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愛国心教育などは愛されるに値する国になってから言いなさい?

aikoku



あるBLOGで次のような記事を読んだ。

教育基本法改正案で、与党と民主党の論戦が白熱している。自民党が公明党との摺り合わせで、「愛国心」や「宗教教育」の修正に妥協した弱みを民主党は突いてきた。しかし、野党側は「愛国心」を強要してはいけないとしている。

誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するものである。
なぜなら「愛国心」をもつことは正しいことであるからである。

幼い子供のしつけには体罰を通して行うことが効果的(幼児はまだ動物と同じで善悪は体で教える)であると同様に、愛国心も正しいこととして強要すべきである。


http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/35951884.html

私はこの主張に不満である。なぜならば、「誤解など恐れるまでもなく、「愛国心は強制」するもの」と私は考えるからだ。蓋し、「誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するもの」程度の理解でよいのなら、むしろ、(現行の学習指導要領でほぼ十分で、)教育基本法の改正などは不要な屋上屋を架すたぐいのことになろう。しかし、現下のこの社会の現状は最早愛国心に関してのそのようなゆるゆるの理解をこそ乗り越えるべき状況にあるのではないか。

何が言いたいのか? 単なる言葉遊びか? 実際、「誤解など恐れるまでもなく、「愛国心は強制」するもの」と「誤解を恐れずに言えば、「愛国心は強制」するもの」にどんな違いがあるというのか? 簡単である。

それは、前者が「愛国心は大切だ」と国民の圧倒的多数が考えている現状の具現を求めるのに対して(そんなことは、とっくに実現している!)、後者は「愛国心は大切だという前提でこの社会は運用されるべきだ」と国民の圧倒的多数が考える現状の具現を求めるものだということ。そして、残念ながら後者は大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の撒き散らす害毒によって少なからず棄損されていると私は考える。而して、だからこそ、教育基本法の改正は是非とも行われなければならないのである。

この主張を二つの点で補足しもって敷衍する。それは、思想および良心の自由を定める現行憲法19条、信教の自由を定める20条、そして、表現の自由を規定する21条との関連であり、他方、「愛国心が大切だと言うなら愛されに値する国なってから言え。沖縄戦でも、ソビエト軍が雪崩れ込んで来た昭和20年8月9日以降の満州でも国は国民を護らなかったではないか。北朝鮮による自国民の拉致や長年にわたる水俣病の放置と無策、ハンセン病患者に対する不条理で残酷な処置を見ればこの国を愛する気になどとてもなれない」という主張に関するものである。尚、憲法や人権に対する私の基本的な理解、愛国心というものを大筋私がどうとらえているかについては下記拙稿を参照いただきたい。

・立憲主義と憲法の関係☆憲法は国家を縛る「箍」である?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/33625866.html

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/8368315.html

・人権を守る運動は左翼の縄張りか? 保守主義からの人権論構築の試み
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/2199613.html

・国を愛することは恋愛ではなく人としての嗜みである
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/235454.html


◆「愛されるに値する国家」と愛国心
愛国心は、家族の情愛、異性に対する恋愛感情、性差を越えた友情、郷土への愛着と同じく情念に属する感情をその基底に据えている。けれども愛国心はそれらの情念とは異なり、そこに属することだけを理由として、国民と定住外国人たる市民にアイデンティティ・プライド、即ち、国家への帰属意識を供給する機能をも果たすものである。

ところで、近代主権国家が(あるいは、一見自然発生的に見える近代以前のあらゆる国家も程度の差こそあれ)人為的なものであり、ありていに言えば、人間の本性からは歪で不自然なものである以上、国民を国家に社会的に統合するメンテナンス作業は常に継続されなければならない。国民が社会の安寧秩序を享受し、間違っても他国に自国民が拉致されることなどなく、また、排他的経済水域に眠る自国の天然ガス資源を利用する権利を他国に侵害されないようにするためには、国民と市民の国家への帰属意識を国家権力は常に維持強化しなければならないのである。

メンテナンスの必要性、ヘーゲル的に言えば「向自的な努力」が不可欠なことが、家族愛・恋愛感情・友情等々の情念と愛国心との最大の違いである。もっとも、家族愛・恋愛感情・友情からより多くの快を継続的に得ようと欲するとすれば、それらにも実は常なるメンテナンスの営為が必要とされることは、多くの方が経験しておられることだろうけれど。

愛国心とはそのメンテナンスを怠れば劣化するたぐいの社会的インフラであり、誤解を恐れずに言えば(笑)、国家は、国民と市民のために愛国心を国民と市民に強制する責務があり、それは、当該の国家が国民やまして定住外国人たる市民に愛されるに値するパフォーマンスを発揮しているかどうかという事象とは位相を異にしている。逆に言えば、愛国心の強要は<国民や市民から愛されるに値する国家のパフォーマンス>の判定要因であり、それは、あらゆる人為的な組織(サッカー日本代表やWBCのチーム・ジャパンだけでなく、すべての企業や官公庁、NPOや任侠団体、オーム真理教や日教組などの反社会団体)についても言える組織論的な法則(a law of organizational-behavior)である。そして、国家ももちろんその例外ではない。

●愛国心は自然に発生するものではなく、
 まして、自然に維持されるものでもない
●国家は国民と市民から愛されるに値する国家になるためにも、
 国家権力は、愛国心を国民と市民に強制しなければならず、
 愛国心の強制は国家の責務である



◆憲法と愛国心
愛国心をこのように理解するとき、現行憲法と愛国心はなんら矛盾するものではなく、むしろ、愛国心は憲法秩序の枢要な一部であることが了解されるだろう。これまた簡単な話しだ。ドイツ国法学の泰斗イエリネックの国家法人説に既に含意されており、法と国家の同一説の中でケルゼンが喝破したように(あるいは、カール・シュミットがそれを「裏書」しているように)法秩序(=憲法秩序)は国家の成立を前提にしているか、さもなくば、憲法秩序と国家秩序は同一のものである。

注意すべきは、ここで言う「憲法秩序」とは、ニューディール崩れの法思想の素人が実質10日足らずでその草稿を書き上げたような紙切れの現行憲法典(=形式的な意味の憲法)だけではなく、皇孫統べる豊葦原瑞穂之國という我が神州の国家イデオロギーであり、日本と日本国民の政治的神話を中核とする実質的意味の憲法総体が具現している法秩序ということである。

ならば、国家権力の正統性と正当性の根拠を国家契約説的なロジック、人権、個人の尊厳等々の自然権的なものに求めるか否かに係わらず、国家権力の正統性と正当性を優雅に思索するそれらの作業の前提として国家秩序自体が成立していなければならないことは論理的に自明なことである。蓋し、端的にはアモルフで、かつ、ばらばらな諸個人を<日本国民と日本市民>に社会的に統合し、もって、<近代国家日本>を創出すること、その社会的統合を常にメンテナンスすることは憲法秩序が国家権力に要請するところと解すべきである。

蓋し、民主主義・人権・平和・個人の尊厳などは国家の枠に拘束されない普遍性なるものを詐称する点で国家権力に対するこの憲法秩序の要請に応える資格はなく、ひとり伝統と文化の中で鍛えられ精錬され結晶して現在に至っている<神州>のイデオロギーと神話が憲法の要請としての愛国心涵養の任を担うべきことは当然のことであろう。畢竟、現行憲法と愛国心はなんら矛盾するものではなく、むしろ、愛国心は憲法秩序の枢要な一部であり、而して、現行憲法19条、20条、そして、21条は「国家の愛国心の強制」と矛盾しないように解釈運用されなければならない。


◆国民&市民と愛国心
昨日、平成18年5月18日の朝日新聞の投書欄『声』に次のような意見が掲載されていた。「天皇の第1章 差別の権化だ」という東京都練馬区の80歳の無職の男性の方のもの。

「天皇の第1章 削除提案する」(3日)は、誠に我が意を得たりの気持ちだった。私は現憲法を、平和・自由という理想を高らかに歌い上げた点を評価する。一方、第1章で「象徴」として実質的に人の上に位する天皇を認めた点で、誠に玉石混交の不完全な憲法であると常々思っていた。

天皇と皇族という超特権階級を、戦後民主化すべきはずの日本に認めたのは、米国が戦後、日本統括を円滑にする為だと思う。(中略)それは平等で民主的な思想に全く反する。真の民主主義社会を育てていくためには、戦後数年で解消すべきだった。(後略、以上引用終了)


上で述べたところからも明らかな如く、この方の認識は形式的意味の憲法(=日本国憲法)に歴史的にも論理的にも、社会学的にも法学的にも優先する<国家秩序の核としての天皇>という経緯を看過している点で間違いである。更に、形式的意味の憲法にインカーネートしている日本的な民主主義の表現たる現行憲法第1章をどのような意味でも憲法とは無縁の私的なイデオロギーにすぎない独特の民主主義理解から攻撃している点で、この投書は現行憲法をも批判する極めてアナキーなものである。

しかし、この投書の主張は荒唐無稽にせよこの投書の存在が帯びる意味は小さくはないのではないか。蓋し、社会に国民を統合する国家の秩序というものは、国家権力と国民および市民がそのメンテナンスの努力を怠れば容易に棄損されかねないということをこの80歳の投書子は身を持って教えてくれていると思うからである。

蓋し、国を愛さない自由も現行憲法19条および21条の保障するものである。しかし、この国では「国を愛することが正しいとされている」ということ、「愛国心を強制することは正しいこととされる社会に貴殿は住んでいる」ということ、即ち、そのような認識と価値観の存在を前提にこの社会は運営されていることをその社会のメンバーに教え周知徹底することは豪も現行憲法19条、21条、あるいは20条と矛盾するものではない。自己の思想や価値観の形成途中にある子供達に対してはなおさらである。これは資本主義を嫌悪する自由を保障することと、他者の財物や名誉を棄損する行為や言動を社会が禁止すること、ならびに、そのような行為をしてはならないと教えることが矛盾しないこととあるいは同じくらい自明なことかもしれない。

而して、先の投書を読むとき、「愛国心は大切だという前提でこの国の諸制度は運用されるべきだと国民の圧倒的多数が考える現状」の具現を期すには(愛国心を涵養強制するためだけならば、現行の学習指導要領だけであるいは十分かもしれないが)、教育基本法の改正は不可欠であると痛感する。畢竟、愛国心は強制されなければならない。私はそう考える。(2006年5月19日:yahoo版にアップロード)



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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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