義的と西欧的な三重の「抑圧/支配構造」を維持するためにそのような擬制=イデオロギーが有効だからである。


■「家族」と「夫婦」の幻想性を検討してみる

「家族」や「夫婦」が擬制=幻想にすぎないことは自明である。このことは「国家」や「国際社会」が擬制であること、所謂「想像の共同体」であることと同値である。しかし、この意味での擬制は、「巨人軍なるものは読売ジャイアンツと契約している個人事業主である選手や監督、コーチの総和に過ぎず、存在するのは個々の人間以外にはない」とか「天皇制とは天皇を<天皇>と考える人々の意識と行動の総和に過ぎず、天皇制なるものはそれらの人々の意識と行動以外になんらの実体もない」、ということと同じであり、この擬制論=幻想論で否定される事柄と否定されない事柄があるのではないだろうか? 

「夫婦」や「国家」が幻想に過ぎないとしても、それらは正に幻想や擬制そのものとして実体的な影響を人生や社会や国内外の政治に及ぼしている。この幻想の持つ実体的な影響力が無視し得ないからこそ、夫婦別姓推進論者は家族や夫婦の幻想性を批判しているに違いない。ある擬制はそれが幻想であるからといってその存在意義までも否定されるわけではない。ある擬制の存在意義はその擬制の幻想(=イデオロギー)としての性能・効能・機能に収斂することになろう。

例えば、「人間はいずれ死ぬものだ」という命題が正しいとしても、「人生には何の意味もない。なぜならば、人間はいずれ死ぬものなのだから人生なるものは一時の幻想に過ぎない」という主張が正しい訳ではない。夫婦や家族の幻想姓をアゲツラウことでは夫婦別姓論は何の説得力も獲得しないし、夫婦同姓論がいささかでも否定されるわけではない。それは、人生の意義が所詮自己幻想(パラノイア的な幻想性)に過ぎないことで否定されるわけではないことと同じである。

所詮、夫婦なり家族は所属する草野球チームのユニフォームなりチーム名に過ぎないのかもしれない。しかし、所詮、野球は一人ではできない。野球の試合に出場するにはニフォームがあれば便利だろうし、野球のチームに所属することが不可欠である。而して、ユニフォームやチームが所詮記号や幻想や擬制に過ぎないとしても、野球のゲームをエンジョイするにはそのチームやユニフォームは不可欠である。ならば、人生というゲームに参加し、生涯の七難八苦を乗り越え、そして、自己の個性を華咲かせ感動に満ちた人生を各人が享受するために、「家族」や「夫婦」という幻想や記号を使用することが有効であるならば「家族」や「夫婦」という擬制やイデオロギーの意義は何ら批判される筋合いはない。


■「家族」と「夫婦」の幻想再生産の検討

「家族」や「夫婦」の幻想は、男女の性差による役割分担を当然のことと了解させる封建的な支配のイデオロギーであり、自立した存在として生きたいという女性を抑圧する社会の仕組みを上部構造の面でサポートしている。また、この男女の性差による分業体制は、資本主義的な疎外と搾取構造を補強する仕組みでもある。なぜならば、男が搾取され疎外されるにせよ、彼は家庭で女を抑圧することでその労働力を再生産することが可能であり、彼の労働力再生産に資本側は特別なコストを割く必要がないのだから。と、大体このように夫婦別姓論の論者は主張しているように見える。さて、この見解は正しい認知であろうか? 「正しい」と、実は、私は考えている。

しかし、その性差に基づく役割や資本主義的な疎外構造や搾取の仕組みは邪悪で倫理的に許されないような悪いことであろうか? 私は、必ずしも邪でも悪でもないと考える。蓋し、夫婦別姓論は、男女の性差に基づく役割分担や資本主義的な疎外構造、はたまたヨーロッパ中心主義が悪であることを自説の正しさの根拠としている。しかし、夫婦別姓論が「性差による役割分担や資本主義的な疎外構造は悪である」との論証に必ずしも成功しているとは私は考えない。はたして、善なる生産関係や正義に適った分配構造なるものが社会制度として存在しうるものだろうか? 夫婦別姓論の論者は自分の価値観や願望を基準にして、言わばご自分が作ったその<価値空間でのみ妥当する基準>から神でも悪魔でもない人間の作るこの社会の生産関係や分配構造を批判しているだけではないだろうか。

「家族」も「夫婦」も幻想であり擬制でありイデオロギーである。しかし、その幻想性・擬制性・イデオロギー性は「家族」や「夫婦」の存在意義を何ら減じない。ここで、私が尊敬してやまない小平先生の言葉を転用させていただければ、「黒い幻想も白い擬制も鼠を取るイデオロギーはよい幻想であり、鼠を取らないイデオロギーは悪い幻想である」。蓋し、現在の「家族」や「夫婦」という幻想が個々人(♂&♀)をしてその人生を感動的に送らしめ、個性を華開かせることを個々人に可能にせしめ、活気と隣人愛に満ちた日本社会を具現する上で有効であり、日本を尊敬される国としていく上で役立つならばその幻想性はよいイデオロギーであり、よいイデオロギーに担保された法的制度である。而して、私は「家族」や「夫婦」というイデオロギーは結構、よくできた幻想でありそれに担保された法制度は充分に尊重されるに値するものであると考えている。

家族や夫婦という共同幻想を否定し、産む性と産めない性という生物学的な差異を生物学的な差異としてのみ位置づけ、ジェンダーを捨象した等質な個々人のみを社会の構成要素と考える夫婦別姓論も、それがある種の社会と個人の幻想に依拠する擬制であることは夫婦同姓論となんら変わらない。なぜならば、生物学的な差異に起因する文化的な差異を捨象することはある種の価値観(♂も♀も等価値で等質であるべきだという価値観、)を待ってはじめて可能になるある特殊な世界と社会の見方に過ぎないからである。

染色体の差異も♂と♀の生殖器の差異をも捨象することは間違いなく事実の記述ではなくて、ある御伽噺(フェアリーストーリー)の提示に他なるまい。ならば、小平翁の顰にならった先の言葉がここでも聞こえてこよう。すなわち、「黒い幻想も白い幻想も鼠を取るイデオロギーはよい幻想であり、鼠を取らないイデオロギーは悪い幻想である」、と。


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以下、「完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(上)」の後段に続きます。ご興味のある方は下記出典と参考記事をご参照ください。


【出典】

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(上)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-398.html

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(中)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-399.html

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(下)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-400.html

【参考記事】
・保守主義の再定義(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59162263.html

・日本語と韓国語の距離☆保守主義と生態学的社会構造の連関性
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59190400.html

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60160610.html






(2010年2月19日:yahoo版にアップロード)

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