敵基地先制攻撃と専守防衛論

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七夕前の花火7連発。北朝鮮のミサイル発射を受けて安全保障論議が活発である。その中でも「日米同盟によって(日本は防御中心、敵基地攻撃は米国との)役割分担があるが、国民を守るために必要なら、独立国として限定的な攻撃能力を持つことは当然だ」「敵ミサイル基地を攻撃できる能力の整備を日本も研究する必要がある」等々の安倍晋三官房長官、額賀福志郎防衛庁長官、麻生太郎外務大臣等の発言は時宜を得たものだと思う。

敵基地先制攻撃論に対しては、自民党の山崎拓氏が「先制攻撃は憲法違反」との筋悪のコメントを出された他、朝日新聞等の戦後民主主義を信奉する勢力から反論が出ている(尚、この件に関する私の基本的な憲法理解については次の拙稿を参照いただければ嬉しい)。

北朝鮮ミサイル☆冷静な制裁論と感情的な融和論
 
畢竟、北朝鮮の体制崩壊や、バブル崩壊による中国経済の座礁と政治的分裂ならびにそれらに伴う韓国経済の沈没という、北東アジアで今後1ジェネレーションと言わず1ディケードの間に予測されるこれら特定アジア諸国の激動とそれを契機とする反日動向の激化を潜る中で我が国がいかにしてその主権と国民の生存を維持確保していくのか。これが、現下の憲法改正動向の中で護憲派-改憲派ともに選択と回答を迫られている問題だと私は考えている。

ならば、北朝鮮の脅威が迫る中で、限定的先制攻撃の研究の必要を訴える諸閣僚の発言は憲法論争を神学論争から解放する可能性を孕んでいるのではないか。<専守防衛の原則からの敵基地先制攻撃反対論>を吟味検討しようと考えた所以である。

以下、昨日、平成18年7月12日の朝日新聞社説「先制攻撃論 短兵急に反応するな」からの引用。


北朝鮮がミサイルを撃ってくる前に、発射基地を攻撃して破壊する。そのための先制攻撃能力を日本も持ってはどうか。そう言わんばかりの発言が主要閣僚らから相次いでいる。

麻生外相は9日のテレビで「被害を受けるまで何もしないわけにはいかない」と語り、10日の記者会見では安倍官房長官が「今後、そういう能力を持つべきかどうか、議論を深めていく必要がある」との考えを示した。(中略)

すべてのミサイルを撃ち落とすのは難しい。国民の命を守るには先制攻撃もやむを得ないのではないか、という問題提起なのだろう。一見、もっともな理屈のように見えるが、落ち着いて考える必要がある。

ミサイルは発射されてみないと、どこを狙っているのかがはっきりしない。自衛のための先制攻撃といっても、こちらから戦争を仕掛ける形になる。相手の意図をどう見極めるのか、現実には至難の業だろう。(中略)

日本の先制攻撃もありうるとなれば、相手はさらに先手を取ろうと攻撃に走りかねない。そんな危うさもある。そもそも日本が攻められた時は、自衛隊がもっぱら本土防衛の役割に徹し、敵基地などをたたくのは米軍に委ねる。これが安全保障の基本となってきた。専守防衛の原則である。

ごく限られた状況では先制攻撃する場合もあるというのが政府の立場だが、実際には自衛隊の役割と装備を限定し、敵基地への攻撃能力は持たずにきた。平和憲法の理念に基づき、日本が再び外国を侵略したり、軍事的な脅威になったりしない。専守防衛の原則は、そんな国民の意思に支えられている。

弾道ミサイルの時代なのだから、専守防衛の原則にも手直しが必要なのではないかという議論はあるかもしれない。だが、北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃するということは、こうした日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題である。北朝鮮の挑発に過剰反応し、短兵急に方針転換へ突き進むようなことがあってはならない。

専守防衛を変更すれば、北朝鮮だけでなく、中国や韓国などの周辺国を刺激するのも避けられない。

北朝鮮が最も恐れるのは米国の強大な軍事力だ。日本の安全にとって、最大の頼りはやはり米国の抑止力だろう。これを前提として、あくまで外交的な決着をはかるのが日本の戦略であるべきだ。(以上、引用終了)




◆先制攻撃とは何か
この社説には読者をミスリードする議論が含まれている。すなわち、「ミサイルは発射されてみないと、どこを狙っているのかがはっきりしない。自衛のための先制攻撃といっても、こちらから戦争を仕掛ける形になる」という記述だ。刑法の比喩で説明する。

日頃から「俺は拳銃を所持している。機会があればお前とお前の家族をぶち殺してやる」と言い放ち、また、威嚇射撃を繰り返してきた破落戸が(しかも、実際に自分の家族を拉致監禁している相手が)誰が見ても明らかに拳銃と思しきものを至近距離でこちらに構えた状況を想起してみられよ。この場合、先に銃撃してこの破落戸を殺傷したとしても誰も私を非難できないだろう(銃刀法違反は問わない)。

これは正当防衛(刑法36条1項)のケースであり;おそらく、私の行為が(1)事態の緊急性と(2)防衛手段の相当性のいずれかでいささか社会常識から逸脱していたとしても、上の設例では過剰防衛(刑法36条2項)として「刑が減免」されるかもしれない(緊急性と相当性に関して事実認識の錯誤が認定される場合でも、論者によりロジックは異なるにせよ違法性もしくは有責性の少なくともいずれかは軽減されると思う)。

これは国内法と国際法を混同する議論だろうか? 一般的には、刑事司法のアナロジーで戦争を巡る国家の責任を考えることは慎むべきだ。それは、(イ)国家主権という犯罪と刑罰を一義的に定め、そして、ある犯罪事実に対してその法的責任を実行行為者(被疑者や被告人)に問うための強制力を保有する単一の主体を欠く国際社会に、(ロ)行政刑法等の両罰規定を除けば、原則、自然人(=生身の人間)のみが責任対象となる刑事法の諸範疇を適用することに大した意味はないからである。

何を私は言いたいのか? それは、自国の主権と自国民の生存とを最後に守るものはその国自体を置いて他にありえない国際社会では、刑法でさえ正当化するタイプの行為はなおさら正当性を持つということだ。それは、ブッシュ政権が標榜している「核兵器の使用も組み込んだ戦略的な先制攻撃」のドクトリンとは似て非なるものであり、実際、上の比喩で紹介した、刑法の正当防衛の成立要件:(1)事態の緊急性と(2)防衛手段および攻撃範囲の相当性は、国際法における自衛権の発動たる正当な先制攻撃が備えるべき要件そのものなのである。

畢竟、そのミサイル発射の徴候が看取された場合、日本が北朝鮮のミサイル関連施設に対して我が優秀で勇敢なる自衛隊が先制攻撃を敢行することは、上述の如く国際法においては純然たる自衛権の行使であり;また、鳩山-岸内閣まで遡るまでもなく数次にわたる政府答弁でも明らかな如く、それは現行憲法の定める自衛権の範囲内の行為である(尚、安全保障を巡る私の現行憲法理解に関しては下記拙稿を参照いただきたい)。

護憲派による自殺点_愛敬浩二『改憲問題』(1)~(8)
 
憲法改正の秋 長谷部恭男の護憲最終防御ラインを突破せよ!
 
確かに、この社説が述べるように「ミサイルは発射されてみないと、どこを狙っているのかがはっきりしない。自衛のための先制攻撃といっても、こちらから戦争を仕掛ける形になる」ことは稀ではなかろうし、実際、誤爆もありうるだろう。

けれども、国際法上、限定的先制攻撃について刑法理論のタ-ム:「誤想防衛」「過剰防衛」「誤想過剰防衛」(≒実際は事態に緊急性はなかった;緊急性はあったが攻撃の程度もやりすぎだった;緊急性もなく攻撃の程度もやりすぎだった)が指し示すような事態が生じたとしても、それは原則、法的問題ではなく政治問題になるにすぎない。

すなわち、その先制攻撃はそれを敢行した国家の正当性を豪も毀損せず、而して、先制攻撃を敢行した国家がその先制攻撃ゆえに国際政治において安全保障・貿易(特に、エネルギー&食料の確保)・資本投資等の諸部面で何らかの蹉跌をきたすのでもない限り、先制攻撃は国際法的に正当なだけでなく安全保障においても合理的な施策でありうる。

而して、「先制攻撃もありうるとなれば、相手はさらに先手を取ろうと攻撃に走りかねない」のかどうかは誰にもわからないことだ。けれども、「先制攻撃もありうるとなれば、相手は攻撃を躊躇するか、少なくとも、攻撃により慎重になる」ことは確かであろう。また、「専守防衛を変更すれば、北朝鮮だけでなく、中国や韓国などの周辺国を刺激する」であろうが、それこそ日本に敵対する特定アジア諸国に対する適切な防衛力のあり方というものである。蓋し、防衛力の権能とは攻撃を躊躇させ通常の外交においても武力の裏づけを相手に意識せしめる;そのような熟慮を敵指導者に促すことにあるのだろうから。



◆専守防衛論と現行憲法
専守防衛の原則を我が国と我が国民に対する敵の攻撃を専ら撃退することに自衛権行使の範囲を限定するドクトリンと解するならば、北朝鮮のミサイル関連施設への先制攻撃は(例えば、マラッカ海峡から東シナ海を通り我が神州に至るシーレーン警戒活動中に惹起する、我が優秀で勇敢なる海上自衛隊の護衛艦隊と国籍不明潜水艦との交戦などとは異なり)専守防衛そのものと言いうる。

蓋し、自分に向けて発射された弾丸を中空で叩き落とすのも専守防衛なら敵が手にする拳銃を腕ごと斬り落とすことも専守防衛でないはずはない。畢竟、法は不可能を誰にも要求しないのである;ならば、敵の弾丸が発射されてからしか専守防衛ができないなどの原則が実定憲法下の安全保障政策でありうるはずはないからである。

よって、専守防衛に関する社説の理解:「そもそも日本が攻められた時は、自衛隊がもっぱら本土防衛の役割に徹し、敵基地などをたたくのは米軍に委ねる。これが安全保障の基本となってきた」、実際にも「自衛隊の役割と装備を限定し、敵基地への攻撃能力は持たずにきた」はそう間違いではないけれど、専守防衛の原則なるものが「平和憲法の理念に基づき、日本が再び外国を侵略したり、軍事的な脅威になったりしない。専守防衛の原則は、そんな国民の意思に支えられている」という記述は現行憲法の規範意味とは無縁な文学的表現である(なにより「平和憲法」などという名の憲法典は存在しない。これは、あのパチンコ台の有名メーカーの社訓であろうか?)。

蓋し、「弾道ミサイルの時代なのだから、専守防衛の原則にも手直しが必要」なのではない;軍事技術の革新とともに専守防衛の作用する地域が拡大されただけなのである。もちろん、その適用範囲の地域的拡大にせよ、「日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題」ではあろう。けれども、実定憲法秩序とは何の関係もない絶対的平和主義に絡め取られるあまり、敵基地先制攻撃論を短兵急に憲法違反や憲法の理念に反すると解するような態度は感情的にすぎると言うべきであろう。

畢竟、マクロ的には米国の軍事力に守られざるをえないとしても、日本が特定アジア諸国に対して(あるいは米国に対しても)その国益と主権を守ろうとするならば、日本は単独で運用可能な防衛力と安全保障のポリシーを可及的速やかに整備すべきである。韓国による竹島の不法占拠や東シナ海での中国による盗掘が継続している現下の状況を鑑みるに、限定的先制攻撃能力の整備は日本の安全保障政策の焦眉の急の課題である。私はそう考える。


(2006年7月13日:yahoo版にアップロード)

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