「国民投票法反対論」攻略マニュアル

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今月下旬にも予想されている現行憲法96条を具現する国民投票法の成立を目前にして、国民投票法に「最低投票率」や「最低得票数」の規定を設けるべきだとの主張がなされている。すなわち、

曰く、国民投票に最低投票率の規定を盛り込むのは世界の常識だ。曰く、仮に投票率が40%のケースでは有権者の20%強の賛成で憲法改正が行われることになり、それは国家の基本法たる憲法の改正としてはあまりにも軽すぎる。あるいは、国民主権の理念からは、国民投票法に最低投票率の規定を盛る込むこと、更には有権者の過半数の賛成を改憲の条件にすることが96条の正しい解釈である、と。

また、憲法は国民多数の意思によっても侵害されない人権を国家権力から守るためのものであり、この立憲主義からは憲法改正のための国民投票法に最低投票率や最低得票数の規定を設けるのは当然、等々。このような議論が、現在、新聞各紙の社説やコラムからブログやネット掲示板に散見される。

他方、憲法改正国民投票法の与党案には最低投票率も最低得票数の規定も盛り込まれていない。而して、最低投票率等を盛り込まないロジックは、「それらを盛り込めば投票ボイコット運動を誘発して国民投票を混乱させる/国民の意思が正確に国民投票の結果に反映することを難しくする」というもの。

結論から言えば、(例えば、最低投票率等の規定を欠く与党案の場合、逆に、投票率が40%程度のケースでは有権者の20%強の反対で憲法改正が否定されるのだから)最低投票率等の規定がないこと自体は改憲賛成派にも反対派にもニュートラルであり、与党案と与党案のロジックは満更不条理ではないと私は思う。

けれども、最低投票率(/最低投票数)を国民投票法に盛り込むべしとして、その根拠として上に列記したようなロジックを挙げる、社民党や共産党という泡沫政党や反日プロ市民は与党のロジックを彼等の主張に正面から応答するものとは感じないようだ。而して、彼等の五月蝿い憲法床屋談義を終了させるべく、本稿では「憲法改正の国民投票法と最低投票率等を巡る法理」を整理する。簡易版ではあるが国民投票法反対論に対する攻略マニュアルの提示である。


◆硬性憲法と憲法改正の国民投票
・国民投票に最低投票率等の規定を盛り込むのは世界の常識?
民主党の対案が投票対象を憲法改正に限定していないこともあってか、故意か過失か知らないけれど国民投票法反対論の中には国民投票(や住民投票)一般と憲法改正の国民投票の立法例を混同しているケースが少なくない。而して、「改憲手続きとしての国民投票」に限定すれば、最低投票率等を定めているのはデンマーク・ロシア・韓国・エジプトなど極めて少数であり、「国民投票に最低投票率等の規定を盛り込むのは世界の常識」などとは到底言えないのである。

尚、ある国民投票が有効になる条件として有権者40%の絶対投票数を定めている英国を、最低投票率を憲法改正のための国民投票に規定する立法例として挙げる朝日新聞等の論者は、英国が「不文憲法の国」という基本的な事実を看過しているとしか思えない。


・硬性憲法たる現行憲法に最低投票率等が盛り込まれるのは当然?
憲法自体に規定された硬性性(=通常の立法手続より改憲手続のハードルが高いこと)を越える内容を憲法改正のための国民投票法に盛り込むかどうかは、憲法規範の管轄外の立法政策のマターである。ならば、「硬性憲法なのだから最低投票率等が盛り込まれるのが当然」等の主張は、(最低投票率等を入れなければ護憲派に不利という状況認識の下で)改憲を可能な限り困難にしたいという私的かつ恣意的な願望を憲法解釈に仮託したものではないか。

繰り返すが、国民投票法に最低投票率等を盛り込むか否かは優れて政治の問題である。投票結果が自派に不利と考える政治勢力はそれを肯定するだろうし、vice versa「逆もまた真」ということ。蓋し、憲法の硬軟の差は講学の便宜から出た「分類パターン」にすぎないのであって、その比較憲法の分類の帰結から分類の知見を越えて96条の規範内容を導出することなどできないのである。

而して、憲法の硬性性から(=憲法保障の観点:憲法はその改正を極めて例外的な場合と想定しており、更に、憲法の本質的な改正を憲法は禁止しているという理解から)改憲に高いハードルを設けるのが「憲法保障の精神に適う」などの主張も護憲派イデオロギーの文学的表現にすぎないだろう。行過ぎた憲法の硬性性は(=立憲主義による民主主義の過度の抑制は)憲法に対する国民多数の支持を失わせ、憲法の正当性を突き崩す契機となりうるからだ。

実は、「軟性-硬性の憲法」(Flexible and Rigid Constitution)を最初に分類した英国のJames Bryceは、硬性憲法は革命やクーデターを誘発しかねないので、憲法保障の観点からも必ずしも優れているわけではないことを指摘している(1901年)。

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◆国民主権と憲法改正の国民投票
・国民投票での低い得票率は憲法改正の正当性を毀損する?
所得や性別等の(「不合理な差別」と国民が感じる)基準でもって投票権が制限されるならともかく、おおよそ妥当な範囲の国民多数に投票権が与えられるのなら、仮に投票率が10%であろうと1%であろうとその国民投票は法論理的には「有権者たる国民全員が参加した投票」であり、投票率によって国民投票の正当性が毀損されることはない。

権利が与えられている限りそれを行使するかどうかは有権者の自由であり、棄権/白紙投票という有権者の選択が「投票」(まして「改正反対の投票」)という選択より劣るなどというのは護憲派の思い上がり、一種の「選民思想」であろう。ならば、「最低投票率のシバリもなく、いかに投票率が低くとも有効票の過半数さえクリアできれば改憲できるという状況は、国家の屋台骨たる「憲法」に対して軽すぎる態度だ」などという国民投票法反対派の主張は朝日新聞流の文学的表現や感情論にすぎない。

而して、ここには「憲法は大事なもの。憲法改正の国民投票に向けて国民は十分に憲法を勉強し十分に情報を仕入れた上で臨まねばならない」という考えが伏在しているのかもしれない。けれども、「遊園地に出かける子供との約束よりも憲法改正の国民投票に行くことにプライオリティーを置け」と他者に言う権利など誰も持ってはいないのである。


・憲法96条は憲法改正に有権者の過半数の賛成を求めている?
現行憲法96条には「この憲法の改正は、・・・国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と書かれており、「国民の過半数」や「有権者の過半数」などとはどこにも書かれていない。この経緯は英文だと一層明確。すなわち、

"Amendments to this Constitution ・・・shall be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon, at a special referendum or at such election as the Diet shall specify."


つまり、「the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon」、と。つまり、96条に記されている「過半数の賛成」の意味は「その国民投票で投じられた投票の過半を占める改正賛成票」 に尽きている。

畢竟、最低投票率(/最低得票数)の規定の存在を96条から演繹するのは無理筋であり、与党案のロジックの如く(より多くの国民が国民投票に参加することを妨げさえするボイコット戦術を事前に封じるべく)最低投票率等を国民投票法に盛り込まないことは、できるだけ多くの国民の意見をできるだけ正確に投票結果に反映させることに通じ、それは国民主権論からも正当化される。


・国民主権からは最低投票率等が盛り込まれるのが当然?
国民主権の理念を鑑みるに、より多くの国民が国民投票に参加することで憲法の正当性を確保すべく、あるいは、より多くの国民に投票を働きかける努力を改憲賛成派と反対派の双方に促すべく国民投票法に最低投票率等を盛り込むことは現行憲法96条違反とまではいえない。

けれども、現行憲法が明文で硬性性の一斑として最低投票率を定めていない以上、国民主権そのものから最低投票率等を演繹することはできない。畢竟、国民主権とは理念であり価値であり権利・責務の領域の問題である。ならば、投票権の保障までがその原理の守備範囲なのであって、権利・責務を行使するかどうかは個々の国民の自由なのだから。


・ピープル主権論と憲法改正の国民投票?
国民投票法反対派の中には、所謂「ピープル主権論Vsナシオン主権論」を持ち出して最低投票率導入を求める論者もおられる。ピープル主権論とは1970年代半ば以降日本でも一時期流行った議論であり、国民主権の「国民」とは抽象的な理念としての「ナシオン」ではなく個々の具体的有権者の総体たる「ピープル」であって、公務員(=国会議員や間接的には内閣のメンバー)の罷免権を担保にしてピープルは政治の運営を国民代表(=国会議員や内閣のメンバー)に白紙委任しているのではなく、つまり、国民代表はピープルからフリーハンドを与えられた存在ではなく(国政選挙以外にも常に)ピープルの意思に拘束される「半代表」であるという議論。

このようなピープル主権論や「国民=ピープル=具体的有権者の総体=人民」理解からは、有権者の過半数(あるいは、国民多数の意思によっても人権は制約されないという立憲主義の主張を加味すれば、例えば、有権者の三分の二等の圧倒的多数)の賛成がなければ人権や平和に関する憲法改正はできないというロジックも成り立つ可能性はある。けれども、現行憲法96条が現に改正手続きを詳述している以上、特別法は一般法を破るのだろうから、ピープル主権論者がその条文根拠として掲げる「国民の公務員罷免権」を定める現行憲法15条を経由して、国民投票法に最低投票率等を憲法の要請として導入することは不可能である。

「英国人は自分達を自由だと思っているが、彼等が自由なのは選挙の時だけだ」というルソーの皮肉にも明らかなように、抽象的で観念的な「国民=ナシオン」ではなく、生身の個々の有権者の具体的総体を主権の担い手たるピープルと理解するこのアイデアは、国家権力サーヴィスの運用に顧客(=ピープル)の意思をより反映する思想的な枠組みを提供する可能性は持っている。けれども、直接民主制を採用するのでもない限りピープルと雖も、所詮、抽象的な「個々の有権者の総体」という観念以上のものではなく、ピープル主権論から現行憲法15条を根拠に96条を含む現行憲法の規範内容を理解すべきという解釈根拠は皆無なのである。

尚、国民投票法反対派の一部はカール・シュミットの「憲法の改正と憲法律の改正」の違いを持ち出し、「憲法律(=憲法のテクニカルな規定)の改正ならともかく、現行憲法の基本原理を担う9条の改正には少なくとも最低投票率の規定が必要だ」と主張する。しかし、これはシュミットの憲法改正論の背後には憲法を越える「国家=民族」の連続性という、ピープル主権論や護憲派の主張とはかなり異質なsomethingが横たわっていることを看過した噴飯ものの主張である。シュミットの考える憲法の本質的や全面改正の主体たる憲法制定権力は「文化や歴史的伝統を体現する国民」という普遍的かつナショナルな契機が憑依した観念形象なのだから。


(2007年5月6日:yahoo版にアップロード)

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