放射能の恐怖から解脱して可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!




昨日、政府は、事故を起こした福島第一原子力発電所が「冷温停止状態」に入ったと宣言しました。蓋し、私はこの宣言が嘘でも本当でも、そろそろ、「脱原発ファンタジー」から覚醒して、もちろん、「脱原発カルト」に起因する<恐怖>から解脱して、日本は原発立国路線に回帰すべきではないか。畢竟、脱原発ファンタジーや脱原発論は民主主義の否定であり、加之、原発推進こそ、少なくとも21世紀前半の日本の「天命=Manifest Destiny」である。と、そう私は考えます。

脱原発論は、人間存在の有限性の自覚を欠いた、人間と権力に対する万能感の醜悪なる妄想であり、すなわち、それは文化帝国主義の教条に絡め取られた傲岸不遜なるカルト。畢竟、それは「努力することこそ人生の真・善・美であり、 個性が華開く感動的な人生と活気と隣人愛にあふれる社会の実現」を目指す、価値相対主義を基盤とする現在における保守主義とは相容れないものであるとも。

尚、私のこの「脱原発ファンタジー」「脱原発カルト」認識に関しては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60908495.html

・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60588722.html

・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60450789.html


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放射能の何がそんなに怖いのか。


そもそも「放射線被爆」の何がそう怖ろしいというのでしょうか? 放射能の何がそんなに怖いのか。と、そう私には思えるのです。信長が好んだ幸若舞は敦盛の一節「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」ではありませんが、現在、この瞬間にも世界には飢餓線上にある子供たちが10億人単位で存在している。

否、そんな時空を隔てたエピソードではない。<2011年3月11日午後2時46分>から2ヵ月余が経過した5月末の段階でも、宮城県・岩手県の山間部集落には、住居・ライフラインの手当て復旧とは言いませんが、衣食においても大震災直後とほとんど変わらない状態で<放置>されていた羅災者・被災者が数千人単位でおられたのです。

まして、なんと4月21日まで出され続けていた、政府の意味不明な「屋内避難指示」なるサジェスチョンに基づき、あるいは、「原発が落ち着くまでの数日間ですから」と騙まし討ちのように<自主避難>を促されたばかりに、それら住民が家族同様に育ててきた牛さんや豚さん、家族の一員たる犬さんの多くが餓死するに至っている。これらの現実のリアリティーを直視するとき、私は再度問いたいのです。放射能の何がそんなに怖いのか、と。

蓋し、<幽霊>が怖いのはその正体がわからないからではないでしょうか。而して、それがいかに人間の脅威になり得るとしても、その正体が判明していれば(例えば、虎でもライオンでも、ゴジラでもキングギドラでも、地震も雷も火事も、「大山風=台風」も「親父」も、消費者金融や税務署の取り立てでも)、おそらく恐ろしくはあるが怖くはないの、鴨。

また、それに対する防御や予防が到底人間の知と力の及ぶ範囲と範疇を超える事柄であれば、要は、その脅威を避けることが土台人間にとって不可能であれば、(例えば、(約6550万年前に恐竜を絶滅させたとも現在考えられている、たかだか直径15キロ程度の小惑星ではなく)直径150キロ超の天体と地球との衝突、あるいは、太陽(the sun)が現在の燃料である水素を使い果たし、次に、その燃えかすとしてのヘリウムをも燃焼し尽くしつつ膨張して「赤色巨星」になるに及び、その外層が地球軌道を飲み込んでしまう40億年から50億年後の事態などは、)その事態を想像するに恐ろしくはあるとしても別に怖いとは人は感じないのではないでしょうか。

要は、恐怖とは、ある事柄が人間存在にとって、

(α)生命・身体・財産・名誉・運命を脅かす存在であること
(β)その正体が未知であること
(γ)その脅威を避けることが/脅威を低減させることが可能であること

の三要件を備えているとき感じられるもの、鴨。而して、放射能。すなわち、平準積年での低線量放射線の被曝などは、これら(α)~(γ)の三要件すべてについて、その条件を満たしているとは言い難い。と、そう私は考えます。

なぜならば、それは(α)誰も「危険」とも「危険でない」とも言えないようなリスクであり、(β)その正体は半ば判明しており、かつ、(γ1)エネルギーの死活的重要性とエネルギー資源の多様化戦略の肝要さ、ならびに、(γ2)ドイツの如くいざとなれば地続きの友好的な隣国から電力を融通してもらえるという状況にはない日本の地政学的特性、加之、(γ3)グローバル化の昂進著しい現下の、これまた国際競争の激化が必至である人類史の段階を鑑みるに、(それとリンクしている、否、寧ろトレードオフの関係にあるとも言うべき(α)の要素を睨んだ場合、)脱原発など現時点では不可能、正気の沙汰ではないと言えるだろうからです。


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何を私は言いたいのか?


蓋し、孔子が『論語』(顔淵篇)で喝破した如く「古よりみな死あり、民信なくんば立たず」。ならば、究極的には、死を恐れる必要もなく実益もない。それは人間が究極的には左右しうるものではないのだから。

他方、今現在、生存と生活に困窮している避難者・被災者・羅災者、あるいは、飢餓に苦しんでいる世界の子供たちの<現存在>というリアリティー、文字通り、餓死せしめられた数万数十万の福島県浜通りの牛さんや豚さんや犬さんの<命>のリアリティーを想起するとき、人間が、そして、その作る政府が些かなりとも左右しうる「死-生」のカテゴリーにおいて、3年後、あるいは、13年後、または、30年後に、例えば、白血病や甲状腺癌になる危険性、しかも、確率的な危険性の増大などは、人間やその作る政府が取り組むべき社会的問題のプライオリティーとしては限りなく最下位に近いの、鴨。と、私は考えます。

畢竟、放射能など、平準放射線被爆の場合、年間累積被爆線量2500ミリシーベルト(但し、妊婦・13歳未満の子供は980ミリシーベルト)以内であればなんら問題はありません。加之、内部被爆が疑われる場合には正露丸(成人の場合には、+ワンカップ大関)で鉄板。と、そう(「考えるべきである」と)私は信じています。尚、このことについては下記拙稿をご参照ください。

・ドイツの大腸菌騒動
 -脱原発の<夢物語>は足元の安心安全を確保してからにしたらどうだ
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60533639.html

・放射線被曝の危険性論は霊感商法?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60504829.html

・魔女裁判としての放射線被曝危険論
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60493326.html

・社会現象として現れるであろうすべての将来の原発問題への序説
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60454892.html



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而して、民主党政権の凄まじい落ち度は、これら正露丸、および、ワンカップ大関の
予算措置を怠ったことは不問に付すとしても、


①1ミリシーベルトだの20ミリシーベルトだのの、カルト的国際反核団体が作成した基準があたかも何か科学的・疫学的根拠があるかのごとき報道を野放しにして社会不安を増大させ、福島・宮城・岩手の被災地の復旧・復興に(第一次補正予算成立までとしても)2ヵ月余というとんでもない空白を作ったことにある。


蓋し、非閾値-連続直線仮説(要は、どのような微量の放射線被爆も確率的には健康障害の原因となりうるという主張)がいみじくも指摘している通り、この世に安全なものなどない。ならば、安全が確保できない事態を<異常>な事態と捉える感覚こそ、文化帝国主義、西欧中心主義の世界観の顕現である。

「古よりみな死あり」「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如」きもの。要は、運が悪ければ死ぬだけ。それが寿命である。と、そのような世界観の前には放射能の恐怖など、心頭滅却せずとも「火もまた涼しい」でしかない。と、そう私は考えています。    


尚、この点に関する私の基本的な憲法論・国家論に関しては
下記拙稿をご参照いただきたいと思います。

・地震と政治-柘榴としての国家と玉葱としての国民(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60340034.html


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而して、ならばこそ、「民の信をなくした政権」は打倒されなければならない。人間ができること、人間の作る政府がやるべきことをやらずに、今般の大震災を政権延命の好機と捉え、更には、「政治主導」なる脳内遊戯にかまけているとしか思えない民主党政権は、最早、テロの対象でさえあるの、鴨。このことを福島原発事故の責任論に引きつけて具体的に敷衍すれば、土台、

(甲)その災害時に惹起する危険性がせいぜい「論理的危険の可能性」にすぎない低線量放射線被曝であってみれば、500年に一度か1000年に一度かは知りませんが、よしんば、100年に一度起きるかもしれない大震災などを原発設備設計の安全基準に組み入れるなどは到底合理的ではない。

(乙)原子力損害賠償法が(近代法の原則である「過失責任主義」を修正して)定めている「無限責任」の論理的前提である「天変地異に起因する被害の免責」は認められるべきであり、よって、()東京電力はその免責条件の範囲内でのみ賠償責任を負うべきである。しかし、()それにしても、その範囲の賠償でさえ東京電力の資力を遙かに超えるであろうから、東京電力はきちんと法的整理がなされるべきであり、()東京電力の資力を超える賠償と、賠償の範囲に入らない被災地の復旧・復興は社会政策のメニューとして国費で賄われるべきである。

(丙)上記(甲)(乙)のスキームを前提にする場合、しかし、上に述べた民主党政権の杜撰で拙劣な原発事故対策、就中、<脱原発カルト>の百鬼夜行、すなわち、風評被害の跳梁跋扈を許した原発事故対策は徹底的に批判されなければならない。


蓋し、少なくとも、「政権交代」だけが歴史的意義だった民主党政権において、「政権延命」だけに固執した菅直人氏の責任は、法的と政治的の双方において徹底的に追求されなければならない。

と、そう私は考えます。


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神功皇后



而して、畢竟・・・

б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ったよね、東北!
б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ったよね、福島!
б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ったよね、日本!

б(≧◇≦)ノ ・・・脱原発論者は恥を知れ!(←まあ、馬鹿は死んでも無理だろうけど)
б(≧◇≦)ノ ・・・民主党政権はとっとと下野せよ! 民主党は解散せよ!

б(≧◇≦)ノ ・・・共に闘わん!




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ジャンル : 政治・経済

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