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放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である




脱原発論は「人間の万能感-権力の万能感」に骨の髄まで汚染された文化帝国主義的の言説ではないでしょうか。それは「人間の有限性の認識-絶対的な価値の否定」を根幹とする、価値相対主義と親和的な現代の<民主主義>の社会思想、そして、そのような社会思想を基盤とする現代の憲法秩序を否定するもの、鴨。而して、それは、疑似科学と衆愚政治の合体、すなわち、「ファシズム」そのもの、鴨。そう私は考えます。

現下の日本社会で跳梁跋扈している、「放射能=危険」「原発=絶対悪」的な言説や風評被害の凄まじさは、正に、「狂乱」と呼ぶにふさわしい。それは、福島原発事故という羹に懲りて脱原発カルトという膾を吹く類の愚行。オイルショックの際に、商社から庶民に至るまでトイレットペーパーを買いあさり溜め込んだのとパラレルな噴飯ものの滑稽譚、鴨。

例えば、武雄市の瓦礫受け入れを撤回に追い込んだ脅迫を始め、京都五山の送り火の薪、愛知県の打ち上げ花火、大阪の橋梁、甚だしくは、福島県物産のアンテナショップ開店が阻止された福岡の事例等々。脱原発の論陣を張る放射線医学の専門家さえその健康被害の危険性を認めることには躊躇せざるを得ない、そんな微量の放射性物質の検出、否、放射線被曝による健康被害惹起の「社会学的蓋然性」、否々、「論理的可能性」、否々々、放射線被曝による健康被害、就中、子供達の健康被害を<連想>させることだけが理由としか説明しようがない言い掛かりのオンパレード。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

家康が豊臣氏殲滅行動の発端に利用した「君臣豊楽-国家安康」の梵鐘、方広寺の鐘銘への難詰もこうまでは荒唐無稽ではなかっただろう。そんな支離滅裂な「低線量放射線被爆の危険認識」の蔓延。すなわち、そのよう言い掛かりが世間でまかり通ると勘違いしている心性の波及拡散、畢竟、「福島」や「原発」や「東電」を自分達の言説で<魔界聖別>できると思い込むカルト的心性がこの社会を覆っている。私はそう危惧しています。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。



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畢竟、「絶対の安全性」などはこの世に存在しないのです。ならば、所詮「人間が社会的に生存していくためのコストを睨んで、ほどほどに見積もったリスクと人類は添い寝していくしかない」という赤裸々な現実を看過して、人間が、よって、それが形成する国家権力が<自然>を制御できると考える<人間の万能感>や<権力の万能感>がいよいよ盛んなこの社会の現実を見るとき、それと同時に、私は民主主義と立憲主義、すなわち、現在の憲法秩序の危機を感じざるを得ません。

畢竟、<自然>、就中、<自然>としてのグローバル化の昂進著しい資本主義の拡大深化を前にしては脱原発のエネルギー政策などは塵に同じでしょう。他方、チェルノブイリどころか福島どころか、今後もし、一国を遥かに超える規模の原発事故が惹起した場合、現在の年間積算ベース1~100ミリシーベルトなる放射線被曝許容値など誰もどの国も守りようがない。

そして、そんな守れない基準の遵守などを他国に強要される筋合いはなく、まして、(国際法上も現実の国際政治においても)どの国際機関も当該被爆国にそのような守れない基準を強制することなどできはしないのです。   

蓋し、原発問題において、「原発は絶対に安全とは言えない」とか「放射能は確率論的には被爆線量にかかわらず危険である」等々の、元来、人間がその認識能力からして絶対に言えない類か、あるいは、「人間は必ずいつかは死ぬ」という命題と同様、絶対に正しいがゆえに社会的問題の政治的解決においてはほとんど無意味な類の命題を前提にした、脱原発論は可及的速やかに止揚されるべきではないか。と、そう私は考えます。


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絶対の安全性などはこの世に存在しない。ならば、すべからく、放射線被曝の危険性を巡る政策判断は危険性の可能性や蓋然性と、他方、その政策がもたらすであろう価値や利便性との比較衡量でしかない。換言すれば、脱原発論の主張は(「原発=悪」あるいは「原発=必要悪」というそれ自体、)根拠を欠いた文化帝国主義的な言説にすぎない。

なぜならば、放射線被曝の危険性とは、
就中、低線量放射線被曝の危険性に関しては、

①低線量放射線被曝の危険性は<論理的>な危険性の可能性
低線量・積年・平準・放射線被曝の健康障害の危険性は疫学的には確認されていません。これは重回帰分析(例えば、甲状腺癌の発症に関して、被爆・喫煙・飲酒・遺伝等々の複合的要因の中で、ある特定の要因の影響の度合いを数値化する数学的技術)や、少変量統計解析(少数のサンプルから、どの程度の精度でそのサンプルを含む母集団全体の傾向を認識できるかを明らかにする統計学的技術)の結果からは動かない。よって、

②低線量放射線被曝の許容値の本質は「決め事-調整問題」マター
国際的な「被爆許容値」なるものは、その危険性の<論理的可能性>を睨んだ<決め事>にすぎない。要は、(科学者の怠慢でも、国際原子力マフィアの陰謀では必ずしもなく)「許容値」には確たる根拠はない。而して、論者によって1000倍以上の幅があり、更には、平時と緊急時、事故直後と復興時についてその幅が同じ論者でも変化する、否、ゴムみたいに伸び縮みすることは当然なのですから。   


加之、例えば、日本では、原則、赤色の郵便ポストが欧米では濃紺やその他の色であることが希ではないように、「止まれ」を意味する「信号」が「赤」である必要や必然性はない。また、実際、英国や日本とアメリカが異なっているように、車の右側通行か左側通行も単なる決め事、社会的な約束事にすぎません。けれども、それらが「赤=止まれ」「車は左車線」と社会的に決まっていること自体には社会的に意味があり社会的な価値がある。

このように、そのルールの内容自体には必然性はないけれど、社会的な利便性を鑑みた調整の結果、ある内容のルールが社会的に確立されていることには意味のあるタイプの問題を「調整問題」と言います。而して、低線量放射線被曝の許容値なるものもこの「調整問題」のマターに他なりません。

而して、それらの危険性と便益との比較衡量を踏まえた<問題の調整>は、民主主義の政治的価値と政治制度を採用する国家では、すべからく、間接民主主義的な政治のプロセスに則って行われるべきことは言うまでもないでしょう。


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土台、原発問題は直接民主主義的な政策決定とは馴染まないタイプの問題群である。と、そう私は考えます。実際、(例えば、小規模なカルト教団が、当時世界第2位の経済大国の首都でサリンテロを敢行できたこと、あるいは、単なるテロリストが当時世界の唯一の超大国の中枢で旅客機を用いた自爆テロを遂行できたこと、更には、世界の最貧国に列する北朝鮮が核兵器を開発できたことに露わなように)、資本主義の深化拡大に伴うグローバル化の昂進の中で、専門知としての科学技術は、「主権国家=国民国家」、否、それら個々の「主権国家=国民国家」が共存する舞台としての国際社会の能力をさえ凌駕しつつありましょう。

現在、人智を超える専門知たる(マルクスの顰みに倣い換言すれば、「疎外された専門知:それを作り上げた人間の制御から離脱して独自の存在と流通の法則性を獲得した専門知」たる)科学技術に仕える<神官>としての専門家、そして、それら<神官>の用いる<秘儀>としての専門知が、最早、主権国家や国際機関のオフィシャルな統制の枠には収まらなくなってきているということ。すなわち、ミシェル・フーコーが予言した「素人を沈黙させる<権力>としての専門知」が跋扈している現代社会のリアルな相貌が福島原発事故を契機にこの社会でも否応なく浮き彫りになったの、鴨。

而して、疎外された専門知/権力と化した現在の知のあり方を反芻するとき、加之、他方、現在ではすべての人が「ほとんどの知の領域に関しては素人でしかない」状況を想起するとき、そのような「主権国家=国民国家」を超える専門知の、少なくともその一斑ではあるだろう原子力エネルギーを巡る政策に関しては、直接民主制的な政策決定、就中、素人による国民投票や住民投票が、ある意味、最も馴染まないこともまた自明ではないでしょうか。

ならば、思想としては民主主義を否定する、かつ、既存の間接民主制を通した政策決定にアンチを唱えている(よって、それを巡る政策の決定と社会意志の統合の任にあたる政治制度として最も不向きな直接民主制を志向しているとしか思えない)現下の日本の脱原発論は民主主義の敵である。而して、比較衡量を否定する「放射線被曝=絶対悪」の如き認識からなされる脱原発論の「クレーム:要求・要請」は民主主義の敵からの「クレーム:言い掛かり・為にする文句」と言ってよい。

よって、(もちろん、時々の民意に対してその間接民主主義的の政治プロセスは開かれた構造であるべきでしょうけれども)、プロ市民からのそのような言い掛かり的クレームなどは、石原都知事がそう述べられたように「黙れ!」の一言で切って捨ててもなんら問題はない。否、「比較衡量=調整問題的アプローチ」と間接民主制を原理的に否定する、脱原発カルトからなされるクレームは、民主主義を擁護する立場からは「黙れ!」の一言で切り捨てるべきでさえある。と、そう私は考えます。


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ディケンズは『クリスマス・キャロル』の中で、無知こそ貧困を含む諸悪の、すなわち、諸々の不条理や悲惨の根幹であると聖霊に語らせています。而して、人間の有限性の自覚を欠く、ソークラテ-スの言う意味での「本物の無知」の陥穽に遊ぶカルト集団の不埒な言動、例えば、『週刊金曜日』の論稿や武田邦彦氏のトンデモ論に象徴されている無知なる傲慢は、(現在の保守主義と親和的な、現在の憲法秩序の根幹である価値相対主義、並びに、自由の価値、および、自己責任の原則と矛盾するがゆえに)現在の憲法秩序の原理としての<民主主義>とも<立憲主義>とも両立し得ない。

それらは専制政治や「社会主義-共産主義」という<魔物>を呼び寄せる呪文、蓋し、それらは言葉の正確な意味でのファシズム的の言説と心性そのものである。そう私は考えます。脱原発カルトは高線量の放射性物質よりも有害であり正義に反するとも。


尚、<民主主義と低線量放射線被曝の危険性>を巡る私の基本的理解
については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60588722.html

・放射線被曝の危険性論は霊感商法?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60504829.html

・魔女裁判としての放射線被曝危険論
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60493326.html
 


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