元キャンディーのスーちゃんのメッセージに結晶する<神学>と<哲学>の交点




元キャンディーズのスーちゃんの遺言メッセージを聞きました。蘭ちゃんファンだった私にとって、スーちゃんこと田中好子さんは本来どうでもいい存在でしたが、このメッセージには居住まいを正さざるを得なかった。それは、バルザック『谷間の百合』でヒロインが臨終直前に認めた主人公宛の書簡をも遥かに凌駕するものだった。蓋し、この世への未練を吹っ切る寸前にいや増して露になる業欲の深さと、そして、その深い深い業と欲とを突き抜けた瞬間の人間存在の尊さが結晶している。と、そう私は思いました。スーちゃんは死して<護国の女神様>になったとも。

スーちゃんはこう語りかけています。


こんにちは、田中好子です。

きょうは3月29日。東日本大震災から2週間が経ちました。被災された皆さんのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めだと思っています。・・・

映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆さんに伝えたかったのですが、息苦しくなってきました。

いつの日か、【義】妹・夏目雅子のように、支えてくださった皆様に社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。・・・その日まで、さようなら。   



地に足のついた言の葉、そして、その柔和な言葉に込められた「死して<護国の女神>にならん!」の凛とした気迫。正に、佳人薄命の四文字。


su.jpg



佳人薄命。この世はなぜにかくも不条理に満ちているのか。例えば、今般の東日本大震災の被災者・避難者の方々の辛苦のありさまと、この震災を政権維持に利用しようという私心露な首相のあさましさ。これらを見聞きしては、私もこの世の不条理の理由に思いを馳せざるを得ません。

神が全知全能であるならば、なぜ、
この世にはかくも多くの悲惨と不正が存在するのか、と


而して、聞けば、ローマ法王が東日本大震災で被災したカトリックの少女の質問に回答されたとか。

ローマ法王ベネディクト16世が、22日放映のイタリア国営テレビRAIのカトリック教徒向け番組に出演し、東日本大震災を体験した7歳の日本人少女からの「なぜ子供も、こんなに悲しい思いをしないといけないのですか」という質問に答えた。・・・

少女は「私は今、とても怖いです。大丈夫だと思っていた私の家がとても揺れたり、私と同じ年ぐらいの子供がたくさん死んだり、公園に遊びに行けないからです。なんでこんなに悲しいことにならないといけないのですか」と、ビデオ映像を通じて日本語で質問した。

これに対し、法王は「私も同じように『なぜ』と自問しています。答えは見つかりませんが、神はあなたとともにあります。この痛みは無意味ではありません。私たちは苦しんでいる日本の子供たちとともにあります。ともに祈りましょう」などと答えた。

(2011年4月22日22時21分 読売新聞)    


・詳細:バチカン放送局
 http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=481014


私はこの法王様の回答をこれ以上ない見事なものと思うのですが、それは「聞きたい事に応えてくれていない」と感じた方も少なくないようです。この世の悲惨さや不条理の存在理由と、どうそれに立ち向かうかの方針を明示しない回答は、現下の民主党政権の官房長官の記者会見レベルのものだ、と。しかし、信仰の言説空間でのコミュニケーションを、それ以外の言語コードから理解するのは不可能であり、また、それを評する場合にも、その評価は、例えば、ある静物画を見てその中に描かれている果物やワインが不味そうだとか美味そうだと評するのとそうあまり差はないということを自覚しておくべきでしょう。

畢竟、「神が全知全能であるならば、なぜ、この世にはかくも多くの悲惨と不正が存在するのか」、実は、この問は、ライプニッツが<弁神論>として定式化したキリスト教神学の初歩的な論点なのですが、ライプニッツ(1646-1716)どころか、遅くともマルクス帝(121-180)以来この問が、信仰者にとっては初歩的であると同時に本質的なものであり、よって、繰り返し繰り返し問われてきたことは、マルクス・アウレリウス『自省録』を紐解くまでもなく周知のことだろうと思います。蓋し、キリスト教の組織神学において<弁神論>とは、将棋における<相矢倉定跡>の如きものと言ってもそう大きな間違いではないと思います。

しかし、哲学的にはこの問題は解決している。すなわち、人間存在にとってこの問は解答不能であり、その意味で無意味な問である、と。形而上学の成立の不可能さを論じた、カント『純粋理性批判』(1781)の先験的弁証論、就中、アンチノミー表での論証がその明確な解答。而して、諸学に方法論的基礎を提供するという意味では現在の唯一の哲学たる分析哲学と現象学もこのカントの地平を継承しています。例えば、ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』(1921)の中でこう述べている。尚、英訳はC.K. Ogden、和訳はKABUの訳です。

The world is all that is the case.(1)   
The world is the totality of facts, not of things.(1.1)

Whatis the case, a fact, is the existence of states of affairs. (2)
A logical picture of facts is a thought.(3)

The limits of my language mean the limits of my world.(5.6)
The world and life are one.(5.621)
I am my world. (The microcosm.) (5.63)
The subject does not belong to the world; rather, it is a limit of the world.(5.632)

Where in the world is a metaphysical subject to be found?
You will say that this is exactly like the case of the eye and the visual field.
But you really do not see the eye.
And nothing in the visual field allows you to infer that it is seen by an eye.(5.633)

How things are in the world is a matter of complete indifference for what is higher.
God does not reveal himself in the world.(6.432)
The facts all contribute only to setting the problem, not to its solution.(6.4321)
It is not how things are in the world that is mystical, but that it exists.(6.44)

What we cannot speak about we must pass over in silence.(7)    


世界は、成立していることがらの全体である(1)   
世界は、事実が寄せ集まった総体であって、物の寄せ集めの全体ではない(1.1)

事実、すなわち、世界から与えられている与件としての事実とは、
人間が表象・弁別・思念可能な諸々の事態が現存しているということに他ならない(2)
与件たる事実の論理的な映像が思考である(3)

私の言語の限界が世界の限界である(5.6)
世界と生とは同一のものである(5.621)
私とは私の世界である (畢竟、私とはミクロコスモスに他ならない) (5.63)
主体は世界に属さない、それは世界の限界なのだ(5.632)

世界のどこに形而上学的な主体が見出されるというのか?
眼と視野の関係と全くパラレルな関係がそこにあると考える向きもあろう。
しかし、その論者とて自分の眼を実際に見ているわけではない。
而して、視野に広がるどんな物事からも、
それらが眼によって見られていることを推論することはできない。(5.633)

神にとっては、世界がいかにあるか、世界がどのような事実や事態で編み上げられているかなどは
全くどうでもよい非本質的なことである。神はこの世界の中にその姿を現すことはない(6.432)
而して、事実は問題を課すのみであり、解答を与えるものではない(6.4321)
世界がいかにあるかということが神秘なのではなく、
世界が存在しているということそのものが神秘なのだ(6.44)

語りえぬものについては、人は沈黙せねばばらない(7) 
   





語りえぬものについては沈黙せねばばらない。ならば、「神が全知全能であれば、なぜこの世には不条理と悲惨が満ちているのか」という問を巡っては、「有限なる人間が全知全能の神の意志を理解することなどできはしない」という哲学からの解答を拠点とするしかないのです。而して、「世界がどのように存在するかではなく、世界が存在していること自体」に神慮を読み取り神の愛を称賛するのみである。畢竟、この世の不条理、悲惨や不正に対しては、信仰ではなく、社会思想と政治的の行動で対処するのみだ、と。

これが、この問題をライプニッツが<弁神論>として、哲学史における<相矢倉戦パターン>として定式化して以降、カントとそれを引き継ぐ現象学と分析哲学から導かれる解答である。と、そう私は考えています。蓋し、「カエサルのものはカエサルに返せ、神のものは神に返せ」(マルコ・12章17節)の箴言が<弁神論>の正解であるとも。

逆に言えば、

畢竟、この世に現世利益などは存在しない! 蓋し、現世利益を期待せず自己責任の価値を称揚する保守主義の態度と覚悟、美意識と心性こそが、この世でも最高の現世利益をもたらす。而して、神の愛と神に対する愛は、私の言語が形成する私の世界を包摂はしているがそれを超越した<世界>の中でのみ意味を持つ。と、そう私は考えるのです。

而して、田中好子さんのメッセージを再読するに、スーちゃんは世界から<世界>に向け旅立ち<護国の女神様>になったのではないか、漸次私はその思いを強くしています。

田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。





(2011年04月26日:yahoo版にアップロード)

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