明治時代の政治家の英語力


【三井三池炭鉱の最初期の施設壁面跡・福岡県大牟田市】


◆解題
これは姉妹ブログ「英語と書評 de 海馬之玄関」に、随分前、そう5年半前(2005年12月2日)にアップロードした記事の改訂版です。現在、津田梅子先生と新島襄先生の英文書簡を読んでいるのですが、そんな中、改めて読み返してみて、(英語の解説の部分を割愛した上で)自家原稿転載することにしました。

というのも、2009年8月の<政権交代>も2年前のこと、今、鳴いている蝉君達がまだ熟睡していた頃のこと。而して、この足掛け6年で、今鳴いている蝉君達がやっとベッドに入ったかどうかの頃に比べれば地上の模様は大きく変わった。実際、自民党政権が続いていても<なでしこ>が世界一になれたかどうかはわかりませんが、少なくとも、間違いなく自民党政権下なら<2011年3月11日午後2時46分>に対する政府の対応はより機敏かつ適切なものになったでしょうから。

けれども、与野党を問わず(というか、麻生太郎元総理と引退された小泉純一郎元総理、そして、幾人かの例外を除けば)この記事で言いたかった、「政治家に必要な英語力の乏しさ」は5年半後の今もあまり変わらないと思う。要は、例えば、西園寺公望・宮澤喜一等々の語学上手はいても、伊藤博文・桂太郎等々の語学運用の達人は稀少になりつつあるの、鴨。否、当時野党の民主党が政権を取った現在、(公式・非公式に政策決定にかかわりうる)政治家の範囲が拡大したわけですから、そうなれば、「政治家の英語力」は5年半前よりも<加重平均的>に落ちていることは確実。ならば今でも、この記事は読んでいただくに値するの、鴨。そう思った次第です。       




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【Jutaro Komura in the negotiation for Treaty of Portsmouth】



明治時代の政治家の英語力? 主題では「大風呂敷」を広げましたが、そう大したことを述べるわけではありません。日本人の英語でのコミュニケーション能力は明治維新から現在までどう変わってきたのだろうか? と、ある英文記事を読んでいるときにふとそんな浮世離れした疑問が浮かんだのです。そんでもって、漠然と「明治維新以来の日本人の語学力の変遷」とかよりも、「明治時代」「政治家」「英語力」と限定した方が書くほうも読むほうもイメージしやすいかな、と。その浮世離れした疑問を私に抱かせた記事はこれです。

After all, by pushing the constitution to its limits in sending navy refuelling ships and escorts to the Indian Ocean during the Afghan war in 2001 and keeping them there, and by putting peacekeepers in southern Iraq, Mr Koizumi has gone out of his way to show support for America. With peacekeeping missions in Cambodia and East Timor, Japan has also helped cut America's burden in the region. Hence the praise this week. But should America's commitment to Japan ever waver, a more independent stance to fall back on wouldn't hurt.

(The Economist,"Can I be your friend?, "Nov 17 2005)     




<戦前の政治家の英語力を想像する>
浮世離れした話に入ります。もちろん、双方とも外交関係にコミットするレヴェルとスペックの政治家に限定して考えるのですが、私は英語力自体は、明治時代の平均的な政治家と現在の政治家を比べれば現在の方が遥かに高いと思います。これは、「話し」「聞く」だけでなく「読み」「書き」も含めた英語力全般について言えることだと思います。もちろん、大した根拠があるわけではありませんがそう思います。

これに対して、明治の高等教育を受けた第一期の世代(要は、「英語」だけではなく、つまり、少し前の初等・中等の公教育に喩えれば、「国語」を除き、「数学」「理科」「社会」「体育」「家庭科」と「ホームルーム」に至るまで「お雇い外国人というネーティブスピーカーに英語やドイツ語で直接知識を伝授された世代)の抜群の語学力の伝説や、語学と哲学に中心を置いた「旧制高校」の教育の神話を持ち出して、明治時代というか戦前の語学教育の素晴らしさを熱く語られる方もおられるかもしれません。しかし、私はそれらは伝説や神話にすぎないと思っています。

百歩譲っても「英語学者」や「ドイツ語学者」の語学力については戦前の方が優れていたと言えるかもしれませんが、社会科学を含む他の分野の研究者やビジネスマンや政治家の語学力については、お雇い外国人の授業も旧制高校の影響もそう過大に評価できないのではないでしょうか。

また、鷗外や荷風や二葉亭四迷、露伴や芥川、あるいは、津田梅子先生や新島襄先生を引き合いにだして戦前の語学教育の優秀さに思いを馳せる方もおられる。しかし、英語のネーティブスピーカーと看做すべき梅子先生は別格としても、これらの例はいつの時代にも語学の上手はいるという単純な事例にすぎないと思っています。

ここまで断言しておいて「もちろん、大した根拠があるわけでありませんが」では世間が許してくれないでしょう。よって、そう私が確信している根拠を二つ述べておきます。



<根拠-旧制高校の名物教授の英語力>
山形県のある有名な英語教授を祖父に持たれている私の極めて親しい方から伺った話ですが、その英語の達者上手であられた先生は、終戦直後、アメリカの進駐軍が山形に来た際に県庁から「通訳」を依頼されたということです。ところが彼の英語は進駐軍に全く通じず、また、筆談もシドロモドロで数日で御役ご免になられたとのこと。

彼は英米文学だけでなく英米の時事問題や英米流の経済学にも造詣が深い方であり県庁もかなり期待して三顧の礼をもって「通訳」をお願いしたということですが、全く期待はずれだったらしいのです。そして、その替わりを務めたのが昔横浜で貿易実務に従事していた方だったとか。これ自体は、「読み」「書き」中心の戦前の(というかここ15年くらい前までの)日本の英語教育の駄目さ加減を象徴する例のようですが、ポイントは「筆談」もコミュニケーションのスピードについて行けなかったという所でしょうか(★)。

★註:受験英語は悪者か?
私は、読み書き中心の所謂「受験英語」は大変素晴らしい英語教育のメソッドであったと考えます。蓋し、その問題点は、<音声>教材が比較的容易にかつ極めて廉価に使用できるようになった、安全に言って1970年代半ば以降も<音声>の契機を導入しなかったこと。而して、例えば、センター試験問題を見れば赤裸々なように、「会話コンテクスト偏重」の現下の英語教育のカリキュラムが、読み書きの側面だけでなく、話し聞く部面においても日本の英語教育を壊滅させたこと。このことは、今後の英語教育に関する制度設計に際して、納税者である全国民が肝に銘じておくべき<歴史的失敗>であろう。と、そう私は考えています。尚、この点に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。


・企業内英語研修の<窓>から覗く国際化の波高し
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f5c335cad81a75b8a3d91a7ef3cc98f7/?img=a9e1436253c6c20571ad875658e27fb8


要は、「進駐軍が駐屯する場所はどこか」とか「進駐軍の命令は(日本側の)誰にどのように伝えればよいか」、あるいは、「進駐軍の物資の横流し先はどこで/レートはいくらか」とか「どこに行けば美味しい酒が安く飲めるか」、「アメリカの家族への贈り物は何がいいか/それはどこで入手できるか」「こっちで仲良くなった彼女/彼氏の家族に結婚の了解を得るために伺うことになったが、その挨拶の際に着ていく服装はどんなものがいいか」等々、決まりきったパターンの情報伝達をノイズ少なく素早く処理する能力と、英米文学や英米の時事問題を深く正確に理解するための語学力は全く別物ということでしょう。これは、この所ちょっと気合の入っていない「吉原のNo.1」さんが、新小岩や新百合の女子高校生にも負けることがあるということではなくて、そう、テニスの世界チャンピオンが卓球では中学生以下というのとこれは同じです。

要は、能力が試される種目が違う。蛇足ながらコメントしておくと、現在の日本で求められる英語力は後者(そう前者の「進駐軍の通訳」ではなく)を基盤にした、広くビジネスを英語で遂行できるコミュニケーション能力だと私は考えています。率直に言えば、ある程度の会話力は当然として、2時間以内に、1枚500ワード換算のビジネスペーパーを20枚読んで、そのサマリーを250ワードの英文にできるかどうか。これが現在の日本人に求められている、最狭範囲の、かつ、最低ラインの英語力だと思いますが(ちなみに、大体、英語でのビジネス経験/海外在住/アメリカ人の彼氏や彼女との交際経験が3年以上おありなら、TOEIC800点前後の方は、数日のイメージトレーニングだけでほぼ100%これは可能です。)、これさえ育成できない、日本の会話偏重の現下の英語教育は<菅直人>でしょう。だって、戦前の英語教育はこれをほぼ実現していたのですから。



<根拠-戦前の翻訳>
これは英語だけではありませんが、数名の名人上手の作品を除けば、戦前の翻訳本は、「それだけを日本語のテクストとして読んで理解できない」、そんな代物が少なくありません。例えば、岩波文庫に収録されている篠田英雄さん訳のカントの著作などは、当時も現在も、(原書テクストと併せて読み進めることが不可能な)大部分の日本人にとっては、ほぼ<大蔵経>の経文のようなものだったのでは/のようなものではないでしょうか。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

而して、西田幾多郎にせよ、和辻哲郎にせよ、彼等が英語やドイツ語で原書を本当に理解できていたのかについて私は留保します。もちろん、彼等と同世代か少し下の世代の田中美智太郎先生、井筒俊彦さん、渡辺慧先生、恒藤恭先生の語学力は折り紙つきですけれどもね。

幾つかの事例で敷衍すれば、半世紀以上前、日本に初めて、憲法訴訟論の根幹の一つ「二重の基準論」を紹介された伊藤正己さんの英語力の卓越。あるいは、日本でというか世界で初めて、当時、埋もれていた英国分析法学(J.オースティン)の法思想が、バークの保守主義なる博物館の陳列物とは違い、21世紀の現在、愈々現役の社会思想たる<保守主義>の源泉の一つであることを喝破された八木鉄男先生の業績もそのいぶし銀のような英語力がなければ実現できなかっただろう。また、同郷の尊敬する<敵将>である、向坂逸郎先生のマルクス理解が世界でも一定水準を越えていたことは彼の脆弱な哲学的基礎体力を補って余りある、その類稀なドイツ語力によるものが大きいとも思っています。もう一人の、尊敬するというか敬愛する同郷の<敵将>、廣松渉さんの語学力は・・・(笑)。

・伊藤正己『言論・出版の自由』(岩波書店・1959年)
・八木鉄男『分析法学の潮流』(ミネルヴァ書房・1962)
・向坂逸郎訳『資本論』(岩波書店-岩波文庫版・1969年)


<結語>
この記事の結論行きます。私は、英語力自体は明治時代の平均的な政治家と現在の政治家を比べれば現在の方が遥かに高いと思います。しかし、英語でのコミュニケーション能力に限ればひょっとしたら明治時代の平均的な政治家の方が現在の政治家よりも上ではないだろうかと考えています。

そして、"But should America's commitment to Japan ever waver, a more independent stance to fall back on wouldn't hurt."についても、現在の政治家の中にはこのセンテンスの意味がとれない方も少なくないけれど、明治時代の政治家はこのセンテンスの意味なら「感覚的にせよ正しく理解」したのではないかと思われてならないのです。少なくとも、彼等は「誰が傷つくのか/誰にとって損な話ではないのか」を取り違えることはなかったのではないか、と。

なぜならば、「誰が傷つくのか」というポイントを確認するためにこそ明治時代の政治家はコミュニケーションをしていたと想像するからです。つまり、「論理的に考える」こと、あるいは、「国益意識というか/自分は誰の利益を代表して交渉しているのか」という意識が現在の政治家の話す英語にはやや希薄なのに対して、明治時代の伊藤博文にせよ桂太郎、陸奥宗光や小村寿太郎の主張に私は明確にそれを感じるからです。

私はアメリカ人やカナダ人の同僚と仕事をしてますが、当然、英語力では彼等に太刀打ちできません。その点では、「通訳」を御役ご免になった山形の先生と同じです。しかし、英語でのコミュニケーションにおいては(自分で思っているだけかもしれませんが)彼等と結構互角にわたりあえています。つまり、それが英語を通したものにせよコミュニケーションも人間と人間の間のコミュニケーションである限り、論理的で立場意識が明確に確立している方が優れているに違いないと思うのです。これが、日々、英語のネーティブスピーカーとつたない英語でコミュニケーションしている私の持論です。そして、この持論からは大学ラクビーや神宮の野球の話ではなく「明治の勝」じゃないのかな、そう夢想するのです。

羊頭狗肉ではないにしても、間違いなく、
竜頭蛇尾でとりとめもない話になった、鴨。


皆さんはどう思われますか?


【引用パラグラフ試訳】
結局、現在にいたるまで、2001年のアフガン戦争の際に海上自衛隊の燃料補給艦船と護衛艦をインド洋に送り、その派遣を継続していること。あるいは、イラク南部に平和維持部隊の派遣を決断しこれまたその駐留を継続することにより、小泉首相は憲法の解釈をその限界まで突き詰めた。これによって小泉首相はアメリカを支援する姿勢を示したのだ。カンボジアと東チモールにおける平和維持活動によってもまた日本はアメリカの負担を減らすことに寄与している。今週の賞賛はこれらの賜物だったのだろう。しかし、現在の日米関係を、もし、アメリカが見直すようであれば、日本がその外交指針をアメリカから独立性の高いものに変えたとしても何の差し障もないのではなかろうか。






(2011年08月6日:yahoo版にアップロード)

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