「菅-鳩山」会談の論理と内閣不信任における「一事不再議」の法理




「退陣表明」を反故にした菅直人首相の言動に永田町界隈では憤激と軽蔑が浴びせ掛けられているようです。この問題自体は、しかし、民主党内のコミュニケーションの貧困さが露呈した極めて低レベルの争い。けれど、その帰結は、一国の宰相の印綬の行方を左右する笑い事ではすまない問題。また、私はこの<事件>は憲法基礎論からも興味深い問題と考えています。而して、「一国会一回限り」という一事不再議の原則も菅内閣不信任案に関しては適用されない、鴨。そう私は考えないでもないです。

菅首相の民主党代議士会での演説や所謂「菅-鳩山」会談のメモ(★)、これらを見るに、確かに菅氏は「総理を辞める」とは一言も言ってはいません。メモには、確かに、「辞任する」とも「退陣する」とも書かれていません。というか、もし仮に、菅氏が「辞める」と言っていたとしても彼がそれを撤回することが許されないわけでもない。もちろん、彼ならそれは余裕でしょうが、政治的責任に起因する相当程度の罵詈雑言を甘受する覚悟があればですけれども。

★註:「菅-鳩山」会談メモ
1、民主党を壊さない。
1、自民党政権に逆戻りさせない。
1、東日本大震災の復興ならびに被災者の救済に責任を持つ
 (1)復興基本法案の成立
 (2)2011年度第2次補正予算案の早期編成のめどを付ける


なぜならば、内閣総理大臣は、(a)衆議院の解散時期、(b)内閣不信任案が衆議院で可決された場合の対応(現行の日本国憲法69条に従い、内閣総辞職するか衆議院を解散するかの選択)、(c)閣僚等の政府高官人事の約束の履行や約束を「空手形」にすること、そして、(d)法案・予算案の審議のプライオリティーの決定等々に関しては<嘘>をついてよいことになっているから。要は、これらの「専権事項」については内閣総理大臣は単独で決定する権限を憲法から与えられており、つまり、彼や彼女が一旦約束したことを、彼や彼女が政治的責任を負う覚悟がある限り、いかようにも撤回・修正することは法的には可能なのです。

ならば(例えば、何時出て行かなくなるとも限らない、使用貸借(民法593条~600条)している他人の土地に大枚をはたいて豪邸を建てることが法的には無謀な行為であるのと同様)、内閣総理大臣がいつでも撤回・修正できるタイプの事柄について、内閣総理大臣の約束を信じ込む方が政治家としてはイノセントということ(換言すれば、政治家としては「お目出度い」あるいは「鳩山由紀夫的」ということ)にすぎないのです。


民法のカテゴリーを使って敷衍します。「菅氏が辞める」と思い込んで野党提出の不信任案に賛成するのを止めた民主党議員の行為は、それが民法の法律行為とすれば、錯誤による意思表示(95条)、あるいは、詐欺による意思表示(96条)として無効かどうか/取り消すことができるのかどうか。

また、「菅首相はすぐ辞めるのだから、一事不再議の原則から、この国会会期中はもう二度と内閣不信任案を審議できなくなるけど、「信任」ということでいいよね」と考えて不信任案に反対した民主党議員の行為は、心裡留保(93条)や虚偽表示(94条)ではないのか。もしそうであれば、その結果に関して、利害関係のある第三者(福島県浪江町や飯館村の避難者の方々を始めとする国民や野党議員)は、法的にクレームをつけることができるのかどうか。これら「瑕疵ある意思表示」(★)は、民法の基本中の基本の論点ではありますが、それらは、例えば、将棋における「相矢倉戦」定跡の如く基本だけれども奥が深いもの。蓋し、この思考実験は興味津々。閑話休題。

★註:瑕疵ある意思表示
近代法においては、原則、法律関係に変動を生じさせ得る法律行為は、意思表示を一人で十分に行なうことができる成人が、本心から意思表示を行なうことが必要です。而して、本心からなされたのではない意思表示を「瑕疵ある意思表示」と呼び、瑕疵ある意思表示に関しては法律関係の変動は生じないか、限定的にしか生じない仕組みになっています。そして、「本心からなされたのではない瑕疵ある意思表示」の典型が、上で隠喩として用いた、心裡留保・虚偽表示・錯誤・詐欺による意思表示。整理しておくと、

①心裡留保(民法93条):冗談で意思表示をした場合
②虚偽表示(民法94条):実態と異なる虚偽の意思表示をした場合
③錯誤(民法95条):勘違いして意思表示をした場合
④詐欺・強迫(96条):騙されたり威されたりして意思表示した場合

而して、各々の場合の法律効果の有効/無効は、
①心裡留保:有効。但し、相手が知っていたか、知らないことに過失があった場合には無効
②虚偽表示:無効。但し、その事情を知らない善意の第三者は保護される
③錯誤:無効。但し、意思表示をした側に重大な過失があった場合には無効を主張できない
④詐欺・強迫:取り消し可能。但し、詐欺による意思表示の場合にはその事情を知らない善意の第三者には対抗できない。他方、強迫による意思表示の場合は事情を知らない善意の第三者にも対抗できる  



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さて、「菅-鳩山」会談の結果、菅首相が早期に退陣するものと思い込み、他の民主党議員に内閣不信任案に反対するように説得した鳩山由紀夫氏の行動をどう理解すればよいのか。それを鳩山氏は「錯誤」や「詐欺」による意思表示だったと主張できるのでしょうか。それとも、実は、今回の「菅首相の辞めるの辞めた事件」は菅氏と鳩山氏との「二人芝居=虚偽表示」なの、鴨。否、事件の真相は、菅氏が早期に退陣する気など毛頭ないことを鳩山氏も承知の上で騙された振り/勘違いした振りをした「片八百長=心裡留保」のケースなの、鴨。真相は藪の中。

けれども、一つハッキリしているのは、当たり前のことですが、菅氏や鳩山氏の言動で変化した事態は法律関係ではなく政治的状況ということです。「菅-鳩山」会談のメモは法的な意味での契約書ではないし、また、民主党代議士会での菅氏の演説と、内閣不信任案に対するその後の民主党議員の投票行動の関係は(例えば、売買契約の申込の誘因と申込の関係の如き)法的関係ではありません。畢竟、それらはすべて政治的文書であり政治的行為にすぎない。ならば、菅氏に騙された鳩山氏が愚かなのか騙した菅氏が悪辣なのか、菅氏に騙された振りをした鳩山氏が一番の厚顔無恥の宇宙人なのかという藪の中のことどもは、少なくとも法律問題にはなりようがないのです。

畢竟、「菅首相の辞めるの辞めた事件」は法ではなく政治が解決すべき問題である。より正確に言えば、憲法のルールに則った政治のゲームにおいて解決されるべき問題である。けれども、法的責任に比べて政治的責任が当事者たる人間実存にとって必ずしも軽いわけでもない。また、政治責任の<法廷>においては、厳密な立証手続などは必ずしも必要とはされない。つまり、菅氏が騙すつもりはなくとも、鳩山氏を始め多くの民主党議員が「騙された」と思っている事実だけで、最早、菅氏の政治責任は発生している。同様に、鳩山氏にも今後政治責任追求の火の粉がかからないとも限らない。その意味で、藪の中どころか蚊帳の中にも入らず、完璧なアリバイのある小澤一郎氏が、ミス・マープル的には最も悪い奴なの、鴨。

ということで、さて、どうなる民主党? そしてどうする自民党?



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自民党の今後の行動指針を考える上で、それこそ、ミス・マープル的に言えば一つ盲点があるのではないでしょうか。それは「一事不再議」のこと。確かに、将棋で「二歩」は絶対の反則。けれど、憲法のルールとしての「一事不再議」の原則は「二歩」のように絶対的の掟なのでしょうか。

ご存知のように、「一事不再議」の原則は旧憲法には明文規定(39条)がありましたが、現行の日本国憲法には明確な規定はありません。だから、あくまでも一事不再議の原則は現行憲法上は憲法慣習上のルールといえる。けれども、「一度議決した案件を同じ会期中に蒸し返すことが可能なら、審議は何時まで立っても終わらないよ」という誰も否定できそうにない常識にその合理性の根拠がある以上、一事不再議の原則を軽々しく無視することなどできはしないでしょう。畢竟、憲法慣習といえども<憲法体系>の正式なメンバーであり、軽々にそれを無視できるというものではありません。否、(判例の集積の中に具現するルールを含めれば)憲法の体系を構成しているルールの大部分は憲法慣習なのであり、どの国においても憲法典の明文規定などは<憲法体系>全体から見れば「氷山の一角」どころか「琵琶湖に風呂桶1杯」もないのです(★)。

★註:憲法の意味
機能論的に観察された場合、ある国内法体系の内部においては、あらゆる下位の法規にその法的効力を付与し、他方、下位法規の内容に指針を与え制約するという、最高の授権規範であり、かつ、最高の制限規範である「憲法」は、それが存在する規範形式に着目する場合、

(イ)形式的意味の憲法:『日本国憲法』とか "The Constitution of the United States of America" のように「憲法」という文字が法律の標題に含まれている憲法典。および、(ロ)実質的意味の憲法:「憲法」という文字が名称に含まれているかどうかは問わず、国家権力の所在ならびに正統性と正当性の根拠、権力行使のルール、すなわち、国家機関の責務と権限の範囲、ならびに、国民の権利と義務(あるいは臣民の分限)を定めるルールの両者によって構成されています。

すなわち、「憲法」とは、()法典としての「憲法典」に限定されるものではなく、()憲法の概念、()憲法の本性、そして、()憲法慣習によって構成されている。而して、()~()ともに「歴史的-論理的」な認識の編み物であり、その具体的内容は最終的には、今生きてある現存在としての国民の法意識(「何が法であるか」に関する国民の法的確信)が動態的に確定するもの。よって、それらは単にある諸個人がその願望を吐露したものではなく、社会学的観察と現象学的理解により記述可能な経験的で間主観的な規範体系なのです。もし、そうでなければ、ある個人の願望にすぎないものが他者に対して法的効力を帯びることなどあるはずもないでしょうから。    
   
尚、私が考える「憲法」の意味内容の詳細に関しては下記拙稿もご参照ください。


・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59308240.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html

・中川八洋「国民主権」批判論の検討(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60044583.html


けれども、民法で言えば、取り消すことが可能な詐欺紛いの菅氏の言動によって左右された内閣不信任案の否決であってみれば、あるいは、菅氏と鳩山氏の猿芝居、民法で言えば、無効である虚偽表示によってなされた内閣不信任案の否決であってみれば、今回のようなケースでは、その憲法慣習を破って、この国会の会期中にもう一度だけ内閣不信任案を審議することも憲法論的にも満更不可能ではないのではないか。もし、参議院で衆議院とは別の議決がなされるという条件が満たされるならば一事不再議のルールの修正も可能ではないか。要は、参議院で首相の問責決議案が可決されるという状況下では、一事不再議の原則はその内容の一部を修正可能なのではなかろうか。と、そう私は考えるのです。

なぜならば、それは現行の日本国憲法が規定している、「衆議院と参議院の議決内容が異なる場合の衆議院における再議決ルール」(59条2項)とパラレルなケースと考えるからです。蓋し、

◆憲法59条2項のケース

・衆議院の議決(A案)→参議院の議決(非A案)→衆議院の再議決(A案)→A案成立

◆今回の「瑕疵のある意思表示」類似の不信任案否決のケース

・衆議院の議決(不信任案否決)→参議院の議決(問責決議案可決)→衆議院の再議決   


而して、今回のケースが、()憲法慣習としての一事不再議の原則に関するものであること、()参議院の問責決議というこれはこれで高いハードルを設ければ「一度議決した案件を同じ会期中に蒸し返すことが可能なら、審議は何時まで立っても終わらないよ」という一事不再議のルールを必要とする弊害はまず生じないだろうこと。また、()主権者である国民の代表が構成する国権の最高機関たる国会が、政治的な必要性を鑑みて、内閣不信任案を一会期中に二度行なうことは、国民主権の原則に沿ったものであれその逆ではないだろうこと。尚、()土台、衆議院における不信任案と参議院における首相の問責決議案は、その内容を異にしており、憲法59条2項が厳密に適用される事態ではないこと。   

これらを鑑みれば、

私は、現行の日本国憲法の解釈において、一事不再議の原則は、将棋の「二歩」のルールほど固定的なものではなく、かつ、二度目の不信任案に際しては憲法59条2項が定める「三分の二」の多数は不要であり、単純過半数で内閣の信任不信任を衆議院は決し得ると解します。いずれにせよ、このケースは、新たな内容を憲法慣習に付け加える契機になり得る。と、そう私は考えています。







(2011年06月4日:yahoo版にアップロード)

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