社会現象として現れるであろうすべての将来の原発問題への序説




本稿の表題は、カント『プロレゴーメナ:Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik die als Wissenschaft wird auftreten können』の<剽窃>です。それは、しかし、ビッグネームにあやかって自説を権威づけようという、例えば、ビンラディン射殺の合法性の疑義なるものについて、国連のある職員の呟きなり国際法領域のマイナーな主張を持ち出してきて、それがさも世界の常識でもあるかのように装う論者、例えば、ビンラディンを拘束して裁判を受けさせなかったオバマ政権は「国際法違反」か、少なくとも「国際社会の潮流」に反しているかの如く印象づけようとする朝日新聞の模倣ではありません。

原発を全廃するにせよ、原発という、少なくとも、現在の段階では人智を超えた現象とこれからもおそらくあと半世紀近くは人類が添い寝していくしかない現実を踏まえるとき、それが孕んでいるリスクをいかなるものとして人間社会は捉えればよいのか。いわば、原発問題の問題の建て方自体を問うこと。これが本稿の主な関心です。ならば、それは、(人間の認識能力自体に焦点を置く『プロレゴーメナ』とはもちろん異なりますが)問題そのものではなく問題の構図、問への解答ではなく問の建て方を論じた点で『プロレゴーメナ』と一脈通じている、鴨。

書き出しは大仰ですが内容はシンプル。

本当に放射線は人間に有害なのか。もし有害であるとしても、それは年間の被爆積算量が1ミリシーベルトや20ミリシーベルト、あるいは、100ミリシーベルトというレンジであると本当に言えるのか。もし、これらがそう確かではないとするならば、福島第一原子力発電所や浜岡原子力発電所を巡り繰り広げられている現下の原発問題は実は仮象のものではないか。畢竟、健康被害の原因としての放射線のイメージが根底からのこのような疑いを払拭できるほどの科学的根拠を持たないのならば、包括的で最終なものではないにせよ、人類は原発問題に対する、将棋に喩えれば「詰み」ではないにせよ「必死」の手を既に掌中にしているの、鴨。  


すなわち、被爆放射線の許容値を、積算ベースで年間2500ミリシーベルトに国内法で上げればよいだけの話。もちろん、妊婦の方や13歳未満のお子さんは、上野のアメ横の「もってけ、ドロボー!」ではないけれど、気休めも含め、おおまけにまけて年間980ミリシーベルトにする。而して、これでほとんどの現下の「原発問題」は少なくとも社会的な問題ではなくなると思います。


labirints.jpg



では、2500ミリシーベルトなり980ミリシーベルトの根拠は?

ありません。きっぱり。


でもね、それと現在の国際基準(ICRPの基準等)の根拠の科学性とは数学的にはパラレルですよ。これまたきっぱり。だって、臨床データがないのですもの。ならば、放射線と健康被害の間の疫学的因果関係など土台確定することなどできるはずはない。ということで、

放射能には正露丸、あるいは、葛根湯を飲んでいればいいのです。
と、思っていれば大丈夫、鴨。   


と、私はそう確信しています。もちろん気休めですが、放射能の危険性を説く現在の夥しい言説も煎じ詰めれば、(閾値モデル採用の有無にかかわらず)科学方法論的にはこの気休めと大差はない。他方、国際法上(国際行政法上)、日本がICRPの基準とは別の国内基準を設けることはなんら難しいことではない。法律論だけの問題ではなく、日本の唯一の同盟国たるアメリカも、日本の仮想敵国たる支那も、(日本国内に住む自国民の健康被害、というか、彼等が自国政府を訴える事態を睨んで些か頭を抱えるかもしれませんが、)日本が核不拡散条約体制から離脱する前奏曲としてICRP基準を緩和するのでもない限り、特に反対する実益も義理もない。

ならば、民主党政権は、(福島県浜通りの浪江町、双葉町、飯館村の被災者・避難者の方々への今までの対応を見る限り)どーせ、原発問題など真面目に考えてもいないのでしょうから、この方針を即採用してはどうか。なんせ、この施策には予算も時間もとりあえずは一文も一秒もかからないのですから。要は、以下の政令を官報で告知するだけ、

2011年5月8日の母の日の終了をもって、
日本国内、および、日本国籍の船舶内・航空機内における
被爆放射線の年間、積算ベースの許容量を、
以下のように変更するものとする
   
2500ミリシーベルト

但し、妊婦ならびに13歳未満の者については、980ミリシーベルト



尚、私とは立場を180度とは言わないが178度ほど異にしているだろうある論者もこう述べておられる。蛇足ながら、そこには、人智を超える科学技術に仕える<神官>の秘儀としての<専門知>が、最早、主権国家のオフィシャルな統制の枠には収まらなくなってきていること、すなわち、ミシェル・フーコーが予言した「素人を沈黙させる権力としての専門知」が跋扈している現代社会の姿がはからずも浮き彫りになっていると思いました。而して、武田邦彦氏はこう述べておられる。


福島原発事故が起こる前、放射線防護の専門家とマスコミは、次のように言っていた.

1.1年1ミリ以上の被曝は確率的にガンを発生させる、
2.原発からの放射性物質の漏洩は量によらず大変なことである、

ところが、事故が起こると、突然、

1.1年100ミリまで大丈夫である、
2. 柏崎原発事故より20億倍の放射線が漏れても健康に影響がない、

と言い出した。このぐらい大きく変わると、「原発の安全性」も考え直さなければならない。

・・・・・・・・・

(中略)もし、多くの「放射線の専門家」が言ったように「1年100ミリまで安全だ」というなら、私は再び「原発推進派」になることができる。浜岡原発も「危険」から「安全」に変わる. まして、大阪のテレビに良く出ていた医師の言われるように「放射線はあびるほど健康になる」というなら、さらに積極的に原発を進めることができる。

日本のエネルギー問題も無くなるし、これまで何を目的に「安全な原発」を考えてきたかも判らない。原子力の関係者はすべてのことを「1年1ミリ」と「人間は放射線をあびない方が良い」という前提で研究をしてきた。それは原子力の関係者が言ってきたことではない。放射線医学や防護の人から習ってきたことだ。それが逆というなら、まったく異なる世界になる。

・・・・・・・・・

マスコミも同じだ。

NHKは「1年100ミリまで大丈夫」という人をたびたび登場させた。朝日新聞は「人間は100人に30人がガンで死ぬのだから、0.5人が放射線でガンになっても問題ではない」という記事を女性記者が書き、大きく掲載した。

それなら、原発の安全性はまったく変わり、日本の原発は安全になる.でも、これは放射線医学と防御の専門家が決めることであって、私でも電力会社でもない。だから、シッカリして欲しい。

・・・・・・・・・

再度、呼びかけたい.

放射線医学と防御の専門家の皆さん!!
一体、1年1ミリなのですか? 子供が1年20ミリなのですか? 
1年100ミリなのですか? どっちなのですか??

それによって、私たちの判断も生活も180度変わるのです!!
あなた方の判断と発言はそれほど大きな意味を持っているのです!!

すぐ、結論を出してください。「真実」であるかどうかではなく、「事故前の1年1ミリ」と「事故後の1年100ミリ」の差の理由だけでも結構です。それがすべてのスタートですから。

・・・・・・・・・

政府の人へ。

もし、福島の子供が「1年20ミリ」まで安全なら、浜岡原発を止める理由はありません。福島の子供が放射線に強く、静岡の人が放射線に弱いということはありません。誠実な心を持ってしっかりやってください。

(平成23年5月8日 午後2時 執筆)    


・原発論点5 原発の「安全性」を決めるもの
 http://takedanet.com/2011/05/post_e6ad.html


fa4fs.jpg



本稿の背景。それについては、文字通り「恥を知れ!」と言うしかない原発反対派が垂れ流す風評被害、就中、疎開してきた福島県の子供達に対するいじめの続出。そして、ある意味、これら『週刊金曜日』的やグリーンピース的なカルト的原発反対論者の垂れ流す都市伝説的放射能怪談よりも、それが科学の仮面を被っているがゆえに卑劣な原発停止論(否、原発停止論の狐の皮を被った原発廃止論)への義憤があったことを私は隠しません。

原発の是非以前の問題として、福島の避難者の方々の辛苦に便乗して持論の(①代替エネルギー案なき、まして、②更なる、失業率の悪化・地方の衰退・産業の空洞化への具体的施策を欠く)「原発停止論=原発廃止論」を唱えている、グローバル化の昂進著しい時代に日本人として生きているという当事者意識の欠落したこれらリベラル派は醜悪だと思います。

例えば、

・心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた
 http://www.youtube.com/watch?v=gNWVljrvl3o&feature=share

この論者は「浜岡を廃炉にしろとは1度も言った事はない。直下型の東海地震が過ぎ去るまでは止めてほしいと言っている」とおっしゃる。この発言だけでもこの「心からの叫び!」の説得力はゼロでしょう。なぜならば、天文学的とは言わないが地質学的時間で「東海地震が過ぎ去るまで」とは、今日かもしれないが3年後か30年後、稀には130年後かもしれない。而して、ビジネス的にはそんな不確定期間の停止とは「廃炉」に他ならないから。ならば、自説を「廃炉」論ではないというのは、民主党の常套するが如きその場しのぎの言説に他ならない。

蓋し、『純粋理性批判』とそのダイジェスト版としての『プロレゴーメナ』を、カントが上梓したのは、人間の認識能力の限界を明らかにすることによって、人間存在を遥かに超える事態としての<信仰>や<道徳>の独自存在性を基礎づけたいという情念からでした。カントの批判哲学、カントの先験論的哲学(問題自体では必ずしもなく、その問題の問題性、問題の正体を問う哲学)のあたかもオペラの如き形式美の底には、<人間存在>への燃えるような共感と<信仰>への焦がれるような憧憬が脈打っていると思います。

ならば、原発問題においても、「原発は絶対に安全である」とか「放射能は確率論的には線量にかかわらず危険である」等々の、元来、人間がその認識能力からして絶対に言えない類か、あるいは、「人間は必ずいつかは死ぬ」という命題と同様に絶対に正しいがゆえに社会問題の社会的解決においてはほとんど無意味な類の命題を前提にした、原発推進論も原発反対論も、最早、止揚されるべきではないか。と、そう私は考えています。尚、本稿に関しては、下記とそこに自家TBをつけた拙稿を併せてご一読いただければ嬉しいです。


・何が浜岡原発停止だ! 事故を乗り越え福島とともに進む
 ☆原発推進は日本の<天命>である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60450789.html





(2011年05月8日:yahoo版にアップロード)

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