<君が代伴奏命令拒否処分>合憲判決☆読売の一記者に負けた朝日新聞




平成23年、2011年1月28日の東京高裁「日の丸・君が代代表訴訟」判決を考える資料として、4年前の2007年3月1日にアップロードした関連記事を自家記事転載することにしました。


表題の最高裁判決(君が代伴奏拒否訴訟最高際判決、2007年(平成19年)2月27日最高裁第三小法廷判決)に関して、この超マイナーブログにも「判例批評の記事書いてくれ」「憲法的には下級審と最高裁判決とどちらを貴殿は評価するのかね?」という問いあわせが殺到(笑)しています。といっても、メールと内緒のゲストブック書き込みで合計4件。

ありがたいことです。しかし、現在、公私多難&多忙と体調不良のためまとまった記事エントリーすることができません。けれども、ブログ運営といえども「客商売」:まして、このマイナーブログにとっては4件のご依頼というのは、昨年の「富田朝彦元宮内庁長官メモ」に関するコメント依頼以来のこと。よって、皆様のご要望にお応えして、憲法論に絞って記事をまとめることにしました。


法律論を弄ぶまでもなく「常識」から見て、<君が代伴奏拒否→処分→合憲>は明らかでしょう。ただ、朝日新聞の社説等を見ると、「この判決は人権制約の基準を示さない抽象論に終始した」という見方がされている。しかも、この見方は「常識にかなった妥当な判決」としてこの判決を歓迎する側のブログの記事やコメントにも散見しているようです。本来は、1、2審の判決のようにすっきりと「公務員が上司の命令に従うのは当然」「日の丸と君が代の尊重は学習指導要領にも書かれており、この上司の命令は合法かつ妥当」と言って欲しかったよな、と。まあ、勝ったからいいかっ、と。

結論から先に言えば、しかし、私の評価は下級審判決に比べても最高裁判決が優れているというものです。ところが、これと同じ主旨の解説を読売新聞で目にした。小林篤子記者の署名記事:2007年2月28日「解説スペシャル 君が代伴奏命令合憲」(下記URL参照)。

 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070228ur03.htm

小林さんはこう書いておられます。「最高裁判決は、結論こそ同じだったが、判断の枠組みは1、2審と根本的に異なる」「あるベテラン裁判官は「公務員だから(人権を)制限しても良いという1、2審の論理は、やや乱暴な切り捨て方。最高裁判決の方が現実的で理解しやすい」と話した」、と。この小林記者の分析には唸りました。ということで、小林氏の分析から一歩踏み込んで私なりに要約すれば、

●1、2審の論理
・君が代伴奏拒否は思想良心の自由にあたるか:Yes
・伴奏命令は思想良心の自由の侵害(や制約)か:Yes
・職務命令による思想良心の自由の侵害は許されるか:Yes 

●最高裁判決の論理
・君が代伴奏拒否は思想良心の自由にあたるか:Yes/No
・伴奏命令は思想良心の自由の侵害(や制約)か:No 
              → ここでゲームオーバー
・職務命令による思想良心の自由の侵害は許されるか:N/A
              → ゲームオーバーにつき判断せず


敷衍すれば、1、2審の下級審判決が、(1)君が代伴奏拒否は憲法が認める思想良心の自由であり、(2)普通の人に対する伴奏命令(? 普通の人に「命令は出せんよ!」とかは言わないこと♪)は憲法違反になりうるが、(3)このケースでは原告(上告人)は、公務員であり、かつ、ピアノ伴奏をする任にこの学校組織の中で最も相応しい「音楽教師」であるのだから、この件に関して人権が制約されるのは当然。ピアノ伴奏命令は合理的な人権の制約である。よって、<君が代伴奏拒否→処分→合憲>と考えるのに対して、

最高裁判決は、(1)君が代伴奏の拒否は(一般的には)思想良心の自由にあたるが、その制約がどの程度憲法的に許容されるかどうか(逆に言えば、思想良心の自由の具体的規範内容)はケース・バイ・ケースでしか定まらない。つまり、君が代伴奏の拒否が思想良心の自由にあたるかどうかは個々の場合で異なる。ところが、(2)伴奏命令は思想良心の自由の侵害(や制約)ではない:なぜならば、思想良心の自由の制約とは、①特定の思想の強制、②個人の思想の表明・告白の強要という二つの場合に類型化され、本件の伴奏命令は「君が代を好きになれ!」とか「君が、君が代を好きなことを態度で示してみろ!」というものではないことは明らかであるから、よって、<君が代伴奏拒否→処分→合憲>であり、(3)「職務命令による思想良心の自由の侵害は許されるか」は判断するに及ばないと考えたのだと思います。

再度言いますが、憲法理論的には、はっきり言って最高裁判決が下級審よりも優れている。私はそう思います。なぜか。

例えば、20年近く前までの憲法の教科書には、人権制約のカテゴリーとして、「特別権力関係論」や「部分社会の法理」(要は、公務員やある宗教団体の職員のように、自ら進んで憲法上の権利の一部が制約されることを承知でそのポジションについた者については、普通の人に比べて人権が制約される度合いが大きくなったとしても違憲とはいえないし、そのような雇用契約等は民法の公序良俗に反するものとも言えないというロジック)が堂々と書かれていました。また、刑法のテクストには「憲法31条は実体的デュープロセスをも規定する」という主張も(要は、憲法31条は刑事訴訟法的な手続きの完備を要求するだけでなく、犯罪の成立要件の規定の明確性、犯罪と犯罪に対する法的効果たる刑罰の重さの均衡をも要求しているという主張も)堂々と書かれていた。

けれど、どのような行為を犯罪とするか(=どのような利益が刑法を通じて国家が守るべき「法的利益=権利」とされるか)、而して、犯罪類型と刑罰の重さの合理的均衡などは、憲法31条という本来「手続きの法定」を要求する抽象的な条規からではなく、表現の自由や財産権、労働基本権や思想良心の自由等々の各種人権条項から導かれるべきものであり、まして、「特別権力関係」や「部分社会の法理」などの<水戸黄門の印籠>を持ち出すだけで、公務員や特殊な団体のスタッフの人権を一般的に制約できるとする考えはあまりに乱暴でしょう。蓋し、小林記者が取材されたある裁判官が「公務員だから(人権を)制限しても良いという1、2審の論理は、やや乱暴な切り捨て方」であるとコメントされたのは極めて妥当だと私は思うのです。

逆に言えば、朝日新聞がよくするように「人権」の二文字を持ち出せば、(朝日新聞や反日勢力が守りたいと考えるあるタイプの)利益を制約する国家や地方自治体の命令や制度は「違憲」と断じうるかの如き論調もまた、<水戸黄門の印籠>レヴェルの議論に過ぎない。そう言えるのではないでしょうか。例えば、2月27日朝日新聞社説「人権メタボ 文科相のひどい誤診だ」の中の記述、

「伊吹文科相は「権利と自由だけを振り回している社会はいずれ駄目になる。権利には義務が伴う」とも語っている。人権を振りかざして義務を果たさずに権利ばかりを主張するのはおかしい。そう言いたかったのかもしれない。しかし、「権利」と「人権」は重なり合うが、同じではない。「人権メタボリック症候群」という言葉から伝わってくるのは、人権に対する文科相の感性の乏しさだろう」というのは朝日新聞の憲法理解の乏しさの現われだと私は思います。

畢竟、人権は憲法総論においては国家権力の正当化根拠であり(=人権の価値を認めその価値の具現を図ることが権力の支配に正当性を与えるというロジックであり)、国家権力行使の制約根拠(=権力の行為規範たる、権力行使の制限規範としての人権というロジック)であることは間違いないでしょうが、憲法の各論たる人権論においては、人権は具体的な諸権利の束や体系としてしか存在しないのです(百歩譲ったとしても、「人権は具体的な諸権利の束や体系としてしか認識できない」のです)。

蓋し、個々の人権は具体的な場面では「どの程度の行為まで憲法秩序の中で許されるのか」という切り口から、言わば消去法的かつ帰納法的に理解されるしかない類の規範の内容であり、而して、人権とは「ある範囲に限定された権利」の束であり体系以外の何ものでもない。

そして、伊吹文科相の「人権メタボリック症候群」というのが(朝日新聞自身が認めているように)人権と権利を同一視していることから見て、伊吹文科相の議論が憲法各論における「具体的な人権」について論じたものであることは明らかなのです。ならば、朝日新聞の「「権利」と「人権」は重なり合うが、同じではない」という主張は、故意か過失か知りませんが、明らかに伊吹文科相を(ひいては、安倍-中川酒豪-麻生外相の「ANA」連合政権を)批判する為にする「憲法の総論と各論を混同」した狡猾または粗忽な議論と言えるのではないか。私はそう考えます。閑話休題。

結論としてもう一度整理すれば、君が代伴奏命令に合憲判断を下した、今次の最高裁判決は、「人権を制限する/人権を擁護する」という憲法の各論の具体的な人権論において、ドイツ憲法学流の「特別権力関係論」も朝日新聞流の「人権メタボリック症候群」も否定する中庸を得た穏当なものでしょう。それは、<水戸黄門の印籠>的な概念実在論ばりの「人権論」を退ける構想の健全さの現われである点でも、かつ、思想信条の自由の制限パターンとして、①特定の思想の強制、②個人の思想の表明・告白の強要という具体的な基準を打ち出したプロの法律家らしい知的努力の点から見ても、(もちろん、判決の結論が、「世間の常識」に沿って、非常識な音楽教師とその支援者に鉄槌を加えるものであっただけでなく)極めて妥当な判決であった。

ならば、朝日新聞がその記事で「今回は、ピアノの伴奏に絞っての判断で、不起立や不斉唱を巡る訴訟では別の結論が導かれる可能性も残されている」(2007年2月28日、東京本社版13版第一面)という意味不明な負け惜しみを書いていますが(もちろん、本件は音楽教師のピアノ伴奏拒否を巡る訴訟であったことは事実ですが)、①特定の思想の強制、②個人の思想の表明・告白の強要という、思想信条の自由の具体的内容の確定のガイドラインを示した今回の判決は、不起立や不斉唱を巡る訴訟にも少なからず影響を与えるものと私は確信しています。

しかし、それにしてもある判例の理解について、朝日新聞が束になっても読売新聞の一記者に勝てないというのは実に痛快ではないか。今後とも、「小林篤子記者の署名記事」が楽しみだ。そう私は思いました。





(2011年01月29日:yahoo版にアップロード)

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