地震と政治-柘榴としての国家と玉葱としての国民(上)




災害に対する危機管理は公共財の供給と並んで「国家=政府」の責務の中核でしょう。このことは、例えば、古代支那の殷王朝が黄河の治水をその本質的機能として発生したとされること、そして、歴代の支那の王朝では天変地異は天子の徳の至らなさの兆表として「革命」や「改元」、稀には「免税」や「減税」の理由とされたことを想起するまでもなく、人類史を通してある程度普遍的に言える事柄ではないかと思います。

人類が、例えば、古代ギリシアの人々が、ミクロコスモスとしての人間とマクロコスモスとしての宇宙の間に一種擬人的でパラレルな関係を見出していたこと。つまり、惑星や星座の運行、および、天変地異を含む天上の世界の秩序と、人の支配する地上の世界の秩序になんらかの対応関係を見立てていたことは周知の事実。そして、そのような擬人的な宇宙論が西洋の社会思想の根っ子にビルトインされている経緯は、ハンス・ケルゼンがそのイデオロギー批判の中心的主張として『神と国家』(1922-1923)以来指摘してきたことです。ならば、「自然=地震」を切り口に<政治>や<国家>のパフォーマンスの評価やその評価基準のことを考えることもそう荒唐無稽な試みではないの、鴨。

蓋し、例えば、天の与える警告や懲罰として、徳の乏しい政権の時に「大震災」が起きるのか、あるいは、徳の乏しい、要は、社会統合のパフォーマンスが低劣な政権下で惹起した地震が社会的には「大震災」として意識され歴史的に記憶されることになるのか。占星術に疎い私にはそれはよく分かりません。けれども、少なくとも、危機管理能力の劣る政権下で惹起する震災が日本国民にとっての文字通り<災難>と呼びたくなる類のものであることは間違いないでしょう。

しかし、本当にそうなのか。すなわち、社会統合スキルが拙劣な、就中、危機管理能力に劣る政権下で惹起する地震はその国民にとって、その国民の過去の行いとは無関係な悪しき不愉快な事柄としての<災難>と言えるのでしょうか? 

トーマス・マンが断じた如く「政治を軽蔑する国民は軽蔑に値する政治しか与えられない」とするならば、徳の低い政権下での天変地異の惹起は、すなわち、そのような巡り合せもまたその当該の国民の自業自得ではないのでしょうか。村山政権下での阪神大震災の生起や今般の菅政権における東日本大震災の発生という現実を前にしても(コアな自民党支持者であるにかかわらず)私はそう自問自答せざるを得ません。

而して、本稿は、個別、菅政権や村山政権の危機管理の能力を直接的に評価するものではなく、より一般的な観点から地震と政治、すなわち、自然と国家の関連を一瞥するものです。尚、本稿は下記の拙稿を「前書き」もしくは「後書き」とする本論とも言うべきもの。よって、もし、下記もご併読いただけるようであれば大変嬉しいです。

・民主党政権とは何だったのか
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60333201.html

・続・民主党政権とは何だったのか-国家なき国家論の稚拙な暴走
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60337052.html


◆自然の両義性-政治を免罪する契機と断罪する契機としての自然

まず確認しておくべきことは、自然の猛威の前にはどのような有能で老練な政権であろうとも、あるいは、世界唯一の超大国であろうと世界地図を顕微鏡で見ないと識別できない小国であろうともできることは極めて限られているという事実です。このことは、例えば、ハリケーン・カトリーナ(2005年)の襲来によってブッシュ政権が実質的にその政治的影響力に止めを刺されたこと、あるいは、ほぼ2億年の間続いたとされる食物連鎖における恐竜の支配がたかだか直径10キロ程度の1個の小惑星の飛来によって終焉を迎えたとされること(そう考えても科学的にはそう大きな問題はないこと)を想起すれば自明のことではないでしょうか。蓋し、国家などは自然の威力の前には「偏に風の前の塵に同じ」なのです。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
猛き者はついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ    


ならば、ある国家や政権の危機管理能力の評価は(安全保障にせよ、狂牛病や鳥インフルエンザ等の疫病対策にせよ、そして、地震への対処にせよ)、有限なる人間存在や有限なる国家権力の能力から見てその国家や政権がどの程度のパフォーマンスを発揮したかどうかによって判断されざるを得ないことになる。ならばこそ、史実として本当に「神風」が吹いたか否かにかかわらず、当時の日本の政治状況と社会状況を与件とした場合、可能な範囲で入神のリーダーシップを発揮した北条時宗には、「相模太郎の肝は甕の如し=北条時宗は大人物であることだな」と、北条得宗家に批判的なグループも含め元寇当時の大方の日本人から称賛の声が寄せられたのだと思います。よって、冒頭に書いた点に関して私は、

徳の乏しい政権の時に「大震災」が起きるのではなく
徳の乏しい政権下で惹起した地震が「大震災」として認識される    


と考えます。而して、重要なことは、ミシェル・フーコーの「知=権力」認識(現在においては専門家が独占する知識体系は専門家以外の素人を沈黙させる社会的な威力を帯びる<権力>であるという認識)を持ち出すまでもなく、現下の社会工学の発達とその知識や技術の国際的な伝播の状況を鑑みるに、(以下、「危機」を純粋な自然災害に限定しますけれど)危機管理のためのテクノロジーの品揃えに関してはマクロ的に見た場合に先進国間でそう大差ないだろうこと。ならば、例えば、現在の民主党政権とその前任の自民党政権の危機管理パフォーマンスの評価における条件はほぼ同一と看做しても双方にそう不公平ではないだろうことです。

何を私は言いたいのか。それは、同時代のある国の複数の政権間の危機管理における優劣の差異は、テクノロジー以外のスキル、畢竟、イデオロギーを用いた社会統合スキルの差異にほぼ収束するのではないかということ。而して、『論語』顔淵篇はこう諭している。

子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。

子貢、政を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ずやむを得ずして去らば、斯の三者において何れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ずやむを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。   


蓋し、政権の徳とは社会統合のスキルの錬度に他ならない。そう言えるのではないでしょうか。畢竟、地震に象徴される自然は、人智の及ばぬ領域としては政権の政治責任を免罪する契機であるとともに、他方、逆に、地震被害への対処に関して人智の及ぶ領域を明確にするメルクマールとしてはその責任を赤裸々に露にする契機でもある。政治に関して自然はそのような両義性を持っているのだと思います。

・近代国家における政権の徳とは社会統合スキルの錬度とパフォーマンスである
・自然は人智の可能と不可能との<境界>として、常に同時に、政権を免罪する機能と政権の責任を明確化して政権を断罪する機能を重層的に果たしている。   


加えて、国民主権と民主主義を憲法原理とする我が国を含む近代立憲主義が確立している先進国においては、各政党が保有する社会統合スキルの錬度自体もまた国民有権者の投票行動を左右するファクターの一つでないはずはない。よって、もし、ある国民が、徳のない、すなわち、社会統合のスキルにおいて拙劣で危機管理のパフォーマンスについて自国民や世界に不安を感じせしめるような政権を誕生させたとするならば、そのような政権の成立と不手際は、先のトーマス・マンの自嘲的箴言の如くその国民の責任であり、よって、例えば、

徳の乏しい政権下で惹起した地震はその国民の事業自得であり<災難>ではない    


と言わざるを得ないのだと思います。而して、では、「政権の徳の核心=イデオロギーを駆使した社会統合スキルの醍醐」とは何なのか。これ以降の考察に関しては、「国家」を近代の「主権国家=国民国家」に限定させていただくとして、国家と自然の連関性を更に掘り下げつつ次節ではこの点を俎上に載せていきます。要は、地震に象徴される自然が<政治>のゲームのパフォーマンスを評価する「免責-断罪」の重層的な基準であるとして、では、その<政治>のゲームが繰り広げられる舞台や枠組みとしての<国家>とは人間存在にとっていかなる事態なのか、それは自然とどのような思想的な位置関係にあるのか、このことを検討してみたいということです。



zakuro02.jpg


◆柘榴としての国家
◆玉葱としての国民



<以下続く>



P/S
私達の住む新百合ヶ丘エリアで今日午後から予定されている、東日本大震災にともなう東京電力の「輪番停電」を控えて、一応、作成した章節から未定稿ながら順次アップロードすることにします。いつ、停電になるかわからないから。そして、その後、いつキーボードに向かえるか本当にわからないから。実際、我が家の「足」である小田急小田原線は私達が利用する区間ではこの停電を睨んで終日完全に止まっていますから。

けれども、この程度の不便は、岩手・宮城・福島等々、大震災の直接の被災地で頑張っておられる被災者やその被災者の方々を救助・支援しておられる自衛隊員の方々の不便や不安、苦労や落ち込み、何より被災者の方々が被られた損害や打撃に比べれば全くものの数ではない。それを時空を越えて痛感する。正直、「被災者の方々が被られた損害や打撃」という言葉自体が他人事でしかないではないか。

しかし、そのことを痛感するがゆえに、私達なりのやり方で被災地に連帯をはかるべく、論理や字句の乱れ等々、何時にもましての拙劣を恐れず順次アップロードする所以です。大震災の翌日、石原慎太郎都知事が「都民にそれほどの被害がなかったことをありがたいと思う」と率直に述べられたように、誰しも自分からの親しさの程度の度合に従い、かつ、自分のできる範囲でしか震災被災者への連帯などは到底できないと思いますから。

而して、この石原知事の記者会見での発言を「被災者の心を踏みにじるもの」等々と非難する声もあるやに聞きます。しかし、私は、「都民にそれほどの被害がなかったことをありがたい」と心底思えないような、都知事としての責任と職務に真剣みの足りない(都民の生活と運命に対するコミットメントの度合の低い)知事の治める都(道府県)には怖くて住みたくありません。蓋し、本稿は、危機管理のパフォーマンスとしても頼りがいのある政治を、しかも、石原都政下の東京都だけでなく、国政はもとよりこの国の津々浦々にいかにしてリアラィズするか。そのことを考えるための試案でもあろうかと思います。


б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ろう、東北!
б(≧◇≦)ノ ・・・君は一人/独りじゃない!
б(≧◇≦)ノ ・・・共に闘わん!



(2011年3月14日午前11時30分に記す)





(2011年03月14日:yahoo版にアップロード)

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今 記者会見するという事 震災地の重要問題
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