労働と身体と自然の鼎立-「私、こんなバイト経験あります」




ブログ友のアリス姫の記事転記。難しく言えば、お題は「労働の意味」の探求。そして、労働や経済と地続きの文化や自然の意味を巡る随想です。

どのような職業でも、働く方は数年をかけてその業務に対応できる<身体>を作りあげるもの。これは、プロレスラーがなんで年間百試合以上やるのかを考えれば分かりやすい、鴨。

うにゅー、
1試合1試合が「八百長」だから、そうは体がしんどくないから?
ならば、試合数が多いほうが収入も稼げるだろうから?

いいえ、もちろん「八百長」と「所得」の点は間違いではないでしょうが、より本質的な理由がある。それは、プロレスラーは、小型の相撲取り並の体格体重で、リングを上下左右に動き回る職業だから、毎日でも試合をしなければ<身体>を維持できないから、と。だから、年齢もまだ30歳前後で運動神経抜群の引退したお相撲さんや、オリンピックで金メダルをとった柔道の世界チャンピオンも、プロレスに転職する際には<身体>作りから始めなければならないのです。

而して、この<労働>と<身体>を巡る関係は、プロレスラーさんだけではなく、以下、記事を転記させていただいたアリス姫の本業の(書いていいよね?)看護師さんでも、ラーメン屋さんでも、交通誘導の警備員さんでも、個別塾の教室長さんでも、吉野家の店員さんでも同じことなのだと思います。

以下、アリス姫の記事転記。



猫メイド


◎☆私、こんなバイト経験あります☆


クローズアップのお題で記事を書くのは実は初めて♪

前の職場を辞めた後、半年くらい遊んでた(笑)
1人暮らしなので、段々経済的にも行き詰まってきて、その時友達が「今行ってる派遣に一緒に行ってみる?」と誘ってくれた。

派遣のお仕事なんて初めてだし、どんな仕事をするのかもわからない。私にとっては未知の世界。
でもなんか面白そう!という軽~いノリで友達に連れられて派遣登録。翌日からは友達と同じ工場勤務が決まった。工場で働くのも初めてで、友達も派遣会社の職員さんも「簡単な軽作業」「簡単だから派遣があるんですよ」と言っていた。始めは派遣という未知の世界にちょっとした好奇心をくすぐられたのだけど、いざ働くとなるととても不安。学生時代に色々なバイトを経験してきてはいるけど、工場での仕事はしたことがなかったから。

ただ、驚いたのが、賃金があまりにも安かったこと。1日5000円ちょっとって…。
賃金に不満を抱いていた私に友達は、「楽な仕事なんだからこれくらいの賃金で仕方ないよー」と笑う。
「それに給料が日払いってとこが魅力的」と。

ぇえ!?日払いが魅力的!?
その発言にも驚き!
たった5000円ちょっともらったってちっとも嬉しくないよ~
1日8時間働いて、たったの5000円で日払いのどこが魅力的なんだと。ましてや交通費も出ないんじゃ5千円切っちゃうよ。

友達は親と一緒に暮らしているから、1人暮らしの私と違って「その日のお小遣い感覚」なんだと思う。
それにしたって1日8時間勤務で5000円ちょっとってどんだけ安いんだと、やっぱりそこが不満で次の日から始まる工場勤務が嫌になった。

5000円て…私が保健所でバイトしてた時の3時間分くらいの賃金だよ?
病院での1日の賃金は8時間で1万は貰えるのに。。(バイトはもっと貰える)

そういったモヤモヤを抱えながらも既に登録してしまったのでとりあえず翌日出勤。
初めて見る工場内に「すげーすげー」と、まるで工場見学に興奮している子供みたいな感動を覚えた。
電気ポットとか炊飯器を作る工場だったのだけど、もの凄く広いし、各レーンで流れ作業をする職員の数にもビックリ! ほえぇ~とそのスケールに驚いたり、これからどんな仕事をするのかなと、昨日の不安も嘘のようにすっとんで興味津々だった。

で、私の担当は電動ネジで釜に取っ手をつける1人作業。
凄い簡単!なんてラッキーなんだと「そりゃこんな簡単な作業だったら1日5000円もアリかもね」と、1人ほくそえんでいたのだけど…

甘かった(泣っ)

始めは楽しいネジ巻きが、段々時間が経つに連れて飽きてきて、しかもやってもやっても釜は次から次へと運ばれて、それを全部さばいたところで時計を見たら、仕事開始からたったの一時間しか経っていなかった。

え?

何百個釜に取っ手をつけたのかわからないけど、たったの一時間しか経過していないことに唖然。
台湾製の釜は、なくなればどんどん運ばれてくる。
こんなに釜作ってホントに売れるの?

ありえねぇw
叫びたくなりましたね。

周囲を見れば機械の音ばかりで、レーンで黙々と流れ作業をしている人達。
立ち仕事なのでしだいに足も痛くなってきた。
確かに「単純な軽作業」なのだけど、その単純さと同じ位置に立ちっぱなしというのは、拷問に近い。
看護の仕事だって殆ど立ちっぱなしの仕事だけど、常に動いてる。
それなのに・・・

体力には自信があった。正確に言えば、「体力」ではなく、どこか「他の職業よりも医療関係の仕事の方が大変」と心の中で思っていたフシがあったから。これってとんでもない傲慢で、世間知らずだったと痛感させられた。

どんな仕事もそれなりに「大変」なのに。

1日8時間、終わる頃にはヘトヘトで、足が棒のようになっちゃって、帰り歩くのも辛かった。
「始めは足も痛いけど、こんなの慣れだよ」と友達はピンピンした様子。

凄い、と思った。
友達だけではなく、工場で働いている人達も。

派遣会社に戻って5000円ちょっとを貰う。。
そのお金を手にした後、帰りの道でポロポロ涙が溢れてきて、恥ずかしいけど友達の前で大泣きしてしまった。

泣いたのは何か負けた気がしたから。
「お金を稼ぐってこんなに大変」なんだとしみじみ痛感した一日だった。

そして、人には向き不向きというものがあって、私はそれなりに資格と自分を活かせる場所があるのだから、そこに戻ろうと、この経験から思えた。(派遣で仕事したのは結局その日限りだった)

それから一週間後、私は病院に入職。白衣を着た時、何故かホッとした。
ここが私の場所なんだって。    

(2011/6/26(日) 午後 3:23)


http://blogs.yahoo.co.jp/kira_alicetear/28867091.html



hanitan.jpg



再度書きます。どのような職業でも、そこで働く方は数年をかけてその業務に対応できる<身体>を作りあげるもの。アリス姫の記事を読んでまずそのことが念頭に浮かびました。そして、賃金とか手当てとかは結果であるとして、少なくとも、仕事、そう<労働の現場>には、本当に、「職業に貴賎なし」であるとも。

別の例を出せば、

私の知人に高卒で「○|○|」(←マルイ?)に就職して、そいでもって、最初の5年間、靴売り場の売り子さんをしていた方がおられる。優秀だった彼女はその後、希望していた憧れのバイヤー部署に転属になり内勤になった。寮の後輩からも憧憬の的の彼女。

そして、

でも、内勤3ヵ月後過労で入院。何故か。

残業? 
数字を出すプレッシャー?
バイヤー部署のお局様のイジメ?

いいえ。それは、彼女は5年かけて(最初は辛くて毎夜、寮で泣いていたそうですが)「立ちっぱ」業務に対応できる<身体>に自分を作り変えていたということ。だから、傍から見れば楽なデスクワークが彼女の<身体>には拷問のように堪えたのです。  


更に例を出せば、

これは、学生時代とかに引越しやイベント会場準備のバイトをやったことのある方なら経験した向きも少なくないと思いますが、片や、大学のラクビー部所属のバイト君。此方、この道のパート歴足掛け20年の60歳前後のオジサンや、時にはオバサン。

はい、小柄なオジサンやオバサンが淡々と重い冷蔵庫や箪笥を運び、パーテーションをサクサクミルミル解体して資機材を上手に取りまとめていく中で、身長188センチ近い大学ラクビー部君は、もう、三時の休憩の時にはへたっている。    


三時のおやつや良い子の四時で思い出しました。
蓋し、この現象は農作業では極普通の光景。

昔、成田闘争の際、三里塚に援農(農家の方の作業を手伝い、地元の農家の方が「闘争」に割ける時間的余裕を少しでも持てもらえるようにすること。)に行った都会の大学生や工場労働者の若者は、農家の方が頻繁に「お茶」をするのに戸惑う。最初は馬鹿にしさえする。

「作業の合間にお茶しているのか、お茶の合間に作業してるのかわからへんやん」、と。

けれど、三時のおやつや良い子の四時の頃になるとこのような仕事振りの意味が、文字通り、自分の<身体>で涙が出るほど身に沁みて分かる。    


まあ、「休んでばっかしやんか」と陰口を叩いていた工員も大学生も、もって、二日目の三時のおやつか良い子の四時頃まで。で、援農先の田畑でぶっ倒れ、援農先の軽トラで宿泊所まで送り届けられる破目になる。これは三里塚の日常風景の一つでした。

そう、農家の方の「お茶」はサボりではなく、トータルで最高のパフォーマンスを発揮するための<智恵>であり<文化>なのです。そして、その<智恵>と長年の経験の中で作り上げられた<身体>とは渾然一体、労働と身体と自然との間には一分の隙もない。正に、それこそ<文化としての身体>であり、農地は<文化としての自然>である。



プロレスラーから農家まで、少し例を挙げましたが、これは特異な事例ではなく、また、所謂「ブルーカラー」だけのことでも断じてない。畢竟、すべての仕事と労働に関して言えることが、アリス姫の記事にもこれらの事例にも含まれているのではないか。私はそう考えます。

すなわち、

身体とは文化であり、自然もまた文化である。
而して、文化から切り離された肉体は<身体>としては機能しない、と。 


マルクスの疎外論。マルクスが『経済哲学草稿』(1843-1845)で定式化した労働における4つの疎外。つまり、労働生産物からの疎外、労働活動からの疎外、人間性からの疎外、人間関係からの疎外は今の時点で読んでも参考になることが皆無ではないでしょう。けれども、そのマルクスの疎外論も人間の現存在性に普遍的な一点を見落としていたのではないか。而して、そこに、自然や国家、市場も人間もイデオロギーも所詮<対象性>としてしか捉え切れなかったマルクスの19世紀的な時代的限界があるの、鴨。

蓋し、そのマルクスの死角こそ、この「身体の文化性の認識であり、人間が時には対峙し、時には包摂される自然とは生態学的社会構造(自然を媒介として人と人とが取り結ぶ社会的諸関係の総体)に他ならない。つまり、自然も文化の一斑にすぎないという認識」である。と、アリス姫の記事を読んで、<労働する身体>の更に奥に、<文化としての身体>とも言うべき地平を想定しながら、そう私は考えました。尚、マルクス主義に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・「左翼」という言葉の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60002055.html





(2011年07月4日:yahoo版にアップロード)

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