続・民主党政権とは何だったのか-国家なき国家論の稚拙な暴走

富士


民主党政権は国家観を欠いている。これはしばしば指摘されることです。実際、「日本列島は日本人だけのものではない」と言い放った鳩山首相、在日韓国人から政治献金を受けていた事実が発覚したにもかかわらず毫もそのことの重大さを理解しているとは思えない菅首相。そして、「竹島は日本の領土ではない」という韓国国会議員の宣言に何憚ることなく署名してしまうその菅首相の側近議員等々。これらのことを見れば、民主党政権に日本の国家権力を担っているという意識と気概が欠落していることは間違いないでしょう。しかし、私は民主党政権が孕んでいた問題は国家観の欠如ではなく、むしろ、それに憑依する国家観の歪さではないのか。すなわち、民主党政権とは<国家>なき国家論の稚拙な暴走ではなかったのか。と、そう考えています。

本稿は前稿「民主党政権とは何だったのか」の続編であり補足。よって、繰り返しになりますが、なぜ民主党政権が誕生したのか、この点に関する認識を確認した上で本稿の考察に進みたいと思います。

・民主党政権とは何だったのか
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60333201.html

なぜ民主党政権は誕生したのか? あるいは、民主党政権とは何だったのか? 

私はそれを、()現実的に<政治>が実現不可能な要求を、()現実の政治において極めて拙劣な政治スキルしか持ち合わせていない政党が国民有権者に実現を約束して政権を奪取した事象であり、而して、()<政治>には外在的と内在的の限界があることとともに、()<政治>が国家社会統合というイデオロギー的機能をその死活的に重要な役割としていることをこの悲劇の中で日本国民が学習した事態であると、ある種、楽観的に総括しています。    


以下、敷衍します。


◆ゲームの意味の変化とゲームのルールの変化

再々になりますが、民主党政権の誕生は自民党一党支配体制の終焉に他なりません。自民党政権末期のこの社会を覆っていた閉塞感に耐えかねた多くの有権者は民主党に一票を投じたと言えるのではないでしょうか。では、その閉塞感の正体とは何か。蓋し、それは、冷戦構造崩壊に象徴されるグローバル化の昂進にともなう(ビジネスにせよ国際関係にせよ、老後の生活にせよ就職や結婚にせよ)社会の予測可能性の低下を背景とした、<政治>のゲームのパフォーマンスへの不満であり、而して、民主党政権は(そして、ある意味、小泉構造改革も)<政治>のゲームのルールに対する異議申し立てを世論に問うことで政権を奪取したの、鴨。

予測不可能性とリスクの増大。すなわち、日本の相対的地位の低下、相対的に縮小するパイの大きさに反比例して拡大し機能不全に陥ってきた、①中央と地方の格差、②世代間格差、③国から地方への援助システム、④世代間支援システム。他方、冷戦構造崩壊の中で国家主権の原則に基づき見直されるべき、日本の安全保障政策に対する、あるいは、対特定アジア外交や日本の近現代史認識に対する事なかれ主義的で理不尽な<戦後民主主義の歴史観>の跋扈延命。そして、言うまでもなく「政財官+労組」のアンシャンレジューム体制の存在、等々。

これら誰が見ても、<政治>が今改革すべき現状を支配するルールが、しかし、他方、この社会の人々の(例えば、進学先・就職先の決定においても)行動のルールとして厳然と効力を維持してきていることが閉塞感の正体ではなかったのでしょうか。もちろん、例えば、かってこの社会に流布した、「番町小学校→番町中学校→日比谷高校→東京大学法学部→大蔵省」という程の予測可能性は現在では、進学においても就職においても婚活においても最早機能してはいないでしょう。けれども、大なり小なり、自分が忌避するルールに取り敢えずは従わざるを得ない現実が自民党政権末期のこの社会を覆っていた閉塞感の核心であったのではないか、と。

而して、

民主党は、自民党政権末期、この<政治>というゲームが醸し出していた閉塞感を「政治主導=官僚支配の打破」というゲームのルールの変更を通して払拭できると喧伝して政権を奪取した。そして、所謂「事業仕分け」とはそのようなルールの変更の一斑であったのかもしれない。けれども、そのルールを変更するには民主党の政治スキルはあまりにも稚拙であっただけでなく、彼等が標榜した「政治主導」ということの中には論理的に不可能な事柄も少なからず含まれていた(後段に関しては下記拙稿をご参照いただきたいのですけれども)。と、私はそう考えています。    

・政治主導の意味と限界
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59888125.html

・民主党政権の誕生は<明治維新>か<建武新政>か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59586802.html

・「事業仕分け」は善で「天下り」と「箱物」は悪か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59556356.html


上記の考察を整除すれば、


(甲)グローバル化の昂進、すなわち、①資本主義的な生産様式の波及と徹底、②「科学技術=人類の生産力」の向上、③「人物金+情報」の移動流通の拡大と高度化、④予測不可能性の増大等々の諸傾向中で主権国家が行ないうる<政治>の影響力は反比例的に縮小してきた。他方、(乙)同じくグローバル化の昂進の中で主権国家の社会統合維持のイデオロギー的機能の重要性はグローバル化の度合に比例して増大してきた。

畢竟、(丙)民主党政権とはこれら(甲)(乙)を共に看過して、かつ、ある種の「国家観-機械論的な国家論」、すなわち、権力の万能感を抱きつつ主権国家の<政治>がグローバル化の波濤に抗してその国民に保障すべき「日本国民としての一体性という政治的神話」のメンテナンスを放棄したものである。
    


わずか数百人のカルト教団が当時世界第二位の経済大国の首都で同時多発的に化学兵器によるテロを惹起できる生産技術の高度化と流通が現実のものとなっている人類史の現在。あるいは、テロネットワークが世界の唯一の超大国に対して民間旅客機を用いて自爆テロを敢行できるようなグローバル化の昂進した人類史の段階に我々が生きていることを想起するとき私はそう断ぜざるを得ないのです。

而して、近代国家を取り巻く人類史の変遷にともない近代国家の<政治>のゲームの意味も変化したのだろうし、よって、その<政治>のゲームのルールも変化されなければならない。けれども、小泉政権がその端緒を見事につけたのとは異なり、民主党政権は、ゲームの変化も理解できず、よって、ゲームのルールの変更を行なうこともできず、単に、ゲームの意味の変化という与件に掉さして政権を奪取したにすぎない。それは、伝統に基礎づけられた国家観を欠く、機械論的な「国家論=権力論」の暴走だったのかもしれません。



◆民主党政権に憑依する歪な国家観

機械論的な国家論。すなわち、伝統と文化と歴史を軽視する権力に対する万能感ゆえにか、民主党政権はグローバル化の昂進著しい現在、主権国家の<政治>に不可能なことを可能と錯覚した。他方、民主党政権は、グローバル化の昂進著しい現在であればこそ主権国家としての日本における<政治>がフォローすべき使命を放棄した。それは、伝統と歴史を苗床とした日本人としてのアイデンティティーを日本国民に供給しつつ、この社会を社会的に統合するイデオロギー的責務です。このブログでも何度か引用してきましたがゲルナーはこう述べています。

ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。

【出典:アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年)
 引用は同書(岩波書店・2000年12月)p.96】   


ナショナリズムと近代の「主権国家=国民国家」の関係についての私の基本的な理解については下記拙稿をご参照いただきたいのですが、もちろん、この世に普遍妥当な「日本人」なるものは存在しないでしょう。「民族」も「国家」も、よって、「日本人」も「日本」もゲルナーが喝破した通り、ある種、近代に特殊な歴史的な観念形象にすぎない。

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html


けれども、日本国が「私は日本人である」あるいは「日本人がマジョリティーを占める社会でそのマジョリティーの支配を尊重しつつ生きている外国人である」と考えている人々、日本国民と日本市民によって構成されていること、そして、それら社会学的に観察可能で現象学的に理解可能な社会的意識によってこの社会の安寧秩序が保持されていることもまた事実ではないでしょうか。

ならば、そのような政治的神話としての日本人としてのアイデンティティーをメンテナンスすることは<政治>の最重要事項というべきであり、よって、「日本列島は日本人だけのものではない」と言い放った首相、在日韓国人から政治献金を受けていた事実が発覚したにもかかわらず毫もそのことの重大さを理解しているとは思えない首相。そして、「竹島は日本の領土ではない」という韓国側の宣言に署名してしまうその首相の側近議員を抱える民主党政権は、近代国家におけるナショナリズムの重要性を理解できていない、<政治>を担う資質に土台欠けていたと言うべきではないか。それは、<国家>概念を欠く歪な国家観、畢竟、国家なき国家論の稚拙な暴走だったの、鴨。と、そう私は思います。


国家は幻想にすぎない。それは、地球市民や国際社会が幻想にすぎないのと同じです。要は、国家は「擬制=幻想」にすぎない。けれども、その社会を構成するメンバーが国家という幻想を抱いているということは間違いのない事実であり、国家という擬制に基づいてこの社会の(否! 世界中の)人々が生活していることも明確な事実なのです。

而して、国家が幻想にすぎないとしても、正に、幻想や擬制そのものとして実体的な影響を国家は人々の人生や運命に及ぼしている。幻想はそれが幻想すぎないからといってその存在意義までも否定されるわけではないのです。

畢竟、グローバル化の昂進著しい現在、グローバル化の大津波の渦中に放り込まれながら社会生活というゲームで七難八苦に対面する運命を与えられているのが現在の人類史段階にある人間存在であり、そのような大津波が恒常的に押し寄せる国際政治や社会生活というゲームの中で自己の個性を華咲かせ感動に満ちた人生を享受したいと切に願っているのが人間の現存在とするならば、「日本国」や「日本人」という幻想が、この社会統合を維持して、グローバル化の獰猛な波濤から個々の日本人を護り、個々の日本人の願いを実現することに少しでも有効であれば、国家という幻想を社会においてメンテナンスすることは日本の<政治>にとって死活的に重要な責務であろう。而して、ナショナリズムと異質な民主党政権の機械論な国家論はこれらの<政治>の責務とは相容れないものであった。と、そう私は考えています。



大牟田




(2011年03月12日:yahoo版にアップロード)

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