書評☆高橋哲哉『歴史/修正主義』

歴史修正主義


◆はじめに
本稿は、『歴史/修正主義』(岩波書店・2001年1月26日発行)の批判記事です。著者の高橋哲哉さんは、著者は、ポスト構造主義が専門の哲学研究者だったのですが、現在は、「戦争責任-戦後責任」について疲れを知らない反日活動を展開しておられる方。

私は哲学の門外漢ですが、『歴史/修正主義』の論理には少なからず驚愕し義憤を感じた。素人を専門的な言辞で翻弄し、もって、それほど根拠があるとは思えない結論を素人に押し付ける、蓋し、<詭弁の強弁>とも言うべきそのあまりの傲慢さに反感を覚えました。


◆『歴史/修正主義』の要旨
同書は、前書き(=はじめに)、目次、基本文献案内、及び、あとがきを入れて130頁足らずの小著。しかしその主張はラディカル。本編は、第Ⅰ部「歴史と責任」、第Ⅱ部「歴史と物語」、第Ⅲ部「歴史と判断」の三部構成で、戦争責任の主体論・戦争責任の本質論、戦争責任を問うための方法論、そして、戦争責任の果たし方が順次展開されています。

本書のロジックは概略以下の通り。

(1)戦争責任の主体は実体的な「国家」でも「民族」でもない。
(2)戦争責任の主体は、戦争遂行時の国家指導者や戦争犯罪の実行犯/教唆犯/幇助犯に限られない。
(3)戦争責任の主体は、戦争犯罪や戦時下の暴力行為を、今現在、知りうるすべての人間である。
(4)戦争責任の原因となった、事実は歴史科学的に確定される必要はなく、また、歴史学の成果として「物語」のスタイルにまで洗練される必要もない。それは、「断片的な記憶」であってもなんら問題はない。
(5)この意味での戦争責任には時効はなく、人生とは責任を死ぬまで引き受けていくという決断と実行の累積である。
(6)戦争責任のある者は、戦争責任を回避しようという自国や他国政府に対して責任をとらせる責任がある。
(7)このような戦争責任論は、実定法的にはニュールンベルグ戦時法廷にその萌芽が見られる。そして、戦争犯罪を構成する法的要件と法的効果は、その後の国際人道法の発展の中で漸次強固なものとなってきている。
(8)戦争犯罪に関する国際人道法の理念をさらに推し進め、更に、十全になる責任を引き受けようとする決断を、戦争責任のある者は行わなければならない。
(9)この戦争責任は普遍的であり、例えば、この責任論の地平からは先の戦争におけるアメリカの日本の市民に対する責任をももちろん問われなければならない、と。

戦後責任


◆『歴史/修正主義』の斬新さ
本書に私が感じた斬新さは次の2点。

A:戦争責任の主体は国家でも民族でもない

戦争責任を巡る議論においては、「戦前のことは知らん」「国や軍の指導者、あるいは、戦争犯罪の直接の実行犯だった者だけが責任を負うべきだ」、との発言がリベラル側に苛立ちを与えているのでしょうか。「誰も自分がやっていないことに関して責任を問われない」という原則は、シンプルだけれども反論の難しい主張だろうから。

例えば、昔、支那人の彼氏と同棲していた私の大学時代のガールフレンドは、痴話喧嘩で、彼氏が「今の支那の社会的な矛盾には日本帝国主義の負の遺産がる。君はそれを恥じないのか」とのたまうのに対して、「私は戦後生まれやし、戦前のこと言われても知らんで」と反撃し、「100戦100勝や」と豪語しておられた。

而して、「戦前のことは知らん」という論理を突き崩すための、例えば、家永三郎氏に代表されるロジックが、「日本国民」や「日本人」であることを理由とする一種の<原罪論>でした。

曰く、「日本人は、韓国を植民地支配し、韓国の人民に塗炭の苦しみを与えた。支那でも、シンガポールでも、スマトラでも殺戮・陵辱・略奪の限りを尽した。ならば、日本と日本人の戦争責任は争えない。ところで君は日本人だよね。じゃあ、君の戦争責任は確定しているよ」、と。

このロジックの弱点は、それが、「国家」や「民族」という概念の実体性に依存していること。蓋し、「日本人であることを根拠とした日本人の戦争責任論」の妥当性は、「日本」と「日本人」の概念の実在性に依存しており、それらの概念の実在・不存在とこのロジックの妥当性は運命を共にするということです。

しかし、概念の実体性は成り立ちません。論証は(下記拙稿の前半部分をご参照いただくことにして)割愛させていただきますが、分析哲学の確立以降、つまり、20世紀半ば以降のこれが哲学と科学方法論の常識なのです。

・「プロ市民」考
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57630212.html

ここに至って、「誰も自分がやっていないことに関して責任を問われない」という常識的な論理は、日本の戦争責任と戦後責任を認めたい論者にとっては乗り越え難い障壁としてその行く手を遮ることになる。而して、『歴史/修正主義』は、「誰も自分がやっていないことに関しては責任を問われることはない」という障壁を「突き破る=迂回する」論理を、そう、言わば「戦争責任に関する第三の道」を提案する。

それは、「戦争犯罪を現在において知ることのできる者すべてが戦争責任を持つ」という極めてシンプルな提案。なるほど、これは名案。これならば、戦争責任は「戦争を知らない世代」にも遠慮なく課せられることになりますから。

そして、戦争責任があることの帰結として、「戦争責任を忘れよう、あるいは、少しでも加害が少なかったように歴史を改変しよう」とする自国や他国の政府に対して、すべての戦争責任者(貴方も私もですよぉー!)は、「戦争犯罪を自国の国民が忘れないような施策を取れ」と要求する責任を負っていることになるわけです。而して、現実的には、どの戦争責任者も(私も貴方もですよぉー!)、とりあえず、自国政府への働きかけが一番やりやすいだろうから、日本の戦争責任者に対して、この「第三の道」の帰結は、日本政府に対して戦争責任と戦後責任の追及を要求することになり、偶然にも(笑)、本書のロジックは、リベラル側の既存の反日運動と同じ機能と効果を発揮することになる。

なるほど、高橋さん、これはグッドアイデアですよね!


B:戦争責任の根拠となる事柄は物語られる必要はなく記憶の断片でよい
例えば、「南京大虐殺」があったかどうか、所謂「従軍慰安婦」なるものが実在したか否か。これらの事実を確定することは誰にとってもそう容易なことではありません。而して、この事実確定の困難さもリベラル側の苛立ちの原因になっているらしい(もっとも、<南京大虐殺>があったかどうかということと、所謂「南京大虐殺」なるものを日本の中学や高校の歴史教科書に取り上げるべきか否は全く別の問題です。この点については下記拙稿をご参照ください)。

・左翼にもわかる歴史学方法論☆沖縄「集団自決」を思索の縦糸にして
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59882299.html

蓋し、リベラル側がここで取る常套手段が、個々の事実を大きなストーリーに付随させるトリック。要は、個々の事実の検証の精度に関わらず、戦争責任の原因となる事実は確定していると言い切る手法です。

左翼のとある大先生曰く、「何? 南京の犠牲者は30万人ではなく、周辺地域での犠牲者や便衣兵の死者を寄せ集め掻き集めても、せぜいが所、2万人が上限だぁ? そんなん、どうでもえーこっちゃないですか。日本は、内においては軍部独裁、外に対しては帝国主義により、アジア近隣諸国を侵略したのだ。日本が支那の民衆を抑圧した事実は動かない。ならば、君達の言っているのは、日本の戦争犯罪を少しでも軽減したいというサモシイ心根の顕れにすぎんのです。もっと、歴史の大局を見ないでどうしますか、恥を知りなさい!」、と。

あるいは、

「何? 実際、1982年の教科書検定で、日中戦争に限ってみれば、「侵略」を「進出」に書き改めさせられた事実はないですとぉー? そんな細かことはどうでもよろしい。文部省の検定が長年に亘り、日本の戦争責任を認めるのに消極的な姿勢を貫いてきたのは明らなことでしょうが。なら、君の意見は、研究者として一見誠実に見えながら、実は、歴史の真実から国民の目を背けさせようとしてる勢力に荷担してんねん。君は、大衆の中に入って出直して来なあかんわ。啄木も言うてるやろ、そうや、「ヴ・ナロード!」や、自分がどっちの味方せなあかんのか、そこんとこを抑えてもらわんな、大学のポストなんぞ君にはよー紹介できへんがな」、となる。

大きなストーリーによって個々の事実の検証精度を糊塗する戦術は、しかし、前述のリアリズムの崩壊と同時にこれまた破綻してしまいました。蓋し、今時、(例えば、周辺従属理論や宇野派の段階論・現状分析論を含めても)唯物史観や帝国主義論から歴史について何ほどのことが言えましょう。それらは、最早、社会思想の博物館の陳列品にすぎないのではないでしょうか。

而して、ここで『歴史/修正主義』が提案しているのが、「戦争責任や戦後責任の根拠/原因となる事柄の<告発>には、緻密さや整合性は必要ない。それらは、被害者/当事者の断片的な記憶で十分なのだ」という福音です。高橋さんは、ここで元デリダ研究者らしく、「検証され整合性を帯びた物語と断片的な記憶との間に何ほどの差があると言うのか。物語も記憶も<限界なき責任>に突き動かされて、生ある限り自己を変革=脱構築していくための契機すぎない」、とかなんとか難しいことを呟いて、清水の舞台から「エイ!」と、飛ばれたのだと思います。勇敢だ。しかし、それはそうは考えないという論者にとっては単なる<責任逃れの詭弁>から<詭弁の強弁>に向けて飛ばれただけにしか見えない、鴨。


◆『歴史/修正主義』への疑問
高橋さんは、国際人道法の内容と<戦争責任論の内容>が予定調和的に共鳴すると主張される。否、高橋さんの場合、むしろ、高橋さんが発明された戦争責任の内容に、漸次、現実の国際人道法が収斂してくるという予想なのかもしれません。要は、「本書で述べられているが如き戦争責任論は、確かに今現在の所、理想にすぎないと感じられる向きもあろう。しかし、本書で述べた戦争責任は、早晩、国際人道法が認めるものになるのです」、と。

畢竟、その予定調和の根拠は何なのか? 「今現在、戦時下における暴力行為を知ることが可能なすべての者にかかる責任」として「戦争責任」を定義するのは高橋さんの勝手でしょうが、しかし、かなり特殊なその責任の定義と責任の果たし方が、どうして、実定的な国際人道法の内容と早晩一致すると言えるか。本書のどこにもそれは説明されていません。

高橋さんの議論は、高橋さんの脳内で製作されたにすぎないかなり特殊な戦争責任の概念と内容が、漸次、国際人道法に具現化していくはずと考えている点で極めてヘーゲル的。そして、今はとりあえず影も形もない、<将来の戦争責任の概念と内容>を根拠にして、現在でも自分の戦争責任論が社会を動かしうると考えておられるのだろう点で、それは、一種、マルクス主義的と言ってもいいの、鴨。


蓋し、『歴史/修正主義』は、国家と民族の実体性を、オッカムの剃刀ならぬ哲哉の小刀で見事に切り捨てた。しかし、逆に、それは国際的で普遍的な人権という実体概念をこっそり密輸しただけではないのか。

而して、本書の中で、この国際的な人権という実体概念、すなわち、<キリスト教の組織進学>において、父なる神に対する聖霊の役割を演じているのが、<高橋戦争責任論>においては<各人が意識しないことが許されない戦争被害者の訴え>という、ほとんど、「あなた何様?」的契機なのです。

なるほど、『歴史主義/修正主義』に私が傲慢さを感じた理由がわかった気がする。
蓋し、高橋哲哉さんはお節介な宣教師なのだ。

「神=普遍的な国際的人権は存在する。否、最後の審判が必ず行なわれるように、それは必ず現実のものとなる。聖霊の声=戦争被害者の声を聞きなさい。悔い改めよ。戦争責任を知り、汝の政府の戦争責任を追及しなさい、それが貴方の戦争責任の果たし方なのですから」、と。

そう、頼みもしないのに他所の玄関にやってきて説教を呟くお節介な宣教師なのだ。
これが多分、正解、鴨。違うかな(笑)


尚、本書に炸裂している高橋哲哉さんの<詭弁の強弁>の芸風にご興味のある向きは、その<無根拠な独善性>を俎上に載せた下記拙稿も是非ご一読ください。

・高橋哲哉『靖国問題』を批判する(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/2499484.html

・高橋哲哉『国家と犠牲』を肴に<高橋哲学>の非論理性をクロッキーする
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/10702380.html



hoshinoakichan







(2010年9月14日:yahoo版にアップロード)

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