カレーライスの誕生★カレーの伝播普及が照射する国民国家・日本の形成




ご存知のように、日本のカレーは、英国海軍式の「カレー粉:curry powder」の導入に始まるとされています。そして、カレー粉を小麦粉で固めた「カレールー:curry roux」の<発明>により、就中、日本海軍におけるその普及改良によって、日本のカレーは「日本式カレー」としてその独自の歩みを始めた、とも。でも、カレーの本場はインドではないの?

畢竟、日本式カレーを含む広い意味のブリティッシュカレーは、ある特定の料理のメニューを意味しており、(都度、出来合の/お気に入りの)数種類の香辛料を配合してライスにかけるためのソースを作る、そして、そのソースをライスにかけて食べるという、誤解を恐れずに一般化すれば、「食物の食べ方」を意味する本場インドのカレーとは、よって、そもそも両者は「競技種目」を異にしているのだと思います。

要は、「日本のカレーと英国のカレーはどちらが美味しいか」という問いは、「鷲と鯱はどちらが強いか」「ソフトバンク・ホークスとなでしこジャパンはどっちが強いか」を問うのにも似た非生産性を帯びている。他方、「インドのカレーと日本のカレーはどちらが美味しいか」という問いは「二次方程式の解法と電卓はどちらが便利か」あるいは「AKB48とキティーちゃんはどちらが可愛いか」を問うのと同様に無意味な問いではないか。と、そう私は考えます。

極論すれば、日本の「カレー」や(くどいですが、「日本式カレー」を含む)英国流の「カレー」という言葉は普通名詞であるのに対してインドの「カレー」は抽象名詞である。あるいは、前者が固有名詞であるのに対して、後者は普通名詞である。このような対比の2項の両義性は、例えば、「アメリカ合衆国:the United States [of America]」や「the Pacific [Ocean] 」という固有名詞が、(定冠詞がついていることでも自明なように、)元々、「one and only something=one of them, but it is the only one of them」のニュアンスを伴う、しかし、結局の所、単なる普通名詞から固有名詞に<出世>した経緯と、あるいは、パラレルなの、鴨。


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日本の「カレー史学?」に画期を打ち立てた、森枝卓士『カレーライスと日本人』(講談社現代新書・1989年)を始め、ものの本によれば、「カレー:curry」という言葉は、500年近く前の16世紀、英国東インド会社のスタッフと英国海軍の将兵がタミル語から英語の語彙に持ち込んだものらしい。而して、その原意は「ライスに味付けするソース」という程度の普通名詞だったとか。

要は、語源的に言えば「カレー」とは、(大相撲の世界では「ちゃんこ」とは「食事一般」を意味する名詞であり、よって、それらが力士部屋で稽古を終えた力士に供される限り、サンドイッチもビーフシチューもフランス料理のフルコースも「ちゃんこ」に他ならないらしいのですが、この「ちゃんこ」ほど抽象度は高くはないにせよ、)元来、それは「鳥雑炊」とか「天麩羅蕎麦」という抽象度の名詞ではなく、謂わば「雑炊」とか「揚げ物」といったより高い抽象度の普通名詞だったのです。

また、タミル語でも「カレー」には「ソースをライスやナンにかけた料理/食べ方」という謂わば「丼物」に近い抽象度の意味もあり、更には、「ライスやナンにソースをかける」という動詞の意味もあるらしい。而して、19世紀半ばまでには漸次、英語でも「curry」は動詞としても使われるようになったとOEDに教えてもらいました。閑話休題。


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【海上自衛隊のカレー】


語彙語源談義からカレー史の素描に戻ります。時は18世紀半ば、インド洋を遊弋する英国海軍の艦内の給食メニューとして、現地調達の食材で経費を節減するためと保存のための工夫でもあったのでしょうか、あらかじめ香辛料を配合しておく、謂わば「プロトタイプのカレー粉」が重宝された。しかし、その普及は文字通り「英国海軍のインド洋艦隊」というローカルなものに止まっていた。実際、この英国流カレーの前史、<神話時代>に、「カレールー」さえも英国海軍の艦船の厨房で<発明>されていたという話も聞きます。しかし、それが事実としても、それも、所詮「コップの中の発明」に止まらざるを得なかったということでしょう。

蓋し、この経緯は、確かに、ウィンドーズと同じ「OSソフト」をビル・ゲイツのマイクロソフト社以前に、あるいは、ほとんど同着で開発していた発明家(inventor)はいたのでしょうが、OSソフトによって世界の情報通信の風景を一変させたのは、間違いなく、イノベーター(innovator)たるビル・ゲイツとマイクロソフト社であることとパラレルでしょうか。

ことほど左様に、貨物輸送の航空便もなかった当時(ちなみに、旅客輸送の航空機もなかったのですよ。為念)、多種多様の香辛料を、極端に言えば食事の都度調合しなければならない本場のカレー、よって、英国人の嗜好も理解している腕っこきのインド人コックを雇う余裕がそうそう多くの家庭にあるはずもない以上、18世紀後半に至っても、本場インドのカレーが英国社会に広範に普及することはなかったのです。

そんなニッチとニーズを察知したのがC&B社の<発明>とされている。つまり、同社は、あらかじめ香辛料を調合し、それを「カレー粉:curry powder」として商品化した。このイノベーションによってカレーは英国の家庭料理として瞬く間に普及し、更に、英国海軍に逆輸入された。実際、OEDの1810年の改訂版には「curry powder」が項目として登場するくらいですから。畢竟、現在では、最早、日本人の国民食となった感のある、カレー(=「英国流日本式カレー」)への道はこうして、英国のあるイノベーターによって(by an inventor and innovator)、黒船来航(1853年)の半世紀前には準備されていたのです。


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而して、時は明治。世は文明開化の時代。資料によれば、早くも明治5年(1872年)、カレーのレシピを収録した敬学堂主『西洋料理指南』が刊行され、 明治10年(1877年)に東京の洋食食堂の「風月堂」が日本で初めて「ライスカレー」をメニューに載せる。また、明治36年(1903年)には、大阪で日本初となる「カレー粉」の製造販売が始まった。そして、日清戦争(1894年-1895年)と日露戦争(1904年-1905年)の両戦役をモメンタムにして押しも押されもしない日本軍の看板メニューとなっていたカレーは、ついに、そのレシピが公開される。すなわち、明治41年(1908年)の『海軍割烹術参考書』と明治43年(1910年)の『軍隊調理法』で海軍と陸軍の公式カレーレシピが公開されたのです。

ちなみに、「カレーライス」は海軍の、「ライスカレー」は陸軍の各々「カレー」の料理名。この名称の違いを見ても、当時の陸軍と海軍の対抗意識がカレーを挟んで華麗に(?)火花を散らしていると感じませんか(笑) 尚、日本で初めて「インスタントの固形カレールー」が市販されたのは、大正15年(1926年)のハウス食品による試みが最初ということです。

チャート式の参考書よろしく今までの記述を整理すれば、

◎カレーの語義
・食事の都度、出来合の/好みの香辛料を配合して作るライスにかけるスープ(インド)
・カレー粉を使って作るスープにライスやパンを浸して/スープをかけて食する料理(英国)
・カレー粉と小麦粉で作るカレールーを使った粘度の高いスープをライスにかけた料理(日本Ⅰ)
・インスタントの固形カレールーを使った粘度の高いスープをライスにかけた料理(日本Ⅱ)


而して、また、今までの記述を敷衍すべく資料を転記しておきます。舞鶴海兵団によって刊行された上述の『海軍割烹術参考書』のレシピと、そのレシピを現在に蘇らせた「横須賀海軍カレー」で有名な魚藍亭にも掲げられている横須賀市の「カレー事始め」的の記事。ちなみに、日本式カレーの源流、日本海軍のカレーの伝統を華麗(!)に引き継ぐ、海上自衛隊のレシピも下記のURLで入手できますよ。

ウマウマ(^◇^)

・海上自衛隊のカレーレシピ
 http://www.mod.go.jp/msdf/formal/family/recipe/archive/currey.html

大塚志津香2



◆海軍割烹術参考書:カレイライス
材料牛肉(鶏肉)、人参、玉葱、馬鈴薯、カレイ粉、麥粉、米

初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リ別ニ「フライパン」ニ 「ヘット」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロヽノ如ク溶シ之レニ前ニ 切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ド煮エタルトキ入ル可シ)弱火ニ掛ケ煮込ミ置キ 先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之レヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ鹽ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物 類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス

[要約]
材料は、牛肉(鶏肉)、にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、カレー粉、小麦粉、米。
作り方は、肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいもを「四角にあたかもさいの目のごとく細かに切り」炒める。 フライパンにヘッド(牛の脂)をひき、小麦粉をきつね色になるまで炒め、カレー粉、スープを入れ、肉、野菜を入れて弱火で煮込み塩で味付けする。スープで炊いたご飯にかけて漬物類(チャツネ)を付けて出す。

(『復刻 海軍割烹術参考書』イプシロン出版企画より) 


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◆カレーライス誕生秘話
今、日本人が一般に食べている「カレーライス」は、「インドのカレー」ではなく、「イギリスのカレー」です。イギリス人の食事は一般に質素ですが、その長い経験から栄養のバランスのとれた「シチュー」はイギリス人の好んだ食事でした。イギリス人の船乗りも航海の時「シチュー」を食べたいと思っていましたが、味付けに使う牛乳が長持ちしないために長い航海の時には諦めざるを得なかったそうです。そこでイギリス人は、シチュー」と同じ材料(肉、人参、ジャガイモ、玉ねぎなど)に、日持ちのする香辛料(カレーパウダー)を使った料理「カレー」を考案しました。これが、イギリス海軍の「軍隊食」として定着していきました。

明治期の日本海軍は、イギリス海軍を範として成長してきましたので、栄養バランスが良く、調理が簡単なカレーに目をつけ艦艇での食事に取り入れました。しかし、これで最初は、イギリス水兵と同様にカレーをパンにつけて食べていました。しかし、これではどうも力がでないということで、小麦粉を加えてとろみをつけてご飯にかけて食べたところこれはイケルということになり、以後日本海軍の軍隊食として定着しました。これが現在のカレーライスのルーツともいえるもので、今では毎週金曜日の昼食に、北海道から沖縄まで、4万5千人の海上自衛隊員が一斉に「カレーライス」を食べています。

こうして日本海軍の「軍隊食」となったカレーライスは、故郷に帰った兵士が家庭に持ち込むことによって全国に広がっていきました。   



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明治維新の半世紀以上前に「カレー粉」は発明されており、また、日本海軍の定番メニューになる以前から、(君臣一体、官民一体、坂の上の雲を急追する文明開化期の)日本でも、ハイカラな「洋食屋」さんではカレーを食することはできました(ちなみに、「西洋文化のショーウィンドー:欧米社会の「使用価値の体系」の展示即売所」としてのデパートに食堂が併設されるようになるのは、大正末期から昭和初期のことです)。けれども、といいますか、それゆえにでしょうか、明治も30年代、明治もその後期を迎えても、カレーはまだまだ高級な西洋食として扱われていた。

その「状況証拠」なのかどうか、実際、ネットで調べても、例えば、「日本のカレーの具材の三種の神器」なるものとして、ジャガイモ・ニンジン・タマネギを挙げている記事を見かけるのですが、実は、本邦へのそれらの野菜の舶来と普及の歴史を紐解けば・・・、

・馬鈴薯:ジャガイモ
読んで字の如く「ジャガタラ芋」(ジャカルタのあるインドネシアから来た芋)であり、18世紀後半、江戸時代後期には今の山梨県を中心に広く栽培されるようになった。

・人参:ニンジン
16世紀に伝来。明治に入って全国的に生産されるようになった。


と、この二つはそう「問題」はないのですが・・・。

・玉葱:タマネギ
江戸時代に伝わったが、観賞用にとどまった。食用としては、明治4年(1871年)に札幌で試験栽培されたのが最初とされ、その後の明治13年(1880年)に札幌の中村磯吉が農家として初めて栽培を行った。    


要は、カレーのみならず、現在ではその代表的な、否、欠くべからざる必須の具材と看做されている玉葱も、海軍が苗床となりこの国民食を啓蒙・普及させるまでは(具体的には1910年以前、日清戦争と日露戦争を挟む時期の終期までは)、日本の食卓においては新参者だったと言えるのです。

実際、明治4年(1871年)に、日本最初の女子留学生として太平洋を越えた津田梅子先生の父君、津田仙翁は、明治9年(1876年)、東京麻布で、ホテルや洋食食堂を得意先に当て込み西洋野菜の栽培・販売を始め大儲けしたのですが、その事業は、明治30年(1897年)に事業を次男に譲った際には開店休業状態に陥っていたとか。

蓋し、西洋野菜とカレーの普及において、海軍の影響は帝国ホテルや三越デパートなど問題にならないほど大きかったということ。尚、梅子先生を<切り口>に、カレーライス誕生の時代のこの社会の背景と雰囲気を感じるのも悪くないよねと思われる向きは下記拙稿をご一読ください。

・書評☆古木宜志子「津田梅子」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60632975.html


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日本でも、当初は異人さん相手の(その後は、「異人の真似をすると偉人になれると勘違いする滑稽な田舎者」相手の)洋食屋さんで供されていた、次に、海軍で(そして、海軍の真似をした陸軍で)賄われたカレー。而して、その伝播普及に際して、英国とは異なる日本の生態学的社会構造(自然を媒介とする、人と人が取り結ぶ社会的な諸関係性の総体)、就中、日本の食文化に合うように、日本のカレーは英国のカレーに修正が加えられました。その修正の核心と原動力が「カレールー:curry roux」の発明だった。

実際、アガサ・クリスティーの『牧師館の殺人:The Murder at the Vicarage』(1930年)の中で、牧師の若妻グリゼルダが、「日本人はいつも半煮えのお米を食べているから頭がいいんですって」と述べているように(cf. ハヤカワ文庫版, pp.18-19)、日英の食文化の差は小さくはないのでしょう。ならば、それら各々のカレーの差が漸次大きくなったことも不思議ではありません。

もちろん、インドと英国のカレーの差違、あるいは、インドと日本のカレーの差違に比べれば日英のその差などは、太陽系からアンドロメダ星雲までの距離と地球から金星までの距離の違いよりも小さいと思わないでもないですけれどもね。ちなみに、お茶目なグリゼルダ牧師夫人は、『書斎の死体:The Body in the Library』(1942年)でも、若くて美人の母親になっていい味を出しています。英国流日本式カレーの<故郷の情景>を感じるためにもクリスティー作品はお薦め、鴨。


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畢竟、坂の上の雲を睨みつつ日本が国民国家に変貌を遂げるのと轍を一にして、
英国流のカレーから日本のカレーは、漸次、離脱していった。

すなわち、①インディカ米ではなくジャポニカ米に合うように、②カレー1品で食事が済ませるように(要は、「カレー」はインドとは違い日英ともにある「料理のメニュー」を意味するにせよ、英国のように、ある一回の昼食や夕食に出る幾つかの料理の一品ではなく(one of them のdishesのa dishとしてではなく)、「今晩、我が家はカレーだ!」になるように)、そして、③日本人の味覚嗜好に合うように香辛料の種類と小麦粉との配合比率が工夫されたのです。


このような、プチイノベーションが日本海軍の艦船の厨房で繰り広げられ積み重ねられた結果、「カレー」は、東郷平八郎元帥が広めたとされる「肉じゃが」と同様、あるいは、阿弥陀如来や大日如来の本地垂迹と同様、更には、甲子園の高校野球やなでしこジャパンのサッカースタイルと同様、<日本の食文化>の一斑として日本の生態学的社会構造にビルトインされた。而して、「カレー」は、坂の上の雲の下で戦われた日清戦争・日露戦争を契機に<国民食>に華麗に昇華した。日本における洋食の伝播・普及・定着の原動力は、軍隊と学校の給食にあったとはしばしば語られことですが、カレーもその例外ではなかったということでしょう。

ちなみに、(これはあくまでも私の仮説ですが、)「カレー」「シチュー」を始めとする洋食メニューの日本における普及の時期、日清戦争から日露戦争を挟んだ時期に、陸海で日本の軍隊の厨房の任を担った兵士諸氏の出身地や出身階層の偏差からして(例えば、東京の銭湯の経営者一族の出身地が秋田県に偏っているとされていることと類比的に)、英国のカレーからの日本式カレーの離脱のベクトルを決定的に左右したのは東北・北陸の伝統料理の味覚なの、鴨。


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実は、私は、駆け出しの社会人の頃、当時、大阪の丸ビルに入っていたインドレストランの主任コックのインド人の方に、週1~2回、足かけ2年半、カレーの作り方を習ったことがあります。彼は野心家で、お金を貯めて英国のMBAへの留学を目指していた。でもって、進学資金を一刻も早く貯めるべく、私が当時住んでいた阪急上新庄のカレー屋さん兼バーで彼はアルバイトされていました。で、私がMBAの適性試験(GMAT)対策ノウハウを彼に教え、お返しに彼からカレーの作り方を教えていただいた。

б(≧◇≦)ノ ・・・懐かしい~♪

而して、その時、最初に感じた違和が「カレー:curry」という名詞に双方が抱く意味の抽象度の違いでした。そして、お互いが抱く「カレー」を巡る言葉の抽象度の擦り合わせには半年以上かかったように思います。しかも、その相互理解の達成は「実物の具材:cognitive tool-kit」をお互いに手にしながらする<対話>の積み重ねを経た上でのこと。

蓋し、異文化コミュニケーションは難しい、でも、おもしろい。異文化コミュニケーションは可能である、けれども、その上首尾な達成のためには動機と根気と努力が不可欠。と、そういう認識を私はこの「カレー」を巡る経験から体得したように思います。閑話休題。


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ということで、結論的な感想を最後に記しておけば、

いずれにせよ、(α)インド人が日本の「カレー」を「It isn't a Curry!」と言うのは当然ではある。けれど、彼我の概念の抽象度自体が異なっている以上、彼等が言う「カレー」だけが本物の<カレー>であるとは言えない。また、(β)仏教がインド伝来のものであるにせよ仏教はすでに日本の生態学的社会構造にビルトインされた、認識と価値判断の体系になっており、日本の<文化伝統>の主要な一斑であるのとパラレルに、日本のカレーもまた日本の<食文化>の一斑であり、カレーは日本の国民食である。


些か、インド人も吃驚するかもしれませんが、私はそう考えています。

カレー


尚、<文化伝統>と保守主義を巡る私の基本的な認識については下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。KABUのお薦め「トマトカレー」のレシピと併せてご案内させていただきます。

ちなみに、(言うまでもないことかもしれませんが、)この記事の画像、素敵な<女子自衛官>の方は、KABU&寛子さんと同郷の福岡県出身、実家が食堂経営ということもあってでしょうか(私の過去の進路指導経験からはそれはあまり関係はないと思いますけれども)、間違いなく、「メンバーの中でも最も料理が上手」との評価が定まっているAKB48の大家志津香ちゃんですよ。

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60167130.html

・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444711.html

・政治も気候も<梅雨明け>で夏本番、元気のでるKABU特製カレーのレシピを公開します
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59717647.html


б(≧◇≦)ノ ・・・今夜はカレーだぁー!

ウマウマ(^◇^)




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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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