日本語と韓国語の距離が照射する保守主義と生態学的社会構造の連関性

nausica0


公私多忙中にも「忙中閑あり」の日はあるもので、昨日はふと肩の凝らないファンタジーを読んでしまいました。これです、

宇田伸夫『百済花苑-大化改新異聞』(近代文芸社刊・1996年)


比較言語好きの間では結構有名な<空想科学歴史小説>。「入鹿虐殺の謎を追って/『日本書紀』に隠されていた『古代朝鮮語』と『蘇我百済王朝』の謎」という帯びの宣伝からして鬼面人を驚かす雰囲気が漂ってくる。もちろん、本書は、「万葉集は古代韓国語で書かれた」とかの、例えば、藤村由加『人麻呂の暗号』(新潮社)と同様、肩の凝らないファンタジーにすぎません。ただ、空想の翼を時空を超えて羽ばたかせるのも、「忙中閑あり」の日には悪くはない、鴨。と、読了してそう思いました。

蓋し、本書のストーリーに関しては取り立てて説明する実益はない。ポイントはそれが基盤とする古代日本社会のイメージ。要は、飛鳥の時代、現在、大和朝廷と呼ばれている王朝は百済系の王朝であり、他方、当時の朝鮮半島の政治情勢とも絡み新羅や高句麗の勢力も日本列島の各地に盤距していた。そして、実は、「天皇家=蘇我氏」であり、今の天皇家は蘇我氏の姻族たる「準皇族=王族」にすぎなかった。而して、当時の指導者層(皇族・王族・豪族・知識階級)の母語は、百済語が本流であり、豪族によってはその朝鮮半島内の本貫地の違いによって新羅語や高句麗語を話す者もいた。畢竟、現在に至る日本語はこれら三韓と支那語および土着の原日本語が混合したものだ、と。こんなファンタジーが本書の舞台装置になっています。

念のため申し添えておきますが、1980年代半ばから1990年代半ばにかけて流行ったこのようなファンタジーは、下記拙稿を参照いただくまでもなく<空想科学歴史小説>にすぎません。

・いろんな意味で結構根深い日本語の韓国起源説(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/19059012.html

・安本美典『日本語の成立』
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d1281ce782634aba0234bf2bcf586335

而して、本稿は、このようなファンタジーを思索の端緒として、「伝統とは何か」そして「伝統に価値を置く保守主義とは何か」について考えたメモランダム。而して、その理路は、(1)ファンタジーがファンタジーでしかないことを明らかにする過程で、私の所謂「生態学的社会構造:ecosystem」、つまり、「自然を媒介にして人と人が取り結んでいる社会的関係の総体」という概念を抽出して、次に(2)伝統の価値と保守主義の妥当性の根拠を考察するものです。


■言語間の距離と生態学的社会構造
比較言語学的や歴史学的な価値は皆無としても、私はこういうファンタジーは満更無意味ではないと考えています。例えば、法学的には無価値な憲法無効論も、現行憲法の正当性の根拠が極めていかがわしいものであることを確認するための補助線としては、また、一般的に「憲法の概念」や「憲法の妥当性の根拠」を考える上での導きの糸としては不毛ではない。而して、日本語と韓国語の変遷と分枝を考えることは、その言語を担ってきた両民族の形成過程を客観的な時間軸の上で考えることを可能にするかもしれない。更に、この思考実験は「生態学的社会構造の変遷と民族の形成」を巡る一般的な考察に間主観性を与えるものではないか、と。そう私は考えるのです。

何が言いたいのか。例えば、時間軸の推移とともに各言語が分岐していく「系統樹モデル」で様々な言語の類縁関係を捉えることが可能でもあり有効でもあるインド・ヨーロッパ語族の場合、各言語の距離は現在こう考えられています(安本美典『日本語の成立』『日本語の起源を探る』;服部四郎『日本語の系統』(岩波文庫))。

オランダ語・低地ドイツ語と高地ドイツ語との分岐は約1200年前
ロマンス語(伊仏西葡)内の分岐は約1600年前
オランダ語・ドイツ語と英語の分岐は約1600年~2000年前
西ゲルマン語(英蘭独)と北ゲルマン語(北欧語)の分岐は約2300年前
ゲルマン語とロマンス語(伊仏西葡)の分岐は約4000~5000年前


これに対して、日本語の成立事情は(多数の河川が大河に流れ込む)「流入モデル」で考えるべきだという安本さんの主張が現在有力なのですが、そこを無意味を承知で、日本語と韓国語がある一つの祖語から単純に分枝したと仮定して推定すれば「その分裂年代は今から4000年前以後ではあり得ない」(服部ibid., p. 364)とされている。ちなみに、安本さんの「流入モデル」からは、原日本語の材料の一つ「古極東アジア語共通語」から日本語と韓国語が分枝し始めたのは6000年~7000年前と推測される。つまり、日本語と韓国語の距離は、その下限を見ても英語とイタリア語の違いに匹敵しており、その分枝の時期は、英語とドイツ語の分枝の時期よりも更に2000~2400年は古いのです。

もちろん、例えば、1066年のノルマンコンクエスト以来、英語に大量のフランス語語彙が流入して、古期英語の時代が終わり中期英語の時代が始まった如く、あるいは、アフリカから連れてこられたアフリカ系アメリカ人も現在は英語を話しているように、言語の変容は「政治的-経済的」な要因によっても引き起こされる。つまり、ある生物種と別の生物種の進化系統樹における距離が(時間的にほぼ均等に発生する突然変異の回数、すなわち、)均一な時間の関数として特定されるのと違い、言語間の距離を測定する時間は「政治史-経済史-文化史」によって豊かに彩られる不均一で非対称性を帯びた時間であり、単純に、基礎語彙の意味と音韻・文法の違いの度合だけで言語間の距離を実時間として確定することはできない。

けれども、『万葉集』『記紀』『風土記』等々に保存されている飛鳥・白鳳の日本語を想起する限り、また、それ以後、一部の支那語や西欧語の流入を除き他の言語から日本語は本質的な影響を受けていない事実から考えれば(『百済花苑』の舞台たる大化改新(645年)の時から、漢文ではなく、韓国語を固有名詞といえども幾らか保存した文献が確認できる12世紀半ばまでの500年間に韓国語の方がなんらかの事情で大幅に変化したのでもない限り)日本語と韓国語の距離は、大化改新時点で、通訳なくしても意思疎通可能なほど近くはなかったと断言できると思います。

而して、朝鮮半島から渡来した指導者層が、あえて、自分の母語ではなくドイツ語とイタリア語よりも離れている土着の言葉を使用したという想定が不自然である以上、(蘇我氏が天皇家であったという仮説の検証は割愛するとしても)当時の天皇家がその僅か数代前に百済から渡来したという設定もまた説得力はない。

けれども、繰り返しになりますが、言語の変化は「政治的-経済的」な要因によっても引き起こされる。而して、「政治的-経済的」な要因の総体的な枠組みである「生態学的社会構造」とその「生態学的社会構造」の変容こそが言語の変化の主動因ではないか。ならば、日本語も韓国語も(共通の祖語から分枝して以後)歴史の中で、すなわち、日本列島と朝鮮半島の歴史的と自然的に特殊な各々の「生態学的社会構造」の中で独自の変化を遂げて現在に至っている、と。そう私は考えざるを得ないと思います。


■保守主義と生態学的社会構造
生態学的社会構造を言語変遷の動因と見る立場。この観点からは、「イヌイットの言葉には雪を指し示す言葉が100以上もある」という所謂「ウォーフ説」、あるいは、「出世魚」の如く日本語には同じ魚種を指し示す多くの言葉があり、英語には羊や牛を指し示す多様な語彙が存在することも極めて当然のこととして理解でる。「雪」を意味するイヌイットの生態学的社会構造とそのような「雪」を表す多様な語彙の存在、魚や家畜を表す言葉の多様性と日本と英米の食文化の差異は整合的でしょうから(尚、「雪」に関する「ウォーフ説」自体は現在では完全に否定されています)。

蓋し、『人間の経済』『大転換』を通してカール・ポラニーが「経済」をそう定式化した如く「人間は自分と自然とのあいだの制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する」存在でしょう。ならば、これまたポラニーが喝破した如く、そのような<対自然関係>と<対他者関係>の総体としての生態学的社会構造は、近代以前には人間社会そのものであった(「経済」が社会に埋め込まれていた)のに対して、近代以後の資本主義社会では、「経済」が社会から「離床」して独自の運動法則を持つに至った。畢竟、マルクスが指摘した「資本主義の原理的盲目性」「資本の無限の自己増殖性」とは、生態学的社会構造が人間社会から「離床」した相に他ならないと思います。

このような人類史認識が満更荒唐無稽ではないとするならば、グローバル化の昂進著しい現在、また、資本主義に代わる資源と所得の生産と分配のシステムが見当たらない以上、我々は、グローバル化に対抗しうる唯一の砦である「主権国家-民族国家」を拠点に、「離床」した経済の弊害を治癒しうる新たな生態学的社会構造を再構築しなければならない。すなわち、伝統の再構築に挑まなければならないのではないかでしょうか。

而して、この認識からはイリイチの言う意味での「コンヴィヴィアリティ:conviviality」、すなわち、自律的な自己拘束に基づく資源の節度ある利用を前提とした「分業=共餐」関係を生態学的社会構造にビルトインする回路は(「強欲=盲目」資本主義とも、権力の万能感に酔った民主党的な強権支配と計画経済を志向する社会主義とも異なる、第三の道として)有望ではないかと考えています。そして、「コンヴィヴィアリティ=保守主義の正当化要因」であるとも。なぜならば、国家権力に過大な期待をすることなく慣習に従い各自が自立することに誇りと喜びを見出す人間社会の姿こそ保守主義の理念でありそれは「コンヴィヴィアリティ」と親和性が高いと考えるからです。

伝統とは、現実に物象化している個々の伝統的なsomething の表現形(神社仏閣にせよ、仕草や美意識のパターンにせよ実際にたち現れる現象)そのものではない。また、単純に歴史的事実から伝統の価値を演繹することは論理的誤謬を犯すものです。新カント派の方法二元論を持ち出すまでもなく、いかに長年に亘ってある現象が継続されているとしてもその事実だけではその文化現象の価値を基礎づけることはできないのだから。

畢竟、伝統とは伝統的なsomethingに自己のアイデンティテイを感じる人間が自己を包摂する生態学的社会構造の中で恒常的にそのsomethingを再構築する協働作業であり、その作業に価値を置く集団的の意識に他ならない。而して、正に、現下のグローバル化の時代が「ローカル化の時代-民族の時代」であるとするならば、蓋し、諸国民が社会から「離床」した生態学的社会構造を再構築する営みを通して、すなわち、伝統に価値を置くライフスタイルを互いに尊重し合う、非教条主義的な、言葉の正確な意味での「保守主義」が希求されている時代ではないかと思います。いずれにせよ、このグローバル化の時代こそ、日本人は益々日本人であらねればならない。そう私は考えます。

尚、私の考える「保守主義」に関しては下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。

・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59891781.html

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html




◇解題:2011年1月5日記
海馬之玄関自家記事転載。日本に限らず、文化というのは「玉葱」のようなもので、一枚一枚外的な要素を剥いていくと結局は何も残らない。では、「玉葱」は存在しないかと言えば確実に存在する。しかも、日本人にとっては日本の玉葱が一番美味しいし、おそらく、アメリカ人にとってはアメリカの玉葱が最高なのだろう。と、そういうふうに私は考えています。

気をつけるべきは、言語とDNAと民族は(無関係ではないが)別物ということ。而して、国粋馬鹿右翼がどう言おうが、逆に、民団や総連がどう言い切ろうが、社会学的には(安全に言って)「在日3世以降の人々」の感性と心性は、最早、日本人なのです。

蓋し、在日の悲劇というか喜劇は、「自己の心性&感性と自己のアイデンティティが分裂していること」。このことを直視するならば、彼等の将来は「缶詰の中の蛸」(手も足も出ません♪)であろう。と、そう私は考えています。

而して、イリイチの「コンヴィヴィアリティ:conviviality」も、日本では左翼的文脈か、そうでなければ、ポストモダンならぬプレモダンへの回帰というニュアンスで使用する論者が多いようです。

しかし、私が、今西錦司先生の「棲み分け」やカール・ポラニーの「経済」からヒントを得て構築途中の「生態学的社会構造」と同様、実定規範たる(つまり、綺麗事でも理想論でもない)慣習的規範に担保された、節約を基盤とした生産と生活の一体化するコミュニティーの再生は、「コンヴィヴィアリティ:conviviality」の再構築であろうし、それは、グローバル化の波頭からそれを守る強い主権国家との、ある意味、絶妙の火と水の組み合わせにおいて不可能ではない。と、そう私は考えています。

尚、<伝統>と保守主義の理解に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。


・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60167130.html





(2010年2月1日:yahoo版にアップロード)

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